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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO268) 81歳の誕生日と前人未到の29連勝 ( 2017/06/29 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 81歳の誕生日と言うのは、1936年6月26日生まれの私の事です。
前人未到と言うのは、申すまでも無く6月26日の夕刻に、14歳にして前人未到の29連勝を成し遂げ、日本中を驚かせた将棋界の神童、藤井聡太4段の事です。

 私と藤井聡太君の間に特別な関係がある訳でもありませんが、今年の81歳の誕生日は、何かしら嬉しくてたまらない気がしているのです。勿論藤井聡太君の快挙のお陰ですが、6月26日を誕生日とする全ての人にとっても忘れられない思い出の誕生日になったに違いありません。藤井聡太君、素晴らしい感動を有難う!!。
願わくば連勝記録を覚えやすい数字の30連勝まで伸ばしてくれると嬉しいのですが、もし負けることがあっても、それはそれで長い人生の為には、それもまた貴重な体験になるのでは・・・と、私はそんな思いであなたの事を応援しています。。

*全くの余談ですが、今私の家に下宿している長兄孫の¨拓夢¨は、今日6月28日生まれの14歳の中学生です。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 さて私は80歳の声を聴くようになってからは、毎日がまさかまさかと思える事ばかりの連続です。まずは足腰が急激に弱くなってきております。50歳のころから走る事が大好きになり、75歳にして地球一周の4万キロを走破した筈の足なのに、81歳になった今では走るどころか、歩くのもままならず、ゆっくり1〜2キロを歩くのが精一杯の昨今であります。

 階段の昇り降りや椅子から立ち上がる時などに、口から出るヨイショ、ヨイショの数はとどまるところがありません。我ながらあきれるばかりです。忘れ物も多くなりました。人の名前がなかなか思いださないのも悩みの種です。
 やがて2歳になる孫の¨音羽¨と、やがて4歳になる¨希望¨(のぞみ)が、決まって週2回やってくるのですが、その時ばかりは天国と地獄の行ったり来たりで、息をするのもむづかしくなる程疲れてしまいます。

 ただ、毎朝測る体重計だけは、何故か私を勇気づける数値が出てくれるのです。
81歳になったばかりの朝の体重計は、身長162、体重72、体脂肪21.6、健康年齢は66でありました。
機会の数字ですから100%は信じてはおりませんが、実年齢よりも15歳も若い数字を示してくれるこの体重計にはかなり励まされるものがあるのです。
 私が今、一番気を付けている健康法は:

@ いい呼吸を心掛けております。いい呼吸とは静かな深~い全身呼吸です。
 人間は一日に約20,000回の呼吸をしているそうですが、その内の100回、深~い呼吸を心掛けると、病気知らずの身体になるのだそうです。(帯津良一著¨呼吸はだいじ¨より)

A いい水を飲む事。人間の体は72%は水で出来ているそうです。私は体の中に直接入れる水は、なるだけ自然水を使用しております。81歳の誕生日に家内からプレゼントされた¨日田の天領水¨(1ダース)は、今私の一番のお気に入りで、この水でこれから私の体がどう変わっていくのであろうかと楽しみで仕方ありません。

B 無理なく毎日体を動かす事。出来れば自分の運動で一日2回位汗をかく事と、柔軟な体づくりは健康に良いと、自分の体験を通して確信するに至っております。

C 食事は、¨ま・ご・わ・や・さ・し・い¨の頭文字がつく種類のものを食べる様に心掛けています。今の私には一日2食が一番合っていて、夜遅くの食事はなるだけ避ける様に気を付けております。

D 私の目指す¨人生の心得¨は以下の5項目であります。

 * 敬天立命(天を敬い、自らの人生を生きる事)

 * 感謝感動(感謝の日々と、感動の日々である事)

 * 一燈照隅(一隅を照らす人生である事)

 * 生涯青春(夢・希望・ときめき・努力・前進)

 * 百歳人生(生き生き楽しく、思いに溢れて)

  以上81歳の記といたします。
                       2017年6月28日の記





奥田のコラム(NO267) ゴルフの感動劇2題 -宮里藍ちゃんの引退劇と 松山英樹君の底力- ( 2017/06/23 )

 
 宮里藍選手の引退記者会見

 
 日本最後の試合となったサントリーレディース

 
 サントリーレディースのティーショット

 
 2017年全米オープン第2位の笑顔

 
 絶妙のアプローチでバーディー

 
 

(その1)宮里藍ちゃんの引退劇にびっくり!!

