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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO133) 譜久原恒勇 50周年記念コンサート ( 2011/12/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2011年12月25日、私の大好きな譜久原恒勇先生のコンサートが開かれました。しかも音楽活動50周年記念というのですから、何はさておいても行かねばならないと思い、夫婦共々で行かせていただきました。

 昼夜2回の公演で、場所は沖縄市民会館大ホール、私達は昼の部を選びました。
相当の混雑が予想されましたので、開演時間の1時間前には会場に着いたのですが、すでに長蛇の列。第1駐車場は満杯、遠く離れた第2駐車場も殆ど空きがなく、やっとの思いで片隅に止めたのです。が、車は後から後から押し寄せ、見る間に道路の片隅にも、ずらっと並ぶ始末です。お巡りさんにつかまらないかなーと心配しつつ、急いで会場に足を運びました。

 会場に集まったお客さん達は、50年にもわたる譜久原先生のファンと言う事なのでしょうか、今年、後期高齢者となった私とあまり変わらない位の年齢層が70〜80%を占めていたように見受けられました。この状況を見るにつけ、譜久原先生は沖縄にはなくてはならない、¨沖縄音楽の原点の人¨という思いを強くしたのでした。
 ステージは、舞台いっぱいに拡がったオーケストラによる¨芭蕉布¨の曲で幕が開きました。そしてそのオーケストラの伴奏で、譜久原メロディーの代表曲が、譜久原先生とご縁の深い歌い手さん達によって、次々に歌われ、心身に染み渡るものがありました。

 私は40年も前から沖縄に御縁をいただいて、長きにわたって住まわせてもらっているのですが、沖縄に第一歩を踏み入れた時から、私の心には¨芭蕉布¨や、¨ゆうなの花¨や、¨二見情話¨などが、ずっと住みついてくれているのです。
 この間、楽しい時も苦しい時も、私達を慰め励まして下さった譜久原メロディーに、感謝の手を合わせずにはいられません。

 今回のリサイタルは、譜久原先生のポピュラー曲に加えて、すでに沖縄民謡の代表曲とまで言われるようになった譜久原民謡の数々、更には打楽器による組曲なども披露して下さり、まさに譜久原ワールドを満喫させていただきました。

 私ごとになりますが、譜久原先生とは20年ほど前から御縁をつないでくださった方がいて、以前は毎週1回、ご自宅にお呼びいただき、仲間たちと¨気功¨による健康づくりをご一緒させていいただいた思い出が、今も強く印象に残っております。
 今年78歳になられたはずの譜久原先生から受ける印象は,年を重ねられる度に,増々ハンサムでいい男です。そして心も体も、頭脳も、情熱も、青年の真っただ中におられる雰囲気が溢れ出ているのです。

 譜久原先生のご健康と更なるご活躍を心から念じつつ、50周年記念コンサートのお祝いを申し上げます。
 お蔭様で、私達も2011年を締めくくる、本当に素晴らしい思い出づくりをさせていただきました。心よりお礼を申し上げます。誠に有難うございました。
                   (2011年12月大晦日の記)
写真上:譜久原恒勇50周年記念コンサート風景
写真中:譜久原恒勇50周年記念コンサート風景
写真下:元気な譜久原先生と、ご自宅にて


奥田のコラム(NO132)日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」物語その二 ( 2011/12/23 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 「カラカラ」とは、沖縄ではお酒(泡盛)を入れる器(陶器)の事です。
 日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」のストーリーは、心に深い悩みを持つ、カナダ人の大人の男性が、¨人生の悟り¨を求めて 沖縄での気功のワークショップに加わり、その後に出会う沖縄の女性や、人々の優しさ、沖縄の風景などを通して、あたかもカラカラの中に美酒が満ちるように、自らの心にも安らぎが満たされていく「心の旅路」を描く作品だと聞いております。

     映画「カラカラ」出演の記(その二)

