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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奧田のコラム(NO107) 130歳を目指す達人とイチローカレーの誕生 ( 2011/04/01 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

(1)130歳を目指す達人・名城達巨さん
 私の親しい友人で、いま本気で130歳の人生を目指している人物がいるのです。その人の名前は名城達臣さん(56歳)です。名城さんは、沖縄県恩納村の西海岸沿いにあるW伊勢えびとステーキWで有名な『マリブハウス』のオーナーシェフです。
 名城さんは40歳代から難病を患ってこられた方です。その病名とは@ 変形性股関節症 A 腰椎脊椎炎 B仙腸間接脊椎炎というのだそうですが、解りやすくいえば、背骨の軟骨が固まって骨になってしまい、最終的には体が動かなくなってしまう難病だそうです。
 名城達巨さんは今から10年前に、その三つの病名を医者から告げられて、お先真っ暗な人生であったはずなのに、本人の懸命なる探究心の結果、3年前には99%、もう大丈夫だ!!というところまでこぎつけたのだそうです。その間お医者さんは手の施しようもなかったのを、自分で見つけてきた「千坂式食療法」にご縁をつなぎ、今では完全無欠と思えるほどの健康体を保っているとの事です。それ故にか名城さんは、今は130歳の人生を宣言されて、前人未到のギネスブック入りを目指しているとの事ですから、何とも凄いのです。
 私はつい先日(2011・3・30日)、マリブハウスに名城さんを再訪する好運に恵まれました。その目的は、この日の午後、マリブハウスで開かれた「千坂式食療法」のお話を聞く為でした。その時に上記のお話を知らされたのですが、久しぶりに再会した名城さんの第一印象は、まるで元気!!、若々しい!!の一言でした。彼は本当に130歳まで生きるかもしれないと、私はその時そう思ったのでした。

(2)千坂式食療法
 私はその時まで「千坂式食療法」の事を知らなかったのですが、お話を聞くにつれ、これは本物だ!!という直感が溢れてきたのです。そしてその日から、名城さんの教えを受けながら千坂式食療法をスタートさせたのです。

 千坂式食療法とは、20歳代で医者から余命1〜2年の宣告を受け、苦難の中で自らの体験と研究を積み重ねた末に辿り着いた千坂諭紀夫さん(現72歳)の提唱する食事療法の事です。千坂諭紀夫さんの原点はW病は食の過ちにありWというお考えです。
 全ての食べ物には陰性と陽性、酸性とアルカリ性の性質があって、陰性は体を冷やし、陽性は温める。酸性は血液を汚しアルカリ性はきれいにするという性質があるそうです。
 陰陽のバランスと、酸性とアルカリ性の中庸を心掛ける事が病気にならない体づくりの基本なのだそうです。(詳しくはマリブハウスの名城さんにお聞きになる事をお勧めします。親切丁寧に教えてくださると思います。TEL:098-965-5496)

(3)イチローカレーの誕生
 上記の名城達巨さんが、10年間の食療法から考え出したのがマリブハウス特製の「イチロー選手にも食べてもらいたいWイチローカレーW」です。イチローカレーが誕生したきっかけは、かねがね名城さんはイチロー選手の動きの中に理想の人間像を見て、憧れていたのだそうです。彼の息子さんもイチロー選手に憧れて野球に熱中しているとの事です。
 イチロー選手の研ぎ澄まされた俊敏さと、あのしなやかな体は、まさに芸術そのものと名城さんは申されます。イチロー大ファンの私も全く同感です。そのイチロー選手に一歩でも二歩でも近づく体づくりを考えている内に、自分の10年間の食事療法から生まれたのがイチローカレーだと言うのです。私もイチローカレーを食べました。何だかイチロー選手にほんのちょっぴり近づけたと思いたいのですが・・・。

 私は60歳のときから(今から14年前)、家内の突然の入院がきっかけで、気功と太極拳の世界にご縁を戴く事となり、今ではW元気な100歳人生Wを目指しているのです。気功・太極拳に千坂式の食療法を採り入れることで、まさに本物のW元気な100歳人生Wがはっきりと目の前に見えてくるような気がしております。

