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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO99)ノーベル賞と、チリ鉱山奇跡の救出劇 ( 2010/10/19 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

*ノーベル化学賞2010

 2010年のノーベル化学賞は日本人の鈴木章北海道大学名誉教授(80)と、根岸英一米パデュー大学特別教授(75)に決まったというニュースは格別に嬉しい出来事でした。受賞の理由は、「医薬品から電子産業などの幅広い分野で使われる有機化合物の合成技術」という事のようですが、難しい事は別にして、とにかく人類への偉大なる貢献度のようです。
テレビに映った鈴木章さんと根岸英一さんのお顔が余りに素晴らしくて、私はすっかり魅せられてしまいました。そしてお二人のお話を聞きながら、このお二人は人間の範ちゅうをはるかに越えられた超人間という感じを受けたのでした。

 鈴木さんはご自分の発明に特許申請は出されておられないのだそうです。特許申請しておれば莫大なる特許料が入ってくるのだそうですが、そんな事など全く眼中になく、ひたすら世の中のお役に立てる事の喜びに生きがいを感じておられる、まるでW誠実一直線Wのようなお人柄と拝察いたしました。
 もうお一人の根岸さんはその風貌といい、とても日本人とは思えない英語の表現力といい、そばにおられた奥様へのさりげない優しい心遣いといい、まさにW完璧な紳士Wという印象でした。あまりのカッコよさに魅了されてしまい、もう一度生まれ変われるものであれば、根岸さんのようなカッコいい国際人を生きてみたい思いにかられたのでした。

*ノーベル平和賞2010

 昨年のノーベル平和賞はアメリカのオバマ大統領でした。大統領に就任したばかりで、まだ実績もないのにどうして・・・?!!、という一部の批判に対して、ノーベル平和賞選考委員会の出した答えは、「核兵器のない世界を高らかに掲げたオバマ大統領を応援するのも、ノーベル平和委員会のなすべき責務である」との名言でした。私はこの時、ノーベル平和賞選考委員会の見識の高さに感銘を受け、ノーベル賞の存在に絶対の信頼感を覚えたのでした。(コラムNO71に記載)

 さて注目されていた今年のノーベル平和賞は、中国の民主化運動のリーダーと言われる劉暁波さん(54)でした。このニュースは激震として世界に伝わった感があります。劉暁波さんは現在、中国でW国家転覆罪Wの罪で服役中の身なのだそうですが、その劉暁波さんにノーベル平和賞を与えた理由は、「1989年の天安門事件以来、中国の民主化運動のリーダーとして、誹暴力的な手段で戦ってきた事への評価」というのですから、私にはただ一言W凄いW!!という言葉しか浮かんできませんでした。どうやらアメリカ,EU諸国など世界の大多数の国々が、このノーベル平和賞を評価している
ようですので、この先中国はどうなるのであろうかと気になるところです。

 21世紀の世界の流れはW民主化Wではないでしょうか。民主化とは自由であり、平等であり、開放性であり、透明性であると思われます。私は中国の長い歴史に培われてきた文化や芸術が大好きです。そして過去に出会った中国の人達のことを思い出す度に、素晴らしい思い出ばかりが甦ってくるのです。どうか中国が世界の民主化の流れに逆行することなく、世界の平和と人類の幸せのために、大きく貢献してくれる真の大国に変わって欲しいと願うばかりです。

*チリ鉱山・奇跡の救出劇

 私達の住む地球では、時として想像を絶する、とんでもない出来事が起こるものですね。この度のチリ鉱山の落盤事故で、地価700mに閉じ込められた33人の救出劇は、まさ
にその想像を絶する出来事でありました。        今回の出来事は天災というよりも、人災というべき出来事のように思われるが故に、世界中の人々はやりきれない思いの中にも、ひたすら祈りを込めて無事なる生還を念じ続けたに違いありません。テレビで救出の様子が映し出されていただけに、その迫力たるや、ただならぬものがありました。私も目を釘付けにして無事を念じておりました。

 落盤事故から69日目に最初の一人が、70日目に最後の一人が救出され、奇跡の救出作業は無事に終わりました。この70日間、事故に遭遇した当事者は勿論のこと、家族や関係者たちはどんな思いで過ごされた事でしょう。察するに余りあるものがあります。
 最後に救出された、リーダー格を務められたというウルスさん(54)には、W特別に特別の敬意Wを表したいものです。そしてこの事故から学んだ一番大事な事は、ウルスさんがピニエラ大統領に伝えたという、「こんな事が二度と起こらないようにして欲しい」という言葉ではないでしょうか。
 人間は、人生は、W安全と安心Wこそが最大の幸せの条件であると私は思うのです。
33人全員の無事生還と、全力を尽くして救出に当たられた関係者にもう一度、WおめでとうW、WありがとうW、Wご苦労様でしたWと申し上げたい気持ちで一杯です。    (2010・10・18の記)