 私の役柄は、ワークショップでの気功の先生と言う事ですが、とにかく3〜4分の英語のセリフを覚える事が第一の関門でした。台本読みでは90点を付けてもらったのですが、監督が期待したセリフは、上手過ぎず、下手過ぎず、自然さが伝わる英語だったのです。
 たくさんの試行錯誤の末に辿り着いたところは、やはり自分流の英語でしかありませんでした。私は意を決して本番に臨んだのですが、撮影終了後に監督から、まさかの嬉しい言葉をかけてもらい、安堵の胸を撫で下ろした事でした。

 第2の難題は、この映画の中で使用される気功の実演でした。私は自分が知っている自分流の気功を演じればよいとばかり思っていたのですが、要求された気功は、見た事も、聞いたこともない、まるで別世界のものでした。それは中国崑崙山脈に1000年以上も続いているという、何とも優雅で、何とも神秘的な「大雁気功」(The Wildgoose Quigong)という気功でした。

 監督はこの気功を私には二か月で覚えて欲しいと言うのです。あまりのハードな注文に、私は途中で何度も逃げ出そうと思ったのですが、そんな私の空気を察してか、助監督さんが,『これを参考にして頑張ってください』と言って、一枚のDVDを渡してくれました。
 そのDVDの中には、この映画の中で監督がイメージしている¨大雁気功¨の全貌が入っていたのです。

 私はこの映像を見た瞬間から、この気功の虜になってしまい、これはもしかして神様が私に与えて下さった生涯のテーマであり、私の一生の宝物になるものかも知れないという思いが身体中をよぎったのでした。
 私は何が何でもこの二か月で、この気功を自分のものにしようと決意を新たにしました。そしてこの日から朝も、昼も、夜も、真夜中も、この大雁気功の世界に没頭する日々が続いたのです。

 あまりにのめり込んでしまい、時には気功の世界から逃れたいという思いも何度かありましたが、撮影の日は12月8日と決まっております。自分で自身を励ましながら、撮影の前日までには、とりあえずなんとか満足のいくところまで辿り着く事が出来ました。

 ある日、助監督さんと昼食を一緒にした時に聞かされた二つの話が今も強く印象に残っております。その一つは、この映画「カラカラ」は、台本を書く時点で、気功の先生役は
DVDの中で演じている中国系カナダ人の先生に決まっていたのだそうです。それが、少し体調を崩されたのと、日本中が放射能で汚染されているとの印象から、日本行きを断念される事になり、急遽、私にその役が向けられたと言うのです。

 私はこのいきさつを耳にした時,これはやはり天が授けて下さった出来事かも知れないと思わずにはいられませんでした。1000年以上もの歴史が続いているその一番手前のところで、自分がその気功に携わる事の出来る運命の不思議に、心が震え、奇跡とも思えるようなものを感ぜずにはいられませんでした。

 そしてもう一つの話は、「映画づくりは奇跡の積み重ねから生まれるものです。奇跡の数や深さが大きければ大きい程、まさかの映画が生まれてくるのです」と言う話です。
 そう言われてみれば、撮影当日の日も、天気予報は雨でしたのに、この日の撮影の絶対条件であった日の出が、わずか30分位だけ、真っ赤な太陽が雲の間から姿を現した時など、身震いを覚えるほどの奇跡を感じたのでした。

 日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」はどうやらそんな奇跡の積み重ねの中から生まれた映画になるのかも知れません。
 私自身も75歳にして、このような映画との出会いなどあり得るはずもない奇跡と思う他はありません。とにかく二か月間の出来事でしたが、私は素人なりに全力を尽くして、この映画に身を投じきったと思っております。この映画に出会えたご縁と、奇跡に深く感謝の手を合わせるばかりです。

 2011年12月8日の午後8時、私の撮影の全ては終わりましたが、監督がやって来て私をしっかりと抱きしめて下さり,『今度の映画の最大のミスキャストはあなたでした』と声をかけて下さいました。この言葉に一瞬戸惑いましたが、この言葉の持つ意味を知るにつけ、今はしみじみとこの言葉の喜びに浸っているところです。
 ガニオン監督、丹野助監督、そしてかかわって下さった全ての方々に、心から感謝を捧げて、映画「カラカラ」出演の記とさせていただきます。有難うございました。
                    (2011年12月23日の記)

