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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO216) 沖縄県民・新知事に翁長雄志さんを選出!! ( 2014/11/23 )

 
 タイムス県知事選結果報道

 
 新報県知事選結果報道
(両新聞社報道写真より)

 
 

 
 

 
 

 
 

 私は政治に関する事には、出来る限りかかわらないでいたい人間ですが、今回の沖縄県知事選だけは、絶対に無関心であってはならないと自分に言い聞かせ続けておりました。

 今回の知事選の最大の争点は、世界一危険と言われる米軍普天間飛行場を、沖縄の北部にあって、沖縄で最も美しい、ジュゴンの住む辺野古の海に移転させようとしている日本政府の計画に、賛成か反対かの信を問う、沖縄の将来の命運がかかった選挙であったと思います。
 2014年11月16日の選挙で、沖縄県民は約10万票の大差をつけて¨辺野古への基地移設絶対反対¨の公約を掲げて立候補した、前那覇市長の翁長雄志さんを当選させました。

 普天間飛行場の辺野古への移設に同意した仲井間現知事は、4年前の選挙では、普天間飛行場は県外か海外へ・・・、という公約を掲げて知事になった人です。その知事がいつの間にか心変わりをしてしまい、昨年の暮れには、県民の70%余りが反対の意思を示している辺野古への移設を容認し、日本政府との契約に調印したのです。

 日本政府との約束に調印した後の記者会見で、当の仲井間知事は次のような言葉を口にしております。『日本政府から(基地移転との引き換えに)、毎年3000億という沖縄振興予算をいただけるという、驚きの約束を取り付け、こんなめでたい事はありません・・・』。この言葉を耳にした大多数の沖縄県民は余りの事に、只只呆然とする他はありませんでした。
今回の選挙で10万票の大差がついたのは、その時の沖縄県民の無念さの表れであったに違いありません。

 日本政府はアメリカ政府との約束から、何が何でも辺野古の海に基地移転をさせねばならない裏事情があるのかも知れませんが、それにしても沖縄県民の大多数の声を無視し、更には多くの自然科学者たちの要請にも耳を傾けることなく、強引に事を進めようとしている日本政府のやり方には、世界中の著名な文化人からも異論の声が湧き上がってきております。
 アメリカと言う国は民主主義の先頭に立っている国です。沖縄県民の苦汁を真摯に説明して説得すれば、必ずやアメリカ国民は沖縄県民の心の叫びを理解して下さると私は確信したいのです。

* つい最近になって知る事となった3つの¨おどろき¨をここに記しておこうと思います。

(1)辺野古の海を埋め立てる為に、徳之島から想像を絶する量の土砂を船で運ぶ計画があって、相当のお金が提示された筈なのに、徳之島の人達は、はっきりと    NO!!との結論を出されたそうです。徳之島の人々に私は深く敬意を表したいのです。

(2)元NHKアナウンサーであられた池上彰さんのTV番組から学んだ事ですが、人間今のまま無反省の人生を生きていると、100年後には世界の海から砂浜が消え、海岸は真っ赤に染まって、すさまじい地球破壊が現実のものになるのだそうです。そしてそうなる最大の要因は、森を破壊し、海を汚す人間のおろかな行為がそうさせるのだそうです。
 100年後は遠い先の事にも思えますが、それは我々の孫達が生きる時代です。子孫の命を脅かす出来事に、我々は絶対に無関心であってはならないのです。

(3)私達の住む沖縄は、北部の山々には美しい亜熱帯の森が茂っております。島々は世界に誇れる美しい海に囲まれております。その美しい沖縄の森は、オスプレー基地建設の為、樹木が見るも無残に切り倒され、海は新基地づくりの為、死の海に姿を変えようとしております。
 私達ウチナンチューは、沖縄の美しい森も、宝の海も、ただ単に沖縄の為だけではなく、世界中の人々の為にも、このかけがえのない自然を守らなければならないのです。21世紀の地球は、まさに地球上に生を受けた全ての人達が、世界中の全ての人達の為に、心を一つにして守らねばならないのではないかと私は思うのです。
               (2014・11・23日の記)
写真上:タイムス県知事選結果報道
写真下:新報県知事選結果報道
    (両新聞社報道写真より)


奥田のコラム(NO215) 結婚45周年に考えた事 ( 2014/11/06 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2014年11月1日は、私達夫婦にとっては結婚45周年の日でありました。
45年を振り返ってみると、まさかまさかの連続の人生であったような気がしておりますが、今はまだあまり深く過去を振り返る気持ちになっておりません。私が80歳を少し越える結婚50周年の頃には、深く静かに結婚50周年を振り返ってみようと思っているところです。

