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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO118) なでいこジャパン世界一!! ( 2011/07/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 おめでとう、そしてありがとう、なでしこジャパン世界一!!。
 今回のコラムは、何はさておき、なでしこジャパンの歴史的な快挙を讃えねばなりません。

 第6回女子ワールドカップドイツ大会で、なでしこジャパンが遂に世界一の頂点に輝きました。
2011年7月18日未明、なでしこジャパンが世界一になった瞬間のテレビ視聴率は27.7%だったそうですから、あの時、目を覚ましていた日本人の殆どは、あの歴史的な勝利の喜びに酔いしれていたという事になるのでしょう。私もその一人でした。あの日の夜は、第140回全英オープンゴルフの最終日にもあたっていて(ダレン・クラークの初優勝)、私はとうとう一晩中、眠れぬ夜を過さねばなりませんでした。

 なでしこジャパンを世界一に導いてくれたキャプテンの沢穂希(ほまれ)選手は、試合が終わった直後に、「サッカーの神様がついてくれていました」と語ったのですから、やはりあの試合は神がかりの勝利だったのかも知れません。しかしそのまた一方で、彼女は「ずっと世界一を夢見ていました。夢は見るものではなく叶えるものです」とも発言していたのですから、あの勝利の本当の結論は、なでしこジャパンが一丸となって夢の実現を目指したW想念Wの強さによるものだったというのが正しい評価と言えるのでしょう。W想念Wとは神仏を味方につける程の想いの強さという事だそうです。この度のなでしこジャパンが成し遂げた歴史的な快挙は、これからの日本の将来に、計り知れない様々な転機と期待をもたらしてくれるに違いありません。

 まず第一の大きな期待は東日本大震災復興への勇気付けです。テレビに映った東日本大震災被害者の方々が等しく口に出された言葉は、W心底復興への勇気をもらったWと言う事でしたので、これ以上の勇気付けは無いのかも知れません。

 新聞報道によれば、なでしこジャパンの佐々木則夫監督は、対ドイツ戦の前に、東日本震災のビデオを選手に見せて試合に臨ませたのだそうです。その結果は、過去8戦して勝てなかったドイツに1対0で勝利し、次なる準決勝は世界NO4の実力チーム、スエーデンを延長で降し、最後の奇跡は、これまで24戦して一度も勝ったことの無い強豪アメリカ戦との劣勢を、粘りにねばって何度も挽回し、遂にPK戦までこぎつけての奇跡の優勝ですから、日本はもとより、世界中が衝撃を受けたに違いありません。

 第2の期待は日本女子サッカーの隆盛です。
これまでの日本は、男子サッカーのみがもてはやされ、女子サッカーはあまりの過小評価でしかありませんでした。日本サッカー協会の規定によれば、男子のW杯優勝時の報奨金は一人5000万円という大金が決められているのに対し、女子の優勝報奨金は男子のわずか3パーセント、150万円だそうですから、なんとも情けない日本サッカー界の現状ではないでしょうか。何としてもこれを機に、日本女子サッカーの隆盛を日本中で応援したいものです。

 第3番目の期待感は、実はこれが一番大きな問題ですが、日本の女子サッカーが元気になれば、日本中が元気になり、病気になる人が大幅に減るのではないでしょうか。
 日本国の屋台骨を揺るがすと言われる日本の医療費は、いまや年間40兆円ともいわれます。これは東日本大震災復興にかかる20兆円の2倍の金額で、しかも毎年必要とされる金額ですから、このままだと日本は沈没しかねないのです。日本女子サッカーの隆盛こそは、日本の将来を救う救世主となるかも知れないと、私は今そんな気がしているところです。
 なでしこジャパンの皆さん、あなた方のお陰で、私は日本の将来が楽しみになってきました。
日本の将来に大きな希望の光が差し込んでくる思いがしてきております。本当に有難う!!、感謝です!!。

