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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO223) ありがとう、¨うりずん¨の土屋さん!! ( 2015/03/27 )

 
 うりずん本店

 
 土屋さんからいただいたシーサー

 
 島武己さんからいただいたぺアシーサー

 
 

 
 

 
 

 今朝の新聞で、¨うりずん¨の土屋寛幸さん(73歳)が亡くなられたとの記事に接し、無念さの中にも、沢山の想い出が頭いっぱいに浮かんできて、私はしばし茫然の時を過ごしておりました。
¨うりずん¨の土屋さんと言えば、言わずと知れたあの¨泡盛と琉球料理の店¨の創業者であります。

 私は今から43年前にご縁をいただいて沖縄の住民にさせていただいております。沖縄に足を踏み入れた直接の要因は、1975年に開催された沖縄本土復帰記念事業、「沖縄海洋博覧会」でしたが、その頃の経緯についてはコラムNO 87に書いておりますので、今回のコラムは土屋寛幸さんとの想い出に絞らせていただきます。

 私が沖縄に住みついてからの数年間は、沖縄の西も東も殆ど何も解らない年月を過ごしておりましたが、何故か¨うりずん¨の事だけは早くから知っていたのです。私はお酒や泡盛とはまるで無縁の人間ですが、¨うりずん¨の想い出はとにかく珍しい名前の付いた沢山の琉球料理が、信じられない程の安い価格で、お腹いっぱい食べられた事、そしてギターの弾き語りをするお兄さんが料理を運んできてくれて、賑やかに場を盛り上げてくれた楽しい想い出が今でも身体に染みついているのです。

 回を重ねて¨うりずん¨を訪ね、県外からの友人・知人達を連れていく内に、いつしかオーナーの土屋さんと言葉を交わすようになり、私は土屋さんの素朴で誠実なお人柄に惹かれ、増々¨うりずん¨のファンになっていきました。
 ある年の暮、土屋さんからまるまる一匹の大きな鮭が家に届けられた時の想い出も忘れられませんが、土屋さんとの一番の想い出は¨シーサーの焼き物¨とのご縁で、その時のご縁はあの時から30数年が過ぎた今でもずっと続いているのです。

 
 或る日¨うりずん¨での夜の宴会を終えて帰宅の途につく事になった時、私の目は階段の片隅に置かれていた一体のシーサー(獅子像)に釘付けになっていたのでした。と、その時土屋さんが近づいて下さり、『シーサーがお気に入りですか?』と声を掛けて下さったのです。私は『とても素晴らしいと思います』と答えたところ、土屋さんは『このシーサーは陶芸愛好家の間では絶大の人気作家である島武己さんの作品ですが、残念な事に、このシーサーは左足としっぽが壊れているのです。それでもよければ差し上げますからお持ち帰りください』と言って私にくれたのです。まるで夢のような突然の出来事でしたが、そのシーサーはその時以来私の住む処にずっと一緒についてきてくれているのです。

 この話にはまだその続きがあるのです。
そんな事のあった後の或る日、土屋さんは私をそのシーサーの生みの親である島武己さんの工房に連れて行ってくれ、島武己さんを紹介してくれました。私の目に映った初対面の島武己さんは、不思議な魅力に溢れた人物で、会った瞬間から私はこの人の虜になってしまったのです。

 島さんの工房を何度か訪ねているうちに、私は工房の周りを散策するようになっておりました。工房は見晴らしの良い高台にあり、その高台からは中城湾が一望できる素晴らしい景色が拡がっていました。そこには何体かのシーサーが無造作に置かれたままになっておりましたが、その中で一番大きな一対のシーサー像の前に、私はいつも立ち止っていたのです。島さんはそんな私の姿を何時、何処で、どうして観察していたのか解らないのですが、数日後、その一対のシーサーは車に乗せられ、私の家に運ばれ、玄関の柱の両脇に置かれていたのでした。まるで夢のような本当の話です。

