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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO303) 聖火ランナーの想い出と100歳人生への夢 ( 2021/05/07 )

 
 1996年聖火ランナーとしてラスベガス街道を走る

 
 憧れのロンドンマラソン中間地点

 
 メルボルンマラソン無事完走

 
 ベルリンの壁崩壊後、記念大会

 
 ボストン・マラソン100回記念大会完走記念

 
 ラスベガスの聖火ランナー完走記念で

 話が遥かな昔に逆戻りする事になりますが、お許しください。実は私は今から25年前(1996年)のアトランタオリンピック聖火ランナー日本代表(36名)の一人に選出されておりました。
その当時の私の年齢は60歳でありましたが、どうして60歳の高齢者が聖火ランナーに選ばれたのかについては、後述させていただきます。

 今から35年程前、50歳を迎える直前のある日、私は突然那覇マラソンを走らねばならない立場に置かれ、マラソンの事は何一つ知識のないまま、第1回目のナハマラソンのスタートラインに立たされてしまいました。当然の事ながら、悪戦苦闘、フルマラソン42・195キロの約半分、20キロの地点で、もうどうにもならずリタイアー。私の目の前を軽々と走って行く人達が、みんな神様のような気がして、思わず心のなかで手を合わせた時の事が、今でも忘れられません。

 マラソンはもう懲り懲り!!と思っていた50歳を過ぎた、或る日の或るホテルの新年会で、今度は或る人から“ロンドンマラソンを走りませんか!!”、とのお誘いを受けたのでした。丁寧にお断りしたつもりでしたが、“ロンドンを走る”という夢のような言葉の魔力に、私の頭脳は完全に侵されてしまい、気がついてみたら、ロンドン行きにサインをしていたのでした。
 その日から私の日常は、朝に昼に夕に、月星の輝く夜は夜中まで、ロンドンの空を空想しながら走り続ける日々が続いていたのでした。

 ロンドンマラソンはまるで夢の中の完走でしたが、完走直後からの私は、殆ど夢遊病者の様で、やっとの事でホテルに辿り着いた記憶が残っております。ロンドンマラソンの感動は、生涯忘れる事は無いと思いますが、その後の私はメルボルン、ベルリン、ボストン等を走り、私の人生目標は、いつしか“生涯をかけて、地球一周の4万キロを走りきる”、に変わって行く事となっておりました。

 1996年のアトランタオリンピック聖火ランナーの募集を知った時の私は、60歳になっておりました。聖火ランナーなど、まるで雲の上の出来事とばかり思っていたのに、妹の強い勧めもあって、私はその募集に応募して、殆ど忘れかけておりました。何週間か経った或る日の事、聖火ランナー選考委員の方から電話がかかってきて、“只今、選考会で貴方が聖火ランナーの第1号に選出されました”、と申されたのです。あまりの驚きに、私はその瞬間、目の前が真っ暗くなり、しばし亡然とその場に立ちすくんでおりました。
 選考委員のお話によれば、アトランタオリンピック聖火ランナーの選考ポイントは、“人生にかける夢”であった事を後日知らされたのでした。どうやら、60歳から地球一周走を目指していた私の夢は、アトランタ聖火ランナーの選考条件にドンピシャ!!だったのかも知れません。

 私は75歳まで走り続けておりました。75歳の誕生日に地球一周4万キロ+1万キロ=5万キロを走り終えて、走る世界に一線を引き、その後はウォーキングに変わりました。
 今は週2〜3回の軽いウォーキングと、週2回のスイミングと、65歳の頃からご縁を頂いている太極拳の世界に没入の日々を過ごしております。

 間もなく85歳になりますが、これから先の人生目標は“元気な100歳人生を生きる事”と心得ております。大勢の太極拳仲間達と、まだ小さな2人の孫(5歳の女の子と7歳の男の子)と、お母さん(家内の事)のお陰で毎日が幸せ一杯の日々であります。

 後期高齢者を迎えた頃からの私の座右の銘は、サムエル・ウルマンの“年を重ねただけで人生は老いない。理想(夢)を失う時、初めて老いる”であります。
                     2021年5月6日の記
 



奥田のコラム(NO302) 東京2020オリンピック TOUCHリレー In沖縄 ( 2021/05/06 )

 
 沖縄聖火リレー

 
 サバニで繋いだ座間味村の聖火

 
 アトランタオリンピック・スポンサーだったコカコーラ(株)の聖火ランナー達

 
 

 
 

