21世紀養生塾沖縄
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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.62)今日より良い明日を ( 2009/06/10 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 この言葉に出会えた時から、私は毎日が一層楽しく思える様になっています。日々に何があろうと、今日の日の全ての事は希望の明日に繋がる出来事と思えば良いのですから、余計な悩みは無用、私のような単細胞の人間にとっては、これほど単純明解にして有難い養生法はないのです。

この言葉に出会えたのは、今年の4月、新しくなった帯津三敬病院を訪ねたときの事で、新病院の玄関にこの言葉は掲げられていたのです。その時の事は、コラムのNo.59に書き留めましたが、実は後日、この事に関する思いがけない嬉しい出来事に出合える事になったのですから、「今日より良い明日を」の言葉を私は益々好きになっているのです

新病院訪問の旅を終えて一ヶ月程が過ぎた日の事です。私の目の前に突然一冊の本が出現したのです。本のタイトルは「今日よりも、良い明日」。まさかと思い手にしてみると、紛れもなく著者は帯津良一先生です。実は帯津先生大好き人間の妹夫婦がどこかでこの本を入手していたのです。これはこれはと思い、すぐさま私も本屋さんに注文したのですが、到着まで一ヶ月ほどかかるとの事、それではと思い、今度は帯津新病院の里見秘書さんに電話を入れてみたところ、何と3日後には帯津先生からの同書と同文の色紙が送られてきたのですから、私の喜びは一気に頂点に達してしまいました。まさに感動です!! そしてこの感動は、またまた次なる感動の世界に私を導いてくれそうな気配になっているのです。

話が突然横道にそれる事をお詫びします。今年の6月末には私は73歳になるのですが、何故かこれまでの人生に6つの歌が生まれているのです。どうやら歌というものはある種の感動の先に自然の生まれてくるものかも知れません。6つの歌の内の3つは1996年、60歳の時に生まれたものです。

50歳の時から始めた私のマラソン人生は、60歳のときがピークで、神様はマラソンに一生懸命の私に、この年、とてつもない3つのご褒美を授けて下さいました。@つは、この年に開かれたアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表の一人に選ばれた事。Aつ目は、1996年4月のボストンマラソン100回記念大会に、「沖縄地球を走る会」のメンバーと一緒に出場が許された事。Bつ目は、この年の早春、沖縄最南端の波照間島から北海道宗谷岬までの3,000キロを桜の開花に沿って走るという、まさかの好機に恵まれた事です。この日本縦断走には3ヶ月を要したのですが、お陰でこの一年間の私は、感無量の感動劇の中に身を置かせていただき、おまけに3つの感動歌まで誕生させてもらえたのですから、これ以上の思い出はありません。このとき生まれた3つの歌は@「聖火の道」、A「ボストンマラソン」、B「日本列島桜駅伝3,000キロ」です。残りの3曲は、はるかな昔のW恋歌Wの様なものですから、この辺で終わりにします。

さて、何故、今、昔々の歌物語なのかという事ですが、実は冒頭の「今日より良い明日を」という言葉に出会えた喜びが、久々に私の心にW歌心Wを芽生えさせてくれているのです。若き日にしか生まれない歌もあれば、年齢を重ねてしか生まれない歌もあるのかもしれません。今はメロディーらしきものが、どんどん溢れてくるのですが、肝心の言葉(歌詞)がなかなか思うように浮かばなくて苦戦中です。でもそのうち何とかなりそうな気もして、心は今もときめき続けているのです。

「今日より良い明日を」、私は今この言葉が一番大好きです。この言葉を心に刻み付けていれば、毎日がとても幸せに思えていられるからです。帯津先生と帯津新病院に心からの感謝、感謝、感謝です。


(No.61)「養生という生き方」(JTBパブリッシング出版) ( 2009/05/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

「養生という生き方」は本の題名で、著者は私が人生の師と仰ぐ帯津良一先生です。コラムNo.59にもちょっと書き添えましたが、この本は今年の4月、私達沖縄養生塾のメンバー24名が、埼玉県川越市に新しく誕生した帯津三敬病院を見学訪問した事へのお礼にと言って、帯津先生から、わざわざ訪問者全員に送り届けて下さった物です。