奥田のコラム(NO98)栗・栗・栗・栗、「栗物語」2010 ( 2010/10/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 9月下旬ともなれば、さすがの沖縄にも秋の気配が漂います。気温の変化はまだそれ程でもないにしても、スーパーに並ぶ果物が、秋の深まりを一層強く感じさせるのです。柿・りんご・梨・みかん・ぶどう等々、まさに穂りの秋オンパレードの感ですが、そんな中、私が最も待ち遠しく思う秋の味覚はW栗の実Wなのです。
昨年は実にいいタイミングで、実に幸運なW栗との出会いWをさせてもらえたのですが(コラムNO72に記載)、今年はどうした事か、言いようのない栗栗との出会いに、いく分ど肝を抜かれているところです。

 栗物語り(その1):今年初めての栗との出会いは9月の下旬でした。あるスーパーで一袋698円の栗と出会ったのですが、この栗は私の目にもさほど上物とは映らなかったのです。それでも初物というご縁に敬意を表して一袋だけ買い求めたのでした。果たせるかなこの栗の評価は60点以上の物ではありませんでした。この時の栗から学んだ事は、初物だからといって飛びついて買ってはいけないという学習でした。

 栗物語り(その2):この時から数日たった10月1日の事です。新聞の中にW秋の味覚大特集Wというチラシが入っていて、そのチラシの中に一袋298円という栗の写真を見つけたのでした。あまりの安さに全くといっていい程期待はしなかったのですが、それでも少し気になって、家内に2袋買ってきてもらったのです。ところがこの栗、とてもとても298円の味ではなく、初物の698円をはるかに越える上等の味覚なのです。これはお買い得だと思い、次の日もまた、今度は3袋の
栗を買いに行ってもらったのですが、家内から聞かされたその時のスーパーでの買い物風景があまりに面白くて、私はその風景を想像するたびに一人で大笑いをするのです。

 家内がスーパーのその栗の前に立つや否や、家内の前に一人のおじいが立ちふさがり、残っていた3袋の栗を手に取り、「これは何か?どんぐりか?」と振り返って家内に聞いたのだそうです。
さすがの家内もWどんぐりWにはびっくり仰天、答える言葉が思い浮かばなかったようです。おじいの次なる質問は、「このどんぐりはおいしいか?どうやって食べるのか?」であったそうです。3袋の栗を全部持って行かれては一大事と思った家内は、「このどんぐりは皮をむくのが大変だから、とりあえず一袋だけ買ってみたら・・・」と答えた瞬間、おじいは持っていた栗をポーンと放り出して何処かに姿を消してしまったそうです。お陰で家内は無事にこの3袋の栗をGETする事が出来たのです。この話を聞いて、あまりにあっぱれな家内の偉業?に私はほとほと感心して褒め称えたのですが、おじいにはちょっと申し訳ない気もしているのです。

 栗物語り(その3):298円の栗を5袋もGET出来て大満足をしていたこの日の夕方、家内の携帯に一本の電話が入りました。電話の相手は群馬県高崎市に住む家内の友人からでした。そして電話の内容は、なんと栗を送ったという事なのです。この友人はケーキ作りの名手で、例年であればケーキの中に栗を少々入れて送ってくれるのが恒例の筈なのに、今年は何故か送ってくれた箱の中は全部が栗の実なのです。売るほどの量です。一瞬おすそ分けをする人達の顔を思い浮かべてみたのですが、前述のWおじいとどんぐりWの事を思うと、おすそ分けにもちょっと戸惑いがあるのです。せっかく遠い群馬県高崎からの贈り物です。私は意を決して、この栗は最後の一個まで、私が責任を持って食べつくす事を心に誓ったのでした。

 栗物語り(その4):群馬県高崎からの栗が届いたわずか2日後、それは10月5日の夕方の事です。沖縄に住む妹が、東京に住む長男の初孫の運動会に呼ばれて上京していたのですが、「今日無事に沖縄に帰りました。近くの商店街を歩いていたら、見事な栗を見つけたので買ってきたからね・・・」という電話をくれたのです。私は思わず天を仰ぎました。また栗?!!!。
 私はその時の私の返事に、どのくらいのWありがとうWの気持ちが込められていたであろうかと、ずっと気になっていたのでした。翌日その栗が届けられ、あまりの見事さに、今度は感動の喜びに震えて天を仰いだのです。この栗は相撲で言えば横綱級の栗なのです。改めて妹に心からのWありがとうWを伝えた次第です。