*この映画は、撮影したすべての資料を一旦カナダに送り、そこで編集され、2012年のカンヌ国際映画祭にもエントリーした後、日本での放映は2012年秋ごろになる予定だそうです。

写真上:映画「カラカラ」撮影風景
写真中:映画「カラカラ」ガニオン監督演出風景
写真下:ガニオン監督ご夫妻との記念撮影


奥田のコラム(NO131)日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」物語 その一 ( 2011/12/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今年の私は後期高齢者の75歳、家内は10歳年下ですから前期高齢者の65歳と言う事になります。冗談交じりに、何か高齢者突入記念として残る、ハプニングにでも出会えばいいのになーと思っていた矢先、年の暮れになって突如として、そのまさかが現実のものとなったのですから、まさにまさかのびっくりです。
 そのハプソングというのは、日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」の中で、突然私に¨気功の先生役¨が舞い込んできたのです。そればかりか、生徒のエキストラの一人に、家内までもが声をかけてもらえたのですから、めでたく夫婦そろってのハプニングという事になった次第です。

 2011年12月8日、やっとの思いで私の出番の撮影は終わったのですが、その撮影の風景が、夕方のTVに流れ、友人、知人から、『エッ!!一体どうしたの・・・?、何があったの・・・?』との質問がいまだに絶えませんので、今日のコラムにそのいきさつを書いて、お答えしようと思います。

      映画「カラカラ」出演の記(その一)

 カナダの映画監督、クロード・ガニオンさんによる、日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」の制作発表が大きく新聞に出たのは2011年9月20日の事でした。この映画のプロデューサーは、すでに知る人も多い「アンを探して」で初監督を務め,たくさんの賞に輝いた宮平貴子さんです。
 宮平貴子さんのお父さんは、レインボーホテルの宮平麗政社長です。私も以前は観光業に携わっていたので麗政社長とは旧知の間柄でした。新聞記事を見て、どうしても¨おめでとう¨を申し上げたくなり、レインボーホテルに直行したのです。宮平さんは外出中でしたが、すぐに戻るから待ってくれるようにとの連絡が入り、10分後におよそ10年ぶり位の再会を果たしたのでした。

 宮平さんは、「二人の娘が、二人とも家業とは別の世界に入ってしまい、困っております・・・」と言われたものの、お顔には満面の笑みが浮かんでおりました。ちなみにもう一人の娘さんは、今や、人気絶頂の歌手、jimamaさんです。
 私は10年以上も観光の仕事からは離れているので、宮平さんに改めて、自分の気功・太極拳の名刺を差し出して、その場を離れたのですが、この時の名刺が今回の映画」の中の,¨気功の先生役¨につながる事になろうとは夢にも思いませんでした。

 数日後、私の家に知らない男の人から電話が入り、その電話を受けたのは家内でした。
 電話の内容は「奥田清志さんは気功の先生だそうですが、英語は話せますか?」との質問だったそうです。家内は「主人が英語を話しているのを聞いたことがないので、多分話せないと思います」と答え、この電話の一件は終わったのでした。
 その出来事を後で知らされた私は、以前から外人さんにも気功太極拳を教えてみたいという思いがあったので、残念なことをしたものだと悔やんだのですが、相手が誰れであったか知る由もなく、あきらめる外はありませんでした。

 その時から2〜3日が過ぎて、またその人物と思える人から電話が入り、今度は私が電話をとりました。訊ねてみると、「カラカラ」の助監督をしている丹野さんという人でした。「実は監督のガニオンさんが是非とも奥田さんに会ってみたいと言っているので、会ってもらえませんか?」と言うのです。私は電話での英語は苦手ですが、身振り手振りを使っての英語なら何も怖くない自信があったので、何が何だかよく解らないままに、指定の場所に行ってみたのです。場所はレインボーホテル1階のTea Roomでした。