この本は,JTB(日本交通公社)の旅の雑誌「ノジュール」に、2年間にわたって掲載された記事をまとめたものだそうです。「ノジュール」とは"団塊の世代"を意味する言葉で、激動の20世紀を懸命に生きられた、まさに団塊の世代の人達に贈る帯津先生からのメッセージが込められているのです。私は団塊の世代よりは少し上に位置するのですが、この本に深く共感し、学ぶ事ばかりですので、本の紹介を兼ねて、少し自分の気持ちを述べてみようと思います。

さて、私にとって20世紀とは一体どんな時代であったのか考えてみるのです。今から思えば、子供の頃の生活はとても貧しかったような気がするのですが、頭に浮かんでくるのは楽しい事ばかりです。(「故郷」という歌の情景が浮かんできます)。しかし、今になって大きく振り返ってみると、20世紀という時代は、誰もが次第に物の豊かさだけを求めて、拝金主義という欲望の世界に目の色を変えていった時代であったような気がしてなりません。なりふりかまわない人間の欲望が、いつしか戦争という悲しみの極に人を追いやり、更には地球規模の自然破壊をもたらし、果ては、人類滅亡の警鐘を鳴らす学者もいる程ですから、欲望と競争に明け暮れる人間社会の恐ろしさを痛感せずにはいられません。

ホリスティック医療の立場に身を置かれる帯津先生は、この本の中で、「21世紀は競争の原理から脱却して、何としても"生命(いのち)の時代"であらねばならない」と提唱されておられます。生命の時代とは養生に徹して生きるという事です。養生に徹して生きるということは、生命を正しく養い、生命のエネルギーを溢れさせる事であり、生命のエネルギーを溢れさせる生き方とは、私達の住むこの地球を誕生させた大宇宙(虚空)の大摂理のままに共生するということであると、私は理解するに至っております。この地球は人間の所有物であるはずが無いのです。人間こそが大宇宙の摂理の中で生まれた地球という星に誕生を許され生かされているのでしょうから・・・。

最後に帯津先生の提唱される"養生の要諦"を紹介させていただきます。
(以下、「養生という生き方」からの抜粋)

*養生とは生命の場を正しく養い、生命のエネルギーを溢れさす事です。生きるということは哀しくて寂しい事でもあるのです。哀しみの大地にどっしりと腰を据え、その大地に希望の樹木を何本も育てていくのです。小さな希望、大きな希望、何でも良いのです。希望の花が咲けば心がときめくのです。この心のときめきこそが養生の最も素晴らしいエネルギーとなるのです。

*私達は虚空から来た旅人です。生命を正しく養って、生老病死をしっかり生ききり、また虚空へ旅立っていくのです。それこそが養生です。



(No.60)新・帯津病院訪問の旅に寄せられた感想文 ( 2009/05/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津病院訪問の旅を終え、参加された方々から、11名の感想文が寄せられましたので紹介させていただきます。スペースの都合で、ごく一部ずつの抜粋文となりました事をお断りいたします。

(T)心ときめく春爛漫の旅で、まさに命のエネルギーが高まるものを感じました。「いい場」に身を置く事で人と人とがつながり、素晴らしい感謝、感激、感動の体験でした。病院の玄関に掲げられた「今日よりは良い明日へ」に向かって、日々のエネルギーを高め、大いなる希望を持って生きていきたいものです。
          (宮古島養生塾 下地真喜子)

(U)今回の旅は感謝と感動の旅でした。帯津新病院の見学、帯津先生の講話、伊佐沼の満開の桜、夕食交流会と全てが素晴らしく感動に酔いしれてしまいました。高崎養生塾では、帯津先生やメンバー達と一緒に、トーガニアヤグ(宮古島民謡)で太極拳を舞うことが出来て、身震いする程心のときめく貴重な体験でした。
          (宮古島養生塾 知念節子)

(V)満開の桜並木の宿泊施設、エスポアールでの懇親会は、間近でお会いした帯津先生や養生塾の皆さん方に、たくさんのエネルギーをいただけた一日でした。
          (宮古島養生塾 M・K)

(W)旅の行程中、ずーっと"いい場"、"いい気"が流れ、幸せと感動いっぱいの日々でした。今後は気功を通じて、どんな(辛い、嫌な)時でも、余裕のある心と体を養っていく事が、これからの私の目標です。
          (沖縄養生塾東京在住 小川美穂子)