 最後になりましたが、15歳から31歳の今日まで16年間の青春をかけて、日本女子サッカーをリードし続けてくれて、とうとう世界一という大輪の花を咲かせてくれたなでしこジャパンの沢 穂希キャプテンには特別のWありがとうWをお伝えしたい気持ちで一杯です。日本中のサッカーファンがそう思っているに違いありません。あなたは今まさに世界一の女子サッカー選手です。日本の誇りです。ありがとう、本当にありがとう沢 穂希さん!!。    (2011・7・24日の記)
写真上:なでしこジャパン世界一の歓喜(沖縄タイムス) 写真中:日本を救った沢穂希の神業ゴール(日刊スポーツ)
写真下:日本を勝利に導いた海堀のPKストップ〔日刊スポーツ)     


奧田のコラム(NO117) 21世紀養生塾沖縄 認定証の授与 ( 2011/07/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 21世紀養生塾沖縄が誕生して8年が経ちました。21世紀養生塾沖縄とは、帯津 良一先生の健康哲学に学び、大自然の摂理を意識の中心に置き、自らの健康を自らの心掛けで守り、育んでいく事を目標にする人達の会です。

 2003年11月に沖縄支部が誕生し、2006年5月には宮古島支部が生まれ、その後は沖縄の各地で少しずつその輪の拡がりを見せております。現在は約100名の塾生が中心となって、この会を育ててくれておりますが、この間にはたくさんの想い出が詰まっております。

 この間、沖縄養生塾を支えてくださった方の中から、10年以上も行動を共にしてくれている3人を指導員として、5年以上頑張ってくれている人の中から8人を普及員としての認定証をお渡ししようと思いつきました。

 帯津先生にその旨ご相談申し上げたところ、100%のご賛同を頂きましたので、今回の第16回記念講演会で実現させる事となりました。帯津先生から直々にそれらの認定証をお渡ししていただき、感慨深いものがあります。 認定証を授与された方々もこれを機に、大いなる自信と誇りを胸に秘めて、更なる健康づくりの輪を拡めて頂きたいと期待いたします。

 私達沖縄養生塾の次なる目標は、2年後の2013年、沖縄養生塾誕生10年の実現を目指す事と、更なる指導員、普及員の養成と、出来る限り健康社会のお役に立つ事です。

 下記に、この度の認定証の文章と、認定証授証者の氏名を記させていただきます。
                                  <認定証文章>
 
W今日よりも良い明日を目指してW
                 
 21世紀養生塾沖縄とは、帯津三敬病院名誉院長で、21世紀養生塾の創始者であられる帯津良一先生の健康哲学に共鳴し、気功、太極拳、呼吸法など、宇宙の摂理を意識の中心におき、生命のエネルギーを溢れさせ、社会の一隅を照らす事を目標とする会です。

 あなたはその主旨をよく理解され、日々に丹精され、その指導的立場にたたれ、多大なる貢献をされております。あなたのその熱意と努力に心からの敬意を表し、ここに 21世紀養生塾沖縄 指導員 の資格を認定いたします。

      2011年 7月 3 日

  21世紀養生塾      塾 頭  帯津 良一

  21世紀養生塾沖縄   代 表  奧田 清志

 <授証者氏名>
 
指導員 : 奧田 泰子(21世紀養生塾沖縄事務局長)

       三枝 憲和(21世紀養生塾沖縄事務局)

       三枝 祥子(21世紀養生塾沖縄事務局)

普及員 : 奥間 愛子(21世紀養生塾沖縄会員)

       塩川 正子(21世紀養生塾沖縄宮古島支部 会員)
       平山 律子(21世紀養生塾沖縄宮古島支部 会員)
       知念 節子(21世紀養生塾沖縄宮古島支部 会員)
       下地 真喜子(21世紀養生塾沖縄宮古島支部 会員)
       下地 直子(21世紀養生塾沖縄宮古島支部 会員)東京在住
       重田 弘文(21世紀養生塾沖縄あやかりの杜事務局長)
       重田 世公江(21世紀養生塾沖縄あやかりの杜会員)