 さて、45年の結婚人生が長いのか、それ程長くもないのか、私は自分の両親や年の離れた兄弟達はどうであったのであろうかと、この数日間はふとそんな事を考える長い夜が続いておりました。
 両親の結婚についての詳しい事を、私は殆ど知り得ておらず、10歳も年下の、しっかり者の妹に聞いたところでは、父母の結婚は父が32歳、母が19歳の時で、両親は13歳の年齢の差があったとの事です。

 私達は、7人兄弟(男6人、女1人)として生まれており、母は20歳で長男を生み、44歳で一番下の妹を生み、その2年後に父は他界しております。
とすると、母は何と46歳で7人の子供をかかえる未亡人としての人生を生きていた事を今になって知り、私は只々愕然とする他はありませんでした。
 母は88歳まで元気でいてくれましたが、私はそんな母に、どれ程の母親孝行をしていたのであろうかと思うと、誠に残念ながら、満足のいく答えは浮かんでこないのです。両親へのせめてもの償いに、私はこれからの人生を日々父母に手を合せ、必ずや父母が喜んでくれるであろう人生を生きようと、改めて強く心に誓ったのです。母は生きていれば今年111歳になるそうです。

 年の離れた兄弟のうち、長兄、二男、三男はすでにこの世を去っております。
その3人の兄についても詳しい結婚の事を私は知っておりません。3人は共に70歳前後で他界しておりますので、仮に30歳前後で結婚しているとして、40年前後の結婚人生ではなかったかと推測するのです。
 現在もまだ元気いっぱいの4男(84歳)、5男(81歳)の二人の兄は、既に50年を越える結婚人生を過ごしております。私と10歳の年齢差のある妹夫婦も40年位の結婚人生と思われます。上記の様な事を考えれば、私達夫婦の45年はほぼ平均的な結婚人生を生きている事になるのかも知れません。

 私は自分の運命は100%天の導きにお任せする覚悟は出来ているつもりですが、とりあえず自分自身の目標人生は、2年後の80歳の峠を飛び越えて、その後は5年、5年単位の元気人生を積み重ねながら、人生の最後まで精一杯楽しく、¨ときめきの志¨に生き続けたいと念じております。
私の目指すときめき人生とは、なるだけ世の中に迷惑をかけない¨元気な100歳人生¨です。

 今回のコラムを3つの感謝で終わりたいと思います。

その一:この45年間私達夫婦とのかかわりをいただいた全ての方々に、心からの感謝を捧    げます。

その二:わが父母には生涯をかけて、父母が喜んで下さるであろう人生を生きる事を誓い    ます。父母が喜んでくださる人生とは、¨一隅を照らす¨人生と、¨情けは人の    為ならず¨の人生と心得ております。

その三:45年の苦楽を共にしてくれた家内には特別の感謝です。5年後の結婚50周年に     は、今の私に出来る最大級のサプライズを提供しようと思っているので楽しみに    していて下さい。私のサプライズは元気でないと成立しないので、くれぐれも元    気いっぱいのお母さんでいて下さい。
    お母さん(家内の事ですが)、45年間、色々と本当に有難うございました。
              (2014・11・5日の記)
 追伸
   このコラムを書いている最中に、私が最も敬愛する帯津良一先生からの最新本が届きました。本の題名は『粋な生き方』です。本の中味はまだチラッとしか目を通しておりませんが、次の様な事が書かれているようで、私の胸はときめきを覚えています。

(1)挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる。
(2)あきらめない、こだわらない気持ちがある限り、人生の奇跡は起こる。
(3)日々にときめいて生きる事が大事な人生。
(4)恋は生きる上で最高のエネルギー
(5)人生は青雲の志に生き、凛として老いる事。
(6)どうなるか解らない先の心配は止めて、今を生きる事が大事。
(7)生きる事とは命を育てる事。そして死ぬ事もまた更なる命を育てる事。

 こんな内容の最新本が、今この時、私の手元に届いた事に大いなる不思議を覚えず
にはいられません。本当に驚いています。感謝です。感動です。帯津先生本当に有難うございます。
写真上:結婚45周年の記念写真
写真中:帯津先生の最新本『粋な生き方』