 ゴルフの宮里藍ちゃん(31歳)が5月26日に突然の現役引退を発表され、余りの突然に本当にびっくりでしたが、私が更にびっくりしたのは、沖縄の新聞がその翌日から3日間に渡って、新聞の一面に大々的に宮里藍引退の記事を特集した事でした。

 私は沖縄にご縁をいただいて43年になりますが、この間、スポーツ選手の事が新聞の一面に3日間に渡って報道された事は無かったと思うにつけ、宮里藍ちゃんは既にそれほどまでに大きな沖縄の、いや日本の星になっていた事を再認識させられたのでした。

 私も4〜5年前まではゴルフ大好き人間で、¨100歳のゴルフ人生¨を目指していたのですが、80歳の今となって、そのゴルフ人生に真っ赤な赤信号がつきっぱなしになっているところです。
 今から20年程前には、沖縄の北部にある¨嵐山カントリー倶楽部¨で、宮里藍ちゃんのゴルフ姿を何度も見ておりましたが、その時の印象は、とても小さくて、可愛くて、ゴルフに向かう時の目の輝きが強く印象に残っていたのです。あの時のあの藍ちゃんが、いつの間にか、日本の藍ちゃんに成長し、世界の藍ちゃんになり、いよいよこれからベテランの味が出て来るのかなーと思っていた矢先の現役引退ですから、あまりに急激な時代の流れに、唯々驚くほかはありません。

 宮里藍ちゃんは記者会見で、「モチベーションの維持が難しくなった」事、「プロデビューからの14年、苦楽を共にしたゴルフ人生が幸せな時間であった」事、そして「ゴルフには感謝一杯です」と語りましたが、彼女にとってこれ以上のゴルフ人生は無いのではないのでしょうか。
 藍ちゃんの公式試合のプレーは、アメリカでの4試合を残すのみとなりましたが、どうか最大限にゴルフを楽しんでもらいたいと願うばかりです。宮里藍ちゃん、沢山の感動を本当に有難うございました。

(その2)松山英樹君の底力にびっくり!!

 松山英樹君(25歳)の今年の全米ゴルフをテレビ映像で見るチャンスに恵まれました。初日のスコア―は74で、まだまだ世界の壁は厚いのかなーーーと思って、ちょっとがっかりしていたのに翌日、2日目は65と言うスコア―を出し、まさかのびっくり。3日目は71でまた一歩後退、やはり無理だとあきらめかけて、最終日のプレーを見忘れていたところ、突然アメリカにいる息子から電話がかかって来て、松山英樹がもしかして優勝するかもしれないとの事、私が急いでテレビのスイッチを入れた時にはもう結果が出ていて、何と首位とは3打差の2位にまで浮上していたのです。最終日のスコア―はこれまた66の爆発力です。松山英樹君の計り知れない底力に脱帽する他はありません。

 松山英樹君を讃える賞賛の言葉は、専門家たちのコメントを視れば一目瞭然だと思い
ます。英樹君頑張れ!!。日本中が応援している筈です!!

・ 丸山茂樹さんのコメント: 松山は本当に凄いゴルファーだ。前日悪かった点を修正し、ティーショットもアイアンもアプローチもパットもほぼ完璧だった。足りないのは優勝だけで100点満点で97・98はつけていい。

・ 倉本昌弘さんのコメント: 凄いと思う。途中で勝てると思った。優勝できなくても2位、3位にいると言う事が次の扉を開けるチャンスだと思う。

・ 片山晋吾さんのコメント: ゴルフが別次元。僕がメジャーでやっていた頃からレベルが上がって、違うゴルフになって来ている。もう一人のファンとしてしか彼を見られない。

・ 中島常幸さんのコメント: 最終日のゴルフからは、彼がますます強くなっているところが見てとれた。今後のメジャー優勝に期待します。

・ 青木功さんのコメント: 松山英樹選手は一皮むけて大きくなった。彼はもう世界に出ていく選手では無く、世界の一員になった。

・トム・ワトソンさんのコメント:彼に¨フルツールボックス¨というニックネームをつけたい。その箱の中にはメジャーで勝つものが全て揃っている。

 (写真1・3は琉球新報より、写真4・5は日刊スポーツより) 
                  2017・6・22日の記


奥田のコラム(NO266) 志の輔落語I in 国立劇場おきなわ ( 2017/06/07 )

 
 志の輔落語 in 国立劇場おきなわのちらし

 
 打ち上げ風景

 
 志の輔さんと久しぶりの握手

 
 志の輔さんと夫婦でツーショット

 
 

 
 

 2017年6月3日(土)、国立劇場おきなわで、立川志の輔さんの落語の会がありました。私が志の輔さんと初めて出会ったのは、今から28年前も前の事です。
その当時、沖縄の国際通りの地下に¨沖縄ジャンジャン¨という小劇場があり、そこでの出会いが最初でした。正確にはそこで志の輔さんと出会ったのは私の家内と、当時12歳になる小学6年生の息子(淳平)でした。
 息子の淳平は15歳から一人でずっとアメリカに行っておりますが、志の輔さんは沖縄に来るたびにその息子の事を気遣ってくれるのです。ご自分の一人息子さんの名前も漢字の違う順平君だそうです。

