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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.57)DVD「沖縄発養生気功」の誕生 ( 2009/03/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 13年程前、家内の突然の事故入院がきっかけで、私は気功人生とのご縁をいただく事となりました。瀕死の重症で3ヶ月間の入院を余儀なくされましたが、何とか無事に、元気を取り戻せた要因の1つに、その病院で出合った"気功のお陰"があったのかも知れません。その後の当の本人は、気功の恩恵など、どこか遠くに忘れ去っている感がありますが、付き添い役を務めた私の方は、それ以来、気功人生とのご縁を益々深くするばかりの今日に至っております。

病院で出合った気功「香(しゃん)功(ごん)」と、その後、私が最も感銘を受けた気功「内養(ないよう)功(こう)」を日々続けている内に、いつしか仲間が増え、気功教室が生まれ、生徒さん達から"気功の映像が欲しい"との要望をいただく事になり、この度、急遽DVDに収める事に致しました。とても充分なものとは思えませんが、とりあえず気功教室のテキストとしてお配りした次第です。お陰様で、どうやら生徒さん達のお役に立てているようですので、今回のコラムに紹介させていただきます。

(T)香(しゃん)功(ごん)(初級・中級)

 この気功の正式な名称は「中国芳香気功」で、練功を重ねていく内に、芳(かぐわ)しい香りを感じられるようになることから「香功」と呼ばれるようになったとのことです。この気功は、中国の禅宗系のお坊さんたちの間で1000年以上も、秘伝として伝わる健康術との事です。これまで秘伝とされていたものを1988年に一般公開して以来、今や世界有数の人気気功として、大きな拡がりを見せているのです。
この気功の特徴は、とにかくやさしくて、誰にでも出来て、しかも効果が抜群であるばかりか、立っても座っても寝ていても出来る気軽さにあるようです。この気功を最後に引き継がれているお坊さんの田(でん)瑞生(ずいしょう)さんの言葉によれば、「香功を修得することによって、全身が丹田(たんでん)のようになり、目覚しい効果を見ることになる」とのこと、いかに自信に溢れた健康法であるかが察せられるというものです。ちなみに日本では、1993年にNHK教育テレビで紹介され大きな話題となりました。

(U)内養(ないよう)功(こう)

 今から10年程前、私はこの「内養功」という気功に出合い、言葉にならない程の大きな感銘を受けました。とても難しいと思いましたが、この気功には、どんなに難しくても、何としてもやり遂げてみたいと思わせる魅力に満ち溢れるものがありました。いつかこの気功を修得して、一人大自然の真っただ中に身を置いて舞える日の来ることを、夢に描き続けておりました。その魅力に取り付かれて、とうとうこの気功の発祥の地である中国河北省にまで、足を運んだ日のことが、懐かしく思い出されているところです。

 さて、この「内養功」は、中国の気功の父と呼ばれる劉貴珍(りゅうきちん)という方が、中国全土に伝わる沢山の気功の中から、それらの粋を結集させて創作された気功と聞いております。中国河北省に北戴河(ほくたいが)気功康復医院という有名な医療気功の聖地があり、内養功はこの地で生まれた医療気功の最高峰と評されているものです。劉貴珍先生亡き後は、愛娘の劉亜非先生が中心となり、世界中に内養功を発信されておられます。今やこの地には、ヨーロッパを中心に世界中からこの内養功を習う為に大勢の人たちが集まってきております。
 日本では、沖縄ご出身の仲里誠毅先生がこの気功を日本に紹介され、普及活動に取り組んでおられます。いつの日か、「香功」や「内養功」が、この沖縄の地にも拡がり、名実共に沖縄が世界一の無病長寿の島になって欲しいものと念ずるばかりです。

写真上:香功を演ずる人達
写真中:内養功のポーズ
写真下:DVD「沖縄発養生気功」のカバー


(No.56)呼吸はとても大事な健康法です ( 2009/03/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今、私の手元にある一番新しい呼吸に関する本は、作家の五木寛之さんと禅僧兼作家として著名な玄侑宗久さんとの対話集「息の発見」という本です。実はこれまでにも、呼吸に関する本は出来るだけたくさん読んできたつもりですが、理解力の乏しい私に、果たしてどれだけ呼吸法の神髄がつかめているかについては自信は有りません。ただ私が信頼したい一番のポイントは、言動一致で、どれだけ本物の健康長寿を生きておられる人物であるかに学びたいと思っている事です。

