| 奥田のコラム(NO188) アンパンマン先生(やなせたかしさん)・94歳の訃報 | ( 2013/10/18 ) | | 2013年10月16日の新聞で、やなせたかしさんが10月13日に亡くなられた事を知りました。やなせたかしさんは誰もが知るアンパンマン漫画の生みの親です。 私はアンパンマン漫画の事はそれ程詳しくはないのですが、柳瀬さんが郷土(高知県)の大先輩であるのと、彼の生きざまを知るようになってから、強くこの人物に惹かれ、関心を持ち、密かに彼の健康長寿を願いつつ、私自身も彼から多くの健康人生の学びをいただいておりました。
やなせたかしさんの事はコラム(NO177)にも書かせていただいておりますが、彼が、アンパンマン漫画を世に出された一番のきっかけとなったのは、貧しい幼少の頃、一人のおじさんからもらったアンパンの美味しさと、その時の喜びの感動が原点にあるのだそうです。
アンパンマン漫画が世に出て、一世を風靡するようになったのは、やなせさんが70歳になった頃からだそうです。しかしその頃のやなせさんは、病気の百貨店と言われる程の病気を患い、更には頼みの綱であった奥様に先立たれ、それでもアンパンマン漫画を絶やしてはならないとの一心から、一大決意をして健康人生に立ち向かっておられたのだそうです。やなせさんにとって94歳の人生は、完全燃焼、100%納得の人生であったに違いありません。
*10月17日の琉球新報「金口木舌」に、私の知らなかったやなせたかしさんの深遠人生の一端が記されておりますので、今日のコラムに紹介させていただき、併せてやなせたかしさんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (2013・10・18の記)
「金口木舌」 2013年10月17日 琉球新報
弟は、赤ちゃんから7歳ぐらいまで真ん丸な顔をしていた。どこかアンパンマンに似ているー とやなせたかしさんは書いた。2歳下の弟、千尋さんは21歳で、人間魚雷と言われた海軍特攻隊特殊潜航艇「回天」でフィリピン沖に沈んだ。
◆ 七つぼたんは桜にイカリと歌われ、もてはやされたが、千尋さんは兄には吐き捨てるようにいったそうだ。「短剣吊った猿芝居」だと。やなせさん自身も招集されて中国大陸で飢えに苦しんだ。
◆ おなかがすいた子には自分の顔をちぎって食べさせる。ばいきんまんには得意のアンパンチを食らわせるが、致命的な痛めつけ方はしない。弱きを助ける優しい自己犠牲のヒーローだ。
◆ 「声高に語る正義はうそくさい」「聖戦と思っていたら実は違った。ひもじい人を助けるのがどこへ行っても正義の味方」。アンパンマンはやなせさんの平和への願いから生まれた。
◆ やなせさんの夢にたびたび出てきた弟は、南の孤島のジャングルで20人の子を持つ王様になっている。日本に帰ろうと促すと「兄ちゃん。僕はここがいい。ここは自然に生きていられる。短剣吊った猿芝居をしなくていい」と言う。
◆ 震災の地でもアンパンマンの絵本と歌は子供たちを勇気づけた。今頃アニメのモデルとなった千尋さんと語り合っていよう。勇ましい言葉の陰で寛容さを失ったこの世に眉をひそめながら。
写真上・下:琉球新報社の記事より | | |