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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO131)日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」物語 その一 ( 2011/12/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今年の私は後期高齢者の75歳、家内は10歳年下ですから前期高齢者の65歳と言う事になります。冗談交じりに、何か高齢者突入記念として残る、ハプニングにでも出会えばいいのになーと思っていた矢先、年の暮れになって突如として、そのまさかが現実のものとなったのですから、まさにまさかのびっくりです。
 そのハプソングというのは、日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」の中で、突然私に¨気功の先生役¨が舞い込んできたのです。そればかりか、生徒のエキストラの一人に、家内までもが声をかけてもらえたのですから、めでたく夫婦そろってのハプニングという事になった次第です。

 2011年12月8日、やっとの思いで私の出番の撮影は終わったのですが、その撮影の風景が、夕方のTVに流れ、友人、知人から、『エッ!!一体どうしたの・・・?、何があったの・・・?』との質問がいまだに絶えませんので、今日のコラムにそのいきさつを書いて、お答えしようと思います。

      映画「カラカラ」出演の記(その一)

 カナダの映画監督、クロード・ガニオンさんによる、日本・カナダ共同制作映画「カラカラ」の制作発表が大きく新聞に出たのは2011年9月20日の事でした。この映画のプロデューサーは、すでに知る人も多い「アンを探して」で初監督を務め,たくさんの賞に輝いた宮平貴子さんです。
 宮平貴子さんのお父さんは、レインボーホテルの宮平麗政社長です。私も以前は観光業に携わっていたので麗政社長とは旧知の間柄でした。新聞記事を見て、どうしても¨おめでとう¨を申し上げたくなり、レインボーホテルに直行したのです。宮平さんは外出中でしたが、すぐに戻るから待ってくれるようにとの連絡が入り、10分後におよそ10年ぶり位の再会を果たしたのでした。

 宮平さんは、「二人の娘が、二人とも家業とは別の世界に入ってしまい、困っております・・・」と言われたものの、お顔には満面の笑みが浮かんでおりました。ちなみにもう一人の娘さんは、今や、人気絶頂の歌手、jimamaさんです。
 私は10年以上も観光の仕事からは離れているので、宮平さんに改めて、自分の気功・太極拳の名刺を差し出して、その場を離れたのですが、この時の名刺が今回の映画」の中の,¨気功の先生役¨につながる事になろうとは夢にも思いませんでした。

 数日後、私の家に知らない男の人から電話が入り、その電話を受けたのは家内でした。
 電話の内容は「奥田清志さんは気功の先生だそうですが、英語は話せますか?」との質問だったそうです。家内は「主人が英語を話しているのを聞いたことがないので、多分話せないと思います」と答え、この電話の一件は終わったのでした。
 その出来事を後で知らされた私は、以前から外人さんにも気功太極拳を教えてみたいという思いがあったので、残念なことをしたものだと悔やんだのですが、相手が誰れであったか知る由もなく、あきらめる外はありませんでした。

 その時から2〜3日が過ぎて、またその人物と思える人から電話が入り、今度は私が電話をとりました。訊ねてみると、「カラカラ」の助監督をしている丹野さんという人でした。「実は監督のガニオンさんが是非とも奥田さんに会ってみたいと言っているので、会ってもらえませんか?」と言うのです。私は電話での英語は苦手ですが、身振り手振りを使っての英語なら何も怖くない自信があったので、何が何だかよく解らないままに、指定の場所に行ってみたのです。場所はレインボーホテル1階のTea Roomでした。

 その場所には、ガニオン監督と電話の主(助監督)と、そして少し遅れてプロデューサーの宮平貴子さんの三人が姿を見せてくれました。三人とも初対面でしたが、気が付いてみると2時間余りの時間が過ぎておりました。何を話したかは全く覚えていないのですが、さよならを告げて家に帰ってみると、家のFaxには、映画「カラカラ」の概要と脚本の一部(英語のセリフ)が送信されておりました。私はこの時初めて、Tea Roomで自分が映画のテストを受けていた事に気が付いたのでした。