写真上:指導員認定証の文章
写真中:認定証受証風景
写真下:認定者と帯津塾頭との記念写真


奧田のコラム(NO116) 第16回 21世紀養生塾沖縄特別研修会 ( 2011/07/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津 良一先生を師と仰ぐ21世紀養生塾沖縄が誕生して8年。帯津塾頭による健康講演会も今回で16回目となりました。第16回大会は約100名の沖縄養生塾塾生のみによる集まりで、帯津先生と親しく語り合える特別の例会となりました。今回のコラムではその時の一部を紹介させていただきます。

第一部 基調講演「生きる元気・死ぬ勇気」

 今回の講演会は東日本大震災のこともあって、W人間の生と死Wをテーマにしたお話をしていただく事になりました。ちょっと重いテーマで、幾分心配ではありましたが、結果は心に深くしみる素晴らしい講演会になったと、私は思っています。

 お話は、東日本大震災被害者への黙祷で始まりましたが、この度の大震災は想像を絶するものがあったようです。W生と死の世界Wを写す写真家として知られる藤原信也さんは、大震災のあった一週間後に現地を訪れ、その時の印象を「神は死んだ」という言葉で表現されたそうです。如何に凄い状況であったかが伝わってくるような気がします。

 帯津先生は、講演会やご本の中で、「人間は、はるかな虚空からの旅人ですから、人間の原点は淋しさや悲しみの中にあるのです」、と申されます。死を悲しみの極として捉えるか、あるいは新たなる虚空への旅立ちの時と捉えるかによって、人生の意味は大きく変わることになるのでしょう。
 私(筆者)も、以前は死を深い悲しみと恐れとして思い煩っていたのですが、帯津先生のお陰で、今ではいつ死に見舞われても、その時が虚空への新しい旅立ちの時と思うようになってからは、随分と日々の人生を気楽に過せる様になりました。死が新しいWときめきの時Wと思えるようになった時、人は人間から一歩卒業出来るのかも知れません。

 さて、帯津先生のときめきは下記のような事だそうです。

@ 「朝の気功と昼の仕事と夜の酒」。
 帯津先生は朝の3時3 0分には病院に入り、患者さんの一人一人の顔を思い浮かべながら、ホメオパシーの調合に集中されるそうです。そして7時からは患者さんと一緒に気功を楽しみ、病院での一日の仕事が終わる夕方の6時になると、その足で病院の食堂に直行し、大好物の湯豆腐や枝豆や旬の魚や野菜をつまみにしていただくお酒には格別のときめきを覚えるとのことです。

A 好きなテーマを与えられて書く本や、気になる人との対話にもときめくそうです。今一番ときめいている事は、これまでにときめいた映画のシーンを思い出して書く依頼がきている事だそうです。

B 一般的にいって異性ということになります。
・ 長野県伊那谷に住んでおられる加島祥造さんのときめきは、ずばりW女Wだそうです。90歳を目前にして尚、加島さんの身の回りは女性の色香に包まれているそうです。
・ ピカソは生涯で8人の女性と灼熱の恋をして、その内の3人と結婚してあれだけの作品を創作されているのです。
・ 中国の有名な詩人、陶淵明(とうえんめい)は「閑情賦(かんじょうふ)」という詩集の中で、とてつもないなまめかしい表現で自分の恋心を語っております。その言葉とは「私は帯になってあなたの腰に巻き付きたい」と言うのですから、なんとも凄いです。