 このシーサーは、ちょっとやそっとで移動できるものではなく、その後の2回に渡る私の移転先にはついては来れず、残念ながら今はあるホテルのお店の前に置かれたままになっております。

¨うりずん¨とは、沖縄で最も気持ちの良い初夏の季節をさす言葉だそうです。
沖縄にうりずんの季節がある限り、¨うりずん¨の土屋さんの事は忘れないと思います。
土屋さん、うりずんの季節にはまた何処かでお会いしましょうね。生前の不思議なご縁に感謝し、心からご冥福をお祈りいたします。
土屋さん、本当に有難うございました。合掌です。
                (2015・3・26日の記)


奥田のコラム(NO222) 名古屋の旅の続きの続き¨空気のような太極拳¨ ( 2015/02/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今回の名古屋の旅には、実はもう一つ、とても嬉しいハプニングがあるのです。
それは今回の気功・太極拳教室に参加して下さった中の4人の方々から、思いがけない感想文が届けられているのです。お許しを得て、4人の感想文をそのままここに記させていただき、私からのお礼の気持ちに替えさせていただきます。

■ 先日はありがとうございました。
太極拳に参加する以前は、自分の身体が硬いことが、
もの凄くプレッシャーで楽しめ るか不安でした。
しかし、実際参加させていただいて、いろんなお言葉をいただき、
自然と拒んでいたような心がすっと受け入れる自分に驚きました。
すべてのお話が、心にすっと入ってくることばかりで、自然と
自分の身体や呼吸を見直し、見つめ合う時間をつくることが
できました。
ぜひ、今後ともご教授承りたいと思 いました。
今からでも遅くない。そう思わせていただけたことに感謝します。
ありがとうございました。(T・Sさん)

■ 貴重な教えをありがとうございました。
先生のしなかやでいて、どっしりと力強い太極拳に目を奪われました。
そして、実際に太極拳を学んでみて、自分は柔軟性に頼りすぎている
ことを痛感いたしました。
自分は柔らかいことがじまんでしたが、押されたら倒れてしまいそう
なほど芯が安定しておらず、筋力の無さを柔軟性でカバーしている
だけだったと分かったのです。
呼吸と体のバランスの大切さがよく分かりました。
奥田先生からいただいた言葉の中で、非常に印象に残っている
言葉があります。
「小石に躓くのは当たり前。躓いても立ち上がれる力を持てばいい」
カラダだけでなく、心にも言える言葉です。
これからも、先生から、太極拳から、カラダと心に大切なことを
ぜひ学んでいきたいです。
ありがとうございました。(F・Kさん)

■ 見た目のゆっくりした動きの印象からは想像がつかないぐらいにハードでした。
その日はぐっすり眠れました。
そして、翌日股関節に筋肉には至らないですが、心地よい抵抗感ありました。
無理しない範囲で出来るのも魅力です。
また、次回時間が合えば参加してみたいです。(F・Kさん)

■ この度、奥田先生夫妻が名古屋へお越しになられ太極拳を教えて頂けるということで初めて参加させて頂きました。
今まで太極拳をされている方は周りにはおらず、間近で太極拳を拝見したこともなく今回が太極拳と触れ合う初めての機会でした。
まず最初に軽いウォーミングアップからしたのですが普段、体を動かしていないせいか首や肩共にとても疲れていることを感じました。
そして呼吸法を教わり、普段の日常生活ではしない深い呼吸を行いました。
呼吸を吐き続ける動作はとても苦しかったのですが、呼吸を吸った後の頭のてっぺんの百会に突き抜ける感覚は全てが浄化されていく感覚ですっきりとしました。
そして深い呼吸を行っていると何も考えずリラックス出来ているので奥田先生がおっしゃったように朝起きて行う習慣をつけたいとも思いました。
また、初めて太極拳というものを間近で拝見し私が思っていた少し武道っぽい?太極拳とは違うことにびっくりしたと同時に、奥田先生の空気と一体化しているような太極拳に感動を覚えました。
私の頭の中はスタジオではなく大自然の中で出来たら気持ちいいだろうな、と考えていました。(きれいな海とか空気が綺麗な森とか…)
最後に実際体験してみた感想は自分の体力のなさに落胆したことですが、それ以上に太極拳を通じて一生の健康や精神の安定を手に入れたいと思いました。
そして沖縄と名古屋を繋げることが出来るような場が作れればと思います。また是非体験してみたいです。
この度は有難うございました。(N・Aさん)

