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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO304) アトランタ聖火ランナーの追記 ( 2021/05/20 )

 
 アトランタ・オリンピック聖火ランナー日本代表(1996年4月28日、日本出発)

 
 ラスベガス街道を走った仲間(MGMホテルロビーにて)

 
 ラスベガス街道での聖火の受け渡し

 
 伴走者と走る聖火の道

 
 応援のためラスベガスに駆けつけてくれた妹と家内

 
 聖火ランナー日本代表記念誌

 前述のコラム(NO303)に、1996年のアトランタオリンピック 聖火ランナーの事を書かせていただきましたが、数人の方から、もっと詳しい事が聞きたいとのご要望をいただきました。ご要望の要点は、@ 聖火ランナーに応募した文章、A 聖火を持って走った場所とその時の感想、B 聖火ランナーにかかった費用はいくらぐらいであったか、の3点です。

 私の手元に、「アトランタオリンピック・聖火ランナー日本国記念誌」が残されております。
その記念誌には、聖火ランナーに選出された全ての人達の応募文と走った時の感想文が記されており、私の文章もその中に含まれておりますので、今回のコラム(NO304)に記載させていただきます。

(1)聖火ランナー応募文「聖火ランナー、私の夢」
 オリンピック!!、それはこの地球上に咲く世界で一番美しい五輪の花、世界で一番大きな平和の花、そして世界で一番美しい競演の花であると思います。私は今年60歳で、沖縄地球を走る回のメンバー。私達はニューヨーク、ロンドン、ベルリン、メルボルン、モントリオール等を走り、今年はいよいよ念願のボストン・マラソンに挑戦です。世界各地のマラソンを通して、スポーツこそは世界共通の平和と友好の証である事を実感するのです。

 オリンピックの聖火ランナー!!、それは私達市民ランナーにとっては永遠の憧れ、そして最高の夢物語です。52歳から走り始めた私のジョギングは、今やっと、地球半周の2万キロに辿り着きました。アトランタの地に、聖火ランナーの夢を描きながら、これからまた、地球一周4万キロのゴールを目指して、コツコツと地球の走り旅を続けてみたいと思っているのです。

(2)聖火ランナーを走り終えた感想文「聖火の道」

      聖火の道は 赤く燃え     
      心ふるえた 神の道
      聖火の道は 優しくて
      涙あふれた 愛の道
        ああ アトランタ アトランタ
        ああ アトランタ アトランタ
      心震えた  神の道
      涙あふれた 愛の道
 
      聖火の道は 輝いて
      夢と希望に 光る道
      聖火の道は 平和へと
      世界を一つに 結ぶ道
        ああ アトランタ アトランタ
        ああ アトランタ アトランタ
      夢と希望に 光る道
      世界を一つに 結ぶ道

(3)聖火ランナーにかかった費用等について
 アトランタオリンピック聖火ランナーの全ての費用は、アトランタに総本社のあるコカ・コーラ(株)社さんがスポンサーになって下さったと聞いております。聖火ランナーの数は、アメリカから8.000人、アメリカ以外の国々から約2.000人の合計10.000人であったそうです。
 日本からは36名+数名との事でしたが、私達は1996年4月28日の日本出発から5月3日の帰国までの数日間、まさに夢のような”聖火ランナーの旅”をさせていただきました。
 私達のグループ(写真)は、この間、ネバダ州のラスベガス街道を一人が1.000mずつ走らせていただきました。炎天下35℃の1kmでありましたが、私は今でもその時の1kmはまさしく“神の道”であったと思っております。人生最高の体験をさせていただいた聖火ランナーに生涯の感謝と感動を忘れることはありません。

              2021年5月19日の記


奥田のコラム(NO303) 聖火ランナーの想い出と100歳人生への夢 ( 2021/05/07 )

 
 1996年聖火ランナーとしてラスベガス街道を走る

 
 憧れのロンドンマラソン中間地点

 
 メルボルンマラソン無事完走

 
 ベルリンの壁崩壊後、記念大会

 
 ボストン・マラソン100回記念大会完走記念

 
 ラスベガスの聖火ランナー完走記念で

 話が遥かな昔に逆戻りする事になりますが、お許しください。実は私は今から25年前(1996年)のアトランタオリンピック聖火ランナー日本代表(36名)の一人に選出されておりました。
その当時の私の年齢は60歳でありましたが、どうして60歳の高齢者が聖火ランナーに選ばれたのかについては、後述させていただきます。