 この横綱級の栗を口に出来るのはあとまだ一ヶ月ぐらい先になるのでは・・・という気がしております。あまりに大量の栗栗が私の口に入ってくれる順番を待ってくれているからです。
 それにしても今年の秋は、まさかまさかの栗栗とのご縁です。栗大好き人間の私には感謝以外の何物でもありません。栗栗さん有難うの合掌です。         (2010・10・9の記)
写真上:W秋の味覚大特集Wで買った栗
写真中: 群馬県高崎から送られてきた栗
写真下: 妹が買ってきてくれた横綱級の栗



奥田のコラム(NO97) イチロー選手、遂に10年連続200本安打!! ( 2010/09/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 大リーグ、マリナーズのイチロー選手が遂に前人未到の10年連続200本安打の偉業を達成されました。2010年9月23日(日本時間24日)、トロントに於ける対ブルージェイズ戦での快挙です。
 昨年は9年連続200本安打の瞬間をテレビの同時放映で見る好運に恵まれたのですが(コラムNO70に記載)、今年はまだ4〜5日先になるであろうと思っていた矢先、二試合で6安打という目にも留まらぬ速さで達成させてしまったのですから、拍手喝采の中にも、その瞬間を同時放映で見られなかった残念さが幾分私にはあるのです。それにしても世界中で、唯一人イチロー選手だけが成し得たこの偉業に、心
からの敬意を表さずにはいられません。

 私は野球に特別の思い入れはないのですが、イチロー選手だけにはそれがあるのです。今から10年以上も前、イチロー選手が大リーグに身を置かれたころ、私事ですが末息子がゴルファーになりたい一心で、15歳で単身アメリカに渡り手探りの人生を始めておりましたので、大リーグという未知なる世界に身を投じたイチロー選手には特別の思いで、心の応援を続けていたのでした。
 イチロー選手は年月を重ねる度に目を見張るばかりの大活躍で、大リーグを代表する選手に成長されましたが、その栄光の裏では筆舌に尽くし難い努力の積み重ねがあったに違いありません。彼は常に完璧の準備を整えてから総ての試合に臨んでいるのだそうですが、ひた向きなイチロー選手の姿勢にはいつも心打たれるものがあるのです。

 イチロー選手が2004年に、年間262本という大リーグ最多安打を記録した時に、口に出した言葉を私は忘れる事が出来ません。『小さな事を積み重ねる事が、とんでもないところに行ける唯一の道だと思います』の名言です。
 この時以来、私はこの言葉を大切な座右の銘の一つにさせてもらっているのですが、今回10年連続200本安打の偉業を成し遂げた後に、彼の口から出た言葉は、あまりに意外のものでした。『チームメートがみんな祝福してくれているので、自分も喜んでいいのだと思いました』。
この言葉は、こんな偉大なる瞬間でさえも、彼がどれ程冷静に周りの同僚達にも気配りをしているかの表れであろうかと思う時、胸が痛むと同時に、とてつもなく進化した彼の偉大さに頭が下がるのです。

 今、私の手元に、イチロー選手が一塁塁上で帽子をとり、静かに観衆の声援に応えている大写しの写真があるのですが、頭にはまさかと思える程の白髪が目立つのです。この写真こそは彼の10年間の光栄と苦難を物語る真実の姿のような気がしてなりません。
 しかしながら、イチロー選手には、まだまだこれから先も越さねばならない大きな宿命が待ち受けているのかも知れません。11年以上の200本安打、そしてピーター・ローズ選手の持つ遥かなる4256本の安打を超える事も・・・。あまりに過酷とも思える目標ながらも、イチロー選手は必ずやそれらを乗り越えてくれるに違いありません。
 新聞報道によれば、36歳の今でもイチロー選手の体脂肪率は6%を維持していて、肉体年齢は20歳代の若さを保っているのだそうです。彼の目標はW50歳までは現役バリバリWにあるのだそうですから、その日の到来を私は何としても待ち続けていたいのです。

 最後に、イチロー選手の10年連続200本安打に寄せられた数々の言葉の中から、特に印象深い言葉を記してイチロー選手の偉業を称えたいと思います。

・ イチロー選手のこの記録は50年後も、100年後も誰も成し得ない未踏の記録として語り続けられるに違いない。(作家・伊集院 静さん)

