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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO198) ソチ五輪2014年にありがとう (その一) ( 2014/02/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2014年2月の私は、ソチ五輪のテレビ放映に明け暮れた一か月でした。
最も懸念されていた大会期間中のテロによる五輪攻撃も未然に終わり、本当に良かったと思っているのです。
 いかなる時代にあっても、オリンピックは世界平和の象徴であって欲しいと願うばかりか、世界の若者たちが集うスポーツの祭典こそは、世界の平和と友情の輪を拡げる原動力であってもらいたいと念ずるばかりです。

 ソチ五輪に係ったすべての全ての関係者と、それぞれの試合に死闘を尽くして感動を与えてくれた選手の皆さんには、国籍を越えての感動の有難うを伝えたい気持ちで一杯です。
 ソチ五輪の開会式も心に残るものでした。開会式を通して、殆ど知らなかったロシアの歴史と文化を、おおまかながらも知ることが出来て、ロシアを身近に思えるようになれた事は大きな収穫でした。

 ソチ五輪に参加した国は冬季五輪史上最多の85か国(知らない名前の国も沢山ありましたが)で、地域や個人の資格も含めると2870人の人達が参加し、ソチ五輪から新採用となった、スキージャンプなど7種目を合わせると、何と98種類もの競技が行われたのだそうです。
 日本からは海外冬季大会最多の248人(選手113人)が参加し、旗手を務めたのはカーリングの小笠原歩選手(北海道銀行)でした。

 ・ ソチ五輪が開幕して早々に飛び込んできたビッグニュースは、初めて見るスノーボード男子ハーフパイプで銀と銅メダルを獲得した若干15歳の平野歩夢選手と18歳の平岡卓選手でした。世界の強豪に堂々と立ち向かい、まさかの結果を勝取った日本の若者の快挙にはドギモを抜かれる思いがありました。

 ・ 残念だったのは、金メダル最有力視されていたスキージャンプの高梨沙羅選手(17歳)でした。彼女には底知れぬ無限の可能性が秘められていると、誰もが認めるところです。次回の韓国平昌(ピョンチャン)では必ずや世界の頂点に立ってくれるに違いありません。

 ・ 41歳ながら7回もの連続冬季五輪に出場し、今回ついに個人、団体共に銀、銅のメダルに輝いた葛西紀明選手の偉業には讃える言葉が見つからない程の凄さを感じました。

 ・ 4回連続の出場で全力を出し切って4位入賞された女子ゴーグルの上村愛子選手のすがすがしい笑顔と涙には爽やかな感動がありました。

 ・ その他の日本選手のメダリストは、男子フィギアーで、一躍世界のトップに立った金メダルの羽生結弦選手(19歳)、銀メダルの渡部暁斗選手(ノルディックスキー複合個人)、スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香選手、銅メダルの小野塚綾那選手(女子ハーフパイプ)と男子ジャンプ団体の清水礼留飛選手、竹内択選手、伊東大貴選手です。これらの選手には最大の感謝と、最大の拍手と、最大の有難うを申し伝えたいのです。             
                     (2014・2.24日の記)
写真上:ソチ五輪の開会式
写真中:ソチ五輪の聖火点灯
写真下:ソチ五輪日本選手メダリスト達


奥田のコラム(NO197) 名古屋訪問3度目の旅(その二) ( 2014/01/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 旅と言うものは思いがけない事が起こるものです。思いがけない事が起こる所に旅の魅力があるのかも知れません。今回の名古屋の旅でもいくつかの思いがけないハプニングがありました。

(その一) 今回の名古屋ではFM愛知の『SMILE・CAFE』と言う番組からお声を掛けていただく事となりました。この番組は、とあるカフェでコーヒーを飲みながら¨美と健康¨についていろいろな分野の方々からお話を聞くと言うのがテーマのようです。

 私は今回自分が関わっている「21世紀養生塾沖縄」と、気功・太極拳倶楽部「天遊会」についての事を話すつもりで参加したのです。それはそれなりにお話が出来たと思っているのですが、インタビューをされた柿元恵美さんと言う女性の実に巧みな誘導質問にすっかり我を忘れ、気功・太極拳の枠をはみだし、若かりし頃の激しいアップダウン人生やら、夢中になって取り組まねばならなくなったマラソン人生の事やら、もしかして家内とのなれそめにまで口をすべらしたかも知れないのです。結局のところ何をどうしゃべったのか殆ど覚えていないのです。