(X)宿泊先での懇親会には、超多忙の帯津先生をはじめ、病院の幹部の方々まで参加してくださり、いかに帯津病院が、沖縄の21世紀養生塾を大切にして下さっているかを身に沁みて感じ、心強く思いました。群馬養生塾の岡庭さんご夫妻、幹部の方々にも大変お世話になり、感謝しています。
          (沖縄養生塾 比嘉實勝)

(Y)帯津先生の書物を読んできて、是非一度は訪れてみたいと思っていた病院訪問が実現できて嬉しかった。帯津先生を交えての懇親会で盛り上がり、急遽、12月末に帯津先生の沖縄行きが即決となったのは快挙であり、12月に向けて、ときめきの日々が続きそうだ。
          (沖縄養生塾 高良一實)

(Z)桜満開、笑いで口も全開!! エネルギー高まる楽しい、楽しい帯津病院との懇親パーティーでした。沖縄養生塾と出会い、素敵な方々と知り合え、埼玉まで一緒に行けた事が、とても偶然とは思えず、不思議でたまりません。私にとっては、この人達と共にいる場所が生命場で、心も体も元気になっている事を感じるツアーでした。
          (沖縄養生塾 平田貴子)

([)最近、人の縁の深さを感じている。太極拳を通して知り合った養生塾の仲間たちが、あんなに明るいのに、それぞれに抱えきれないほどの病気と闘っている事を知った。また、帯津先生の講演を聞いて、仲間たちが帯津先生を慕う事が理解できた。今回の旅は、満開の桜も、散る桜も満喫したが、それにも増して、人の優しさとご縁を感慨する旅であったと思う。
          (沖縄養生塾 大城敦子)

(\)まさに、命の深みに繋がる病院のたたずまいでした。川越の田園風景残る真ん中、朝夕、澄んだ空気の中で富士山も遠望できる場。帯津先生の病む者に対する祈りにも似た姿を見た思いがした。伊香保温泉への行程で、それこそ満開の、命みなぎるソメイヨシノの大木の群れに出会えたこと、一期一会、わが生涯の思い出となった。高崎養生塾のご配慮に感激!! 夕食交流会は実に楽しかった。また、日程の詰まっている天下の帯津先生をして、「12月の沖縄忘年会に参加します」と即答させた沖縄養生塾のパワーに感動!!
          (沖縄養生塾 玉城康雄・秀子)

(])まさか、帯津三敬病院を訪ねる機会が来ようとは。まさか、念願の桜吹雪の中を、一人散策する機会が来ようとは。まさか、かいつぶりの鳴き声を聞き、その潜水時間の長さに驚く機会が来ようとは。まさか、旅館の鍵を持ち帰り、岡庭さんにご面倒をかけ、ついでに、おそばと見事な枝垂桜(しだれざくら)の下の記念写真をご一緒する機会が来ようとは。これだから人生はやめられません。大満足。尚、奧田泰子さんの添乗員ぶりに感激しました。
          (沖縄養生塾 山田晶子)

*添乗員(お世話係)をしてくれた奧田泰子さんには、山田晶子さん、他の方々からもねぎらいのお言葉を頂き恐縮しております。皆さん、本当に有難うございました。またいつか、何処かにいい旅をしましょうね。


(No.59)新・帯津病院訪問と、高崎・伊香保温泉の旅 ( 2009/04/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

21世紀養生塾沖縄は、21年4月10日から2泊3日の予定で上記の旅を計画。参加者24名は、それぞれに大きな想い出を残して、無事の旅を終えることが出来ました。今日はその報告をさせていただきます。

(T)新・帯津三敬病院を訪問
私達21世紀養生塾沖縄の塾頭であられる帯津良一先生の新しい病院が完成し、沖縄養生塾生一行は、そのお祝いと見学を兼ねて新病院を訪れたのです。一行24名は、往路も帰路も自由行動で、4月10日の午後3時半を期して病院ロビーに集合というスケジュールを組みました。参加者は沖縄本島から15名、宮古島から5名、東京在住の沖縄養生塾関係者3名という構成となりました。

新帯津三敬病院のベッド数は99床で全室が個室。ベッド数の半分は無料個室という破格の内容です。病院に入ってすぐの印象は、まるで一流のホテルを思わせるような、広々とした、清潔感溢れる気持ち良さです。関根事務長さんのご案内で全館を案内していただきましたが、屋上からは富士山も見えるいい場所にあり、病院全体が、まるで"癒しと養生の場"という印象でした。帯津先生が日頃仰っている、あるべき病院の理想像を垣間見たような気が致しました。