 4月の日本は新しい仕事始めの月です。そしてあらゆるものに新しい生命の息吹を感じる時期でもあります。私の中にも何かしら、これまでになかった新しいときめきの心が芽生えてきているのです。
名城さんありがとう!!。130歳に期待したいのです。!!。 (2011・4・1日の記)

写真上:沖縄西海岸沿いにあるマリブハウス
写真中:イチローカレーののぼりと名城達巨さん
写真下:130歳を目指す名城さんの宣言書


奧田のコラム(NO106) 東日本大震災と福島原発事故 ( 2011/03/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

(1)東日本大震災 
 東日本を襲った大地震と大津波の日から2週間がたちました。死者行方不明の数は27,000人と報じられています。何という痛ましい出来事でしょう。亡くなられた方々の殆どはあの大津波の濁流に呑み込まれて、どんなにか苦しい思いをされたに違いありません。不明者の数はまだ大幅に増えるとの事です。犠牲者の数が増える度に心の中で深く手を
合わせる日が続くのです。

 東日本大震災の日から一週間後には,NHK以外の民放テレビでは、いっせにお笑い番組が復活しておりました。私はいまだにまだ一瞬たりともそれらの番組にチャンネルを合わせる事が出来ません。

 東京都知事の「天罰」発言にはあきれて言葉もありません.ケビン・メア元在沖米総領事の「沖縄人はゆすりの名人」発言をはるかに凌ぐ低次元の発言としか言いようがありません。後日の記者会見で「日本人のW我欲Wに対する天罰」と改めたそうですが、我欲にしがみついているのは当の本人と、この国難を機に一儲けをたくらむ人種とスーパーに群がる買占め族かも知れません。これらの我欲者にはいつか本物の天罰が下るに違いありません。

 春の選抜高校野球が始まりました。高校野球は球児たちの魂がぶつかり合うスポーツの祭典です。今大会の選手宣誓をした岡山聖志学園の野山主将の言葉に胸を打たれました。
『私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われて、私たちの心は哀しい気持ちで一杯です。生かされている命に感謝し全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。』
 私は今大会だけは東北陣を最優先に応援せねばならないと思っているところです。

 プロ野球の開幕宣言のお粗末さにもあきれ返ってしまいます。大震災による電力不足に、やっとの命をつないでいる人が何十万人もいるというのに、ナイター戦を決行し、そこで儲けた一部を寄付すればよいというオーナーたちの姿勢には、憤りを覚えずにはいられません。日本の球界をリードすべき巨人軍に、一番その傾向が強く見られるのだそうですから本当にがっかりです。私はもう日本のプロ野球は観ないことにしようと思うのです。

(2)福島原発事故
 東日本大震災の直後、アメリカに住む息子から心配の電話がありました。「東北地方は大変な事になっているけど、沖縄は何も無かった」と伝えると安心して電話を切ったのですが、後日、福島原発事故のニュースが報道され始めると、何度も大心配の電話がかかってくるのです。どうやらアメリカでは、この原発事故で日本が沈没するかもしれないぐらいの報道がなされている様子なのです。
 そう言われて見れば、日本とアメリカでは原発事故の評価がまるで違うような気がしてなりません。原発事故発生の直後、日本政府が発表した避難の範囲は3キロ→10キロ→20キロ→そしてやっと30キロに拡げた感がするのに対し、アメリカの発表は、日本が10キロでもたもたしていた頃に、いきなり80キロ圏外の避難を勧告したのでした。いささかオーバーな気がしたのですが、その後に仏、英、豪、韓国などがアメリカ以上の発言をしたのですから、これはただ事ではないという思いに変わったのです。