 2週間分の録音と言う事で、一時間位のおしゃべりになりましたが、一つだけはっきり覚えている事は、極度の緊張のせいか、あるいはあまりに喋りすぎたせいか、後半はすっかり声がかすれ声になり、激しい咳き込みもあって、きっと聞いて下さる人に不快な思いをさせる事になるのでは・・・と大変気になるところです。ディレクターさんの巧みな編集に期待する他はありません。

(その二) 名古屋での2回目の気功・太極拳教室が終わった後の親睦会はすっかり盛り上がりました。そんな時、教室に参加されていたご夫妻が私の前の席に来て下さり、『太極拳の音楽がスーザン・オズボーンさんの¨浜辺の歌¨であった事に感動しました』と言って下さったのです。何故ならこのご夫妻は、昨年オズボーンさんが名古屋公演に来られた時、そのお手伝いをされた方だったのです。

 太極拳は本来、自然の音(風の音・雨の音・小鳥の鳴き声等)で演ずるものとされていますが、私は地球交響曲(ガイヤ・シンフォニー)と言う映画の中で、オズボーンさんの歌う¨浜辺の歌¨を耳にしたその瞬間から、私の太極拳の中心にこの歌が息づいているのです。
 名古屋でのこの出来事を機に、もしかしてオズボーンさんに私の浜辺の歌による太極拳映像(DVD)を届けられないものかと思い立ち、そのご夫婦に相談してみたところ『それは可能な事です』!!との返事が返ってきたのです。その時から私の心はまるで夢のような空想の世界を彷徨っているのです。一体どうなる事か、私は神様のご指示に従う他はないと思っております。

(その三) 親睦会は「琉球王国」と言う沖縄料理の店でした。
このお店を経営されておられるご夫婦は沖縄出身ではないのに、沖縄、ことに石垣島にぞっこん惚れ込み、とうとう沖縄料理のお店を始められたのだそうです。
沖縄の出身者ではない私達夫婦は沖縄に住みついて42年の年月が経ちました。人にはそれぞれにまさかの人生があるのだと思いました。

(その四) 名古屋最後の日の夜、お伊勢参りからホテルに到着したのは夜の9時30頃でした。もう一軒、名古屋名物¨山ちゃん¨の店で一杯やりませんかとのお誘いを受け、私は朝からの運転をかってくれた大城さんご夫婦に、これ以上のご迷惑をおかけしては・・・と思いお断りをしたのですが、お酒好きの家内はこのお誘いに前向きでした。
私も1時間だけ・・・と言う事で同伴させてもらったのですが、その席の隣に座った3人組(男性一人、女性二人)といつの間にか意気投合する事となりました。

 この3人組は滋賀県の住人で、この店は初めてと言うのです。私達が沖縄から来ている事の珍しさもあったのかも知れませんが、「次回は必ず名古屋での気功・太極拳教室に参加したい」。そして「沖縄にも必ず行く」と言って下さったのです。酒の席の事なのでどうなる事か解りませんが、家内とメール交換をしておりましたので、もしかしてこの出会いはまた再会の日を迎える事になるかも知れません。
私は夏になったら、沖縄から美味しいマンゴーを送る事を約束として伝えました。

 人のご縁と言うのは本当に不思議なものだと思いました。ご縁と言うものは神様のなせる業ではないかとも思いました。ご縁をどう生かすかがその人の運命に繋がっていくのかも知れません。名古屋の3度目の旅に感謝です。名古屋で出会った皆さんに感謝です。本当に有難うございました。
                (2014・1・31日の記)
写真上:FM愛知のスタッフの皆さんと
写真中:懇親会で知り合ったオズボーンさんの友人ご夫妻
写真下:山ちゃんで知り合った滋賀県からの3人組