 翌日またまた助監督から電話が入り、「Faxで送ったセリフの部分を監督の前でカメラテストをしながら聞かせて欲しいので、もう一度会ってくれませんか?」と言うのです。
 このぐらいの英語なら別に大した事ではない・・・とは思いながらも、あまりに一方的な話の進め方に、私はこの話はお断りしようという気持ちを半分心に秘めてその場に臨んだのでした。言われるままにセリフを3回読みました。読んだばかりか、身振り手振りまで加えてやったのですから、さぞかし監督もびっくりしたに違いありません。

 殆ど全てをあきらめて、急いで帰り支度をする私を引き留めて、「あなたの英語は90点です。もし身振り手振りを抑えてもらえればもっと素晴らしいのですが・・・」と言われるのです。
 ガニオン監督のこの評価は私の心を引き留めるには十分すぎるものでした。
 私は何の条件も知らされる事も無く、この映画出演にGOサインを出したのですが、実はこれから後に、まさかまさかの難題が待ち受けていた事など知る由もありませんでした。                                             (2011・12・20日の記)
写真上:映画「カラカラ」大雁気功風景
写真中:映画「カラカラ」撮影風景
写真下:映画「カラカラ」撮影の合間に


奥田のコラム(NO130) 第27回NAHAマラソンと第65回福岡国際マラソン ( 2011/12/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2011年12月4日(日)は、上記のマラソンが同じ時間帯と重なり、マラソンファンの私にとっては、両方の応援におおわらわの一日となりました。今年はそのどちらのマラソンも深く印象に残る感動のマラソンとなりましたので、コラムに残しておこうと思います。

        〈第27回NAHAマラソン〉

 NAHAマラソンがスタートして今年で27回という歴史が積み重なっている事に、私は深い感慨を覚えるのです。実は私はこの大会の第1回から、幾分のご縁をいただいていて、その後のNAHAマラソンを通して、たくさんの大きな人生勉強をさせていただいた事に感謝をしております。
NAHAマラソンを企画したのは、沖縄海洋博覧会の頃、或る旅行社の沖縄支店長として勤務に携わっていた人物でした。その時の事はどこかのコラムに書いたような気がしますのでここでは省略しますが、第1回大会の時は、とにかく一人でも多くの人に参加してもらう為に、私達も人集めに奔走した覚えがあります。

 第1回大会は,現在の福州園がある久米通りからのスタートでした。参加者数は2000〜2500人位であったと思いますが、私もその時はただ単に参加人数を一人でも増やす為の要因として参加したのでした。20キロ地点までは歯を食いしばりながら、何とか辿り着いたのですが、気が付いてみると足はマメだらけ、太ももは半ズボンの摩擦で血だらけという無残なリタイア―であった事が、今もはっきりと記憶の中に残っております。

 その後の私は、10年程マラソン人生に没頭する日々を送ることになったのですが、(コラムNO119,120,121に記載)マラソンから学んだことは、マラソンはまさに人生そのものという教訓でした。マラソンは走った人でなければ、その苦しみや、完走の喜びは解らないと思います。
 どんな形であれ、マラソンを完走した人に、私は心からの敬意を示したいのです。

 今回、第27回大会で、強く印象に残った事は、3月の東日本大震災に遭われた東北の方々が、沖縄から支援をいただいたお礼にと、多数参加して下さった事。そしてNAHAマラソンで、再びまた「東北ガンバレ!!」の大声援を受け、更なる復興の力が湧いてきたというお話でした。今年のNAHAマラソンは、まさに「東北ガンバレ!!」の大会であったのかも知れません。

 第27回NAHAマラソンにエントリーした人数は23,933人との事です。初回と比べると、まるで隔世の感があります。それぞれの参加者には、失敗も成功も含めてそれぞれの思い出が、体に染みついた事と思います。それら体に染みついた思い出が、これからのそれぞれの人生の糧となって下さる事を願うばかりです。