 関東以北の野菜の出荷にストップがかかるようになりました。北陸の海の幸にも影響が出そうな気配です。首都圏の水道も怪しくなってきているようです。もしかして本当に大問題に発展するかも知れません。
 今回の福島原発事故は断じて天災ではないのです。人災そのものです。
長年に渡る人間のおごりとこれまでの行政の判断の甘さが、ここにきてこんな大事を引き起こす事になったのではないでしょうか。これから先どんな時代になろうとも、人間が天(大自然)を越えて地球を支配できる事などあり得ないのです。天をあなどってはならないのです。天をあなどる人類に永遠の繁栄などあろう筈もないのです。人間よ奢ることなかれ!!。人間よ大自然に帰れ!!。と私も叫びたいのです。 (2011・3・24の記)
写真上:東日本大震災後の惨状(サンデー毎日より)
写真中:東日本大震災後の祈り(琉球新報より)
写真下:春の高校野球大会開幕(日刊スポーツより)


奥田のコラム(NO105) 4回目の引越しから学んだこと ( 2011/03/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 その一 : シンプルライフと新しい人生の門出

 沖縄に住んで40年が経ちました。この間に4回の引越しをする事となりましたが、つい先日、
やっとその4回目の引越しを終える事が出来ました。終えたといっても、とりあえず荷物を新居に運び終えたというだけの事で、引っ越した先の部屋はどこもかしこも荷物だらけで
、主人公であるべき私達夫婦はその部屋の中を歩くのもままならない状況下に置かれているのです。
 4回目の引越し先は2LDKの新築マンションです。引越しの理由は都市計画による移転です。今回の引越しに当たっては、相当の覚悟で身の回りの整理をしたつもりでいたのに、この有様では、ちょっと情けない覚悟の整理だったのかもしれません。

 さて、私は今年の6月で75歳という後期高齢者の仲間入りをするのです。75歳からの人生を「遊行期」と呼ぶのだそうですが、「遊行期」を迎えるに当たって最も大事に思う事は、出来る限り身の回りをシンプルにして、ゆったりとした遊び心で生きることであろうと私は思っています。ゆったりのなかにW生涯青春Wという志を燃やし続けていたいものです。
 日本の4月は全てが新しい門出の季節です。私も今年の4月こそは、過去の諸々のしがらみに感謝の別れを告げて、これまでに無い特別なる人生の門出を誓っているところです。

 その二 : 小さな住まいもまた格別の空間

 沖縄に足を踏み入れた40年前の私達の生活は、殆ど何も無い0からの出発でした。大きな家に移り住めた時はそれなりの満足感もありましたが、人間の幸せの条件が住まいの大小にあるはずも無いのです。人にはその時その時に最もふさわしい住まい方があるのでしょう。年金生活の真っ只中に突入した私達夫婦にとって、今回の2LDKという初めてのマンション住まいは、なんとも新鮮で、快適で、便利で、まことに身分相応という思いがしているのです。
 唯一つ気になる事は、狭い部屋での住まいは、歩く量が極端に少なくて、運動不足になるのでは・・・
という心配があるのですが、私は今素晴らしい思い付きをしているのです。
 このマンションは5階建ての新築です。5階までは80段の階段があるのです。この80段を一日に4〜5回往復する喜びに私は意欲を燃やしているのです。この階段は、私の人生の最終目標であるW元気な100歳人生Wへの最大の原動力になってくれるに違いありません。

 その三 : WありがとうWは幸せ人生の原点

 4回目の引越しがあってから、我が家に突然の異変が起こっているのです。その異変とは、我が家の朝に朝食が甦ってきたのです。いつの頃からかは、はっきりした記憶は無いのですが、我が家から朝食が消えてから久しかったのです。私自身も朝と昼の食事は一緒でよいと思っていたので、別に気に留めることも無かったのです。この突然の異変がどういう理由からかは私には解りませんが、この異変がいつまで続くのであろうかと、私には興味深いものがあるのです。

 そんな中でふと気付いたのですが、もしかして我が家の奥さんは料理の天才(?)なのかも知れません。とにかく料理の速さとシンプル度においては天才振りを発揮するのです。私もシンプルで簡単明瞭が一番嬉しいので、私の性格には、奥さんの料理は申し分ないところです。最近はそれに加えて、健康への配慮も見られるのです。最近の私は家の食事が一番美味しいと思うのです。たまにはの事ですが、目を見張るばかりの夕食が出ることもありますが、さすがにこれはたまにはの事です。いづれにしても、家の食事が楽しく待ち遠しく思われるのですから、こんなに嬉しいことはありません。
 最近の私は食事の度に、心の中でWありがとうWの手を合わせるように心掛けているのです。もしかしてそのWありがとうWが奥さんにも幾分か伝わっているのかも知れません。
我が家の朝夕の食事は日を追う毎に磨きがかかってきているように思えてなりません。
お母さんありがとう!!。(ここでのお母さんとは奥さんのことです)。(2011・3・10日の記)


