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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO103)W新しい門出をする者には新しい道が開けるW   ( 2010/12/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

   <沖縄・5回目の転居と小さなときめきの時>

 今回のタイトルW新しい門出をする者には新しい道が開けるWという言葉は、私の大好きな書家にして詩人の相田みつをさんの言葉です。

 ご縁をいただいて、どうやら永住の地になりそうな私の沖縄人生は、来年で40年にもなるそうです。この間、自分の都合で住所を替えたのは4回、それぞれに理由のある転居でしたが、今回は都市計画による突然の転居です。しかもあわただしい年の瀬の移転となり、いささかまいっているのですが、実は、私の心の片隅には、出来るものならもう一度、まるまる裸になって人生のやり直しをしてみたいという願望が
渦巻いていたのです。
 今回の都市計画による移転は、もしかして神様が私の願いを叶えて下さろうとしている千載一遇のチャンスかも知れないと思い、私達夫婦は老体に鞭打ちながらも、何かしらときめきの中で、今回の5回目の引越しに嬉々として励んでいる真っ最中です。

 39年間の沖縄人生を振り返ってみれば、まさに悲喜こもごも。全てを忘れてしまいたい気持ちと、決して忘れてはな
らない数々の反省と感謝と学びの気持ちが半分半分です。この際、39年の人生を大まかに振り返りながら、新しき人生の糧にしようと思い立った次第です。

    <39年の思い出と新しい人生の門出>

その1:私が沖縄の地に最初の一歩を踏み入れたのは36歳の時でした。結婚して長男が生まれた直後の事で、単身の来沖でした。目的は1975年の沖縄海洋博覧会に自分の人生をかけてみたかったのでした(コラムNO87に記載)。半年後には家族も来てくれましたが、私達には西も東もまるでわからない手探りの沖縄生活でした。この間に3人の子供も生まれ、仕事と子育てに明け暮れた無我夢中の10年余りでした。その頃お世話になった沖縄の恩人達のことが思い出されます。私達が、やがて40年もこの沖縄の地に住まわせていただけた原点は、その方々との深いご縁と、ご親切によるものと手を合わせるのです。今は亡き人となった方々が多いのですが、生涯忘れられない人達ばかりです。

その2:仕事も軌道に乗り、子供たちも成長してくれて、4人の子供たちの学校の事を最重要点に考え、次なる住まいを那覇市の下町から首里城のある首里金城町に移しました。この首里金城町の家は、私が自分の名義で建てることの出来た唯一の家でした。当時は仕事の勢いもあってのことか、今から思えば、この家はあまりに無謀とも思える程の大きさでした(敷地300坪・建坪面積、のべ350坪の3階建て)。那覇市と慶良間諸島の海が一望できる立地にあって、ここで人生の全てを終えても充分すぎると思えた程の満足度でありましたが、その生活は20年あまりの現実でしかありませんでした。

その3:私の人生は、実はこれから後が本当のスタートだったのです。
 世の中はバブルの崩壊に突進しておりました。私の勉強不足のせいもあって、気がついてみたら私達もその真っ只中に置かれていたのです。急転直下の苦渋をなめる長〜い人生の道のりが続く事となりました。
 この時期、私は何故か、まるで無縁のものと思っていたマラソンの世界にのめりこんでいて、3万キロあまりの距離を走り続けておりました。この間、アトランタオリンピックの聖火ランナーに選ばれるという、まさかのハプニングにも恵まれましたが(コラムNO36、37に掲載)、その時期の苦しみをマラソンに分散していたのかも知れません。今から思えばこの時期の苦難の人生が、その後の私の人生に大きな気付きをさせてくれたと思えております。

その4:上記のような理由から、住まいを首里の大き過ぎた家(周りの人は首里御殿と呼んでいたらしいのです)から、家内の友人の紹介で、豊見城村(現在は豊見城市に昇格)に転居しました。住まいの大きさは首里御殿の十分の一以下となりましたが、人生の思いの大きさは住まいの大きさとは無縁のものである事を知ることが出来ました。この時期、私は思いもかけない人生の大転機に目覚める事になったのです。

