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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO273) 日野原重明先生にありがとうを言いたくて!! ( 2017/07/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 105歳にして超現役のお医者さんであられた日野原重明先生が、2017年7月18日の朝、呼吸不全の為ご自宅で亡くなられたとの報道に接した時は、思わず心中深く手を合わせずにはいられませんでした。

 実は今から40年程も前の事ですが、私の家内は4人の子供を授かった後、子宮筋腫という病気になり、その当時、日野原先生が院長をされておられた、聖路加国際病院で手術を受け、無事に退院させていただいているのです。

 その当時の私は、まだ日野原先生の事は殆ど何も知らなかったのですが、日野原先生に急激な関心を持つようになったのは、今から17年前、つまり21世紀の初頭に、日野原先生が全国の75歳以上の人達に呼びかけて「新老人の会」を設立された時からでした。

 それまでの日本の社会では、75歳と言えばもう人生の最終段階を迎えたまさに老人そのものという印象でしかなかったのが、¨21世紀は75歳からが新老人の再出発の時だ¨、と提唱されたのですから、まさに「新老人の会」の言葉には、人生革命のような強烈な響きがあったような印象が今でも強く残ってるのです。
 私も75歳になるのを待って、この「新老人の会」に入会させていただき、2年に1度位の割合で沖縄に来て下さる日野原先生の講演会を楽しみにさせて頂いていたのに、余りに突然、帰らぬ人となられてしまい本当に残念でなりません。

 ただ、日野原先生は沢山の著書や、毎年のカレンダーの中に、よりよく生きる為の数々の助言を残して下さっておりますので、私は毎日のように日野原先生からの人生の学びを頂いているのです。殆ど私の体の一部になっていると思われる日野原先生のお言葉を、思い出すままにここに書きとめて、日野原先生に感謝の言葉を捧げたいと思う次第です。日野原先生、誠に有難うございました。心からのご冥福をお祈りいたします。
   
      〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜

      日野原先生のお言葉¨今日をより良く生きるために¨

1 創める事さえ忘れなければ 人はいつまでも若さが保てます。

2 新しい事との出会いが あなたに若さを与えます。

3 勇気を持って 新しい人に触れ合う機会を持ちましょう。

4 良き友との出会いが あなたを成長させます。

5 生き方のモデルに接し そのモデルに学びましょう。
6 あなたの見えない才能が あなたの体の中で花開く時を待っています。

7 人は不幸に敏感で 幸せに鈍感な事を平素から心得ておきましょう。

8 身のほどを知る事は 幸せの近道。

9 見える物より 見えないものの中に 真があるのです。

10  人生には幾つかの節目があり その節目ごとに新しい発想に挑戦して下さい。

11 鳥は飛び方を変える事は出来ない。しかし人間はいつでも生き方を変えられる。

12 試練は突然訪れます。しかしその苦しみの中に新しい命が芽を出します。

13 耐える事で あなたには人の苦しみを感じとれる感性が生まれてきます。

14 慈悲とは 共に感じ 共にいとおしむ愛のこころ。

15 人から受ける前に まず自分を提供しましょう。

16 大きな願望よりも ちいさくても 日々の物事の達成感を大切に。

17 やろうと思うだけでは やらないのと同じです。行動こそが勝負です。

18 変えられないと英知が教えるものには忍耐を 変えられると天が告げるものには勇気を。

19 重ねてきた年齢を賜として受け入れ その中に若さを注ぎましょう。

20 人を愛する心の輪で 世界に平和を築きましょう。

21 人生の生き方を さりげなく若い人に伝える事は 齢を重ねた人の大切な仕事です。

22 「ありがとう」という言葉で 人生をしめくくりたいものです。

                         2017・7・30日の記



奥田のコラム(NO272) ¨二度とない人生だから¨、永六輔さんからの贈り物 ( 2017/07/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 上記の¨二度とない人生だから¨と言う言葉は、坂村真民さんの有名な詩のタイトルです。実は今から30年程も前に、私はこの詩を永六輔さんから、永さんご自身の直筆で書かれた手紙を頂戴しているのです。

 永六輔さんは昨年の¨七夕さま¨の日に天国に旅立たれました。私は、永さんとは30年ほど前に沖縄ジャンジャンという小劇場がオープンした頃からご縁をいただいて、沢山の人生の学びをいただいておりました。

 永六輔さんからいただいたこの詩文の手紙を、私は生涯の宝物と思い大切にしているのですが、2017年の¨七夕さま¨は、永六輔さんの一周忌にあたります。永六輔さんからいただいたその詩文を今日のコラムに記して、あらためて永六輔さんへの感謝の気持ちに替えたいと思う次第です。