C ホメオパシーと太極拳へのときめき
 ホメオパシーは以前、朝日新聞でひどいパッシングを受けましたが、あれはホメオパシーの本質をまるで解っていない人物の発言で、ホメオパシーこそは21世紀の医療のホープと言えるのです。
ホメオパシーの創始者サムエル・ハーネマンも、高齢になって激しい恋をして、ホメオパシーの集大成を成し遂げました。
 太極拳は、本来は武術から生まれた動きですが、武の相手を宇宙に置き換えてみると、太極拳には無限に生命力を高める魅力が潜んでいるのです。太極拳には生と死を統合させる力が宿っています。その生と死を統合させて虚空に旅立たれた人こそは、日本に健康太極拳を広められた楊名時先生です。

D 人生のラストシーンを思い浮かべておくことも大事なときめきです。
 名画のラストシーンのように、自分の死の情景を思い浮かべておくことも大事な事です。帯津先生は名画のラストシーンとして1、駅馬車、2、カサブランカ、3、第3の男 4、アメリカングラフティーを口にされました。帯津先生の理想とする人生のラストシーンは、行きつけの居酒屋の扉を開けたとたんばったりと倒れる事だそうです。

E ときめきの最大のものの一つはWういういしさWです。
 WういういしさWとは一種の恥じらい、素直さ、純粋さのようなものです。仏教哲学者の鎌田茂雄先生は、そのWういういしさWの極を生きられた方でした。鎌田先生と一瞬すれ違った時の挨拶や素晴らしい身のこなし方は、誰にもまねることの出来ない魅力がありました。人間は一瞬の出会いの中にもその人の全人格が現われるものかも知れません。

 結論 : しっかりとした生き方をしていれば、いつどこでどんな死に直面しても、それは虚空への新しい旅立ちの時と捉えておけば、悔いの無い人生の日々が過せるのではないでしょうか。         (2011・7・10日の記)
写真上・中・下:21世紀養生塾沖縄特別研修会風景



奧田のコラム(NO115) 75歳の誓い「青春の想念に生きる」 ( 2011/07/01 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 去る6月26日、私は75歳になりました。この国では75歳になると、誰もが一斉に後期高齢者という烙印が押され、いやおう無しに老人の枠にはめこまれてしまうのです。何というお粗末なこの国の発想でしょう!!と私は思います。 後期高齢者という言葉そのものに、この国の旧態以前の体質が潜んでいるように思えてなりません。
昨今の政治のお粗末振りを見るにつけ、この国が本当に世界の先進国に仲間入りできるのは、まだまだ遠い先のことかも知れませんね。

 さて、75歳になった日、真っ先に私の頭の中に浮かんできた言葉がありました。
それは、サムエル・ウルマンのW青春とはWという詩の中の言葉です。
・『人は歳を重ねただけで老いない。理想(夢)を失ったときにはじめて老いる』。
・『真の青春とは若き肉体の中のみに在るのではなく、若き精神の中にある』。

 何という素晴らしい生涯青春への讃歌でしょう!!。
この言葉をW座右の銘Wに、生涯を青春として生きられた偉人は多いのです。私の知る限りでは、
(旧)ナショナル電機、(現)パナソニック(株)の創始者であられた松下幸之助さん、そして日本の歴史からその名前が消える事のない、あのマッカーサー元帥もこのW青春の詩Wを信条として生涯を生きられたのだそうです。

 私は75歳の誕生日に、改めてこれまでの自分の人生を振り返ってみました。果たして自分はどれだけ、この世の中に存在する価値のある人間として生きていたのであろうか、と考えてみると、いささか自信の無い答えばかりが返ってくるのです。
 私の人生は紆余曲折、行き当たりばったりの人生で、確信の持てる肩書きの人生ではなかったのでは・・・という気がしてなりません。私は独りよがりで、周りの人々に多くの迷惑をかけてきたのではないかという反省もたくさんあるのです。

 私が今最も心引かれる人物は、詩人でW念ずれば花ひらくW、W二度とない人生だからWという名言をこの世に残されて、94歳で他界された坂村真民さんです。坂村真民さんは、この世で最も素晴らしい人生は、W人さまのお役に立てる人生を生きることWと断言されております。遅まきながら、
やっとこの言葉に心眼を開かれたような気がしている昨今の私です。