* 私事ですが、この日に63歳の誕生日を迎えた義弟も、東京から一人で参加して、大苦戦の末に何とか5回目の連続完走を果たしてくれました。63歳のフルマラソン完走は、想像を超えるものがあると、私は自らの体験を通して理解できるのです。
 マラソンは誰の為のものでもありません。63歳のフルマラソン完走は、まさに、自分自身に捧げる、自らの最大のご褒美だと思います。おめでとう63歳です!!。

       〈第65回福岡国際マラソン〉

 今年の福岡国際マラソンは、来年のロンドン五輪代表選考会を兼ねた大会であった事。そして突如として出現したあの¨公務員ランナー¨川内 優輝選手と、箱根マラソンの¨山の神¨と威名をとる今井 直人選手の熱戦に、日本中のマラソンファンが釘付けになった大会でした。大会の中味は、一位も二位もケニア出身の選手にさらわれましたが、それとは全く別に、公務員ランナーと山の神ランナーの戦いぶりは強烈な印象を与えてくれました。

 山の神選手には申し訳ない気がするのですが、あの日の福岡マラソンは、世の中の大多数が、公務員ランナーを応援せざるを得ない雰囲気に包まれていたように思えます。
 公務員ランナーの一途なマラソンへの熱い思い、そしていつ倒れてもおかしくない全力疾走ぶりには、見る人の心をとらえて離さない魅力が溢れていました。彼がゴールインした時は、マラソン慣れしている私の目にも、涙がこみ上げておりました。
公務員ランナーの次のレースが、もう今から楽しみでなりません。

 惜しくも敗れた山の神ランナー、今井 直人選手には、まだまだ十分な若さと素質と実力と、それに恵まれた環境が備わっているのですから、必ずや近い将来、日本一の選手になる日が来るものと確信します。
二人のおかげで、日本の男子マラソンが本当に楽しくなりました。両者が切磋琢磨して競い合い、日本のマラソン界を、世界にとどろかせて欲しいと期待したいものです。
公務員ランナー川内 優輝選手、山の神ランナー今井 直人選手、第65回福岡国際マラソンの激走、本当に有難う!!。     
                  (2011.12.7日の記)
写真上:第27回那覇マラソン風景(琉球新報社)
写真中:福岡国際マラソン川内選手の力走(スポニチ)
写真下:63歳・那覇マラソン完走記念写真(義弟)


奥田のコラム(NO129) 第17回 帯津良一先生健康講演会 in 沖縄 ( 2011/11/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

    ー今日から始める養生訓ー(その二)

 今回のコラムは、前ページに書けなかった部分と、日頃の帯津先生のお話の中から、私の心に深く刻まれている、印象深いお話を交えながらの報告とさせていただきます。

(T)食の養生について
 ・私達のいのちは、ものを食べる事によって生かされています。
 その食のすべては大地の恵みであり、大海からの恵みであり、それらの恵みを育くむ大自然、大宇宙からの恵みですから、何をいただくにしても¨いただきます¨の心を忘れては、いい人生にはならないかも知れませんね。

 ・大地、大海に育つものは、旬のものが一番エネルギーが高いのですから、私達は出来るだけ、旬のものを有難く、感謝していただく事が大事です。腹いっぱい食べるのを控えて、バランスを考えながら、好きなものを適量、よく味わいながらいただく事が天・地・人を敬(うやま)う人生につながる事になるのです。

(U)気の養生について
 ・私達のいのちは、よく考えてみると、連綿と続く祖先と、その祖先を育ぐくんだ大自然と、そのまた大自然を育む大宇宙、虚空へとつながっているのです。地球上の全てのものは、宇宙のエネルギー(気)によって存在しているとも考えられます。私達のいのちは、まさに宇宙そのものの一部として、この世に生を授かっているのです。

 ・あまり難しい事は別にしても、私達の存在は、それらの¨気¨と深くかかわっている事だけは理解できます。そして大自然、大宇宙のエネルギーと私達のいのちをつなぐ唯一とも言えるのは呼吸です。呼吸はいのちそのものの証と言う事になるのです。「気=呼吸」と考えてもいいかも知れません。そこで、いい呼吸法の代表格と言われる¨太極拳¨について、私(帯津先生)の考えを申し述べておきます。