   ¨二度とない人生だから¨  (坂村真民さんの詩)

二度とない人生だから  一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも  無心の耳をかたむけてゆこう

二度とない人生だから  一匹のこおろぎでも  ふみころさないように
こころしてゆこう  どんなに喜ぶことだろう

二度とない人生だから  一篇でも多くの便りをしよう
返事は必ず書く事にしよう

二度とない人生だから  まずは一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう

二度とない人生だから  つゆくさのつゆにも めぐり合いの不思議を思い 
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから  のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星々との光にふれて わがこころをあらいきよめてゆこう

二度とない人生だから  戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く作ってゆこう

わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を書きつづけてゆこう

〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜

 7月7日は私の母の命日でもあります。母は27年前の¨七夕さまの日¨に、88歳
で昇天しております。私は今年81歳になりましたが、年を重ねる度に母親の素晴らしさ、凄さに気付かされるばかりです。母こそは我が人生の最大にして最高の師であったと思う様になっております。その母が事あるごとに口にしていた言葉は

 @ いつも仲良く、楽しくね。
 A 情けは人のためならず、人様のお役に立ちなさい。
 B お天とう様が見ているから、天の神様に恥じないように・・・。
  でありました。

 私達は7人兄弟(一人は女)として高知県の田舎に生まれ育ちました。3人の兄達はすでに他界しておりますが、今から思うと、とても貧しい生活環境であったように思えるのです。そんな生活環境の中で、大勢の兄弟が大過なく生きていくためには、上記の三つの心掛けこそは、最も大事な家族の教訓であったのかも知れません。
私はそんな母を心から尊敬し、深く感謝しなければ・・・と思っております。
ばあちゃん(母親の事です)本当に有難う。未来永劫にまた私達の母親であって下さいね。
                     2017年7月8日の記


奥田のコラム(NO271) 第4回、帯津先生を囲むファンクラブの会を終えて ( 2017/07/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 ここからは私(奥田)の言葉です。
第4回、帯津先生を囲むファンクラブの会は、誠に幸運にも、沖縄空手会館にて無事終える事となりましたが、そこに行きつく迄にはまさかと思える沢山の不思議がありましたので、少しお話をしておこうと思います。

(1)帯津先生を囲む会は今回が第4回となっておりますが、実はそれ以前にも、帯津良一健康講演会の名目で、10年に渡り20回の積み重ねがあるのです。
第1回大会は2003年11月、東南植物楽園での開催でしたが、この日は朝から急激に天気が悪くなり、まるで台風のような一日となりました。植物楽園を訪れる人は皆無と思われる中、帯津先生の会(この時は太極拳の故楊名時先生も同伴しておられました)に集まった人の数は何んと247名にもなっていたのです。

(2)お客様の一人が私に声を掛けてくれましたが、その時の言葉を15年経った今でも忘れる事が出来ません。『今、東南植物楽園の上空には、龍雲が舞っています。間もなくその龍雲は下界に降りてきて、この会場の周りを囲んで、この会場を防御してくれるはず』と言われたのです。
 私は本当にびっくりしたのですが、第1回大会はまさに龍雲にその姿を変えた神様のお助けによるものであったと、今でも私はそう思っているのです。

(3)今回の第4回(合計では24回)大会は、実は会場探しに苦戦していたのですが、3月の或る日の新聞で、沖縄空手会館がOPEN!!の記事を見て、早々家内と二人で訪ねてみたのです。
 わずかばかりの希望を持って、受付でこの会館での講演会使用を訪ねたところ、即座にまさかのOKが出たのですから、私達にはまさに天にも昇る喜びでした。

(4)日を改め、再び空手会館を訪ねてみると、そこには、またまたまさかと思える人との再会が待ってくれていたのです。その人とは上原邦男さん(少林流空手八段)でした。
 上原邦男さんは、北中城村あやかりの杜で、やがて10年も続いている私達の気功・太極拳教室に長く来て下さっていた仲間のお一人で、いつの間にか、この人は沖縄空手会館の初代責任者に就任しておられたのです。

(5)この上原邦男さんは、早くからの帯津先生の大ファンで、今回の空手会館での帯津先生の会を大変喜んで下さり、大会当日は会館からの花束を贈呈して下さり、更には下記の様なお言葉まで提案して下さったのです。

・帯津先生の沖縄空手会館講演会を心から歓迎いたします。空手会館は、空手愛好家はもとより、万人の健康づくりの為のものですから、これからも大いに利用して下さい。

・沖縄空手会館は、今世界中から注目されております。空手も太極拳も原点の所は同じ¨気¨の世界ですから、これからはこの沖縄空手会館を拠点にして、世界中に沖縄発の太極拳を発信して下さい。