 今から35年程前、50歳を迎える直前のある日、私は突然那覇マラソンを走らねばならない立場に置かれ、マラソンの事は何一つ知識のないまま、第1回目のナハマラソンのスタートラインに立たされてしまいました。当然の事ながら、悪戦苦闘、フルマラソン42・195キロの約半分、20キロの地点で、もうどうにもならずリタイアー。私の目の前を軽々と走って行く人達が、みんな神様のような気がして、思わず心のなかで手を合わせた時の事が、今でも忘れられません。

 マラソンはもう懲り懲り!!と思っていた50歳を過ぎた、或る日の或るホテルの新年会で、今度は或る人から“ロンドンマラソンを走りませんか!!”、とのお誘いを受けたのでした。丁寧にお断りしたつもりでしたが、“ロンドンを走る”という夢のような言葉の魔力に、私の頭脳は完全に侵されてしまい、気がついてみたら、ロンドン行きにサインをしていたのでした。
 その日から私の日常は、朝に昼に夕に、月星の輝く夜は夜中まで、ロンドンの空を空想しながら走り続ける日々が続いていたのでした。

 ロンドンマラソンはまるで夢の中の完走でしたが、完走直後からの私は、殆ど夢遊病者の様で、やっとの事でホテルに辿り着いた記憶が残っております。ロンドンマラソンの感動は、生涯忘れる事は無いと思いますが、その後の私はメルボルン、ベルリン、ボストン等を走り、私の人生目標は、いつしか“生涯をかけて、地球一周の4万キロを走りきる”、に変わって行く事となっておりました。

 1996年のアトランタオリンピック聖火ランナーの募集を知った時の私は、60歳になっておりました。聖火ランナーなど、まるで雲の上の出来事とばかり思っていたのに、妹の強い勧めもあって、私はその募集に応募して、殆ど忘れかけておりました。何週間か経った或る日の事、聖火ランナー選考委員の方から電話がかかってきて、“只今、選考会で貴方が聖火ランナーの第1号に選出されました”、と申されたのです。あまりの驚きに、私はその瞬間、目の前が真っ暗くなり、しばし亡然とその場に立ちすくんでおりました。
 選考委員のお話によれば、アトランタオリンピック聖火ランナーの選考ポイントは、“人生にかける夢”であった事を後日知らされたのでした。どうやら、60歳から地球一周走を目指していた私の夢は、アトランタ聖火ランナーの選考条件にドンピシャ!!だったのかも知れません。

 私は75歳まで走り続けておりました。75歳の誕生日に地球一周4万キロ+1万キロ=5万キロを走り終えて、走る世界に一線を引き、その後はウォーキングに変わりました。
 今は週2〜3回の軽いウォーキングと、週2回のスイミングと、65歳の頃からご縁を頂いている太極拳の世界に没入の日々を過ごしております。

 間もなく85歳になりますが、これから先の人生目標は“元気な100歳人生を生きる事”と心得ております。大勢の太極拳仲間達と、まだ小さな2人の孫(5歳の女の子と7歳の男の子)と、お母さん(家内の事)のお陰で毎日が幸せ一杯の日々であります。

 後期高齢者を迎えた頃からの私の座右の銘は、サムエル・ウルマンの“年を重ねただけで人生は老いない。理想(夢)を失う時、初めて老いる”であります。
                     2021年5月6日の記
 



奥田のコラム(NO302) 東京2020オリンピック TOUCHリレー In沖縄 ( 2021/05/06 )

 
 沖縄聖火リレー

 
 サバニで繋いだ座間味村の聖火

 
 アトランタオリンピック・スポンサーだったコカコーラ(株)の聖火ランナー達

 
 

 
 

 
 

 2021年4月25日に福島県をスタートした東京五輪の聖火は、鹿児島から海を渡って沖縄に到着。そして5月の1日、2日と沖縄県の各地を静かに巡ってくれました。
 本来であれば聖火の道には、大勢の人たちが集まって来てくれる筈なのに、新型コロナウイルス感染予防のために、予定していた計画とは大きく異る内容になってしまった事は残念でなりません。