 私は今から15年前の不思議な出来事から、必ずやW元気な100歳Wを生きて、ご縁を頂く人達の元気人生を応援しようと思うようになりました。(コラムNO76)
 前述の坂村真民さんの言葉を借りれば、人はW想念Wに生きれば、何事も実現するのだそうです。
W想念Wとは仏教の言葉で、神仏に届く願い事という意味だそうです。

 今の私の人生を「天職に生きる人」と評してくださる方がいる事を知りました。その人は、今私が最も身近に感じて、まさに人生の恩師と仰ぐ帯津 良一先生です。私は恩師からいただいたこのW天職Wと言う言葉を大事に生きねばならないと、自分に言い聞かせているのです。
 そしてもう一つ、私がどうしてもW元気な100歳Wを生きねばならないと思う理由は、帯津先生とも親しい友人で、統合医療の提唱者として有名な、アンドレー・ワイル博士の言葉に由来しているのです。ワイル先生は『自分が健康でなくて、どうして人に健康のアドバイスが出来るでしょう。人に何かを教えるとき、最も説得力のある方法は、自分がその手本となることです』と申しておられます。全くその通りだと私も思います。

 私は75歳からの人生を健康人生というW想念Wに生きねばならないと心に誓いました。とはいえ、元来が怠け者の私です。本音のところでは、想念は想念であっても、できるだけW楽しさ一杯の想念Wであり続けたいと願っているところです。

 以下は、今私の頭に浮かぶ75歳からの心掛け人生です。
 ・一日一日を、大切に、充実感を持って生きること。
 ・一日一日を、シンプルに、さわやかに生きること。
 ・一日一日を、迷惑をかけないように心掛けること。
 ・一日一日を、お役に立てる人生であり続けること。
 ・一日一日を、ときめきと感謝の中で過ごすこと。
 ・一日一日を、今日よりは一歩前進の明日に繋げること。
 そして最後にありがとう!!と、にっこり笑って虚空に旅立つこと。その日が100歳であれば、私にとっては満点の人生です. (2011・6・30の記)

 PS:たくさんの人達に75歳の誕生日を祝っていただきました。中でも今年のハイライトは豊見城気功教室の大山さん
ご夫妻にわざわざ車で送り迎えまでしていただき、沖縄の美しいエメラルド色の海が見えるホテルのランチをご馳走になり、なんとCDプレーヤーまでプレゼントされたことです。私はそのCDプレーヤーで、毎晩、坂村真民さんの講話集を聞きながら、夜の眠りにつく事を最大の喜びとしております。
私は今、本当に感謝の日々を過ごしています。合掌します。

写真上:75歳の誕生祝(撮影 大山さん)
写真中:青春とは(サムエル・ウルマン)新井 満訳
写真下:坂村真民講話集


奧田のコラム(NO114)  ポール・森口先生講演会 「老いの恵」 ( 2011/06/23 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私(筆者)はあと数日で75歳になります。年齢の事はあまり気にならなかったのですが、いつの間にか、いやおうなしにW後期高齢者WとかW新老人Wとか、「老い」に関する出来事が今の私に新しい人生の気付きをさせてくれているように思えてなりません。

 つい先日もです。運転免許証の切り替えで教習所を訪れた時のことです。アトランダムに映し出される映像を見せられながら、次々に「これは何ですか?」と聞かれるのです。
 その映像たるや、3歳になれば間違いなく、誰でも答えられるであろうと思える物ばかり。犬や馬などの動物、スイカやパイナップルなど果物、椅子や掃除機などの家具、ズボンや帽子など16個の映像でしたが、私はその時一瞬、何処かの幼稚園に迷い込んだのかと思う程の錯角と、ある種のショックを受けたのでした。これは記憶力のテストである事を後で知ったのですが、いづれにしても後期高齢者への扱い方としては、ちょっと考えさせられるものがありました。
 私は16問中12問の記憶が甦ったのですが、私の隣で一緒にこのテストを受けた方は、3問しか記憶が浮かんでこなくて、頭を抱えておりました。その現実を見るにつけ、やはり75歳は後期高齢者なのかもしれないと自覚しながらも、ちょっと情けない思いもさせられた一日でありました。