・ イチローの凄いところは、まるでゴルフのピッチショットのような精巧なバットコントロールです。パワー全盛の時代に、技術とスピードと頭脳を駆使した彼の野球こそはまさにベースボールに革命を起こしたのです。(米ドキュメンタリー作家、ケン・バーンズさん)

・ 大リーグに来てからずっと200本安打続けている事はすでに殿堂入りに値する選手です。単純には比べられないが、ピーター・ローズよりもずっと優れた才能がある。(現ドジャース・トーリー監督)

・ 10年連続200本安打はイチローだけにしか分からない世界。イチローだけがただ一人星の世界に行ってしまったみたい・・・。(元オリックス・清原 和博さん)

・ イチロー選手は日本人としての誇りと、勇気を与えてくました。(現ソフトバンクホークス球団会長・王 貞治さん)                (2010・9・28の記)

                                 


奥田のコラム(NO96) 帯津先生と行く内モンゴルの旅(その2) ( 2010/09/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今月のコラムは、先月(8月上旬)、沖縄養生塾生の中からモンゴルの旅に参加された4人の方々の旅の感想文を紹介させていただいております。前回の玉城さんご夫妻に続いて、残るお二人の感想文です。4人の皆さん、それぞれに素晴らしい感動の文章をお寄せくださり、誠に有難うございました。

(V)帯津先生と行くモンゴルの旅
   沖縄養生塾生  伊禮 洋代

 乾燥地というイメージでした内モンゴル・海拉濔(ハイラル)の第一日目は大雨。車窓から雨で霞む大草原を眺めながら、宿泊地の巴彦呼碩(パケングーソ)へ。荷解きの頃には雨も小降りで、居ながらゲルの窓から大草原の眺めはとても贅沢です。雨も上がると、地平線と平行な雲の切れ間に真っ赤な夕日。大草原に真直ぐに立つ虹の柱!(緯度が高いせいか?)感動しました。
 日の出前の草原は下弦の月と星。着込んで外に出ると暗くて寒い!風も止まり静けさの広がった草原は、幻想的で幽玄の世界そのものです。
 刻々と明るくなるにつれ、蛇行した川面が白く光ってきました。稜線が色づき始めるとゆっくりと霧がたなびき、そして日の出と共に霧が湧くように広がり、川面をうめてしまったのです。大草原で暮らしている人々は古代からこの風景と共に暮らしてきているのでしょう。ほんのわずかな滞在に素晴らしい朝を体験でき、思わず感謝です。そして、天空に伸びる虹、地平線のかなたへと続く大草原の風景は、虚空と繋がる場と納得してきました。草原の散策は草花が楽しめ、ゆっくりした時間があり満足でした。

(W)中国内モンゴルの旅             
  沖縄養生塾生  玉元 晴美

 この夏5泊6日の「帯津先生と行く内モンゴルの旅」に参加させていただいた。周りの友達にうらやましがられながらの旅立ちであった。旅の目玉はなんと言ってもゲル(パオ)に泊まることである。それは2日目に実現した。
 
 小高い丘に点在するゲルの眼下には草原が広がり、その中を蛇行しつつゆったりと川が流れている。あまりに静かな川の水は、本当に流れているのか目を疑う。草原は、見晴るかす前方のなだらかな稜線を描く山の裾野まで続いている。午前3時。弓張り月が中天にかかり星がきらめく。月明かりであたりはかなり遠くまで見通せる。空気は肌に冷たく、綿入りのジャケットで何とか寒さをしのぎ、ゲル近くの草原を散歩する。視界を遮るものもなく、大宇宙に抱かれている思いで幻想的な夜のしじまにしばし佇む。しかし、永く居るとやはり寒さが身にこたえる。ひとまずゲルに戻り、日の出を待つとする。

 午前4時ごろには、白々と山の稜線が明るみ、たなびく雲が茜色に染まり始める。帯津先生の言、「モンゴルのボンツ!と出る太陽」の時を、今か今かと待つが、薄雲に阻まれ、なかなか直に顔を拝ませてはくれない。そのうち、山からすっかり顔が出た瞬間、あたりの気温上昇に伴い、ワアーツ!!と沸き立つ音がしたかと思うほど、草原上の水蒸気が一斉に立ち上り、その壮観さに圧倒され、ただただ声もなく立ちつくす。だが、それも束の間、気がつけば、あたりはすっかり明け切り、すでに新しい一日が始まろうとしていた。