 離島の宮古島市では、聖火リレーそのものが中止となり、沖縄本島の縦断走計画も、公道でのリレーが取り止めとなり、実際にリレーが実現されたのは、石垣市以外は本島北部の名護市役所周辺と、本島南部の糸満市平和記念公園内での観客厳重制限の中での、一人100メートルづつのリレーであったそうです。
 離島の座間味村での海上サバニ走は、他県では見られないユニークな光景で、何かしらの笑顔があったのはささやかなやすらぎでありました。

 沖縄県の聖火リレーを繋いだ人の数は、総勢178人。最高齢者は男性が91歳、女性が85歳、最小年齢者は、男性も女性も共に13歳との事です。178名の県勢ランナー達は、それぞれに熱き思いを胸に秘めての100メートル走(歩)であったに違いませんが、貴重な聖火ランナーの体験を、これからの人生の宝物として生かしていただきたいと熱望いたします。

 昨今のニュースを見ていると、このコロナ禍の中での東京五輪は、中止すべきとの意見が大きく盛り上がっているとの事ですが、たとえ中止になったとしても、聖火ランナーであった事の事実には、いささかの変わりは無いと思います。聖火ランナーの誇りを胸に、これからの未来に強い信念を持って、走り続けていかれる事を、心より希望しています。


                     2021年5月5日の記


奥田のコラム(NO301) 2021年、オーガスタの女神は、日本の松山選手に微笑んだ ( 2021/04/17 )

 
 松山優勝の喜び(スポニチより)

 
 最終日・第1ホールの豪快なティーショット

 
 優勝を確信した最終ホールのパット

 
 最終ホールでのスタンディング・オヴェーション

 
 キャディーと抱き合う優勝の瞬間(琉球新報より)

 
 優勝トロフィーを手に笑顔の松山選手(琉球新報より)

 ゴルフの松山秀樹選手(29歳)が、世界最高峰のゴルフの祭典と言われる“マスターズ”の歴史に、その名を刻む大快挙を成し遂げてくれました。

 日本人が初めてマスターズに参加したのは、今から85年も前の1936年との事です。(全くの余談ですが、私はこの歳に生まれました)。この間、日本からも錚々たるゴルフの達人達(33人)が、このマスターズに挑み続けるも、マスターズの頂上に辿り着くのは至難の業であったようです。
 若干19歳の時から、このマスターズに挑み続けた松山秀樹君が、この度の10回目の挑戦で遂にその頂点に到達してくれたのですから、これはまさに、日本ゴルフ界に永久に残る快挙と言えるのではないでしょうか。日本のゴルフ・ファンにとって、これ以上の喜びはないのかも知れません。
 実は私もゴルフ大好き人間です。ゴルフ大好き人間故に、末息子を15歳の時から、アメリカにゴルフ留学をさせて、今では息子のお陰で、アメリカとの深いご縁をいただき、大いなるゴルフ人生を楽しませてもらっているのです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 多くのレジェンド達からの松山選手への讃辞をここに明記させていただき、松山選手の偉業を讃えたいと思います。
< 讃 辞 >
  
その1 : 心からおめでとうを伝えたい。今日は松山秀樹の一日だったが、彼にとって、日本にとって、そして世界のゴルフ界にとっても最高の一日となった。秀樹は日本で永遠のヒーローになるだろう。(ジャック・ニコラウス)

その2 : 君は日本の誇りになった。君の国にとって、これほど大きな偉業を成し遂げておめでう。今日の歴史的なマスターズ制覇は、ゴルフ界全体にインパクトを与えるであろう。
     (タイガー・ウッズ)

その3 : 日本選手が男子メジャーを初制覇した事は、もの凄く大きい事。秀樹はスーパースターだ。日本にとってこの勝利がどれ程重みのある事か、秀樹はこれから知る事になる。
     そしてもっとメジャーに勝つだろう。(アダム・スコット。オーストラリア選手)

その4 : 秀樹は素晴らしい選手だ。アジア生まれの選手が初めてマスターズを勝った事の意味は、もの凄く大きい。誇りに思う。(ケビン・ナ。米国選手)

その5 : 秀樹は素晴らしいショットメーカー。15番ティーのショットを見たが、完璧なフェードだった。グリーンジャケットを着るにふさわしいプレーヤーだ。(パトリック・リド
     (英国選手)

その6 : 全国のゴルフファンが待ち望んだ瞬間だった。マスターズの優勝に辿り着くには、計り知れない血の滲むような努力を積み重ねてきた事と思います。この強さ、忍耐、技術の高さをこれからも披露してくれる事を願います。(青木功選手・日本ゴルフ機構会長)

