| 奥田のコラム(NO121) 地球一周40,000キロ、ゴールインの記(その三) | ( 2011/08/21 ) | | 前回のコラム(NO120)に書きましたように、私のマラソン人生は、1996年がピークでした。マラソンを開始した1998年(52歳)から8年間の間に20,000キロもの距離を走っていたのですから、我ながら良く頑張ったものだと感心するのです。その後は次第に走り歩きに変わっていかざるを得ない体力となり、後半の20,000キロに要した時間は15年もかかってしまったのですから、体力の配分に気付かなかった自分の未熟さにいささか悔しさが残ります。 何はともあれ、アトランタオリンピックの聖火ランナー応募で誓った地球一周40,000キロにはかろうじて到着し、約束を守れたのですから神様はきっと大目に見て、認証してくださっているに違いありません。人生の一つの区切りが出来て、今は何かしらホットするものがあるのです。
さて、自分の体験からですが、人間何かの極致に達した時には、どうやら歌がうまれるものかも知れません。1996年の3っの大事を体験した私にも、それぞれの時に、それぞれの歌が誕生していたのです。 一つめの歌はさくらの咲く頃に、二つ目の歌はボストンマラソンのある4月の頃に、そして三つ目の歌は4年に1度巡ってくるオリンピックの時に、それらの歌が甦ってきて心の中で口ずさむ私がいるのですから、どうやらこの現象は一生ものかも知れません。 今回はその3っの歌の歌詞を記して、「地球一周40,000キロ、ゴールインの記」のコラムを終わりにしたいと思います。 (2011.8.20の記)
その一 : 日本列島さくら駅伝3000キロ
1)野を越えて山を越え 町を駆け村越えて 走り続けた夢の道 走り続けた友情(とも)の道 ああ・・・日本列島3000キロ ああ・・・日本列島さくら駅伝は 夢と 希望と 友情(とも)の道 2)雨の日も風の日も 雪の日もひたすらに 走り続けた祈り道 走り続けた感謝道 ああ・・・日本列島3000キロ ああ・・・日本列島さくら駅伝は 汗と 祈りと 感謝道
ああ・・・日本列島さくら駅伝に さくら吹雪の花が舞い 舞い散る花は雪桜
その二 : ボストンマラソン
1)ホプキントンの丘に立ち めざすはボストンあの丘だ 心臓破りの丘の上 息子が私を待っている 妻と2人で待っている 2)心臓破りの丘までは 35キロのはるか道 息子と交わした約束の 時間は3時30分 時間に遅れてなるものか 3)約束時間が過ぎたなら 息子はその場を去るのです バーミン行きの飛行機に 乗らねば明日の学校に 間に合う事ができません 4)歯をくいしばりくいしばり 必死で走ったボストンの 心臓破りの丘の道 やっとの思いで辿り着く ついた時間は3時半 5)ああ嬉しやと立ち止まり 息子の姿を探します いくらさがせど見えません 息子の姿が見えません 妻の姿がただ一人 6)聞けば息子は5分前 心を残して去りました あまりの人の混雑に 大事をとって去りました。 涙を呑んで去りました 7)思わずその場にうづくまり もう立つことも出来ません 妻が私に言う事に 息子の心はボストンの ゴールで私を待つのです 8)妻の言葉に励まされ 気を取り直して立ち上がる 足を引きずり顔ゆがめ 走り歩きの我慢道 息子の姿が 目に浮かぶ 9)足が折れても行くのです 心臓止まろが行くのです 目指すはボストンあのゴール 夢にまで見たあのゴール 何が何でも行くのです 10)はるか彼方に見えてきた 遂にゴールが見えてきた ボストンゴールが見えてきた 夢のゴールはもうすぐだ 夢のゴールは目の前だ 11)遂にやったぜゴールイン ボストンマラソンゴールイン 憧れ続けたボストンの マラソン遂にゴールイン 生涯一度のゴールイン 12)ゴールのはるかその先に 私を待ってる人がいる 妻と息子の面影が 笑顔で私を待っていた にっこり笑って立っていた 13)ああボストンよ有難う ああマラソンよ有難う 妻よ息子よ有難う 生まれて生きて60年 生まれて生きて60年
その三 : アトランタオリンピックW聖火の道W
1)聖火の道は赤く燃え 心震えた神の道 聖火の道は優しくて 涙溢れた愛の道 アトランタ アトランタ アトランタ 心震えた神の道 涙溢れた愛の道
2)聖火の道は輝いて 夢と希望に光る道 聖火の道は平和へと 世界を一つに結ぶ道 アトランタ アトランタ アトランタ 夢と希望に光る道 世界を一つに結ぶ道
写真上:さくら駅伝の応援に駆けつけてくれた長男と次男 写真中:ボストンマラソンの応援に来てくれた末息子 写真下:聖火ランナーの応援に来てくれた家内と妹 | | |