 今回のコラムの本題は、そんな情けない高齢者の話では勿論無いのです。実に感動的な誇り高き高齢者のお話です。

 コラムNO111にも書きましたが、私は先日、今年100歳にして矍鑠(かくしゃく)たる人生を生きておられる日野原重明先生の講演を聞いて、日野原先生が提唱しておられる「新老人の会」沖縄支部に入会させていただきました。そしてその沖縄支部の今年第1回例会に出席したのですが、その日のゲスト講演者であられたポール・森口先生のお話に感銘を受けたのです。
 
 ポール・森口先生は現在85歳で、今もなお、南リオグランデ・カトリック大学で老年学の教鞭をとっておられるバリバリの教授です。ローマ教皇パウロ6世の医学顧問もされておられたという経歴の持ち主です。日本老年医学会の評議員を永がーく勤められ、勲三等瑞宝章受勲者でもあられます。
 ポール・森口先生のお話を急いで手元の用紙にメモしたのですが、充分なメモが取れたとは思われません。今、その時のメモを見て、お話の要点を思い出しながら、今日のコラムでお伝えしようと思います。

 〈心豊かに歳をとる条件〉  ポール・森口先生のお話し                                              (2011年6月18日)

@相手の長所・利点を見て、短所・欠点には目をつむる事。
A自立心を高める事。自分に出来る事はなるだけ自分でやる 事。
B過去の人生に満足する事。そして現状を素直に受け入れ、 今を元気で生きていることにも満足する事。

C歳をとると衰えてくるのは当たり前の事だから、衰えなが らも身心の健康を保つ努力を怠らない事。

D慰められるよりも慰める事。
E理解されるよりも理解する事。
F愛される事よりも愛する事。(この言葉は900年も前に生き られた聖フランシスが残してくださった真理です)

G支えられ、話し合える家族や友人の存在に感謝する事。そ して愛情を注ぐ対象の存在に気づく事です。

H生きがいと、日々の生活の喜びを見い出す習慣を身につけ る事。
I他人に優しく、自分に厳しく。(歳をとるとこの逆になり がちです)
J死を迎える心の準備をする事。キリスト様は、魂は永遠に 生きると申しておられます。
 目には見えない世界があるのです。死とは目に見えない永 遠の世界に行くことです。死を恐れることは何もないので す。
K右手を挙げてください。左の手を挙げてください。そして 胸に強く手を当ててください。両手が挙がり、心臓の鼓動 が感じられたら、それこそは幸せの真っ只中に生きている 証拠です。
L人間のメカニズムは医学では解るのですが、そのメカニズ ムが、どこからどうしてきているのかについては医学では 何も解らないのです。それはまさに神の世界です。感謝に 生きることは神への祈りです。感謝の人生を生きることこ そが、豊かな人生を生きることになるのです。             (2011年6月23日の記)

*PS
 沖縄県以外のところで、一番多くのウチナンチュー(沖縄出身者)が住んでいるところはブラジルです。ルーツはおなじ沖縄でありながら、ブラジルに移住した沖縄出身者の寿命は、沖縄に比べてなんと17歳も短命なのです。短命の一番の原因は食の変化にあって、ブラジル移民者の肉食量は沖縄の3倍、そして野菜の摂取量はその逆の三分の一というデーターが出ております。
 人間の寿命は遺伝ではなくて、生活習慣と本人の心掛けによるものなのです。心して気にかけるべきだと思います。
(ポール・森口先生のお話より)

写真上:ポール・森口先生講演会パンフレット
写真中:後日、ブラジルから贈られて来た先生の本

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