 身の回りの親しい友人、知人の死や、自分の身体の変化から、人生で一番大事なことは健康人生にあると気付き、暗中模索を続けているうちに、奇跡と思える二人の恩師との出会いに導かれていったのです。そのお一人はホリスティック医学を提唱されておられる帯津良一先生、そしてもうお一人は日本における太極拳の父と呼ばれる(故)楊名時先生です。(このお二人との出会いについてはコラムNO1〜7に詳しく記してあります)
 このお二人との出会いから、私の人生は、まるで180度の方向転換をする事となりました。この時期から私の人生は健康が人生の最大のテーマとなり、気付いてみれば私の身の回りは健康人生という一点でご縁を深くする大勢の仲間たちに囲まれているのです。今の私にこれ以上の喜びと感謝の人生があるとは思われません。 39年、悲喜こもごもの人生から学んだ私のこれからの人生の心得はどうやら以下の3点
におさまるような気がいたします。
 @ 私の人生は、質素にして、そよ風の如くさわやかな人生でありたい。
 A 私の人生は、謙虚にして天地に恥じない人生でありたい。   
 B 私の人生は、生涯を通して、今日よりも一歩前進の人生であり続けたい。

その5:さて、いよいよ新しい人生の門出となる5回目の住まいは、マラソン時代の友人の紹介で同じ豊見城市内の新築のマンションの一室に決まりました。マンションの生活は沖縄では初めての事で、何かしらときめくものがあるのです。2LDKの小さな部屋ですが、小さいながらもシンプルライフを目指す今の私達にとっては、充分すぎる程に有難いときめきの空間です。
 私はこの部屋に付随している小さなベランダの空間がとても気に入っていて、この空間に、安らぎと癒しと養生のエネルギーが生まれてきそうな気がするのです。
 2011年から私達夫婦の新しい人生が始まります。W新しい門出をする者には新しい道が開けるW。私はこの言葉を確信しています。美味しいコーヒーと美味しいケーキ(?)を用意して、友人・知人のご来訪をお待ちしたいものです。       (2010・12・24の記

写真:相田みつをさんの言葉より


奥田のコラム(NO102) <攻めの養生12ヶ条>その二 ( 2010/12/02 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

第七条:他人の旅情とかなしみを敬う
 日本人の精神の源に流れているのはWかなしみWなのかも知れません。日本を代表する哲学者、西田幾太郎(1870〜1945)、詩人の西脇順三郎(1894〜1982)も、日本文化の源流には深い人生の悲哀があると申しています。江戸時代の儒学者、佐藤一斉は「養生の訣は、一箇の敬に帰る」と言っております。かなしみの相手を敬い、思いやるという事でしょう。かなしみを敬い、思いやる事によって、相手の生命場のエネルギーを向上させれば、共有する場を介して自らのエネルギーも向上してくるのです。かなしみを敬う事は、まさに立派な養生と言えるのです。

第八条:こころのときめき 〜生命を躍動させる〜
 がん患者の自然治癒力を上げるには、心のときめきが一番大きいと思えるようになりました。ときめきは人それぞれに違いますが、何でもいいのです。お酒の好きな人はお酒にときめき、大好きな食べ物があればその食にときめき、好きな人がいれば恋心にときめいていればいいのです。恋愛に年齢は関係ありません。ただし、ときめきには素直さと謙虚さが必要です。素直に驚ける心がなければ大きなときめきにはなれません。謙虚さがなければうすっぺらなときめきにしかなりません。

第九条:自然治癒力の高い場所に身を置く
 自然治癒力とは、例えばキズが自然に治ったり、手術をした後、正しいほどこしをしてさえおけば、自然に治ってくる現象です。自然治癒力の存在は解っているのですが、今のところそのメカニズムについては誰にも解っていません。自然治癒力を高めるに当たって大事な事は、気持ちのいい場に身を置く事、そして、気持ちの通じ合う人間関係の中に身を置く事が大事な事と思います。