奥田のコラム(NO214) アメリカ16日間の旅(その三) ( 2014/10/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 16日間のアメリカ旅行を終え、あるいは旅の途中、いろんな事との出会いがあり、いろんな事が頭をよぎっておりました。そして最終的に頭に浮かんだ結論は、人間いかに生きるべきかを考える旅であったような気がしております。
 私は只今78歳。人間80歳以後の人生は¨遊行期¨(ゆうぎょうき)と呼んで、いかに人生の最終期を締めくくるかを考える最も大事な時期なのだそうです。私は今回の旅で、その遊行期に向けての一種の覚悟が出来たと思えております。

(1)飛行機に乗って15〜6時間も高い空を飛び続け、、下界の地球を眺めていると、地球のあまりの大きさと偉大な美しさに圧倒されてしまいそうになります。しかし、そんな偉大な地球も宇宙と言う視点から見れば、地球は宇宙に浮かぶほんの小さな星の一つに過ぎないのだそうですから、人間、あまりくよくよ生きても仕方の無い事で、全ては天地の摂理に身をゆだねて、自然体で生きる事が一番いいのでは・・・という思いに至ります。

(2)光は一秒でこの地球を7回半も回るそうです。私達の頭上に輝く夜空の星々は、何億光年もの時間をかけて、私達の目にその光を届けているのだそうです。
 一億光年とは、光が一億年をかけて届く時間の長さです。そんな星々が宇宙には無限に存在しているらしいのですから、宇宙の事は考えれば考える程、私の頭はおかしくなってしまいます。

(3)例え人間が100年、200年も生きられる時代がいつかやって来るかも知れないにしても、人間の生命の長さは、宇宙的にはほんの一瞬のまばたきのようなものでしょうから、私は人生は生きる長さよりも、どういう人生を生きるかの方に意義深さがあるのではないかと考えます。

(4)無限と言う宇宙の中に、何故小さな地球が存在し、何故その地球上に我々人間が生まれ生きているのか・・・、その問いに答えられる能力など、凡々人の私にあろう筈もありませんが、私はもう単純明解に、¨人間の生命は、宇宙と言う神様から授かっているのだから、神様のお許しがあるまでの生涯を、精一杯元気で、楽しく仲良く、ときめきの人生を生きる事¨と結論づけているのです。
 但し、なるだけ世の中に迷惑をかけないように、そしてほんの少しでも誰かの、何かのお役に立てる人生でありたいと願うばかりであります。

(5)さて、そんな思いをしながら沖縄に帰ってみると、沖縄は知事選の真っ最中。私の住む小さなマンションのポストの中は、連日選挙のチラシばかり。政策中心のチラシであればまだしも、中身は相手への誹謗中傷ばかりが目立ち、本当にがっかりです。今回の沖縄知事選の争点は、沖縄の宝の海を埋め立ててまで軍事基地をつくるべきかどうかであろうと思うのですが、もし基地賛成派の知事が勝ち残るとすれば、世界中から見る沖縄の魅力は半減するに違いありません。

(6)私は気功的人生を生きたいと願って、そんな日々を心掛けております。気功的人生とは、大自然・大宇宙の摂理と共に生きる人生です。従って沖縄の美しい海を埋めて軍事基地をつくる事には大反対です。
 沖縄が未来永久に光り輝く為には、宇宙からいただいている美しい大自然を大切に守り、その魅力を世界に発信する事であろうと私は考えます。世界が目指す21世紀最大の重要点は、まさに¨自然環境の保護¨と心得ねばならないのではないでしょうか。

* 私の太極拳の恩師である楊名時先生は、太極拳思想のど真ん中に『健康・友情・平和』の三字を掲げておられます。今回のアメリカ旅を通して、私は楊名時先生のこの人生哲学に、改めて深い感動を覚えております。感謝&合掌!!。
            (2014・10・30日の記))
写真上:ケンタッキーフライドチキン第一号店
写真中:カーネル・サンダースさんと私
写真下:グレイストーンゴルフクラブ


奥田のコラム(NO213) アメリカ16日間の旅(その二) ( 2014/10/29 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 アメリカ旅の二つ目の目的は、15歳から20歳になるまでの5年間、息子が大変お世話になったアラバマ州、バーミングハム市に住む3人の恩人を訪ね、改めてのお礼と感謝の気持ちを伝える事でした。
 3人の恩人についてはコラムNO211にも書きましたが、あの時から既に20年の時が流れております。お世話になった方々もほぼ私と同じ年代になっていて、思い描いていたような大感激の再会と言う形ではなく、心に沁みる静かな再会でした。