 沖縄ジャンジャンに立川志の輔さんを連れてこられたのは、昨年83歳で他界された永六輔さんでした。永六輔さんはその当時、毎月の様に沖縄ジャンジャンに、著名な歌手や芸能人たちを連れてこられておりましたが、今からもう30年以上も前の或る日、或る人とのご縁で、永六輔さんとの出会いを頂き、それがまた立川志の輔さんとのご縁に繋がって、今日まで来ているのです。(その辺のいきさつについてはコラムNO141にもちょっと書かせていただいております。)

 私達が志の輔さんの落語を聞いたのは、28年前の初回から今日まで、正確な数字は覚えておりませんが、優に100回は越えている事に間違いはありません。志の輔さんは沖縄には年に2〜3回来られた時もあり、宮古島を除く沖縄の離島にも度々足を運んでおられ、私達も何度か離島公演にもご一緒させていただきましたので、志の輔さんとの想い出は数えきれない程、私の中にはあるのです。

 最初の頃は、沖縄では落語の事を知らない人の方が大多数で、人集めには相当のご苦労をされた筈ですが、近年の志の輔公演は入場券が発売と同時に完売と言う状況が続いているのです。
 今回の国立劇場おきなわ公演の前の日には、宮古島のマティダホールで、初の宮古島公演をされたそうですが、1000人収容のホールは超満員であったとの事です。

 立川志の輔さんの落語は何回聞いても、何十回聞いても本当に面白く、おかしく、抱腹絶頂ながらも、いつも最後は感動の中に自分がいるのですから、まさに話術の達人としか、私には表現のしようがありません。
 今回の公演の第1部は¨ちりとてちん¨、第2部は¨宿屋の富¨でしたが、国立劇場おきなわの大ホールが笑いの渦で沈没するのではないか思われた程の楽しいひと時でありました。

 プログラムの中に、感想文を書くアンケート用紙が入っておりましたが、私は次の様な言葉を書いて提出いたしました。
* 志の輔さんの公演にはいつも感動です。志の輔さんは¨日本の宝¨であり、¨沖縄の星¨でもあると私は思います。私は志の輔さんと同じ時代を共有させてもらえている喜びに感謝しております。
どうぞこれからもお元気で、長~く生きて、沖縄には何度も来続けて下さる事を心から願っております。
                 2017年6月6日の記


奥田のコラム(NO265) 新しき出会いの場、沖縄空手会館 ( 2017/05/08 )

 
 空手会館パンフレット

 
 空手会館練功風景その1

 
 空手会館練功風景その2

 
 空手会館練功風景その3

 
 記念写真

 
 新しい門出

 私の主催する気功・太極拳教室の一つに、豊見城中央公民館(交流広場)での教室があり、もう5年以上も続いていると思われます。他の5か所の教室は毎月3回のレッスンというのが決まりですが、何故かこの豊見城教室だけは、月4回のレッスンを希望する生徒さんが多く、私も豊見城市民として10年余りこの地でお世話になっている事もあって、豊見城教室だけは例外として、現在も月4回のレッスンが続いております。

さて、この豊見城市に、この度『沖縄空手会館』という、空手発祥の地にふさわしい、目をみはるばかりの¨空手の殿堂¨が誕生しました。(2017年3月4日オープン)
空手愛好家は、今や世界中に1億3000万人以上もいるとの事ですから、この沖縄空手会館の誕生を機に、沖縄が¨空手のメッカ¨として、世界の中心になるに違いありません。沖縄県民であればだれもがそれを願っていると思います。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ところで今日のコラムはここからが本題なのです。
沖縄空手会館がオープンして間もなく、会館の見学を兼ねて、この施設の利用等について知りたいと思い、訪ねてみたところ、空手会館は380席収容の大道場の他にも、200人収容の研修室(セミナールーム)、185uの鍛錬室なども併設されていて、空手以外の催事にも使用可能である事を知りました。

 この空手会館は全室内に木材が使用されていて、何とも言えない親近感と格調高い厳粛さが伝わって来るのです。鍛錬室もしかりです。私はこの鍛錬室に足を踏み入れた瞬間に、どうしてもこの部屋で太極拳を練功してみたくなり、豊見城教室の第4週目の教室を(毎週土曜日)、この部屋で練功させてもらおうと心に決めました。
 私のこの考えには、豊見城教室の生徒さん達も全員が大賛同して下さり、その記念すべき第1回目の練功会を4月22日(土)に行いました。何とも表現できない気持ちの良さと、反面気持ちが引き締まる至福のひと時でありました。