 
 

 2021年4月25日に福島県をスタートした東京五輪の聖火は、鹿児島から海を渡って沖縄に到着。そして5月の1日、2日と沖縄県の各地を静かに巡ってくれました。
 本来であれば聖火の道には、大勢の人たちが集まって来てくれる筈なのに、新型コロナウイルス感染予防のために、予定していた計画とは大きく異る内容になってしまった事は残念でなりません。

 離島の宮古島市では、聖火リレーそのものが中止となり、沖縄本島の縦断走計画も、公道でのリレーが取り止めとなり、実際にリレーが実現されたのは、石垣市以外は本島北部の名護市役所周辺と、本島南部の糸満市平和記念公園内での観客厳重制限の中での、一人100メートルづつのリレーであったそうです。
 離島の座間味村での海上サバニ走は、他県では見られないユニークな光景で、何かしらの笑顔があったのはささやかなやすらぎでありました。

 沖縄県の聖火リレーを繋いだ人の数は、総勢178人。最高齢者は男性が91歳、女性が85歳、最小年齢者は、男性も女性も共に13歳との事です。178名の県勢ランナー達は、それぞれに熱き思いを胸に秘めての100メートル走(歩)であったに違いませんが、貴重な聖火ランナーの体験を、これからの人生の宝物として生かしていただきたいと熱望いたします。

 昨今のニュースを見ていると、このコロナ禍の中での東京五輪は、中止すべきとの意見が大きく盛り上がっているとの事ですが、たとえ中止になったとしても、聖火ランナーであった事の事実には、いささかの変わりは無いと思います。聖火ランナーの誇りを胸に、これからの未来に強い信念を持って、走り続けていかれる事を、心より希望しています。


                     2021年5月5日の記


奥田のコラム(NO301) 2021年、オーガスタの女神は、日本の松山選手に微笑んだ ( 2021/04/17 )

 
 松山優勝の喜び(スポニチより)

 
 最終日・第1ホールの豪快なティーショット

 
 優勝を確信した最終ホールのパット

 
 最終ホールでのスタンディング・オヴェーション

 
 キャディーと抱き合う優勝の瞬間(琉球新報より)

 
 優勝トロフィーを手に笑顔の松山選手(琉球新報より)

 ゴルフの松山秀樹選手(29歳)が、世界最高峰のゴルフの祭典と言われる“マスターズ”の歴史に、その名を刻む大快挙を成し遂げてくれました。

 日本人が初めてマスターズに参加したのは、今から85年も前の1936年との事です。(全くの余談ですが、私はこの歳に生まれました)。この間、日本からも錚々たるゴルフの達人達(33人)が、このマスターズに挑み続けるも、マスターズの頂上に辿り着くのは至難の業であったようです。
 若干19歳の時から、このマスターズに挑み続けた松山秀樹君が、この度の10回目の挑戦で遂にその頂点に到達してくれたのですから、これはまさに、日本ゴルフ界に永久に残る快挙と言えるのではないでしょうか。日本のゴルフ・ファンにとって、これ以上の喜びはないのかも知れません。
 実は私もゴルフ大好き人間です。ゴルフ大好き人間故に、末息子を15歳の時から、アメリカにゴルフ留学をさせて、今では息子のお陰で、アメリカとの深いご縁をいただき、大いなるゴルフ人生を楽しませてもらっているのです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 多くのレジェンド達からの松山選手への讃辞をここに明記させていただき、松山選手の偉業を讃えたいと思います。
< 讃 辞 >
  
その1 : 心からおめでとうを伝えたい。今日は松山秀樹の一日だったが、彼にとって、日本にとって、そして世界のゴルフ界にとっても最高の一日となった。秀樹は日本で永遠のヒーローになるだろう。(ジャック・ニコラウス)

その2 : 君は日本の誇りになった。君の国にとって、これほど大きな偉業を成し遂げておめでう。今日の歴史的なマスターズ制覇は、ゴルフ界全体にインパクトを与えるであろう。
     (タイガー・ウッズ)

その3 : 日本選手が男子メジャーを初制覇した事は、もの凄く大きい事。秀樹はスーパースターだ。日本にとってこの勝利がどれ程重みのある事か、秀樹はこれから知る事になる。
     そしてもっとメジャーに勝つだろう。(アダム・スコット。オーストラリア選手)

その4 : 秀樹は素晴らしい選手だ。アジア生まれの選手が初めてマスターズを勝った事の意味は、もの凄く大きい。誇りに思う。(ケビン・ナ。米国選手)