 歴史上の記録に残る最も長寿人生を生きられ、世界中にその範を示された人物は、2500年も前に80歳を生きられたお釈迦様ではないでしょうか。2500年前の80歳は今の時代に置き換えると150歳も200歳も生きられる程の長寿になるのだそうで、まさにお釈迦様こそは世界一の長寿者であろうと私は考えるのです。
 そのお釈迦様が残された健康長寿への助言は、"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と"動きを伴う呼吸はそうでない呼吸とは比べ物にならない素晴らしい深い呼吸なのです"というその言葉を私は私の呼吸法のバイブルとして捉えているのです。ヨーガ、気功、太極拳など東洋の健康術は、まさにその言葉を行動に示したものと言えるのでしょう。

 日本における長寿者としてその歴史に残る人物は、江戸時代に生きた臨済宗の自隠禅師とその先生といわれる白幽仙人で、白幽仙人は何と180歳から240歳の年齢を生きたらしいと言われているのですから、この話はうわさであるとしても、私には何とも嬉しい話です。この二人の健康法こそは、まさに日本における健康長寿法の元祖といえる「丹田呼吸法Jなのです。

 現在、私たちにも知り得る日本の著名な長寿者は清水寺の大西良慶和上の108歳、永平寺の宮崎エキ保禅氏の108歳を筆頭に、私が一番好きな松原泰道さんは今年101歳の現役ばりばりのお坊さんであります。
 長寿職の断トツのNo.1はお坊さんだそうですが、その理由は毎日のお経と言う呼吸法にあるのだそうです。お経はまさに吐く息そのもので、お釈迦様が残された"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と言動が完全に一致するのです。お経の出来ない私たちは、とりあえず歌を歌う事が健康長寿への一番の近道なのかも知れませんね。

 「息の発見」と言う上記の対話集の中で、五木寛之さんは『息を吸うときには、息を吸っている自分に気付こう。歓びを感じながら息をしよう。心を感じつつ、心を静めて呼吸しよう。心を安定させて、心を自由に解き放つように息をしよう。そして無常を感じつつ、生の消滅を感じ、自己を手放す事を意識しつつ呼吸しよう』と申しておられます。一方の玄侑宗久さんは『お経を唱えるのが一番の呼吸法です。「長生き」は「長息」であることを、つくづく実感した』と申しておられます。

 最後に、この12年間、気功人生を通して学んだ私の呼吸法の心得を簡単に記させていただきます。誰かの、何かのお役に立つことになればこれに優る喜びはありません。

(1)吐く息に心を込めて、深く静かに、長〜く吐くように心掛けています。(お釈迦様からの学びです)。
(2)吐く息は宇宙に向かって吐き、吸う息は宇宙のエネルギーを全身にいただきます。(吐く息にも、吸う息にも感謝を込めて、ありがとう、いただきますと心の声を伝えながら)
  ( )は私自身の勝手な付け加え。(帯津良一先生から学んだ呼吸法です)。
(3)健康呼吸の基本は丹田腹式呼吸。ヨーガの呼吸法は腹から胸まで吸い上げる。気功の呼吸法は胸から更に頭のてつぺんにまで吸い上げてから、静かに全身に吐いていくのです。(天津中医薬大学客員教授 飯野節夫先生著「元気呼吸法」よりの学び)。

* 気功人生と出会ってからこの12年余り、私は本当に病気らしい病気が無いのです。どんなに風邪が流行っていても、風邪が私をよけてくれているような気がしてなりません。吐く息に心を込めた深く静かな呼吸は、本当に有難い健康法と思い、手を合わせる日々であります。



(No.55)名護マラソンとYOSHIさんと島袋勉さん ( 2009/02/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎年2月になると、日本一早咲きの桜の名所として知られる沖縄県名護市の桜マラソンが開催されます。今回は、第50回記念大会ということもあって、日本各地からもマラソン愛好者たちがこの地に集い、約3000人のランナーが満開の桜並木の山原路(やんばるじ)を満喫されたのです。

 さて、この名護の地を故郷に持ち、今はこの地を遠く離れ、40年以上もニューヨークに住まわれ、著名な写真家としての人生を歩んでおられるYOSHI比嘉さんが、ご自分の写真展をかねて沖縄に里帰りをされ、奥様共々に、この名護マラソンにも出場されるというニュースを知り、私達夫婦は何が何でもこのお二人にお会いしたく、マラソン会場に足を運んだのです。

 私達夫婦がどうしてもYOSHIさん御夫婦にお会いしたかったのには大きな理由があっての事でした。2007年10月、YOSHIさんの写真集「50歳からのニューヨーク散歩」という本とのご縁でニューヨークを訪ねた際、YOSHIさん御夫婦にはまさかのおもてなしを受け、生涯忘れられない想い出をいただくことになったのです。その時の事はコラムNO24,25に書かせていただきましたが、今回はその時のせめてものお礼の気持ちを込めて、マラソンの応援に駆けつけた次第です。