 ¨新しい門出をする者には新しい道がひらける¨、という言葉が思い出されますが、この空手会館との突然のご縁に出会えた時から、私の心中は何かしら80歳にして、また新しい人生の門出が始まる様な気がして心がときめいているのです。私は間もなく(6月26日)81歳になるのですが、この空手会館での練功法は¨太極への道¨のようなものを追及してみたい気持ちになっているのです。
                   2017・5.7日の記


奥田のコラム(NO264) 真央ちゃん、たくさんの感動をありがとう!! ( 2017/04/17 )

 
 ¨真央引退¨

 
 ¨笑顔の引退記者会見¨

 
 ¨ソチ五輪伝説のフリー演技¨

 
 ¨ソチ五輪感動のフィニッシュ¨

 
 ¨真央ちゃんの美しいポーズ¨

 
 ¨世界選手権初の金メダル¨

 フィギュアスケートの浅田真央さん(26歳)が突然の引退を発表され、4月12日にその記者会見がありました。会場に集まった報道陣は何んと430人、テレビカメラ50台、スチールカメラ100台との事ですから、真央ちゃんの人気が如何に凄いものであったかが私達にも伝わって来るのです。
 ちなみに、過去のスポーツ界の引退会見では、マラソンの高橋尚子さんの時が180人、
女子サッカーの澤穂希さんの時が300人の報道陣であったそうです。

 今になって改めてフィギュアスケートの事を振り返ってみるのですが、私達(私と家内の事です)がいつの間にかフィギュアスケートの虜になっていたのは、極言すれば、そこに浅田真央さんの存在があったからではないかという気がしてなりません。
 中でも2014年のソチ五輪でみせたあのフリーの演技こそは、浅田真央さんの運命を決定づけた奇跡の瞬間であったと私には思えております。あの時以来、私の中では、世界のNO1の女子フィギュア選手は浅田真央さんであり続けているのです。真央さんのスケートには、真央さんにしか表現できない¨優雅にして気品に満ちた美しさ¨が漂っていると私には思えるのです。

 浅田真央さんの選手としてのスケートはもう見る事は出来ませんが、真央さんのスケートは大勢の人々の心の中と、世界のフィギュアスケートの歴史に燦然と輝き続けるに違いありません。私は今世紀に生まれ、真央ちゃんのスケートに出会っただけでも、十分有難い事だと思っております。
 永い間本当にお疲れ様でした。そして沢山の感動を有難うございました。とはいえ、これからの人生の方がはるかに長いのですから、どうぞ更なる素晴らしい楽しい人生を歩んで下さる事を心より願っております。
                         2017・4・16日の記
   《以下は各界の著名人のコメントです》

(1)高橋大輔さん:競技会からは離れる事になりましたが、僕は『浅田真央』のスケートが大好きです。また一緒に氷上でスケートが出来る事を楽しみにしています。長い間の現役生活、本当にお疲れ様でした。そして沢山の感動をありがとう。

(2)織田信成さん:試合で頑張っている姿が見られないのはすごく寂しい。五輪の金メダルは取れなかったけれど、心の中にずっと残る選手。フィギュアスケートに愛された天使でした。

(3)羽生結弦選手:真央さんは私のスケートの恩師です。これからもずっと憧れの人です。沢山の夢を有難うございました。本当にお疲れ様でした。

(4)メドベデワ選手:真央さんの引退はとても残念。世界のフィギュアが寂しくなる。彼女は伝説のスケーターで、お手本です。

(5) 内村航平選手:長い間女子フィギュア界を引っ張っていた姿、見ている人を魅了する演技にいつも刺激をもらっていた。今後の活躍を期待しています。

(6)井上康生日本男子柔道監督:彼女は国民全体が自分の娘や妹の様に応援したくなる雰囲気があった。浅田選手は競技者としての強さや美しさ、人間としての魅力を兼ね備えていた。

(7)橋本聖子日本スケート連盟会長:今日のスケート界躍進があるのは、浅田選手が世界の頂点を極め続けた大活躍のお陰です。ひたむきな努力とそれを支えた人間力に心より敬意と感謝を申し上げます。

(8)浅田舞さん:本当にお疲れ様でしたと言う言葉と、ありがとうと言う気持ちを伝えたいです。真央は明るく晴れやかな気持ちで次に向かって歩き出したので、私が涙を流してはいけません。今後も姉妹で助け合っていきたい。

* 浅田真央さんの言葉:晴れやかな気持ちで引退の日を迎える事が出来ました。スケートが人生そのものでした。スケート人生で経験した事を忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています。
みなさん、応援どうも有難うございました。

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