 その場所には、ガニオン監督と電話の主(助監督)と、そして少し遅れてプロデューサーの宮平貴子さんの三人が姿を見せてくれました。三人とも初対面でしたが、気が付いてみると2時間余りの時間が過ぎておりました。何を話したかは全く覚えていないのですが、さよならを告げて家に帰ってみると、家のFaxには、映画「カラカラ」の概要と脚本の一部(英語のセリフ)が送信されておりました。私はこの時初めて、Tea Roomで自分が映画のテストを受けていた事に気が付いたのでした。

 翌日またまた助監督から電話が入り、「Faxで送ったセリフの部分を監督の前でカメラテストをしながら聞かせて欲しいので、もう一度会ってくれませんか?」と言うのです。
 このぐらいの英語なら別に大した事ではない・・・とは思いながらも、あまりに一方的な話の進め方に、私はこの話はお断りしようという気持ちを半分心に秘めてその場に臨んだのでした。言われるままにセリフを3回読みました。読んだばかりか、身振り手振りまで加えてやったのですから、さぞかし監督もびっくりしたに違いありません。

 殆ど全てをあきらめて、急いで帰り支度をする私を引き留めて、「あなたの英語は90点です。もし身振り手振りを抑えてもらえればもっと素晴らしいのですが・・・」と言われるのです。
 ガニオン監督のこの評価は私の心を引き留めるには十分すぎるものでした。
 私は何の条件も知らされる事も無く、この映画出演にGOサインを出したのですが、実はこれから後に、まさかまさかの難題が待ち受けていた事など知る由もありませんでした。                                             (2011・12・20日の記)
写真上:映画「カラカラ」大雁気功風景
写真中:映画「カラカラ」撮影風景
写真下:映画「カラカラ」撮影の合間に


奥田のコラム(NO130) 第27回NAHAマラソンと第65回福岡国際マラソン ( 2011/12/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2011年12月4日(日)は、上記のマラソンが同じ時間帯と重なり、マラソンファンの私にとっては、両方の応援におおわらわの一日となりました。今年はそのどちらのマラソンも深く印象に残る感動のマラソンとなりましたので、コラムに残しておこうと思います。

        〈第27回NAHAマラソン〉

 NAHAマラソンがスタートして今年で27回という歴史が積み重なっている事に、私は深い感慨を覚えるのです。実は私はこの大会の第1回から、幾分のご縁をいただいていて、その後のNAHAマラソンを通して、たくさんの大きな人生勉強をさせていただいた事に感謝をしております。
NAHAマラソンを企画したのは、沖縄海洋博覧会の頃、或る旅行社の沖縄支店長として勤務に携わっていた人物でした。その時の事はどこかのコラムに書いたような気がしますのでここでは省略しますが、第1回大会の時は、とにかく一人でも多くの人に参加してもらう為に、私達も人集めに奔走した覚えがあります。

 第1回大会は,現在の福州園がある久米通りからのスタートでした。参加者数は2000〜2500人位であったと思いますが、私もその時はただ単に参加人数を一人でも増やす為の要因として参加したのでした。20キロ地点までは歯を食いしばりながら、何とか辿り着いたのですが、気が付いてみると足はマメだらけ、太ももは半ズボンの摩擦で血だらけという無残なリタイア―であった事が、今もはっきりと記憶の中に残っております。

 その後の私は、10年程マラソン人生に没頭する日々を送ることになったのですが、(コラムNO119,120,121に記載)マラソンから学んだことは、マラソンはまさに人生そのものという教訓でした。マラソンは走った人でなければ、その苦しみや、完走の喜びは解らないと思います。
 どんな形であれ、マラソンを完走した人に、私は心からの敬意を示したいのです。