(V)太極拳について
  ¨気の養生¨の代表格とされる太極拳は、人の一生をつむぐ動行の舞だと私は思っています。上手下手は別として、一回一回の太極拳を一期一会の舞としてとらえれば、太極拳はまさに太極(虚空)を見据えた、自己表現の舞として素晴らしいものだと思います。人生の後半は太極拳をお勧めします。

(W)気功的人間(人生)について
 ・気功的人間を心掛ける人は、永遠の命を生きる人に違いありません。気功的人間になる為には、日常の中に宇宙観を持っていれば、それが気功的人間です。春夏秋冬の変化に感動を覚え、日々いただく食べ物に手を合わせ、日々の出会いに感謝、感動の
の喜びがあれば、それも大切な気功的人間の条件です。

 ・身体の中の小さな細胞も遺伝子も、道端にいる虫も草も花も、地球も月も、遥か彼方にある星々も、全ては虚空の中に存在している事に気付けば、これこそはまさに最上級の気功的人間(人生)と言う事になるのです。

(X)心の養生について
 ・¨心の養生¨とは、天地を敬い、他者を敬い、自らを戒める心を養うと言う事に他なりません。その心掛けに生きれば、天はおのずとその人に天なる導きを授けて下さるに違いありません。

 ・帯津三敬病院の¨三敬¨とは、老子の言葉である「道は一を生じ,一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ずる」というその¨三¨と、佐藤一斎の「養生の訣は一箇の敬に帰す」という¨敬¨の言葉からつけられた名前です。

(Y)老年の養生について
 ・老年を憐れむことはありません。老年になってからでしか解らない深い喜びもあるのです。老年になれば、他を気にすることなく、自己の信ずるがままを生きれば良いのです。老いての恋は最大級の養生でしょう。ピカソもゲーテもハイネマンも、世界の歴史に名を残した偉人は、それぞれに老年の恋にいのちを燃やしております。

 ・老年になれば終着駅をイメージしておく事も大事です。名画が名画であるゆえんは、素晴らしいラストシーンにあるのです。私(帯津先生)は「旅情」、「駅馬車」、「カサブランカ」、「第3の男」、それに最近の「アメリカングラフィティー」などのラストシーンが大好きです。

 ・人生の終着駅がどれだけ素晴らしいものになるかは、ラストシーンをどう描くかにもかかわってくるでしょう。私(帯津先生)は、或る日突然、病院の廊下で看護婦さんの胸の中にばったりと倒れ込むか、あるいは大好きな飲み屋さんの扉を開けた途端にばったりいくかのどちらかでありたいと常々願っております。

(Z)締めの言葉
  帯津三敬病院の玄関には、「今日よりも良い明日を」と書かれた言葉が飾られています。私(奥田)は、今はこの言葉を¨座右の銘¨とさせていただきながら、人様の健康づくりのお役に立ちたいと強く願っております。

  皆さん、いつも有難うございます。帯津先生の次回の講演会は2012年7月1日と決まっております。                      (2011・11・27の記)

写真上:第17回帯津先生講演会・先生「時空」実演
写真中:第17回帯津先生講演会・座談会
写真下:第17回帯津先生講演会・会場風景


奥田のコラム(NO128) 第17回 帯津良一先生健康講演会 in 沖縄             ( 2011/11/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

   ー今日から始める養生訓ー(その一)
 
 2011年11月20日、私達21世紀養生塾沖縄支部は、塾頭であられる帯津良一先生をお迎えしての、第17回健康講演会を開催することが出来ました。帯津先生をお迎えしての健康講演会は今年でまる8年、回数も17回となり、年年歳歳、沖縄にも帯津先生のファンは増え続けていて、今回の講演会にも200人余りの方々が参加して下さいました。参加者の方々から多くの喜びの声をいただきましたので、講演会の概要をお伝えしようと思います。