*上記の4人の方々には心からの感謝ですが、中でもN・Aさんからいただいた「空気と一体化しているような太極拳」と言う言葉に、私はしばし釘付けになっておりました。¨空気のような太極拳¨、これこそは私が生涯をかけて目指していきたい究極のテーマでもあるからです。

 私は間もなく80歳になりますが、80歳には80歳の太極拳があり、90歳には90歳の、そしていつの日にか必ずやって来るであろう100歳の太極拳を目指して、日々に一歩前進の積み重ねをして参りたいと念ずる次第です。
 名古屋の旅は大きな発見と収穫の旅でした。名古屋の皆さん、本当に有難うございました。
                        (2015・2・27日の記)


奥田のコラム(NO221) 名古屋の旅の続きです ( 2015/02/23 )

 
 私の顔写真

 
 家内の顔写真

 
 二人のツーショット

 
 大城さんご夫婦と

 
 

 
 

 名古屋4回目の旅を終えて、3週間が過ぎようとしている今日(2月23日)、名古屋
の大城さんから宅急便が届きました。
 宅急便の中には、先日の名古屋の写真スタジオで撮っていただいた数々の写真が一枚のCDに収められておりました。

 コラムNO220にも書きましたように、私は自分の顔をプロのカメラマンに撮られた記憶がないので、はたしてどんな写真が撮られているのか、実はかなりのドキドキ感とわくわく感で見せていただいたのですが、流石にプロは違うのです。
とても自分の顔とは思えない上等の顔になっているのです。
 私ばかりか、写真スタジオに同伴した私の家内の顔も、そして家内とのツーショットの写真も、まるで別人のように撮って下さっていたのですから、何かしら今日は表現の仕様の無い喜びに浸っているところです。

 つい先日(2月15日)は家内の69歳の誕生日でした。予定していたバラの花束も予定通りにはならず、少々気になっていたのですが、今回の写真の中のベストワンと思える顔写真を、ちょっと大きく引き伸ばして額に入れれば、バラの花束以上のプレゼントになるのでは・・・と、この文章を書きながら私は秘かに考え中なのであります。

 恥ずかしながら、その時の写真の何枚かを今日のコラムに紹介させていただき、名古屋の旅の思い出を更に深く心に刻んでおきたいと思うのです。
               (2015・2・23日の記)


奥田のコラム(NO220) 名古屋4回目の旅 ( 2015/02/05 )

 
 森一生さんの写真スタジオで

 
 琉球王国オーナー御夫婦と

 
 名古屋教室練習風景

 
 名古屋教室集合写真

 
 蒲郡温泉にて海の幸満載の夕食

 
 19年ぶりに再会した旧姓小島有香子さんと

 2015年1月31日〜2月2日、私達夫婦は4回目の名古屋の旅に招待されておりました。
名古屋の旅は、いつも名古屋在住の大城さんご夫妻によるご招待の旅です。
どうしてご招待かと言えば、今から5年程前に、ふとしたご縁で知り合いになった大城さんご夫妻が、何故か私の太極拳をたいそう気に入って下さり、以来毎年、名古屋に呼んで下さり、その都度、太極拳教室を催して下さっているのです。

 実はこの名古屋の旅は、太極拳教室の後に、いつもまさかのサプライズを用意して下さっているのです。ちなみに第一回目は中津川の栗を訪ねての旅、第二回目は白川郷と飛騨高山、それに富山の氷見港までの長距離ドライブの旅、第三回目は岐阜の下呂温泉と料亭¨志村¨、伊勢神宮の旅(いずれもコラムNO126、127、 NO163、NO196、197に記載)、そして今回は愛知県蒲郡温泉の旅を用意して下さっておりました。