マラソン当日の気温は2月上旬というのに23度、まるで初夏を思わせるほどの暖かさでした。応援する私達にとってはグラウンドに立っているだけで気持ちよかったのですが、走っている人にとっては少々暑かったかもしれません。そんな中、YOSHIさんも奥さんのマデリンさんも堂堂たる走り姿でゴールインされたのです.YOSHIさんは70歳代の上位に、マデリンさんは60歳代の第2位という成績で表彰台に立たれ、会場からの喝采を浴びました。

 マラソン完走後には、「親戚の家で祝賀会があるので、是非おいで下さい」とのお言葉をいただいたのを幸いに、その家を訪ねてみると信じられない程の人達が集まっておりました。ちょっと数えただけでも50〜60人の老若男女で溢れていたのです。いったいどうした事であろうかと思い数人の方に尋ねてみたところ、どうやらここに集まっている殆ど総ての人が、私達夫婦と同様に、何らかの形でニューヨークでYOSHIさん御夫婦のお世話になった方々なのです。皆がYOSHIさんご夫婦に会いたかったのでしょう。YOSHIさん御夫婦の偉大なお人柄に、ただただ恐れ入るばかりでありました。

 そんな人達の集まりの中に、マラソン愛好者であれば誰もが知っているであろう、あの義足のランナー島袋勉さんの姿もありました。島袋さんは2001年の4月に、両足を切断するという大事故に見舞われながらも、それから3年後には不屈の精神力と想像を絶する努力の末に、ホノルルマラソンに挑戦し、奇跡の完走を成し遂げられているのです。その時の様子は¨義足のランナー¨という本に詳しく記されていて、読む人の心を感動の世界に導いてくれます。
 その後も島袋さんは更なる努力を積み重ね、それから後の5年間に何とホノルルマラソン(4回)、ニューヨークマラソン(4回)、バンクーバーマラソン(3回)等々、大小40回のマラソンを完走されておられるのですから、とても人間業とは思えません。
 島袋勉さんの凄さは、身体の障害ばかりか、仕事においてもあらゆる苦難を乗り越えて、ひたすら人生を前に向かって突き進んでおられる事だと思います。島袋さんを囲む周りの人達も素晴らしいのです。助け合って生きることの美しさに感動を覚えます。島袋勉さんという方は、マラソンを離れたときのお顔は、まるで仏様がそこに居るような、穏やかな優しい笑顔に満ち満ちているのです。そんなお姿を横目でチラッと見るたびに、私は思わず心の中で手を合わせてしまいたくなるのです。

 2009年の名護マラソンとニューヨークのYOSHIさんご夫妻のお陰で、今また島袋勉さんという奇跡のランナーとの出会いをいただける事となり、私の心は新たなるときめきを感じております。名護マラソン,YOSHIさん、そして島袋勉さん、本当に有難うございました。

            (2009年2月末の記)

写真上:YOSHIご夫婦を応援して
写真中:島袋勉さんとの出会い


(No.54)石川遼君にマスターズからの招待状が!! ( 2009/02/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

若干17歳の石川遼君に、世界の最高峰といわれるあのマスターズから招待状が届いたというニュースは、ゴルフ大好き人間の私にとっては、たまらなく嬉しいビッグニュースであります。

 1934年から続いているマスターズゴルフの歴史の中でも、石川遼君の17歳の出場は、史上2番目の若い記録だそうですから、これは本当に凄い事と思うのです。この記録は、世界bPのゴルファーといわれるあのタイガーウッズをも凌ぐ(しのぐ)快挙ですから、石川遼君のこれからの人生には一体どんな事が起こるのであろうかと、ぞくぞくするほどの楽しみが湧いてくるのです。

 ちなみに、これまでマスターズに出場した日本人選手では、ジャンボこと尾崎将司選手の24歳が最年少記録で、あとは世界の青木選手でさえも31歳、2001年の大会で4位の成績を残した伊沢選手は33歳でしたから、マスターズという世界がどれ程大変な世界であるかが判るというものです。
 17歳の石川遼君が、2009年のマスターズでどれだけの成績を残せるかについては、世界が注目する事になるのでしょうが、私は遼君には、私なりの期待を込めつつ応援したいのです。