その5 : 秀樹は素晴らしいショットメーカー。15番ティーのショットを見たが、完璧なフェードだった。グリーンジャケットを着るにふさわしいプレーヤーだ。(パトリック・リド
     (英国選手)

その6 : 全国のゴルフファンが待ち望んだ瞬間だった。マスターズの優勝に辿り着くには、計り知れない血の滲むような努力を積み重ねてきた事と思います。この強さ、忍耐、技術の高さをこれからも披露してくれる事を願います。(青木功選手・日本ゴルフ機構会長)

その7 : 日本ゴルフ界の大偉業である。これは松山本人の挑戦力と勇気と、そしてそれに必要な努力の結果である。松山君に続く、世界で通用する男子プロの出現を切に願う。本当におめでとう。(尾崎将司)

その8 : ついにこの日が来て、嬉しくて泣きました。マスターズはプロが一番勝ちたい試合。メジャーの中でも格別なんだ。そこでの優勝がどれ程に凄いことか、日本のゴルフ界に永遠に残る偉業です。(中島常幸)

その9 : 松山くんのマスターズ優勝は、これで日本の子供達が、メジャーで優勝するという目標が、もう夢物語でなくなった。彼自身が今までとは違う自信を持って、メジャーに臨めるようになった。他の選手が彼を恐れる要因が増え、格が違う選手になった。
     (丸山茂樹・東京オリンピック日本選手団ヘッドコーチ)

その10: 日本のゴルファーが待ち望んでいた瞬間が遂に来たという感じです。松山選手の実力なら、この勝利は通過点だと思いますので、東京五輪では、金メダル、更にメジャー2勝・3勝目を期待したいと思います。(倉本晶弘・日本プロゴルフ協会会長・東京五輪強化委員長)

その11: 彼は勝つべくして勝った。本当の憧れですし、凄いなーと思います。彼の勝利はものすごい歴史的な、日本のゴルフ史上でも大きなことを成し遂げたと言ってもいいと思います。(石川遼選手)

その12: 松山くんは、日本のタイガー・ウッズだ。(ニューヨーク・ポスト誌)

その13: ゴルフより野球、相撲が人気の国で、彼は最も尊敬されるアスリートの一人になった。
     (ニューヨーク・タイム誌)

                      2021年4月16日の記
 


奥田のコラム(NO300) 沖縄のコロナと寒緋桜とタンカンと(手紙3題) ( 2021/02/21 )

 
 奥武山世持神社の桜

 
 与儀公園の桜

 
 名護市伊豆味のタンカン畑

 
 スーパーでのタンカン

 
 山積みのタンカン

 
 名護の友人から贈られてきたタンカン

プロローグ:
 今年の沖縄は、まだコロナ禍の真っ只中に置かれていて、なかなか心の安まる日はないのですが、何故か沖縄本島のいたるところに咲き誇る“寒緋桜”の美しさと、沖縄の北部一帯の山地に、たわわに果実を実らせてくれている“タンカン”の美味しさには、何かしらコロナ禍の不安を、一心に取り除かせようとしている“心意気”の様なものが感じられて、私は思わず、この両者に両の手を合わさないではいられないのです。
 手を合わせているうちに、ふと、何人かの友人・知人の顔が、目の前に浮かんできましたので、その人達にちょっと手紙を添えて、タンカンを送らせていただきました。今日のコラムには、その時の手紙文を書かせていただこうと思います。

    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
 手紙(その1) : Y・K様

 ご無沙汰を深く、深くお詫びいたします。
今年の沖縄は、全国でもトップクラスのコロナ禍の中に置かれておりますが、何故か、沖縄に咲く「寒緋桜」だけは、コロナ禍に一人で立ち向かってくれているかのように、町並みのいたる処で堂々と咲き誇ってくれております。私の沖縄人生50年の中でも、今年の寒緋桜には何かしら強い意志と魂がこもっているように思えてなりません。

 それに、今年は沖縄のミカン「タンカン」も、10年に一度位の大豊作との事で、いたる所のスーパーにも山積みされております。山積みされた「タンカン」を眺めているうちに、確か、タンカン大好きであられたK さんの事が強く思い出されましたので、とりあえず送らせていただこうと思った次第です。
 私は今年85歳になりますが、75歳の時、マラソン総走距離5万キロを走破したのを機に、マラソン人生には一応の終止符を打ち、以来、今は気功・太極拳の世界に没入の日々を送っております。残された人生の最終目標は、“元気な100歳人生”と心得、頑張っております。