今回の旅の経過を思い出しながらコラムに残しておこうと思います。

1月31日
(1)沖縄那覇空港を出発して名古屋セントレア空港に着いたのは午後2時頃でした。
大城さんのお迎えで最初に私達が案内されたのは、森一生さんとおっしゃるプロの写真家が経営するフォトスタジオでした。¨私のポートレートを撮る¨のが目的だそうです。私はポートレート写真は、静止してちょっとにっこりした瞬間をパチリと撮るものとばかり思っていたのですが、このスタジオでは、自由気ままに雑談しているところをバシ、バシ、バシ、バシと目にもとまらぬ速さでシャッターを押しまくるのです。
 私はそんな写真を撮られた事がないので本当にびっくりしたのですが、出来上がった写真を見てみると、今まで見た事のない自分が写っているのです。更に驚いたのはプロの写真家の目に映る、私の一番いいところは両耳なのだそうです。本当にびっくりする事ばかりの写真撮影体験でした。

(2)この日の夜は、沖縄好きが高じて、名古屋に¨琉球王国¨と言う料理店を開業したというお店を訪ねました。確か昨年もこのお店を訪ねた記憶があるのですが、このお店では日本舞踊の家元、フランス人、企業家などいろいろな職種の人達とすっかり友達になり、意気投合し、持参した名刺(10枚余り)は、この店で全部なくなってしまいました。夜の最後の締めはいつも¨山ちゃん¨の本店です。この日もそうなりました。

2月1日
(1)名古屋二日目の午前中は太極拳教室です。大城さんの声掛けで10名余りの方々が集まってくれました。とてもいい雰囲気の中、家内のヘルプもあって、私は気持ち良く約2時間余りの教室を無事に務める事が出来たような気がしております。

(2)教室を終えた後の昼食は『NICO』と言う名前の素敵なイタリアンレストランでしたが、偶然にもこの店のシェフは、沖縄出身の伊差川葵さんと言う方で、私はすっかり嬉しくなりました。

(3)昼食後のハプニングは、大城さんご夫婦による蒲郡温泉郷へのご招待でした。
私はこれまで蒲郡温泉がどこにあるのか知りませんでしたが、蒲郡温泉は愛知県三河湾を一望できる素晴らしい海岸沿いにあって、特に朝日が昇る景色を眺めながらの早朝の露天風呂は感動ものでした。海の幸満載の食事は幸せそのものでした。

2月2日
(1)朝9時に温泉宿を出発して、私達は今度は知多半島にある師崎漁港の朝市を訪ねました。伊勢湾と三河湾から採れる絶品の海産物が並ぶ師崎の朝市は何度訪ねても嬉しい所で、私達は今度も沢山の海の幸を買い求めセントレア空港に向かいました。

(2)今回の旅でのもう一つのハプニングは、このセントレア空港で、19年ぶりに再会できた小島有香子さんという女性との再会でした。
19年前の私は60歳、有香子さんは20歳の学生でしたが、二人とも1996年のアトランタオリンピックの聖火ランナーに選ばれた仲間です。その時以来、彼女は私の事を¨沖縄のお父さん¨と慕って下さり、年賀状の交換が続いていたのですが、図らずも今回の名古屋の旅で再会出来る事となり、まさに感動でした。
 彼女は39歳、2児の母で、今はママさんバレーのキャプテンをされているとの事。
素敵な、しっかり者のお母さんになっておりました。

 この日の2時30分、名古屋のセントレア空港を後にして沖縄に帰って来ました。
那覇空港には一歳半になる孫が、初めて空港に出迎えてくれていて、私の姿を見るや両手を挙げて飛びかかってくれるハプニングも待っておりました。
 名古屋の旅は何もかもが素晴らしく100点満点の旅でした。いろいろな運命の出会いに感謝です。大城さんご夫妻には特別の感謝です。
                                 (2015・2・5日の記)