 今回、第27回大会で、強く印象に残った事は、3月の東日本大震災に遭われた東北の方々が、沖縄から支援をいただいたお礼にと、多数参加して下さった事。そしてNAHAマラソンで、再びまた「東北ガンバレ!!」の大声援を受け、更なる復興の力が湧いてきたというお話でした。今年のNAHAマラソンは、まさに「東北ガンバレ!!」の大会であったのかも知れません。

 第27回NAHAマラソンにエントリーした人数は23,933人との事です。初回と比べると、まるで隔世の感があります。それぞれの参加者には、失敗も成功も含めてそれぞれの思い出が、体に染みついた事と思います。それら体に染みついた思い出が、これからのそれぞれの人生の糧となって下さる事を願うばかりです。

* 私事ですが、この日に63歳の誕生日を迎えた義弟も、東京から一人で参加して、大苦戦の末に何とか5回目の連続完走を果たしてくれました。63歳のフルマラソン完走は、想像を超えるものがあると、私は自らの体験を通して理解できるのです。
 マラソンは誰の為のものでもありません。63歳のフルマラソン完走は、まさに、自分自身に捧げる、自らの最大のご褒美だと思います。おめでとう63歳です!!。

       〈第65回福岡国際マラソン〉

 今年の福岡国際マラソンは、来年のロンドン五輪代表選考会を兼ねた大会であった事。そして突如として出現したあの¨公務員ランナー¨川内 優輝選手と、箱根マラソンの¨山の神¨と威名をとる今井 直人選手の熱戦に、日本中のマラソンファンが釘付けになった大会でした。大会の中味は、一位も二位もケニア出身の選手にさらわれましたが、それとは全く別に、公務員ランナーと山の神ランナーの戦いぶりは強烈な印象を与えてくれました。

 山の神選手には申し訳ない気がするのですが、あの日の福岡マラソンは、世の中の大多数が、公務員ランナーを応援せざるを得ない雰囲気に包まれていたように思えます。
 公務員ランナーの一途なマラソンへの熱い思い、そしていつ倒れてもおかしくない全力疾走ぶりには、見る人の心をとらえて離さない魅力が溢れていました。彼がゴールインした時は、マラソン慣れしている私の目にも、涙がこみ上げておりました。
公務員ランナーの次のレースが、もう今から楽しみでなりません。

 惜しくも敗れた山の神ランナー、今井 直人選手には、まだまだ十分な若さと素質と実力と、それに恵まれた環境が備わっているのですから、必ずや近い将来、日本一の選手になる日が来るものと確信します。
二人のおかげで、日本の男子マラソンが本当に楽しくなりました。両者が切磋琢磨して競い合い、日本のマラソン界を、世界にとどろかせて欲しいと期待したいものです。
公務員ランナー川内 優輝選手、山の神ランナー今井 直人選手、第65回福岡国際マラソンの激走、本当に有難う!!。     
                  (2011.12.7日の記)
写真上:第27回那覇マラソン風景(琉球新報社)
写真中:福岡国際マラソン川内選手の力走(スポニチ)
写真下:63歳・那覇マラソン完走記念写真(義弟)


奥田のコラム(NO129) 第17回 帯津良一先生健康講演会 in 沖縄 ( 2011/11/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

    ー今日から始める養生訓ー(その二)

 今回のコラムは、前ページに書けなかった部分と、日頃の帯津先生のお話の中から、私の心に深く刻まれている、印象深いお話を交えながらの報告とさせていただきます。

(T)食の養生について
 ・私達のいのちは、ものを食べる事によって生かされています。
 その食のすべては大地の恵みであり、大海からの恵みであり、それらの恵みを育くむ大自然、大宇宙からの恵みですから、何をいただくにしても¨いただきます¨の心を忘れては、いい人生にはならないかも知れませんね。

 ・大地、大海に育つものは、旬のものが一番エネルギーが高いのですから、私達は出来るだけ、旬のものを有難く、感謝していただく事が大事です。腹いっぱい食べるのを控えて、バランスを考えながら、好きなものを適量、よく味わいながらいただく事が天・地・人を敬(うやま)う人生につながる事になるのです。