奥田のコラム(NO196)名古屋訪問3度目の旅(その一) ( 2014/01/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2014年1月24日〜27日まで、私達は3度目となる名古屋の旅を終えて無事に帰ってきました。
この旅の主なる目的は、名古屋に私の目指している養生気功・太極拳のファンがいて下さり、その方々に私流の指導をさせていただく事でありました。限られた時間ですので、とても充分とはいきませんが、自分なりのベストを尽くして少しでも名古屋の同好の志が増える事を願っての旅となりました。

 名古屋の旅は気功・太極拳の他に、主催者の大城孝志・奈緒美さんご夫婦が私達の身に余る程の楽しさを計画して下さっているのです。
第1回目は、私が栗の大好き人間である事を覚えて下さっていて、日本一の栗の名産地と言われる岐阜県中津川に連れて行ってくださいました。中津川は甲州街道の古い街並みがまだ残っていて、まさに日本の故郷を思わせる感動の旅でした。(コラムNO126、NO127に記載)

 第2回目は、これも大城さんご夫婦のご厚意で、岐阜県郡上八幡を経て白川郷と飛騨高山、更には富山県の氷見港にまで足を延ばす大移動の旅となりました。その旅の様子についてはコラムNO163に長々と記載させていただいております。

 3回目となる今回の旅は、日本3大名泉の一つと言われる下呂温泉につかり、加えて、日本のおもてなしの粋とも思える郷土料理店¨志むら¨で感激の御馳走をいただきました。¨志むら¨さんは親子3人で、一日5組のお客様しかとらないお店なのだそうです。

 更には、名古屋から車で往復5〜6時間かけて、伊勢神宮を参拝させていただく好運にも恵まれました。伊勢神宮は、今年は20年ごとにご神体移動がなされる移動年と言う事もあってか、参拝にむかう1Kぐらいの参道は溢れるばかりの人達で埋め尽くされ、両サイドに並ぶお土産品を見て歩く余裕はどこにもありませんでした。この日の気温は5度以下、時々小雪が舞う寒さというのに、日本人の神道崇拝の凄さには改めて感心させられるものがありました。

 私は伊勢神宮の参道を歩いているうちに、ふと遠い昔の事を思い出しておりました。それは私がまだ小学生ぐらいの時(今から60〜70年も前の事ですが)、母の口から¨お伊勢参り¨と言う言葉を何回も聞いた記憶が蘇って来たのです。その頃は¨お伊勢参り¨が何の事だか知る由もなかったのですが、もしかしてそれは、まさに今日自分が参拝しようとしているこの事かも知れないと、60〜70年前の母との風景が思い出されて感無量なるものがありました。私は母に成り代わって神殿に手を合さないではいられませんでした。

 人・人・人の中で突然あの有名な¨赤福¨発祥の店に目が留まりました。何が何でもこの店で¨赤福¨を手に入れねばならないと思っていたら、家内が店頭に並び、やっとの思いで一箱の赤福を手に入れる事が出来ました。
その時の¨赤福¨は2〜3日が過ぎましたが、まだ2〜3個が母の写真の前に置かれております。
私は何だか少し母親孝行が出来たような気がして密かに一人で喜んでいるのです。                                                               (2014・1・30日の記)

写真上:水面に映る名古屋城
写真中:伊勢神宮本殿前にて
写真下:伊勢神宮赤福発祥の店


奥田のコラム(NO195) 2014年初頭に思う事 ( 2014/01/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

  2014年、私の住む沖縄は、世界一危険と言われ続けてきた普天間飛行場の県外移設を掲げて当選した筈の仲井間知事が、昨年暮れの阿部総理との間で、急遽その移転先を、72%の県民が反対している名護市辺野古の海に移転させることに同意し捺印したことで、沖縄県民はかつてない程の大きなショックと哀しみと怒りの中で、新年を迎えねばなりませんでした。
 沖縄本島北部に位置する辺野古の海は、沖縄でも最も自然が残された美しい海の一つで、天然記念物のジュゴンの住む海でもあるのです。

 新聞報道によれば、沖縄県民の72%が反対しているのに、他府県の間では約半数の人達がこの決定に同意しているのだそうですから、沖縄県民としては、ヤマトンチュー(本土の人)の良識を疑わないではいられない思いに苦慮しているのです。
 とはいえ、仲井間沖縄県知事は、沖縄県に軍事基地をつくらせ、日本国を守る最先峰に立つことを条件に、多額の国家予算(10年間、毎年3000億)を獲得したのだそうですから、県外人の判断は無理のない事かも知れません。