奥田のコラム(NO219) 2015年の初頭に思う事¨天は自ら助くるものを助く¨ ( 2015/01/11 )

 
 天は自ら助くる者を助く

 
 帯津良一先生直筆の色紙

 
 今日を生きる事は一歩前進した姿でありたい

 
 楊名時先生直筆の書

 
 リーダーたる者は自らがその見本であるべきです。

 
 一隅を照らすはこれ国宝なり。

 2015年の幕が開きました。私はここ数年来、新しい年の初めに何かしらの教訓を自分に言い聞かせておりますが、今年私の頭に明確に浮かんで来た教訓は、¨天は自ら助くる者を助く¨と言う言葉でした。

 どうしてそんな言葉が浮かんで来たかと言えば、それは新年1月3日の夜、たまたま或るTV番組で、野球の長嶋茂雄さんの10年間に亘る闘病生活と、激闘とも思えるリハビリ人生の様子を見ているうちに、いつの間にかその言葉が私の頭に拡がっていたのです。

 私は、人の命は天なる神様に委ねられたものと思ってはいるのですが、それはそれとして、どうやら人生には天なる神様までもが応援しないではいられない程に、一生懸命の人生を生きようとしてる人がいる事を、私はあのTVの中で発見したのです。長嶋茂雄さんのひたむきな¨生命への執念¨は必ずや天をも味方にして、不死鳥の如くに甦るに違いないと私は思わずにはいられませんでした。

 余談になりますが、私は長嶋さんとは同じ年の生まれです。あまりにも偉大な長嶋さんとは比べるのもおこがましいのですが、私も紆余曲折の人生ではありましたが、とにかく今日まで大きな病気もなく元気に生かされている事だけで、私は感謝感謝の人生であります。願わくばこれから先も、天なる神様に見放されない¨我ながらの人生¨を懸命に生き続けてみたいと念ずるばかりです。

 余談の余談になりますが、ここ4〜5年の私が年の初頭に綴った自分への教訓の言葉は次の様なものでした。自分で忘れない為にも、今日のコラムに書き残しておこうと思います。

(その一) 今日よりも一歩前進良い明日!!。
  埼玉県川越市にある帯津三敬病院の玄関には『今日よりも良い明日』という帯津先生の書が壁に掛けられております。私は数年前に初めてこの病院を訪ね、この言葉を目にした時から、この言葉を私の最も大事な座右の銘とさせていただいております。

(その二) 今日を生きる事は、一歩前進した姿でありたい!!。
 これは日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞された(故)湯川秀樹博士の言葉です。(その一)の¨今日よりも良い明日¨と共に私への大事な教訓と心得ております。

(その三) 太極拳は芸術であり、文化であり、健康哲学なり。あせらず、おごらず、おこたらず!!。
 この言葉は私の生涯の大恩師である太極拳の父、(故)楊名時先生から教えられた言葉です。私は今から13~14年前の65歳の時、帯津良一先生とのご縁から、楊名時先生と親しくさせていただく好運に恵まれ、以来私は楊名時先生に憧れ続けております。

(その四) 指導者たる者、自らがその見本であるべきです!!。
 この言葉は、心理学者として世界に知られるアメリカのアンドレ―ワイル博士の言葉です。ワイル博士は健康人生のリーダとして、常にその第一線を歩み続けておられます。ささやかながらも、気功・太極拳人生の指導的立場に置かれている私には、片時も忘れてはならない大事な教訓だと思っております。

(その五) 一隅を照らすは、これ国宝なり!!。
 これはあまりに有名な伝教大師¨最澄¨の言葉です。人間この世に生まれたからには、一人一人がどんなかたちであれ、一つの灯明となって、世の中のお役に立つことが、人間に与えられた大事な使命である!!、と私は理解しております。

 * 2015年の年頭に浮かんだ言葉は¨天は自ら助くる者を助く¨です。
  私はこの教訓を深く心に刻んで、2015年を一歩一歩前に進めたいと願っっておりす。
               (2015・1・10日の記)

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