第十条:早寝・早起きをする
 中国の養生法に必ず出てくるのが、「起居を慎む」という言葉です。具体的には早寝早起きを意味しているのですが、早起きは大自然の摂理に最もかなった姿でしょう。現代の生活ではなかなかそうはいかない場合もあるでしょうが、なるだけそれに近づける生活を心掛ける事が道理でしょう。
 中国の『易経』に、「天行健(すこやか)なり、君子以て自彊(じきょう)して息(や)まず」と在りますが、大いなる自然の流れに身を任せて生きることが人生の一番正しいリズムであろうと思います。

第十一条:折に触れて死を想う
 医療の世界では死については目を背けるのを常としてきました。今でもその傾向は強いのですが、折にふれ死を考え、それなりの覚悟に生きる人ほど充実の人生を送ることが出来るのです。自分のラストシーンを自分で描いておく事が納得の人生になるのではないでしょうか。

第十二条:「青雲の志」を抱いて生きる
 「青雲の志」の本来の意味はW徳を積んで聖なる人になるWということですが、いつの間にか立身出世をする事のように曲げられて捉えられるようになってしまいました。徳を積んで聖なる人になる為には、生涯を通してW志Wを持ち続けることです。私達は宇宙という摂理の中で生を受け、生命エネルギーを高める修行の場として地球上の今を過ごしているのです。いずれは誰もがまた宇宙の旅に戻らねばなりません。その過程で最も必要とされるのがWときめきWです。ときめきこそは現世に於ける最大の養生と言えるのです。                 (2010・11.30の記)


奧田のコラム(NO101) Wときめき養生訓W〜攻めの養生12ヶ条〜 ( 2010/12/02 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 前回のコラム(NO100)では、帯津先生の健康講演会「ときめき養生訓」について、その内容を紹介したのですが、それと同じタイトルの最新書が出版されております。この本の中には〜攻めの養生12ヶ条〜という養生の真髄が記載されておりますので、改めて私なりの紹介をさせていただきます。詳しくは本をご覧になっていただければ幸いです。(エクスナレッジ出版社:ときめき養生訓)
        
       <攻めの養生12ヶ条> その一
第一条:こまめに歩く
 年齢を重ねていけば体が衰えてくるのは自然の成り行きですが、衰えを防ぐ為に一番手軽な方法は歩く事です。歩き方のポイントは自分のペースで、自分に一番適した運動量を歩く事です。毎日必ず決まった距離を歩かねばならないと決め付けるのではなく、通勤、買い物、家事等々、日常生活の中で歩く工夫をして習慣付けることが大事でしょう。

第二条:気功に親しむ
 気功の目的とするところは、自分の生命力や自然治癒力を高めて、健康な体をつくる事にあるのです。気功の要素は @「調身」(意識して姿勢を整える)、A「調息」(呼吸を整える)、B「調心」(調身、調息を通して心を整える)の三要素とされています。気功はスポーツではないので他者との比較、競争するものではありません。気功には様々なスタイルの気功がありますので、自分に一番合ったものを身につけ、それを無理せず、長く続ける事が肝心です。気功を続けていると、とてもいい顔になります。いい顔こそは健身、健体の象徴といえるのです。

第三条:旬の食べ物を楽しむ
 旬の食べ物には大地のエネルギーが含まれています。それをいただく事によって私達は大地のエネルギーを体内に取り入れて、内なるエネルギーを高めるのです。そして天の恵みをいただくという感謝の心が、更なる体内のエネルギーを高める事につながっていくのです。食事は美味しく、楽しく、感謝していただくのが健康への一番の近道です。

第四条:酒は百薬の長
 お酒の飲めない人は別として、お酒の好きな人にとっては、お酒はまさに天与のときめきでしょう。
 しかしお酒を飲みすぎて酒に飲まれてしまってはマイナスの人生になってしまいます。適量をわきまえて、品性を高めるお酒である事が、酒を愛する人の条件でしょう。