・出来れば来年位、遅くとも再来年位には大挙してニューヨークに行き、セントラルパークにあるジョン・レノン記念広場で沖縄の空手と太極拳を披露しようではありませんか。

(6)私は上原さんのご提案に、全身が震えるほどの感動を覚えました。私はつい先日(6月26日)81歳になりました。(帯津先生も私より4カ月早い81歳です)。80歳になった頃から急に足腰が弱くなり、そろそろ引退の気分にもなりかけていたのですが、上原さんのお陰で考えは急転し、81歳からの新しい人生のスタートを決意するに至っております。

¨新しき門出をする者には、新しき人生の道が開かれる¨、という言葉が今の私の全身に拡がっているのです。頑張ってみようと思います。

(7)第1回大会は神様のお助けがあったように、今回の大会も何かしらの運命に導かれた大会の様に思われてなりません。これを機に9月から空手会館でも新教室をスタートさせる事となりました。この教室では、車椅子の人達の為の気功太極拳もやってみようと、私は秘かに楽しみにしているのです。
                  2017年7月7日の記


奥田のコラム(NO270) 帯津先生のお話¨究極の長寿法¨(その2) ( 2017/07/07 )

 
 帯津良一先生の講演風景1

 
 帯津良一先生の講演風景2

 
 我如古さんの普及員認定

 
 新呼吸法「時空」実演1

 
 新呼吸法「時空」実演2

 
 新呼吸法「時空」実演3

 60歳を過ぎた頃からの私の¨ときめき人生¨は、だいたい次のような事です。
(1)何といっても最大のときめきは、病院の仕事を終えた後の6時からの夕食兼晩酌です。私の夕食兼晩酌はその都度、これが¨最後の晩餐¨と心得て食事に向かいます。そんな訳で、納得のいく夕食を済ませた翌朝の目覚めはいつも、感謝と感動の目覚めとなるのです。

・夕食はお酒と湯豆腐が必ずセットです。このどちらかが欠けることはありません。お酒のおつまみは、病院の料理長が私の好みを心得ていてくれて、春夏秋冬それぞれの旬のものを用意してくれております。

・私はお酒が美味しくなる為には 塩分の制限は一切しておりません。塩辛、酒盗、塩昆布、明太子等はいつも最高のおつまみです。

・私の夕食に出てくる食べ物の順番はいつも決まっていて、@お酒と湯豆腐、Aカツオなど旬の刺身、B枝豆類、C最後の締めは旬の野菜の炊き込みご飯(竹の子、ニンジン、ゴボウなど)と決まっていて、このスタイルは50年以来変わっておりません。

(2)次なる私の¨ときめき¨は原稿を書く喜びです。
私は原稿書きの依頼が多く、毎月1冊位の割合で本が出版されておりますが、苦戦をする時もあります。その苦戦を乗り越えて、文章の終わりが見えかけてきた時の喜びは格別なものがあるのです。

(3)その次の¨ときめき¨は 何といっても早朝の太極拳です。
私は毎朝、夜が明ける頃に病院の道場に足を運び、一人静かに太極拳を舞っております。それは1日に1回しかやらない一期一会の太極拳です。。上手下手は別にして、虚空を感じながら舞う1日1回の太極拳は、まさに私の健康人生の原点であると思っております。 

(4)ときめきの最たるものは¨恋心¨でしょう。私はときめく女性との出会いは一瞬たりとも逃がしてはならないと思っています。ときめきの人(女性)との関係は、必ず最後の一線までと言う事ではありません。言葉を交わすだけでも良いのです。もし、お酒を酌み交わす事にでもなれば、それはもうまさに天国に登る程の喜びです。

(5)この他、大まかな健康長寿への心掛けとしては、@身体を冷やさない事、A物をため込まない事でしょう。過食、エントロピー、悩み事などは呼吸法、運動などで、出来るだけ外に放出する事の方が健康には良いのです。お金もあまり貯めすぎると健康の為にもマイナスになる事も多いのです。

(6)認知症の治療法はガンの治療と相通じるものがある事が最近解ってきました。             
いい呼吸(静かな深い呼吸)、こまめに身体を動かす事、大自然と心身を一体にする気功的人生、楽しい事を考える¨ときめき人生¨などは最たる健康長寿法と言えるでしょう。