 モンゴルの旅は、何もかもが初体験でトキメキ多く興味が尽きないものであった。小さな沖縄の島からやってきた私達を、モンゴルの自然は優しくゆったりと迎え入れてくれた。そして、体のすみずみまで清浄な気、生命のエネルギーで満たしてくれた。短い滞在ではあったが、充分に楽しみ満喫できた。加えて、これまでの旅では得られなかった、彼の地の人々や同行の仲間達との心の触れ合いが、出会いの喜びや不思議さ、有り難さを感じさせてくれた貴重な旅であった。今回、モンゴルの旅に導いて下さった全ての人に、感謝の思いでいっぱいである。有難うございました。
                            写真上・中撮影:伊禮 洋代さん
 写真下:写真集・ホロンバイル交響詩より
     


奥田のコラム(NO95) 帯津先生と行く内モンゴルの旅(その1) ( 2010/09/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津先生が2年に一度訪れておられるモンゴルの旅に、今年は我が沖縄養生塾から4人の塾生が参加してくださいました(8月上旬)。それぞれに深い感銘を受けられたようですので、今回と次回のコラムには、4人の方々の貴重な旅の感想文を載せていただく事に致しました。

(T)虚空との出会いー内モンゴルへの旅                沖縄養生塾生  玉城 康雄

 自然は二つに大別できる、という。目に見える自然と目に見えない自然。目に見える自然の奥に測り知れない力を持つ、目にする事の出来ない大いなる自然が潜んでいるのではないか。
 今回の「帯津先生と行く中国内モンゴルの旅」では、その事を深くかみ締める機会になりました。
見晴るかす大草原の果てに天と地、自然の織り成す存在の深みを実感した。特に、ホロンバイル大草原は、帯津先生が多くの著書の中で語る<いのちの故郷・虚空>を体感させる場だと思いました。

 よく「旅が楽しいのは、帰る家があるからだ」と言います。虚空という魂の故郷に大草原で出会い、いつか来る<いのちの旅立ちの日>が気負うことなく静かに迎えられそうです。古稀も過ぎ、初めて、かかる人智の及ばない崇高なる場にたたずむ事が出来、こころ踊る想いでした。1986年以来、2年ごとに内モンゴルを訪れている帯津先生の一途な思いが解かりかけて来ました。
 今回の旅は、自己との対話、虚空との対話へと繋がるものでした。このような得がたい旅にお誘いいただいた事に深く感謝いたします。有難うございました。

(U)ホロンバイル草原の河笑まう    
  沖縄養生塾生   玉城 秀子

 地図上はすぐそこながら、北京経由、まる二日掛りで到着した遥かな地・内モンゴル。「帯津先生と行く中国内モンゴルの旅」は、全国各地から総勢44名が参加、天下の養生塾に相応しく熱気に満ちた旅団となった。
 モンゴル到着後の旅は、草原歓迎式とモンゴル料理のおもてなしで始まり、遊牧民との交流。凍えつつも楽しんだゲルでの宿泊。森林公園での野の花たちとの出会い。胡琴や鼓など民族楽器を駆使した歌舞への招待など盛りだくさんであった。帰途登頂した万里の長城では権力の底知れなさを思い知らされた。振り返って見れば、どれも「一期一会」を言葉ではなく、魂で実感した豊かな出会いでした。

 その中で特に印象に残っているもの。それは内モンゴルで最も美しいと言われているホロンバイル大草原の小高い景点から眺めたモルゲル河の佇まいであった。
 河は天と地に抱かれ、草原限りない中をくねりくねり、行きつ戻りつ静かに笑まっていた。草原と共に生きている河。草原の生きとし生けるものを生かし背負っている河。しかし、河にはその気負いがない。悠久の時空の中でゆったりと、ただ在る河。それは「行く川の流れは絶えずして・・・」
に見る、流れ移り行く日本の川とは異なる。モンゴルの大自然と民族の営みにふさわしい、全てを受け止め癒していく母なる河の姿であった。観るものをも清謐にさせる気品がこの河にはあった。

 「欲少なく生きているモンゴルの民の存在そのものが詩である」と司馬遼太郎は語っているが、私はモルゲル河そのものがまさに詩だと感じた。
 緑の風を受けながら河と相対した小一時間。河は何も言わない。ただ微笑んでそこに在るだけだった。しかし、私の内の捉えようのない何かが静かに動き出していく時間となった。モンゴルから戻って早一月。河は今も私の中で笑まい、私を少しずつ変えている。

写真は内モンゴル・ホロンバイル大草原の風景
撮影:伊禮 洋代さん

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