私個人としては、正面玄関を入ってすぐのところに掲げられていた"今日よりは良い明日を"という基本理念が真っ先に目に留まり、ひとしを感慨深いものがありました。
 私は間もなく73歳になるのですが、70歳の時、"一日生きることは一歩前進することでありたい"という言葉に出会い、以来、この言葉を座右の銘としているのです。この言葉は日本人初のノーベル物理学者となられた湯川秀樹博士のお言葉のようですが、帯津新病院の玄関に、これと同じような主旨の言葉を発見できて、感無量の思いに浸った事でした。

(U)帯津新病院関係者との懇親会
 私達一行が宿泊したところは、川越市伊佐沼にあるエスポアール伊佐沼というホテルでした。おりしも桜が満開で、ホテルの前面に広がる満開の桜に感激。風が吹く度に、いっせいに舞い散る桜吹雪にまた感激、地面に積もった桜の絨毯にも感激。私達一行は、この桜の絨毯の上で、気功・太極拳を舞うことが出来たのですから、これはもう一生忘れられない想い出になるのかも知れません。
 
 さて懇親会は、この満開の桜に囲まれたエスポアールの和室。沖縄組24名に加えて、帯津新病院側からは、帯津名誉院長、山田総婦長、関根事務長、大野東洋医科主任などの関係者が多数ご参加くださり、身に余る光栄でした。
宴たけなわ、遠く宮古島から参加した5人の女性達によるクイチャー(宮古島民謡)が始まり、出席者全員が立ち上がって、この踊りの渦中に巻き込まれてしまったのですから、びっくり仰天のサプライズです。更にサプライズの頂点は、帯津先生のスケジュールが、今年たったの一日しか空いていないという12月20日に、その場にいた全員が沖縄に再集結しようという事になってしまったのですから、びっくり仰天を通り越して、"帯津新病院は大丈夫なのか???"と一瞬心配になってしまったのでした。この時のハプニングが夢の中の出来事なのか、現実のものとなるか、それは2009年12月20日を待つ他はないのです。

(V)高崎から伊香保温泉へ
 一夜明けた4月11日は、川越のホテルから大宮駅で新幹線に乗り継ぎ、高崎駅まで30分。それから市内循環バス乗り換えて、高崎総合福祉センターに移動。そこで開催された高崎養生塾主催の講演会に出席。帯津先生の講演「人間まるごと養生、体・心・命」を聞く事が出来ました。
高崎養生塾のリーダーは、沖縄にも度々足を運んでくださる岡庭和子さんです。岡庭さんには今回の高崎でもすっかりお世話になりました。高崎から伊香保温泉までの長距離移動を必要とする私たちの為に、4台の車を用意して下さり、しかも途中、途中、満開の桜の名所を選びながらの移動をして下さったのですから感謝感激でした。運転を引き受けて下さった4名のドライバーさん達の何と親切なお人柄。私達は高崎が大好きになってしまいました。夏になったら、必ずやこの方々に、沖縄のマンゴーをお送りして、お礼に代えようではないかと、その場で誓い合ったのでした。

(W)伊香保温泉の想い出
 伊香保温泉は、草津温泉と並ぶ群馬県の温泉の名所だそうです。前述の岡庭さんのお世話で、私達は100年の歴史を誇る温泉旅館「かのうや」に宿泊する事ができました。沖縄一行はこの宿のお湯にどっぷりと浸(つ)かり、温泉の旅情に浸(ひた)られた事と思います。夕食会では全員が一言ずつ、喜びいっぱいの気持ちを言葉にしていただけました。
 温泉での一夜が明けて、朝食の後は、それぞれに三々五々と帰路に着きましたが、後日、全員が無事に帰られている事を知り、心から嬉しく感謝でした。

*後日、帯津先生から、参加者全員に、帯津先生のサイン入り最新書「養生という生き方」が送られてきて、大喜びの想い出がまた一つ増える事となりました。

写真上段:帯津三敬病院にて 参加者一行
写真中段:高崎養生塾の太極拳実演と懇親会
写真下段:桜の季節(中央は岡庭和子さん)・
     帯津先生の最新書「養生という生き方」