その7 : 日本ゴルフ界の大偉業である。これは松山本人の挑戦力と勇気と、そしてそれに必要な努力の結果である。松山君に続く、世界で通用する男子プロの出現を切に願う。本当におめでとう。(尾崎将司)

その8 : ついにこの日が来て、嬉しくて泣きました。マスターズはプロが一番勝ちたい試合。メジャーの中でも格別なんだ。そこでの優勝がどれ程に凄いことか、日本のゴルフ界に永遠に残る偉業です。(中島常幸)

その9 : 松山くんのマスターズ優勝は、これで日本の子供達が、メジャーで優勝するという目標が、もう夢物語でなくなった。彼自身が今までとは違う自信を持って、メジャーに臨めるようになった。他の選手が彼を恐れる要因が増え、格が違う選手になった。
     (丸山茂樹・東京オリンピック日本選手団ヘッドコーチ)

その10: 日本のゴルファーが待ち望んでいた瞬間が遂に来たという感じです。松山選手の実力なら、この勝利は通過点だと思いますので、東京五輪では、金メダル、更にメジャー2勝・3勝目を期待したいと思います。(倉本晶弘・日本プロゴルフ協会会長・東京五輪強化委員長)

その11: 彼は勝つべくして勝った。本当の憧れですし、凄いなーと思います。彼の勝利はものすごい歴史的な、日本のゴルフ史上でも大きなことを成し遂げたと言ってもいいと思います。(石川遼選手)

その12: 松山くんは、日本のタイガー・ウッズだ。(ニューヨーク・ポスト誌)

その13: ゴルフより野球、相撲が人気の国で、彼は最も尊敬されるアスリートの一人になった。
     (ニューヨーク・タイム誌)

                      2021年4月16日の記
 


奥田のコラム(NO300) 沖縄のコロナと寒緋桜とタンカンと(手紙3題) ( 2021/02/21 )

 
 奥武山世持神社の桜

 
 与儀公園の桜

 
 名護市伊豆味のタンカン畑

 
 スーパーでのタンカン

 
 山積みのタンカン

 
 名護の友人から贈られてきたタンカン

プロローグ:
 今年の沖縄は、まだコロナ禍の真っ只中に置かれていて、なかなか心の安まる日はないのですが、何故か沖縄本島のいたるところに咲き誇る“寒緋桜”の美しさと、沖縄の北部一帯の山地に、たわわに果実を実らせてくれている“タンカン”の美味しさには、何かしらコロナ禍の不安を、一心に取り除かせようとしている“心意気”の様なものが感じられて、私は思わず、この両者に両の手を合わさないではいられないのです。
 手を合わせているうちに、ふと、何人かの友人・知人の顔が、目の前に浮かんできましたので、その人達にちょっと手紙を添えて、タンカンを送らせていただきました。今日のコラムには、その時の手紙文を書かせていただこうと思います。

    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
 手紙(その1) : Y・K様

 ご無沙汰を深く、深くお詫びいたします。
今年の沖縄は、全国でもトップクラスのコロナ禍の中に置かれておりますが、何故か、沖縄に咲く「寒緋桜」だけは、コロナ禍に一人で立ち向かってくれているかのように、町並みのいたる処で堂々と咲き誇ってくれております。私の沖縄人生50年の中でも、今年の寒緋桜には何かしら強い意志と魂がこもっているように思えてなりません。

 それに、今年は沖縄のミカン「タンカン」も、10年に一度位の大豊作との事で、いたる所のスーパーにも山積みされております。山積みされた「タンカン」を眺めているうちに、確か、タンカン大好きであられたK さんの事が強く思い出されましたので、とりあえず送らせていただこうと思った次第です。
 私は今年85歳になりますが、75歳の時、マラソン総走距離5万キロを走破したのを機に、マラソン人生には一応の終止符を打ち、以来、今は気功・太極拳の世界に没入の日々を送っております。残された人生の最終目標は、“元気な100歳人生”と心得、頑張っております。

 私のマラソン人生は、あなたの励ましに後押しをして頂き、一応の目標を達成させて頂いたと思っております。これからはあなたの“落語集”を聞かせていただきながら、楽しく100歳の大往生>を達成してみたいと心に誓っております。
 突然のお手紙で申し訳ありません。遠く沖縄からKさんのご健康を念じながら、またいつの日か、お目にかかれる日を楽しみにさせて頂きます。