 石川遼君の今回のマスターズは、失敗を恐れるものは何一つとして無いはずですから、結果は全く気にしないで、17歳の若さを爆発させて、世界をあっ!!と言わせるような何かをやって欲しいものと期待したいのです。
 石川遼君は先日のマスコミの質問に、「マスターズの(アーメンコーナーといわれる)12番、パー3の第一打を2回連続して手前の池に入れて、第3回目はキャリーで奥のバンカーに入れる事しか想像できません」と答えましたが、もし彼の想像どうりの事が現実のものとなれば、その瞬間から、石川遼の名前はマスターズの歴史に残る事になるのでしょうから、むしろ望むところではないでしょうか。願わくば、第3打目はホールインする事を私は夢に描いてみたいのです。
 
いく分の冗談はさておくことにして、石川遼君は、彼が持って生まれたゴルフの才覚に加えて、ゴルフに対する思い入れの深さ、熱心な取り組み、まじめさ、謙虚さ、素晴らしい言動、振る舞い、人間性、ファッション感覚、等々、どれをとってみても抜群の品格を備えた好青年と思わずにいられません。日本ゴルフ界のプリンスであり、エース中のエースであり、世界に誇れる本物のゴルファーになってもらいたいと切に望むところです。石川遼君を心から応援したいのです。頑張れ遼くん!!

     (from Okinawa,2009.2.6.
      アメリカでゴルフ人生を歩んでいる三男、
      淳平の31歳誕生日を記念しての記)


(NO53)バラク・オバマ米大統領就任式に思う事 ( 2009/01/27 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 「変革」と「希望」、そしてあまりに印象深い「YES WE CAN」のキャッチフレーズを掲げて、遂にアメリカ大統領にまで上りつめたバラク・オバマさんの大統領就任式だけは、何としても同時進行の映像で見ておかねばならないと思い、眠い眼をこすりながらも、真夜中のテレビにかじりついていた2009年1月20日の夜でありました。

 オバマ新大統領の口から、どんなに凄い第一声が発せられるものかと、私は固唾(かたず)を飲んでテレビを見守っていたのですが、意外や意外、その第一声は静かな小さな声の「THANK YOU」でした。18分30秒の演説は淡々としたもので、いささか期待はずれを感じながら眠りについてしまったのですが、翌日の新聞に載った演説集に目を通していく内に、オバマさんの発言には、じわじわと心に深く浸み込んでくるものがあることに気付き、読み終えた時には、オバマさんこそは、まさにアメリカ合衆国の救世主であり、世界の救世主でもあり、地球を救う救世主かもしれないと思うようになりました。

 バラク・オバマ新大統領の信念は、ブッシュ前大統領が掲げた新自由主義という名のもとに強行され続けた、野放図な金儲け主義からの決別にあるように思えます。 オバマ新大統領は就任演説の中で次のような事を述べておられます。 
・アメリカ経済の弱体化の原因は、一部の人たちの強欲と無責任さにありますが、その選択を怠った市民にも責任はあるのです。

・富裕層のみを優遇する国は長く繁栄する事は出来ません。この国は医療費も高過ぎ、教育制度は子供たちを見捨てている。大事な事は、富を分配して、安心と誇れる人生を送れるよう支援する事です。
・金儲け主義は地球の資源を使い過ぎ、地球環境を脅かしています。太陽エネルギー、風力エネルギーに目を向けるべきです。
・アメリカは平和と尊厳を求める国、男性、女性、子供達の友人であります。世界の、事情の異なる国々とは、共に歩む新たなる方法を探していきたい。

マイナス7度という極寒の中をものともせず、オバマ新大統領の就任式に集まった200万人を越える熱狂的な人々の姿は、アメリカ合衆国の市民のみならず、世界中の心ある人達が、オバマ新大統領に、真の平和と真の自由と真の平等への「変革」を求めて集結した姿に違いありません。
 
 オバマ大統領の信奉するリンカーン第16代アメリカ大統領は、¨誰に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈悲の心を差し伸べること¨を信条とされたのだそうです。オバマさんは彼の生い立ちから想像しても、リンカーン大統領のこの信条を自らの信条として、21世紀を、奪い合う争いの世界から、与え合う慈悲に満ちた平和の世界に変えていこうと心に誓っておられるのではないでしょうか。私にはオバマ大統領の顔には一点の私欲も感じられないのです。
 世界中の人たちがオバマ新大統領と心を一つにして、他者の事を思いやる事になれば、21世紀の地球は、必ずや平和と幸福に光り輝く美しい星に甦るのではないでしょうか。まさにYES WE CAN!!でありたいものです。バラク・オバマ新大統領の誕生に、心からのお祝いを申し上げたいと思います。
                 
(2009・1・23の記)

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