奧田のコラム(NO104) 祈りの日々(その一) ( 2011/02/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 コラムを2ヶ月程休んでおりましたが、この間、地球規模の時の流れの中では、想像を絶する出来事が起こっているのに気付かされ、いささか興奮気味の中にいる昨今の私です。
 中東の国、チュニジア、エジプトに端を発した民衆革命は、あっ!!という間に独裁者と恐れられたムバラク大統領を追放し、その隣国であるリビアのカダフィー大佐による独裁政権も、今や風前の灯というところまで追い込まれている感があります。独裁者の終焉がどんなものになっていくか、日々に映し出されるテレビの映像は、まるで映画のストーリーを見ているかのような迫力で私達に迫ってくるのですが、これはまぎれもない現実の姿なのです。

 中東のこの民衆革命は、もしかして、更なる大津波のようなうねりとなって世界中の独裁者国家を覆いつくすことになるのかも知れません。そんな予感と大興奮が私の胸の中をよぎるのです。
 2011年は世界革命の夜明けの年になるのかも知れません。願わくば世界中の人々が、人種・国籍に関係無く、自由で平等で平和な世界を、嬉々として生きられる世の中になって欲しいと願うばかりです。母国の平和革命に尊い命を捧げた多くの殉教者に、心からの祈りを捧げずにはいられません。
合掌です!!!。

       祈りの日々(その二)

 2011年2月21日に発生したニュ―ジーランド大地震には思わず身心が凍りつきました。
今から30数年も前の事ですが、私もその地に旅行をした事があるのです。その時の印象は、ニュージーランドこそはまさに世界の楽園で、世界一安全で、世界一平和の地と思っていただけに、こんな落とし穴があろうとは夢の夢にも思っていませんでした。
 行方不明者の中には数多くの日本の若者達が含まれているとの事ですが、ニュージーランドの地に大きな人生の夢を抱いて行かれた若者たちの無念さを思うと本当に心が痛むのです。彼等のことを思うにつけ、今の私はW輪廻転生Wの人生を信じる事にいささかもやぶさかではありません。
 どうかもう一度、必ずやまた生まれ変わってきて欲しいです。そしてもう一度夢の続きに挑戦して欲しいのです。心からそう願いながら共に祈りを捧げたいのです。        合掌します!!!。
                              (2011年2月28日の記)


ーお詫びの記ー ( 2011/02/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎月2回の割合で続けておりました私のコラムWいい日、いい人、いい出会いWを、約2ヶ月も休んでしまいました。その一番の理由は、昨年12月20日から開始した住宅の移転作業が、まさかの2ヶ月もかかってしまった事でした。
 そしてもう一つの理由は、この時期に、アメリカに住む末息子夫婦が初孫を連れて沖縄に里帰りをしてくれた事です。アメリカ息子の里帰りに合わせて、石垣市に住む長兄と、新潟に住む次男夫婦も、それぞれに孫たちを連れて沖縄に合流してくれた事で、我が家は何事も手に着かないままに、てんやわんやの大騒動の日々が続いておりました。

 何人かの親しい方々から、「コラムが新しくならないのはどうしてなの・・・?」というお声を戴いたのですが、実は、我が家のインターネットも何故かこの時期に突然の事故を起こして、その修理に一ヶ月以上もかかってしまうというハプニングに見舞われてしまったのです。
 インターネットは2月17日にやっと通じるようになりました。家の引越し作業も2月20日をもって完全終了となりましたので、これから急いで2ヶ月分の遅れを取り戻さねばならないと、幾分焦っているところです。つたない文章ですが、3月からまたコラムを再開させていただこうと思っております。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。          2011・2・22   奧田 清志


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