 しかし、断じて言っておかねばならない事は、多額のお金と引き換えに軍事基地を新設させようとしているのは、仲井間知事と知事を取り巻く一部の利権者であって、大多数の良識ある沖縄県民は、天からいただいた沖縄の自然を破壊し、2度と再びこの沖縄を戦場にしようなどとは思っていない事を全世界の人達に解って欲しいと願っているのです。

 沖縄県民は、仲井間知事が記者会見で公言した以下の言葉に、心の底から湧きあがる怒りを覚えているのです。

* 私(知事)は、阿部総理から驚くべき立派な内容のご提案をいただき、140万人の県民を代表して感謝を申し上げます。

* 阿部総理から、5年以内に普天間飛行場を閉鎖し、オスプレーは出来る限り他府県に分散させるべく最善を尽くすと約束してもらえ、これでいいお正月が迎えられます。

* 私(知事)はこれまでもずっと普天間の県外移設を提案してきたけれど、かといって辺野古移転にもNO!と言った事も一度もありませんよ。私は嘘はついてはおりません。

 これらの知事の発言に沖縄県民の反応は¨言語道断!、¨気が狂っているとしか思えない¨、¨詭弁も甚だしい¨との猛反発が噴出しているのです。

  ―・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
 私の頭には今『捨てる神あれば拾う神あり』と言う言葉が浮かんでおります。
日本政府と仲井間知事が、普天間飛行場の辺野古移転を決めた直後の1月8日、思いがけない記事が新聞の一面に大々的に報道されたのです。
それは日本人ではなく、世界を代表する識者29名による¨辺野古移転中止¨の呼びかけでした。

 声明文:『沖縄への新たな基地建設に反対し、平和と尊厳、人権、環境保護の為に戦う沖縄県民を支持する。名護市辺野古飛行場への普天間飛行場の移設中止と、同飛行場の即時返還を明記する』。

 この声明文には、アカデミー賞受賞の映画監督オリバー・ストーンさん、ピュリツアー賞を受賞した歴史学者ジョン・ダワーさん、著名な言語学者ノーム・チョムスキーさんら29名を連ねております。

 世界には他国をも思い、地球規模で世界の平和を考え、行動に移して下さる¨志¨の高い人達も沢山いて下さる事を知り、私は感謝と感動で胸が震える思いです。沖縄県民も大きな大きな勇気をいただく事が出来ました。

 戦争で世界が平和になる事などあり得ないのです。自然を破壊して人類の幸せが守れる事などあり得ないのです。21世紀は戦争のない世紀、自然破壊の無い世紀にしなければならないのではないでしょうか。
             
             ( 2014・1・11の記 )

写真上:映画監督オリバー・ストーン氏
写真中:歴史学者ジョン・ダワー氏
写真下:言語学者ノーム・チョムスキー氏
(写真抜粋:琉球新報社)


奥田のコラム(NO194) 帯津良一健康講演会「健康長寿と攻めの養生」(その二) ( 2013/12/29 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

  <帯津先生のときめき3題>

その一: 東京市ヶ谷にある駿台予備校は、医者を目指す若者たちが集う予備校です。私(帯津先生)はこの学校で19年連続の講義をやり、いよいよ20回目を盛大にやろうと期待していたら、突然20回目が中止になったのです。後で解ったのですが、この中止はある国立大学から、私のホメオパシー医療へのパッシングだったのです。
 しかしある出版社が、19年間の講義集を出版してくれる事になった事、そしてある人の英断で、この講義を復活する事になり、今年10月に記念すべき20回目の講義を済ませる事が出来ました。感無量です。この講義はこれからまた続く事になるそうです。

その二: 今から2年前に東北大医学部から、2年後の記念講演を頼まれておりました。この話は途中で消えるものと思っていたのに、何と今年それが現実のものとなったのですから嬉しいのです。
 東北大医学部と言えば、第一級の権威ある学部です。私がこの時に選んだ講演題目は『最後の晩餐と人間の尊厳』でした。殆ど医療とは無縁のような話だった筈なのに、高い評価をいただく事になり、東北大医学部はやはり第一級の学部だと密かに胸をなでおろしたのでした。
 東北大医学部では心臓の手術をするのに、心臓に音楽を聞かせるのだそうです。私はすっかり東北大医学部の大ファンになってしまいました。