 私のマラソン人生は、あなたの励ましに後押しをして頂き、一応の目標を達成させて頂いたと思っております。これからはあなたの“落語集”を聞かせていただきながら、楽しく100歳の大往生>を達成してみたいと心に誓っております。
 突然のお手紙で申し訳ありません。遠く沖縄からKさんのご健康を念じながら、またいつの日か、お目にかかれる日を楽しみにさせて頂きます。

       2021年2月12日(沖縄旧正月の日に) 
                   沖縄より 奥田 清志
     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
  手紙(その2) : S・J様
    
 ご無沙汰をいたしておりますが、お変わりありませんでしょうか。奥様の肩の怪我はもう元通りに回復されておられるでしょうか。お二人の事が、少し気になっているのです。
 私の足の痛みは、かなり回復しているのですが、腰の痛みがまだ取れなくて、苦戦をしております。2月の寒さが終わってくれば、きっと腰の方も回復に向かってくれるものと期待して、日々のリハビリだけは続けております。

 私が沖縄にご縁を頂いて、やがて半世紀が過ぎようとしているのですが、今年の沖縄には、これまでに感じたことのない異変のようなものを感じているのです。
 その一つは、沖縄に咲く今年の寒緋桜に、私は特別な美しさと、特別な激しさを感じ、心を奪われているのです。どうしてこんなに激しい咲き方をしているのだろうかと考えてみるのですが、もしかして全国の中でもトップ10に入る程のコロナ禍にあって、沖縄の桜達は、一斉にそのコロナに立ち向かってくれているのではないか・・・という気がして私は沖縄の桜に“ありがとう”の言葉を言い続けているのです。

 次の嬉しい異変は、沖縄名産のみかん(タンカン)が、今年は10数年振りの大豊作なのだそうです。“タンカン”は沖縄のマンゴーと肩を並べる人気者で、なかなか私達の食卓に届かないのですが、何故か今年はどこのスーパーにも山積みされているのです。しかも価格も例年より割安で、私達もまさかのびっくり仰天です。
 今年こそは親しい人達に、タンカンを送る絶好のチャンスと思い、親しい人の名前を思い浮かべるのですが、私の親しい第1番の人はS・Jさんで、もう一人は、昔からタンカン大好き人間で、私のマラソン人生を応援し続けてくれていた落語家のY・Kさん、そしてもう一人は日本を代表する書家のI・Hさんですので、本日、このお三人にタンカンを発送させて頂いた次第です。
 冬が過ぎ暖かくなってお互いに元気が回復したら、是非とも今度はゴルフで再会いたしましょう!!!
              2021年2月12日 奥田清志・泰子

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・ 〜・〜・〜・〜・〜
手紙(その3) I・H様

 今日の沖縄は、今年一番の寒さ(日中でも12℃〜13℃)で、私達は震え上がっているのですが、東京以北の事を考えると、あまり大きな声を上げてわめくのも申し訳ない気がして我慢をしております。今日外出から家に帰ってみたら、あなたからの“近作展のパンフレット”がポストの中に入っていて、大喜びをしているところです。

 私は20年程前から、気功と太極拳に没入しておりますが、2〜3年程前に新しくオープンした教室の生徒さんの中に、Iさん大好き人間(この人の妹が書道の教室をやっているのです)がいる事が判り、以前あなたから頂いた何冊かの書の本を差し上げたら、飛び上がる程の喜びを示してくれました。今日送っていただいたパンフレットも、彼女に一冊差し上げようと思っております。

 上記の様な事もあって、あなたの「沖縄楽書会」が再開出来ないであろうか・・・と思うようになっております。あなたのお身体の具合と、スケジュールの都合がつくようでしたら、これ以上の喜びはありません。

 沖縄はまだ、コロナ禍の真っ只中のような気がいたしますが、今年は何故か、沖縄に咲く寒緋桜が満開に咲き誇っているのと、タンカンが十数年にぶりの豊作との事で、少しですが送らせていただきます。お会い出来る日を楽しみに、楽しみにしております。
      