第五条:時にあっては旅情に浸る
 私たち人間は虚空からの旅人です。はるかな虚空から、ほんのわずかな数十年の地球人生を過ごして、再びまたその虚空の旅に帰らねばならない、宇宙の摂理の中に生かされているのです。ですから人生は喜びや哀しみや、ときめきや寂しさなどが交じり合っての人生なのです。悲喜こもごもの人生を、日々にときめいて生命のエネルギーを高め続け、その勢いで死後の世界に旅立つのです。死は生命の終わりではなく、虚空への旅の始まりと思えば、人生はそれなりに素晴らしいのです。

第六条:生きる哀しみに思いをやる
 生きとし生けるものはみんな不安に駆られています。人間は旅情という哀しみを抱いて生きているのですから、お互いにその哀しみを敬い合うことが、地に足の着いた本当の喜びに繋がっていくのです。あまりに明るく前向きな人はWウツWになりやすいそうです。哀しみの大地に喜びの種をまいて、その種を育て、花を咲かせるところに人生の本当の喜びはあるのでしょう。


奥田のコラム(NO100) 帯津良一先生健康講演会Wときめき養生訓W ( 2010/11/12 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2010年11月6日(土),帯津良一先生をお招きしての沖縄養生塾健康講演会は、今回で15回目という節目の大会になりました。この講演会に足を運んでくださった方々は、予想していた200名をはるかに越える250名近い盛況振りでした。今回の講演会には行政に携わる方々や、ホテルの関係者、お医者さん、それに大学の先生などのお顔も見られ、何かしら21世紀養生塾のW健康づくりの輪Wが大きく拡がりそうな気配を感じないではいられませんでした。

 帯津先生の講演内容を私なりの理解力でお伝えしようと思います。
 @21世紀の健康づくりは、身体(からだ)から、それらも含めて生命(いのち)を見つめる時代になるでしょう。従って医学(療)も、身体と生命の両方を見る時代に変化していくに違いありません。

 A『養生(ようじょう)』という言葉の意味も、これまでの、身体をいたわりながら天寿を全うするというW守りの養生Wから、生命のエネルギーを養い、溢れさせていくW攻めの養生Wへと変えていかねばならないのです。W攻めの養生Wとしては、中国4000年の歴史に培われてきた「気功」は、そのエースと言えるでしょう。

 B「気功とは、正気(せいき)を養う事を目的とした自己鍛錬法」という定義付けがなされておりますが、生命の容れ物である体を養うのが一般のスポーツであるのし対して、体の中身の生命を養うのが気功という事になるのです。
 調身(身体を整える)、調息(呼吸を整える)、調心(心を整える)の三つの要素が加わっていれば、どんな動きでも気功の範疇に入ると言って良いのです。大自然、大宇宙、そして虚空と心を一つにして舞う太極拳は、まさに気功の最たるものと言えるでしょう。太極拳はW動く禅Wであると言われます。

 C21世紀はW攻めの養生Wの時代と申しましたが、攻めの養生の最大のポイントはW心のときめきWにあるのです。何でもいいからときめく事が肝心なのです。
  江戸時代の名医として知られる貝原益軒は、@好きなものをときめきながら食べなさい、但し食べ過ぎてはいけません。A酒は百薬の長、天からの恵みであるから大いに飲みなさい、但しこれも飲みすぎはいけません。品位を高める飲み方をしなさい、との名訓を残してくれております。

 D長野県伊那谷に住む「伊那谷の老子」と呼ばれる英文学者の加島祥造さんのときめきは、W何といっても女性が一番Wと公言してはばかりません。88歳の現在でも二人の女性に囲まれて人生を謳歌しているそうです。20世紀最大の巨匠と言われるあのピカソも、華やかな異性に彩られた灼熱の人生をおくられたようです。

 E帯津先生のときめきはWカツ丼Wだそうです。帯津先生は豆腐が大好きで、中でもW湯豆腐Wは毎日の夕食に欠かせない一品だそうですが、ときめいて食べるのはカツ丼だそうです。
  帯津三敬病院の食事指導に携わっておられた料理研究家の幕内秀夫さんの見解では、カツ丼は肉と油ですから本来なら毒なのですが、ときめいて食べれば毒も良薬に変わるのだそうです。ちなみに帯津先生の養生法は「朝の気功と夜の酒」だそうです。