(U)気の養生について
 ・私達のいのちは、よく考えてみると、連綿と続く祖先と、その祖先を育ぐくんだ大自然と、そのまた大自然を育む大宇宙、虚空へとつながっているのです。地球上の全てのものは、宇宙のエネルギー(気)によって存在しているとも考えられます。私達のいのちは、まさに宇宙そのものの一部として、この世に生を授かっているのです。

 ・あまり難しい事は別にしても、私達の存在は、それらの¨気¨と深くかかわっている事だけは理解できます。そして大自然、大宇宙のエネルギーと私達のいのちをつなぐ唯一とも言えるのは呼吸です。呼吸はいのちそのものの証と言う事になるのです。「気=呼吸」と考えてもいいかも知れません。そこで、いい呼吸法の代表格と言われる¨太極拳¨について、私(帯津先生)の考えを申し述べておきます。

(V)太極拳について
  ¨気の養生¨の代表格とされる太極拳は、人の一生をつむぐ動行の舞だと私は思っています。上手下手は別として、一回一回の太極拳を一期一会の舞としてとらえれば、太極拳はまさに太極(虚空)を見据えた、自己表現の舞として素晴らしいものだと思います。人生の後半は太極拳をお勧めします。

(W)気功的人間(人生)について
 ・気功的人間を心掛ける人は、永遠の命を生きる人に違いありません。気功的人間になる為には、日常の中に宇宙観を持っていれば、それが気功的人間です。春夏秋冬の変化に感動を覚え、日々いただく食べ物に手を合わせ、日々の出会いに感謝、感動の
の喜びがあれば、それも大切な気功的人間の条件です。

 ・身体の中の小さな細胞も遺伝子も、道端にいる虫も草も花も、地球も月も、遥か彼方にある星々も、全ては虚空の中に存在している事に気付けば、これこそはまさに最上級の気功的人間(人生)と言う事になるのです。

(X)心の養生について
 ・¨心の養生¨とは、天地を敬い、他者を敬い、自らを戒める心を養うと言う事に他なりません。その心掛けに生きれば、天はおのずとその人に天なる導きを授けて下さるに違いありません。

 ・帯津三敬病院の¨三敬¨とは、老子の言葉である「道は一を生じ,一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」というその¨三¨と、佐藤一斎の「養生の訣は一箇の敬に帰す」という¨敬¨の言葉からつけられた名前です。

(Y)老年の養生について
 ・老年を憐れむことはありません。老年になってからでしか解らない深い喜びもあるのです。老年になれば、他を気にすることなく、自己の信ずるがままを生きれば良いのです。老いての恋は最大級の養生でしょう。ピカソもゲーテもハイネマンも、世界の歴史に名を残した偉人は、それぞれに老年の恋にいのちを燃やしております。

 ・老年になれば終着駅をイメージしておく事も大事です。名画が名画であるゆえんは、素晴らしいラストシーンにあるのです。私(帯津先生)は「旅情」、「駅馬車」、「カサブランカ」、「第3の男」、それに最近の「アメリカングラフィティー」などのラストシーンが大好きです。

 ・人生の終着駅がどれだけ素晴らしいものになるかは、ラストシーンをどう描くかにもかかわってくるでしょう。私(帯津先生)は、或る日突然、病院の廊下で看護婦さんの胸の中にばったりと倒れ込むか、あるいは大好きな飲み屋さんの扉を開けた途端にばったりいくかのどちらかでありたいと常々願っております。

(Z)締めの言葉
  帯津三敬病院の玄関には、「今日よりも良い明日を」と書かれた言葉が飾られています。私(奥田)は、今はこの言葉を¨座右の銘¨とさせていただきながら、人様の健康づくりのお役に立ちたいと強く願っております。

  皆さん、いつも有難うございます。帯津先生の次回の講演会は2012年7月1日と決まっております。                      (2011・11・27の記)

写真上:第17回帯津先生講演会・先生「時空」実演
写真中:第17回帯津先生講演会・座談会
写真下:第17回帯津先生講演会・会場風景

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