      2021年2月18日  沖縄より  奥田 清志・泰子

    エピローグ:
 『良き事を心掛けていると、良き事が返ってくる』という言葉を目にした事がありますが、実はまさしく今日、「タンカンの里」と言われる沖縄県名護市に住む太極拳仲間のHさんご夫婦から、これまでに見たこともない様な見事なタンカンと、たわわに実ったタンカンの写真が送られてきて、私は、今,夢の中を彷徨っているような幸せな気分の中に居るのです。私の思いつきの“タンカン送り”は、もしかして、ちょっとした良き事だったのかも知れません。

                 2021年2月20日の記
                  


奥田のコラム(NO299) 〜新春・令和3年・85歳の誓い〜 ( 2021/01/11 )

 
 令和3年の年賀状

 
 ”元気な100歳を生きる”書

 
 令和元年のお正月”100歳人生への誓い”

 
 可愛い二人の孫(正月・お年玉)

 
 二人の孫と(イオン南風原にて)

 
 二人の孫と(イオン南風原にて)

 私は今年の6月26日に満85歳になります。85歳といえば、もう人生の最終コーナーを周っている時期なのかも知れません。自分の周りを見渡して見ても、昭和11年生(85歳)で、元気な日々を過ごしている人はもう三分の一か、もしくは四分の一ぐらいかも知れません。残りの人達は、すでに亡くなられておられるか、生きておられても寝たきり老人になっている人が多いのかも知れません。

 今から30〜40年ぐらい前に、大きな話題となったあの“金さん、銀さん”(共に100歳)の時代に比べると、今や100歳を生きておられる人達の数は6万とも7万人とも言われるようになっているのですから、21世紀は間違いなく“100歳を生きる時代”と言っても過言ではないのではという気がいたします。今、まさに21世紀を生きている私の目標人生は、100歳であるべきと思い、日々私はその心構えと、努力を続けているのです。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 私は今から20数年前の60歳の時に、家内の突然の事故入院を期に、突然“気功・太極拳”とのご縁をいただき、以来、その世界に没入する人生が続いております。そんな日々を続けていた1997年(60歳)のお正月の2日の早朝に、私は不思議な夢を見たのです。その夢とは、大きな滝に囲まれた池の中心部に置かれた大きな岩石の上で、白髪の老人が実に美しい姿で、気功を舞っているのです。

 あまりの不思議に、その姿を遠くから眺めていた私は、いつの間にかその老人に近づき、年齢をたずねてみたら、“私は100歳になりました”と答えるのです。次に、恐る恐るそっと顔を覗いてみたら、その老人は、紛れもなく100歳の私の姿でありました。私はあまりの不思議さに、思わず布団から飛び起きて、それが夢の中の出来事であった事に気付いたのですが、枕元にあった紙切れに、思わず“気功元年・百歳元年”と書き綴ったのでした。

 それ以来、私はこの夢を正夢と思うようになり、今日まで殆ど毎日のように、気功・太極拳を続けているのです。以来、ご縁をいただいている方々の健康長寿のお役に立てる事を、自分の天命と心得て、そんな日々を続けております。

    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 85歳を迎える令和3年のお正月に、何を心に誓えば良いのだろうか・・・と自問自答してみたのですが、殆ど瞬時に全身に広がった言葉は“元気な100歳を生きる”という言葉でした。
私は新年(2021年)、85歳の誓として、何のためらいもなくその言葉を色紙に書いてみたものの、字が上手でない私の書ではなんとも絵にならず、上手な書を書く義弟にお願いをして、その言葉を書いてもらいました。写真(2)がその書です。

 私が“元気な100歳”にこだわる理由の一つは、健康哲学の世界的権威者として知られる,あのアンドリュー・ワイル博士の“健康のリーダーたる者のあるべき姿は、自らがその見本であらねばならない”という言葉に触発されたからです。私はこの新年から、堂々と“元気な100歳を生きる”を公言して、有言実行の人生を送る事を改めて心に誓いました。

 次に“元気な百歳人生を生きたい”というもう一つの理由は、7歳になる男の子と、4歳になる女の子の二人の孫が、あまりにも面白く、あまりにも不思議で興味深いのと、あまりにも可愛いくて何としてもこの二人の孫が成人するまでは、元気でいて、孫の行末を見届けてから、天国に旅立ちたいと思う一心であります。
 その他アメリカ・新潟・石垣の孫も同様ですが、側にいてすぐ会える孫にどうしても心が動かされてしまいます。この孫たちが全員成人するまで最低15年は元気で生きなければ・・・というのが私の念願です。“夢は必ず叶う”と信じています。

 *掛け軸の言葉と書は、帯津先生から直接いただいたものです。

                2021年1月11日の記
              

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