 FW攻めの養生Wのもう一つのエースはWホメオパシーWなのですが、最近の新聞にホメオパシーにはエビデンス(科学的根拠)がないからやってはいけないとの記事が載り、一部の人達をあわてさせたようです。ホメオパシーが最も盛んなイギリスでは王立のホメオパシー病院があるぐらいで、国が認めた有力な医療法の一つです。先日の新聞報道の裏には、何かしらの大きな力が隠されているとしか思えてなりません。

 Gホメオパシーとは、ドイツの医師サミエル・ハーネマン(1755〜1843)によって体系化されたエネルギー医学です。ホメオパシーとは、自然界の物質を徹底的に希釈して物質性を排除し、そのエネルギーだけを人間の生命に注ぎ込む事により、生命力の向上をはかるのです。
 ホメオパシー医学は、患者さんの話を徹底的に聞いて、その全体像をつかむ事から始まるので、今、世界で行われている医学の中では、最もホリスティックな医学と言えるのです。

 H西洋医学は、目に見えるものしか信じない世界です。しかし、人間の生命体は目に見えないものの方がはるかに多いのです。ホメオパシーはその目に見えない世界に目を向ける医療です。
 生きている事の中には、勘を働かせたり、喜んだり悲しんだり、泣いたり笑ったりという感情に生きている部分が殆どで、エビデンスだけではどうにも説明が出来ないのです。


 I人間は明るく前向きだけでは生きてはいけません。人間の性(さが)は、本来、寂しさや悲しみが根底にあるのです。はるかな虚空から一人でこの世に生を受け、いずれはまた一人で虚空に旅立っていかねばならない不安の中に人は生きているのです。その不安や寂しさや哀しさを土台に据えて、希望の種をまき、育て、花を咲かせていく人生こそが一番強い、本物の人生となっていくのです。

 J人生の最終の目標は、W青雲の志Wを抱いて生きる事にあるのです。青雲の志とは聖賢の人になろうとする志です。聖賢の人とは、生涯を通して、いささかなりとも世のため人のためにお役に立てる志に溢れた人の事です。青雲の志には終わりは無いのです。

 Kいい人生を送っている人はいい顔になってきます。立身出世やお金儲けの上手な人がいい顔になるとは言えません。帯津三敬病院には「気功道場」があって、やがて30年になるのですが、その道場にやってくる人達は、体は病気であっても、気功を通して実に素晴らしい顔になっていくのです。
 気功にはそれだけの力があるのでしょう。

 L「気功的人生」を生きられる事をお勧めします。気功的人生とは、物事にとらわれない事、そして、私達は遥かなる大宇宙、虚空と繋がって生きている事を意識の中心に置く事、そして、その中に生かされて生きている事への感謝の心が深ければ深い程、人生は感動に満ちた人生になっていくのです。皆さんどうか素晴らしい感動の人生をお過ごし下さい。(以上帯津先生の講演の主旨です)

*帯津先生の講演の後、帯津先生のご指導で「簡化外丹法」という気功を全員で練功しました。熱気に満ちた素晴らしい会場となりました。本当に有難うございました。     (2010・11・12の記)
写真上:第15回講演会チラシ
写真中:帯津先生講演風景
写真下:帯津先生と「簡化外丹功」の実演風景


奥田のコラム(NO99)ノーベル賞と、チリ鉱山奇跡の救出劇 ( 2010/10/19 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

*ノーベル化学賞2010

 2010年のノーベル化学賞は日本人の鈴木章北海道大学名誉教授(80)と、根岸英一米パデュー大学特別教授(75)に決まったというニュースは格別に嬉しい出来事でした。受賞の理由は、「医薬品から電子産業などの幅広い分野で使われる有機化合物の合成技術」という事のようですが、難しい事は別にして、とにかく人類への偉大なる貢献度のようです。
テレビに映った鈴木章さんと根岸英一さんのお顔が余りに素晴らしくて、私はすっかり魅せられてしまいました。そしてお二人のお話を聞きながら、このお二人は人間の範ちゅうをはるかに越えられた超人間という感じを受けたのでした。