その三: 白隠禅師を祀るお寺として有名な白隠寺から講演の依頼がありました。そのこと自体が嬉しいのに、加えて富士市にあって、やがて40年ぐらい前から立ち寄っていた居酒屋が、日曜日は休みの筈なのに、私の為にわざわざ店を開けて下さったのには感激でした。友人、知人に呼びかけ、6人で至福のひと時を過ごす幸運に恵まれました。

       <帯津先生の最後の晩餐>

 私(帯津先生)の一日は夜9時にベットに入り、朝は2時に目を覚まし、3時半には病院に入ります。病院では朝の早い時間に亡なる人が多く、死はいつも身近にあるのです。私は出来る限り亡くなる人に付き添ってあげたいと思う様になっております。
 そんな思いにさせてくれる様になったのは、写真家の青木新門さん(映画おくり人の原作者)です。青木さんはご自分の本の中で『死の恐怖におののいている人を癒せるのは、その人よりも一歩でも死に近い所に居る事です』と書いておられるのです。

 私は病院で亡くなる人達を見送る生活が続いているうちに、人間は毎日が¨最後の日¨かも知れないと思う様になりました。そして夕食は毎日が¨最後の晩餐¨と思うようにもなりました。以下は私の最後の晩餐風景です。

・ 病院の仕事を6時半に終えると、私は一目散に病院の食堂に駆け込みます。30年来私の食事をセットしてくれる人がいて、私はその時間から最後の晩餐に集中するのです。最後の晩餐には必ず湯どうふがセットされています。湯どうふ以外のものは季節によって変化しますが、湯どうふだけは不動です。ビールとウイスキーも欠かすことは絶対にありません。

<私(帯津先生)の食の養生・気の養生・心の養生>

・ 私の食養生について: 食に対する自分の意念を決めていて、他人の言う事にはとらわれないで、なるだけ心ときめく物を食べるようにしています。ときめく物であれば少々の毒であっても良薬に変身するので気にする事はありません。
 私のときめく食べ物は@湯どうふ、Aうな重(時にはかつ丼でも良い)、B時々のステーキ(ステーキは東京と長野の店以外では食べません)、C何といってもお酒です。(酒は百薬の長にして天からの授かりもの、そして私には養生食の極みでもあるのです。)

・ 私の気の養生と太極拳: 気功との御縁は1980年に中国の病院を訪ねた時からです。中国ではガンの治療に針麻酔をしてから手術をするのが常です。そして、その手術の前に3週間の気功法をさせるのです。私は早くから調和道呼吸法に接していたので、その気功が呼吸法である事にすぐ気付きました。
 その時から32年間、自分の病院に気功道場をつくり、今では病院を支える大黒柱の一つになっております。気功は自然治癒力を高めるのに効果があります。私は太極拳気功を楊名時先生に学び、以来太極拳気功にとりつかれています。
 毎朝5時半には病院の気功道場に入り、一人で無心に太極拳を舞っております。太極拳は武術から生まれたものですが、相手が人間ではなく大自然、虚空だと思えば、大自然、虚空と一体になれる喜びに浸る事が出来るのです。私の描く虚空は、モンゴルの大草原と天空に拡がるぬけるような青空です。

・ 私の心の養生について: 私の心の養生はずばり心のときめきであり、青雲の志です。人間死ぬまで青雲の志を生き続け、死ぬ瞬間に生命のエネルギーを最高に高めて虚空の世界に飛び込む人生を私は理想の人生と考えております。

* 第二部では帯津先生指導による新呼吸法『時空』の実技と、てぃるる教室卒業生による太極拳演舞がありました。

* この日の夜は場所を変えて、帯津先生を囲む懇親会があり、31人の出席者と共に楽しい感謝と歓喜のひと時を過ごす事が出来ました。合掌です。

               (2013・12・29日の記)
写真上:帯津先生「時空」実演
写真中:「時空」実演風景
写真下:太極拳演舞

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