85歳記念写真(夫婦で) 85歳記念写真(二人の孫と一緒に) 孫の「のぞみ」からプレゼントされた絵 孫の「音羽」からプレゼントされた絵 | 2021年6月26日は、私の85歳の誕生日でありました。遥かな昔、85歳の日がやって来るなどとは、頭の片隅にも思いつかない出来事でしたが、時の流れは、それが50年、100年先の事であっても、必ずそれなりの日がやって来る事を、しみじみと思い知らされた一日でありました。
85歳になっての感想は何かと聞かれれば、その答えは @ 85の自分は、足腰に幾分の苦戦はしているものの、それ以外ではかなり元気な方ではないかと思い、その元気ぶりに深く感謝している事。 A この先、何歳まで生きられるのであろうか、そして残されたこれからの人生を、如何に生きるべきであろうか?についての覚悟を、しっかりと決めておかねばならない、と思った事でありました。 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 この先何歳まで生きられるであろうかについては、私は今年(2021年)のお正月のコラム(NO299)に、“元気な100歳を生きる”、と公言いたしておりますので、何としても100歳までは自分の全責任において、必ずや生きねばならないと覚悟しているのです。
100歳までは生きてみたいと思うのには2つの大きな理由があるのです。
その理由の一つは @ 今年5歳になる孫(女の子)と、7歳になる孫(男の子)が、あまりに可愛くて、あまりに面白くて、あまりに豊かな個性の持ち主故に、どうしてもこの二人の孫の成人の姿を見届けたいと思う事です。 A 二つ目の理由は 私の太極拳人生によるものであります。私が太極拳とのご縁を頂いたのは、今から25年前の60歳の時でした。60歳の時、ふとした事から、私の大恩師とも言える帯津良一先生のご紹介で、太極拳の神様とも思える(故)楊名時先生とのご縁をいただき、楊名時先生の太極拳に魅せられ、以来今日まで25年間、太極拳人生に没入の日々を過ごしているのです。
第1級の太極拳老師になる為には40年間の修業が必要との事です。私は後まだ15年の練功を積まなければ、太極拳老師の域には到達できないのです。私の太極拳は幾分私流になっているのかも知れませんが、それでも私はそれなりに生涯をかけて、100歳の太極拳を舞える日が来る事を夢に見ているのです。 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜 私は“天職”という言葉に魅力を感じます。天職とは天なる神様に導かれた仕事という事ではないでしょうか。今から10数年も前の事ですが、或る知人から、あの帯津先生の本の中に、“沖縄にも天職に生きる人がいると書かれているよ”、との報告を受け、その本に目を通してみると、何とその天職についている沖縄の人と言うのは、この私である事を知り、仰天の思いをした事があるのです。 当時太極拳に没入していた私の姿が、帯津先生の目には天職の様に映ってくださったのかも知れません。以来、私は太極拳こそは私の天職と思うようになり、大いに心をときめかせ、今日まで太極拳人生を楽しんでいる次第です。 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・ 〜・〜・〜・〜・〜 <85歳からの私の心掛け> @ 残された人生、出来るだけ人様にご迷惑をかけない人生でありたい。 A 残された人生、いささかなりとも人様のお役に立てる人生でありたい。 B 残された人生、”今日よりも一歩前進の明日”であり続けたい。 C 残された人生、天国の両親が喜んでくれるであろう人生でありたい。 D 残された人生、いつ何があっても、いささかの後悔もない納得の人生でありたい。。 2021年6月30日の記
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