 鈴木さんはご自分の発明に特許申請は出されておられないのだそうです。特許申請しておれば莫大なる特許料が入ってくるのだそうですが、そんな事など全く眼中になく、ひたすら世の中のお役に立てる事の喜びに生きがいを感じておられる、まるでW誠実一直線Wのようなお人柄と拝察いたしました。
 もうお一人の根岸さんはその風貌といい、とても日本人とは思えない英語の表現力といい、そばにおられた奥様へのさりげない優しい心遣いといい、まさにW完璧な紳士Wという印象でした。あまりのカッコよさに魅了されてしまい、もう一度生まれ変われるものであれば、根岸さんのようなカッコいい国際人を生きてみたい思いにかられたのでした。

*ノーベル平和賞2010

 昨年のノーベル平和賞はアメリカのオバマ大統領でした。大統領に就任したばかりで、まだ実績もないのにどうして・・・?!!、という一部の批判に対して、ノーベル平和賞選考委員会の出した答えは、「核兵器のない世界を高らかに掲げたオバマ大統領を応援するのも、ノーベル平和委員会のなすべき責務である」との名言でした。私はこの時、ノーベル平和賞選考委員会の見識の高さに感銘を受け、ノーベル賞の存在に絶対の信頼感を覚えたのでした。(コラムNO71に記載)

 さて注目されていた今年のノーベル平和賞は、中国の民主化運動のリーダーと言われる劉暁波さん(54)でした。このニュースは激震として世界に伝わった感があります。劉暁波さんは現在、中国でW国家転覆罪Wの罪で服役中の身なのだそうですが、その劉暁波さんにノーベル平和賞を与えた理由は、「1989年の天安門事件以来、中国の民主化運動のリーダーとして、誹暴力的な手段で戦ってきた事への評価」というのですから、私にはただ一言W凄いW!!という言葉しか浮かんできませんでした。どうやらアメリカ,EU諸国など世界の大多数の国々が、このノーベル平和賞を評価している
ようですので、この先中国はどうなるのであろうかと気になるところです。

 21世紀の世界の流れはW民主化Wではないでしょうか。民主化とは自由であり、平等であり、開放性であり、透明性であると思われます。私は中国の長い歴史に培われてきた文化や芸術が大好きです。そして過去に出会った中国の人達のことを思い出す度に、素晴らしい思い出ばかりが甦ってくるのです。どうか中国が世界の民主化の流れに逆行することなく、世界の平和と人類の幸せのために、大きく貢献してくれる真の大国に変わって欲しいと願うばかりです。

*チリ鉱山・奇跡の救出劇

 私達の住む地球では、時として想像を絶する、とんでもない出来事が起こるものですね。この度のチリ鉱山の落盤事故で、地価700mに閉じ込められた33人の救出劇は、まさ
にその想像を絶する出来事でありました。        今回の出来事は天災というよりも、人災というべき出来事のように思われるが故に、世界中の人々はやりきれない思いの中にも、ひたすら祈りを込めて無事なる生還を念じ続けたに違いありません。テレビで救出の様子が映し出されていただけに、その迫力たるや、ただならぬものがありました。私も目を釘付けにして無事を念じておりました。

 落盤事故から69日目に最初の一人が、70日目に最後の一人が救出され、奇跡の救出作業は無事に終わりました。この70日間、事故に遭遇した当事者は勿論のこと、家族や関係者たちはどんな思いで過ごされた事でしょう。察するに余りあるものがあります。
 最後に救出された、リーダー格を務められたというウルスさん(54)には、W特別に特別の敬意Wを表したいものです。そしてこの事故から学んだ一番大事な事は、ウルスさんがピニエラ大統領に伝えたという、「こんな事が二度と起こらないようにして欲しい」という言葉ではないでしょうか。
 人間は、人生は、W安全と安心Wこそが最大の幸せの条件であると私は思うのです。
33人全員の無事生還と、全力を尽くして救出に当たられた関係者にもう一度、WおめでとうW、WありがとうW、Wご苦労様でしたWと申し上げたい気持ちで一杯です。    (2010・10・18の記)

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