       2021年2月12日(沖縄旧正月の日に) 
                   沖縄より 奥田 清志
     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
  手紙(その2) : S・J様
    
 ご無沙汰をいたしておりますが、お変わりありませんでしょうか。奥様の肩の怪我はもう元通りに回復されておられるでしょうか。お二人の事が、少し気になっているのです。
 私の足の痛みは、かなり回復しているのですが、腰の痛みがまだ取れなくて、苦戦をしております。2月の寒さが終わってくれば、きっと腰の方も回復に向かってくれるものと期待して、日々のリハビリだけは続けております。

 私が沖縄にご縁を頂いて、やがて半世紀が過ぎようとしているのですが、今年の沖縄には、これまでに感じたことのない異変のようなものを感じているのです。
 その一つは、沖縄に咲く今年の寒緋桜に、私は特別な美しさと、特別な激しさを感じ、心を奪われているのです。どうしてこんなに激しい咲き方をしているのだろうかと考えてみるのですが、もしかして全国の中でもトップ10に入る程のコロナ禍にあって、沖縄の桜達は、一斉にそのコロナに立ち向かってくれているのではないか・・・という気がして私は沖縄の桜に“ありがとう”の言葉を言い続けているのです。

 次の嬉しい異変は、沖縄名産のみかん(タンカン)が、今年は10数年振りの大豊作なのだそうです。“タンカン”は沖縄のマンゴーと肩を並べる人気者で、なかなか私達の食卓に届かないのですが、何故か今年はどこのスーパーにも山積みされているのです。しかも価格も例年より割安で、私達もまさかのびっくり仰天です。
 今年こそは親しい人達に、タンカンを送る絶好のチャンスと思い、親しい人の名前を思い浮かべるのですが、私の親しい第1番の人はS・Jさんで、もう一人は、昔からタンカン大好き人間で、私のマラソン人生を応援し続けてくれていた落語家のY・Kさん、そしてもう一人は日本を代表する書家のI・Hさんですので、本日、このお三人にタンカンを発送させて頂いた次第です。
 冬が過ぎ暖かくなってお互いに元気が回復したら、是非とも今度はゴルフで再会いたしましょう!!!
              2021年2月12日 奥田清志・泰子

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・ 〜・〜・〜・〜・〜
手紙(その3) I・H様

 今日の沖縄は、今年一番の寒さ(日中でも12℃〜13℃)で、私達は震え上がっているのですが、東京以北の事を考えると、あまり大きな声を上げてわめくのも申し訳ない気がして我慢をしております。今日外出から家に帰ってみたら、あなたからの“近作展のパンフレット”がポストの中に入っていて、大喜びをしているところです。

 私は20年程前から、気功と太極拳に没入しておりますが、2〜3年程前に新しくオープンした教室の生徒さんの中に、Iさん大好き人間(この人の妹が書道の教室をやっているのです)がいる事が判り、以前あなたから頂いた何冊かの書の本を差し上げたら、飛び上がる程の喜びを示してくれました。今日送っていただいたパンフレットも、彼女に一冊差し上げようと思っております。

 上記の様な事もあって、あなたの「沖縄楽書会」が再開出来ないであろうか・・・と思うようになっております。あなたのお身体の具合と、スケジュールの都合がつくようでしたら、これ以上の喜びはありません。

 沖縄はまだ、コロナ禍の真っ只中のような気がいたしますが、今年は何故か、沖縄に咲く寒緋桜が満開に咲き誇っているのと、タンカンが十数年にぶりの豊作との事で、少しですが送らせていただきます。お会い出来る日を楽しみに、楽しみにしております。
      
      2021年2月18日  沖縄より  奥田 清志・泰子

    エピローグ:
 『良き事を心掛けていると、良き事が返ってくる』という言葉を目にした事がありますが、実はまさしく今日、「タンカンの里」と言われる沖縄県名護市に住む太極拳仲間のHさんご夫婦から、これまでに見たこともない様な見事なタンカンと、たわわに実ったタンカンの写真が送られてきて、私は、今,夢の中を彷徨っているような幸せな気分の中に居るのです。私の思いつきの“タンカン送り”は、もしかして、ちょっとした良き事だったのかも知れません。

                 2021年2月20日の記
                  

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