 
(1)300年の泰平の時代が続いた江戸時代は、人々も養生に目覚めた時代と言えるでしょう。その時代に生きた養生の三大巨人と言えば、@貝原益軒、A白隠禅師、B佐藤一斎と言っても過言ではないと思います。

(2)貝原益軒は晩年になって、有名な「養生訓」を書き残し、自らも病弱な体と戦いながらも84歳という長命を生きられたのですから、まさに養生の達人と言えるでしょう。当時の日本の平均寿命は40歳前後ですから、この人の「養生訓」には深く学ばない訳にはいきません。

(3)彼の養生訓は、中でも¨食養生¨に、今日にも通じる素晴らしい言葉を残してくれています。食養生の基本は「好きなものを少し食べることで、決して何でも腹いっぱい食べてはいけません」と忠告しております。

(4)飲酒についても名言を残してくれております。「酒は天からいただいた美禄(ごほうび)であり、程よく飲めば陽気を助け,血気を和らげ、消化を助け、心配事から解放され、ときめきの人生を送る事が出来る」という、誠に有難い言葉です。愛飲者にとって、これ以上のエールはないでしょう。

(5)白隠禅師は丹田呼吸法による¨気の養生¨を説いて85歳の天寿を全うされた気の達人です。彼は、その当時は不治の病として恐れられていた肺結核を患いながらも、自らの呼吸法で病を克服し、85歳を生きたのですから、彼の言動には迫力が感じられます。白隠禅師の教えは、「生きながらにして¨虚空¨と一体になれ」と言うのです。
この時代に虚空を語れる人はなかなかの人物と言わざるを得ませんね。

(6)私(帯津先生)は、毎朝、白隠禅師の残された「延命十句観音経」を唱える事を日課としているのですが、わずか一分余りで終えられて、そして一日を気持ちよくスタートさせてくれるこのお経を大変有難く思っています。それにお経を声に出して唱える事は、即呼吸法なのです。
 *「延命十句観音経」は帯津先生の殆どの本の中に記されております。

(7)佐藤一斎は¨心の養生¨を唱えた儒学者です。この人は88歳の人生を生きているのですから、もう達人の中の達人という他はありません。彼はその後の日本の夜明けの元にもなったと云われる「言志四録」という大書の中に、たくさんの名言を残していますが、
その中でも特に印象深い言葉は、「養生の訣も、亦一箇の敬に帰す」という言葉です。¨養生の秘訣は敬(うやまう)の一字に尽きる¨と言う事でしょう。天・地・人、全てを敬う事が養生につながるという考えには、深く納得させられます。

(8)ホメオパシーの世界的権威として知られ、ギリシャ、エーゲ海の小島に居を構えるジョージ・ビソルカスさんは、「健康の定義」の3大要素は

@ 苦痛からの解放(Freedom from Pain)
A 情念からの解放(Freedom from Passion)
B 利己主義からの解放(Freedom from Egotism)と申しております。

(10)長野県伊那谷に住み、¨日本の老子¨と言われる英文学者の加島祥造さんは、上記のジョージ・ビソルカスさんの言葉に深く耳を傾けた末に、自分なら、FromのところをInに変えたいと言われました。さすがは¨日本の老子¨と言われるゆえんだと感心するのです。

  *後半は次回のNO129に続けます。
                   (2011・11・26日の記)

写真上:第17回帯津先生健康講演会チラシ
写真中:第17回帯津先生健康講演会・帯津先生講演
写真下:第17回帯津先生健康講演会・指導者クラス太極拳


奥田のコラム(NO127) 栗と名古屋と太極拳(その2) ( 2011/11/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 この度の旅行を通して得られた中津川と名古屋の印象を記して、思い出の中に残しておこうと思います。

(1) 岐阜県中津川は、大都市名古屋の奥座敷的な位置にあって、秋の紅葉の美しさ、下呂温泉に代表される温泉天国,そして旧中山道沿いに今も残る栗街道の風情には、何とも言えない¨日本の古里の匂い¨のようなものが漂っていて、私には感慨深いものがありました。