(No.58)石飛博光さんと毎日現代書沖縄巡回展 ( 2009/04/07 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎日書道展第60回記念巡回展が沖縄でも開催され、大勢の書道愛好家が足を運ばれたようです。オープンの3月24日は,WBCの日本・韓国優勝決定戦と重なる事となり、もしかして人が集まらないのでは・・・と心配したのですが、全くの心配外で、大勢の人たちがテープカットの前に集まっておられました。
 実は私もそのテープカットの前に並んだ一人でしたが、私がWBCのテレビ観戦よりも今回の毎日書道展を優先させたのには特別の訳があっての事でした。今回の沖縄巡回展の主客としてお見えになられた石飛(いしとび)博光(はっこう)さんのテープカットの姿を、どうしてもこの目で見ておきたかったからです。

石飛博光さんの事は、コラムNo.31でも書かせていただきましたが、もう30年ほども前に永六輔さんから紹介していただき、それ以来のご縁が続いているのです。初めてお会いした頃の石飛さんは、"新進気鋭の書家"と聞かされていたのですが、30年近くを経た今では、日本を代表する書家の地位を築かれ、その肩書きたるや、日展会員、全日本書道連盟常務理事、毎日書道会理事、日本詩文書作家協会副理事長、創玄書道会理事長,NHK文化センター講師等々と、目を見張るばかりの地位に昇りつめておられる事を知るにつけ、心からの拍手喝采を送らずにはいられません。

 私は書の事は何も解からないのですが、石飛博光さんの書かれる「近代詩書」といわれる自由自在の書には、たまらない魅力を感じてしまうのです。石飛さんの自由奔放な書の裏側には、とことん書の基本を習得され尽くされたものがあっての事なのでしょうが、とにかく楽しく、美しく、優しく、力強く、気品に満ちた書の魅力に溢れているのです。
 石飛さんの書は、石飛さんのお人柄そのものから生まれ出ているものと私は信じて疑いません。あれ程の実力と、あれ程の名声と、あれ程の地位におられるのに、まるで威張らず、まるで奢(おご)らず、まるで普通の人のような親しさを覚えるのですから、もしかして、もうとっくに人間の粋を卒業されておられるのかもしれません。

2009年3月24日、毎日現代書展沖縄巡回展オープンの日の夕食をご一緒させていただく好運に恵まれました。その席で、ふと、ほろ酔い気分で石飛先生の口から出た言葉が、私の脳裏に焼きついて離れません。その言葉とは、「自分は、もし100歳まで生きられたら、とことん枯れた書を書いてみたいですね。」「枯れた書というのは、よぼよぼの字というのではなくて、いらないものを全部そぎ落として、素朴で、大らかで、色香の漂う書と言うことです。」という言葉でした。
 実は私も100歳まで元気に生きることを宣言しておりますので、これからまだ30年余り、石飛先生とのご縁を更に深く続けさせていただき、石飛博光さんの100歳の書を何としても見てみたいと思うのであります。
 
 石飛さんは沖縄とのご縁も深いのです。2000年の沖縄サミットの際、当時のクリントン大統領が宿泊された万座ビーチホテルのお部屋には、石飛先生の書が飾られたのです。その事がご縁で"沖縄美ら島大使"にもなられているのです。

 さて、石飛先生の一番の趣味は、どうやらゴルフなのかも知れません。ゴルフの腕前も実に見事なものですが、とにかく石飛先生のゴルフは楽しいのです。まるで子供のようにゴルフを楽しまれるのですから、同伴者も童心に帰ってゴルフが楽しめるのです。石飛先生の沖縄でのゴルフは那覇カントリーが多いようですが、那覇カントリーのコンペルームには石飛先生の「根深葉茂」という見事な書が飾られておりますので、書に関心の或る方は是非ご覧になられては如何でしょうか。

 さてさて、もし神様が、今の私に「何か夢を叶えさせてあげるから、何でも申してみなさい」と言って下さるとしたら、私はすかさず、沖縄の何処かに、小さな「石飛博光・夢の美術館をつくってみたい」と答えます。全くの夢物語にしても、こんなに楽しい夢の物語はありません。これからは毎月、宝くじを買い続けてみることに致しましょう。

写真上段:沖縄の石飛ファンに囲まれて
写真中段:那覇カントリーと夕食会
写真下段:石飛先生の最新の書



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