(1)息子のゴルフ人生の大恩人であるHank Jhonson先生は、突然の交通事故で、ご自宅で静養中でした。Hank先生ご夫妻は息子と私達の訪問を大変楽しみにして下さり、食事の予約までして下さっていたのだそうです。とても残念でしたが仕方のない事です。せめてHank先生を囲んでの記念写真をとも思いましたが、車椅子のHank 先生をカメラに収める気持ちにはなれず、玄関先で奥様のシボーさんと一緒の写真を撮らせていただき、Hank先生の一日も早い回復と、心からの感謝をお伝えしてのお別れとなりました。

(2)息子の学校人生の恩人であるBen Clementsさんは、私と同じ年でとても私とは気の合う人でした。Benさんとは毎年のクリスマスカードの交換をしておりましたので、サプライズ再会を確信していたのに、何故かどうしても連絡が取れず、消息が解らないままの旅となってしまいました。残念でなりませんが、せめてもの感謝の気持ちを伝える為に、お世話になった学校(Briawood Christian shool)を訪ね、Benさんと学校に両手を合わせ、お礼と感謝の気持ちに替えさせていただきました。

(3)アラバマ・バーミングハム市に一人で下宿生活をしていた15歳の息子を、ただ沖縄からの留学生と言う事だけで、ご自宅に引き取って下さり、5年近くも生活の面倒を見て下さった沖縄出身のSekiko&Edoさんご夫婦は、私達が沖縄を出発する前から私達の訪問を楽しみにして下さり、ご自宅に泊まって語り合う計画でしたのに、何故かここでもSekiko さんの突然の事故(自宅の庭で転倒)で、その計画も実現する事にはなりませんでした。
 私達は2日に渡ってSekiko さんを訪ね、感激の再会は出来ましたが、そのままお別れするのが残念すぎて、私は¨必ずもう一度来ます¨、との言葉を告げて家を出ました。玄関前でご主人のEdoさんを囲んでの記念写真を撮り、アラバマ、バーミングハムを後にしたのでした。

 バーミングハムから息子の家のあるインディアナ州に戻る為には、アラバマ州―テネシー州―ケンタッキー州―オハイオ州を通過しなければなりません。片道4車線のハイウェーを120キロのスピードで飛ばしても、約10時間のドライブです。
 息子が大事をとってくれて、往復路共に一泊づつのホテル休憩を計画の中に入れてくれたお蔭で、とても楽しいアメリカ南部縦断・4泊5日のドライブとなりました。2台の車の1台の車は息子の運転で、息子夫婦とアメリカ孫2人と私、もう一台は娘の旦那の運転で、娘夫婦と沖縄孫と家内が分乗しました。

* このアラバマの旅では思い出に残る嬉しいハプニングに出会いました。

その@:息子の計らいで、ケンタッキー州にあるあのフライドチキン発祥の第1号店に立ち寄り、本場本家のケンタッキーフライドチキンが食べられた事です。
 考案者のカーネル・サンダースさんは、小さなホテルの経営者だったのだそうですが、お客様へのサービスのつもりでホテルのそばにフライドチキンの小さな店を造ったのがそもそもの始まりだったそうです。その第1号店には、フライドチキンの歴史を示す小さな展示館が併設されておりました。

そのA:ゴルフのHank 先生のお陰で、アラバマ州屈指の名門コースと言われるGreystone Golf Country Clubでゴルフを楽しむことが出来ました。ゴルフ大好き人間の私達にとっては、これ以上の喜びはありません。
プレー同伴者は息子の淳平と、娘夫婦の有香と昭如と、私の4人でした。
             ( 2014・10・28日の記)
写真上:ハンク先生の家の玄関前で
写真中:ブライアウッド・ハイスクールの校門前で
写真下:セキコさんの家の前で


奥田のコラム(NO212) アメリカ16日間の旅(その一) ( 2014/10/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私達老夫婦(私78歳と妻68歳)は、10月2日から17日迄の16日間、アメリカ、インディアナ州に住む末息子の家族を訪ねる旅に出ておりました。今回の旅は、二つの目的を心に秘めての旅でした。

 第一の目的は、NO211のコラムにも書きましたが、15歳で単身アメリカに渡り、既に20年を越えるアメリカ生活を過ごしている末息子の生活振りを再確認しておきたかった事と、アメリカ嫁との間に生まれた二人の孫(6歳と2歳の女の子)に会いたい一心の旅でありました。