結論:『千里の道も一歩から』との諺がありますが、健康づくり、長寿人生こそはまさに一歩一歩の積み重ねによる結晶と言えるものでしょう。
太極拳は¨あせらず¨、¨おごらず¨、¨おこたらず¨の心得を大事にしておりますが、どうか一歩一歩の健康づくりを心掛けて、納得のいく自分自身の人生を全うして下さる事を希望いたします。¨今日よりも一歩前進よい明日¨(帯津良一先生の言葉)

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 講演会第2部では、帯津先生の考案された新呼吸法「時空」の実演があり、出席者全員でトライいたしました。記念すべき素晴らしい健康講演会になりました事を深く感謝いたし、心からのお礼を申し上げます。(奥田)
                 2017年7月6日の記



奥田のコラム(NO269) 第4回、帯津先生を囲むファンクラブの会 ( 2017/07/06 )

 
 沖縄空手会館全景

 
 沖縄空手会館特別道場・守礼の館

 
 主催者代表挨拶

 
 上原空手会館代表歓迎の挨拶

 
 空手会館からの花束」贈呈

 
 帯津先生ファンクラブの玉城先生の挨拶

 2017年7月2日、上記の会が沖縄県豊見城市に新しく誕生した『沖縄空手会館』で開催されました。帯津先生の会がこの空手会館で開催された事自体に、私は大きなご縁のようなものを感じているのですが、その事は最後に記述する事にして、先ずは、帯津先生のお話を要約してお伝えいたします。ところどころ聞き漏らした点もあり、充分な記述でない事をお断りいたしておきます。

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      <帯津良一先生のお話し¨究極の長寿法¨(その1)

(1)今回の講演会会場が、新しく完成したこの空手会館である事に私は(帯津先生の、事、以下同じ)特別の喜びを感じております。私は大学時代は空手部に所属しておりました。先頃、その空手部に入っていた人達の集まりがあり、私も出席してみましたが、集まった人達が皆な元気で、活き活きとしたいい顔になっているのを見て、本当に嬉しかったのです。今更ながら空手の素晴らしさに感銘を深くしているところです。

(2)先月、仙台のメトロポリタンホテルでの講演会に呼ばれ、この会でご一緒した方は作家の五木寛之さんでした。五木さんとの再会は8年振りでしたが、とてもお元気で、相変わらずのおしゃれで、ダンディーな五木さんでした。五木さんのあのカッコ良さは、ご本人の持つセンスの良さもさることながら、高価な英国製の背広にもよるものかも知れません。それにひきかえ私の背広は、わが病院の総婦長が東京駅にある安売りの店で買ってくる背広でしかありませんので、私は五木さんの前では大いなる気おくれをしないではいられません。

(3)五木さんの仙台でのお話は¨暗愁について¨という題目でしたが、私はその時まで暗愁という言葉を知りませんでした。私のイメージの中ではそれは川底に点在する大きな穴の様な物で、そこはあの世へ通じる入り口ではないかと想像したのでした。

(4)五木さんは¨死¨に関する話が大好きで、講演会の後の二人だけの二次会の席では、歴史にその名を遺した有名人が何歳まで生きたかについて語る会となりました。長生きの代表はお坊さんで、次が芸術家と言うのは定番のようですが、次の様な人達の名前が話題に上りました。

(5)歴史に名を遺したお坊さんでは@親鸞(90歳)、A法然(79歳)、道元(54歳)、日蓮(61歳)、空海(60歳)、最澄(54歳)、白隠禅師(83歳)などの名前が話題になりました。

(6)芸術家では画家のシャガール(98歳)、ピカソ(92歳)、梅原龍三郎(98歳)横山大観(90歳)。音楽家はかなりの短命で、ショパン、モーツアルト、シューベルトなどは30歳代で亡くなっています。比較的永く生きた人でもベートーベンが57歳、バッハが62歳です。
天才は早死にすると言われますので、音楽家は天才ではあっても芸術家ではないのかも知れないと言う結論になりました。

(7)私はかねがね¨人間の死に時は83歳位がベスト¨との説を唱えておりましたが、最近は五木寛之さんよりは、少なくとも5歳は長生きをしなければ・・・と思う様になっております。何故かと言えば、私は早寝早起きを奨励し、自らもその習慣に生きておりますが、五木寛之さんは私とは真逆で、真夜中に小説を書き、昼間は夕方まで寝ている人だからです。

(8) ベルクソンは、人生の目的は¨歓喜と創造による自己表現である¨、と申しております。つまり人間生きている限りは¨ときめきの人生¨を生きるべきであると言う事でしょう。私も健康長寿の根底には¨ときめき¨こそが最大の要因であると確信しているのです。
                  2017年7月5日の記



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