(2) 一方、名古屋新空港は実にモダンで大きく、一瞬、外国の空港に降り立ったような錯覚に見舞われた程でした。私達は15年程前に、旧名古屋空港から末息子をアメリカに留学生として旅立たせましたので、その当時とはあまりに違った名古屋空港の変貌ぶりに、これまた感無量の思いが込み上げてきたのでした。

(3) 名古屋の街々は、中心にそびえる名古屋城を囲んで、実に整然と道路が整備されていて、道幅が広く、どの街々も緑に覆われ、大都市でありながら、とても安らぎが感じられる街でした。ちょうど、けや木やイチョウ並木がかすかに色づき、ちょっと強い風が吹くと、ひらひらと枯葉が舞い散る光景が見られ、私は朝の散歩をしながら、ついつい¨枯葉よ、枯葉よ・・¨と歌を口ずさんでおりました。

(4) 名古屋で大城さんご夫婦からご馳走になった数々の名古屋名物が強く印象に残っています。名古屋コーチンの焼き鳥、手羽先、水炊きは絶品でした。ホテルの朝食に出されていた名古屋コーチンの生卵の美味しさは感動的でした。名古屋コーチンの卵の黄身は真っ赤な色をしていて,黄身が大きく盛り上がっているのです。私は生まれて初めて¨卵かけご飯¨のおかわりをしたのです。

(5) 名古屋名物のもう一つは¨ひつまぶし¨と¨うな丼¨でした。家内は¨ひつまぶし¨、私は¨うな丼¨をいただいたのですが、名古屋のうな丼は、かば焼きがご飯の上に二重に乗っかっているのです。そして更に、ご飯の中にもまだうなぎが隠れていたのですから、まさかのびっくりです。美味しさも最高級でした。

(6) 私は今回の名古屋の旅を、静かに振り返りながら、今、人生の不思議のようなものを感じずにはいられません。これまでの人生は、がむしゃらに自分の意思のままに前進したつもりですが、必ずしもそのやり方が、いい結果には至っていなかった反省があるのです。70歳を過ぎた頃からの私は、まさかの出会いや、思いがけない出来事の中で、心に響くものに導かれるままに動かされていく人生に、魅力を覚えるのです。導かれるままの人生には、自然さがあり、気持ち良さがあり、むしろ爽やかな生きがいのようなものさえ感じられるのです。
 
 名古屋とのまさかのご縁は、もしかして静かに前に進んでいく事になるかも知れません。そんな予感がしないでもないのですが、何しろ私は75歳の後期高齢者です。なるようになる人生こそが、これからの私のベストの人生と心得ているのです。

 最後に私の全くのプライベート話を二つさせていただき、旅の回想録といたします。

(T) 私は10年ほど前に、石垣島に住む長男夫婦に石垣島のホテルテナントショップを譲った後は,良きにつけ、悪きにつけ何一つ言及したことはありません。心の中に幾分の心配事があっても黙っているのです。今回の大城さんとの出会いを通して、長男夫婦がしっかりと、いい人との出会いを大事にしてくれている事を確信し,嬉しい限りです。
 人生はいい人との出会いが一番大事だと私は思います。いい人との出会いをする為には、心して自分自身がいい自分でいなければ、いい人に出会えない事を、やっとこの年齢になって気付いているのです。

(U) 今年の11月1日は、私達夫婦の41年目の結婚記念日でしたが、何故か今年は家内も私もすっかり忘れていて、娘と二男の孫から¨おめでとう“の電話をもらい、夫婦で大笑いをしたのです。これがいい事なのか、よくない事なのか解りませんが、私はこれもまた自然の成り行きとと思って、納得しているのです。どうやら家内も同感のようです。今回の名古屋、中津川の旅は、そんな出来事を補って余りある程の喜びをいただけたような気がしております。

 大城さんご夫婦のご好意と、天の導きに手を合わせながら、重ねて感謝を申し上げる次第です。  合掌!!。                                  (2011・11・12日の記)

写真上:中山道の栗街道
写真中:名古屋のうな丼
写真下:名古屋のひつまぶし

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