 アメリカは国内だけで4時間もの時差がある大国です。息子の住むインディアナ州と日本とでは10時間の時差があり、昼と夜が殆ど真逆の状況下にあるのです。
 沖縄から成田空港経由で目的地のオハイオ州、シンシナティ空港に着くまでには飛行機に乗っている時間だけでも16〜7時間。成田―シカゴ空港での乗り継ぎを含めるとまるまる24時間以上の時間がかかる長旅となるのです。

 目的のシンシナティ―空港に着いたのは夕方の5時頃でした。空港には息子夫婦と二人のアメリカ孫、それに私達夫婦よりも一足先にアメリカ入りをしていた娘夫婦と1歳2か月になる沖縄孫の合計7人が出迎えていて、遥か彼方から私達の姿を見つけて、必死に手を振ってくれている孫達の姿を目にした瞬間には、長旅の疲れも一瞬どこかに吹っ飛んでおりました。家に着いたのはやや暗くなりかけた夕方でしたので、その日は持参したお土産をオープンして、私は早々の眠りにつかせてもらいました。

 翌日の夜はアメリカ嫁のご両親、ご家族、親せき、友人・知人達が大勢集まって下さり、総勢20名位の賑やかな歓迎パーティーを開いてくれたのですが、残念ながら私はパーティーが終わったと言う、夜の10時の2時間前には時差ぼけの疲れに耐えられず、別室のベットの中でダウンしておりました。

 さて、息子夫婦はインディアナ州の静かな郊外に家を構え、夫婦共稼ぎながら6歳と2歳の子供を立派に育てておりました。6歳の小学校と2歳の保育園の両方を見学させてもらう事が出来ましたが、日本では考えられない広い空間で、実に伸び伸びとした教育がなされている風景が目に留まり、一種の感動を覚える程でありました。

 一年生のANIKA(6歳)には、3年前にも沖縄で会っておりましたが、すっかり成長して、おしゃれで、物静かな美人に育っておりました。2番目のMARIKA(2歳)は、可愛い盛りですが、信じられない程の甘えん坊で、一日中マミー、マミーの連発にはいささか手を焼いてしまいました。アメリカの親たちは子供を全く叱らないのには恐れ入りました。私の子育て時代とはまるで違っていて、今更ながら我が身を反省した部分も少なくありませんでした。

 息子夫婦の家は日本ではとても考えられない空間に、広い庭と20人位の訪問者にも十分対応できる広い空間の部屋があり、どうやらこれがアメリカの平均的な家の大きさの様です。
 2週間のアメリカ生活で一番驚いたことは、アメリカ生活には¨もったいない¨という文化は存在しないのかも知れないと言う事です。食事は殆どチン・チン生活(レンジかオーブン料理)で、料理に使うスプーン、フオーク、ナイフやお皿、カップ類は全て一回限りの使い捨て、料理も残ったものは殆どそのまま、まとめて袋の中に捨てられてしまうのです。(この時は特別人数が多かったと言う事もあって、食器洗いの手間を省いたのかも知れません)。

 息子の家の中に、2〜3のまさかの嬉しい発見もありました。
* 玄関を入ってすぐの床下に、何故か私が昔生んでいた家の表札がシーサーの焼き物と一対になってそれとなく置かれてありました。表札の字は間違いなく私が書いたものです。シーサーは息子が小学生の頃、夏休みの工作で作った作品です。この二つの物が、いつ、どうしてその場所に運ばれてそこにあるのか、そのいきさつを私は知りませんでした。

* 息子が単身留学した時、息子への守り神のつもりで息子に渡した二つの書がリビングに飾られておりました。
 一つは私が敬愛してやまない、当時は新進気鋭の書家であられた石飛博光さんに書いてもらった『夢を拓く』という書の額。そしてもう一つは、15歳の息子をいよいよアメリカに一人残してアメリカを離れるとき、万感胸に迫る思いで一枚の便箋に書き残しておいた¨淳平君に贈る言葉¨という私の言葉です。便箋に書かれていた文章は次の様なものでした。『若者は大志を抱き、夢に向かって挑戦しよう。己を信じ、未来を信じ、強く、楽しく、美しく、我が道を行け堂々と』。書いた日付は1993年8月16日となっておりました。
                                        (2014・10・26日の記)

写真上:アメリカ孫と沖縄孫のショット
写真中:アメリカ家族と沖縄家族の大集合
写真下:リビングに飾られている記念の書

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