21世紀養生塾沖縄
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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO266) 志の輔落語I in 国立劇場おきなわ ( 2017/06/07 )

 
 志の輔落語 in 国立劇場おきなわのちらし

 
 打ち上げ風景

 
 志の輔さんと久しぶりの握手

 
 志の輔さんと夫婦でツーショット

 
 

 
 

 2017年6月3日(土)、国立劇場おきなわで、立川志の輔さんの落語の会がありました。私が志の輔さんと初めて出会ったのは、今から28年前も前の事です。
その当時、沖縄の国際通りの地下に¨沖縄ジャンジャン¨という小劇場があり、そこでの出会いが最初でした。正確にはそこで志の輔さんと出会ったのは私の家内と、当時12歳になる小学6年生の息子(淳平)でした。
 息子の淳平は15歳から一人でずっとアメリカに行っておりますが、志の輔さんは沖縄に来るたびにその息子の事を気遣ってくれるのです。ご自分の一人息子さんの名前も漢字の違う順平君だそうです。

 沖縄ジャンジャンに立川志の輔さんを連れてこられたのは、昨年83歳で他界された永六輔さんでした。永六輔さんはその当時、毎月の様に沖縄ジャンジャンに、著名な歌手や芸能人たちを連れてこられておりましたが、今からもう30年以上も前の或る日、或る人とのご縁で、永六輔さんとの出会いを頂き、それがまた立川志の輔さんとのご縁に繋がって、今日まで来ているのです。(その辺のいきさつについてはコラムNO141にもちょっと書かせていただいております。)

 私達が志の輔さんの落語を聞いたのは、28年前の初回から今日まで、正確な数字は覚えておりませんが、優に100回は越えている事に間違いはありません。志の輔さんは沖縄には年に2〜3回来られた時もあり、宮古島を除く沖縄の離島にも度々足を運んでおられ、私達も何度か離島公演にもご一緒させていただきましたので、志の輔さんとの想い出は数えきれない程、私の中にはあるのです。

 最初の頃は、沖縄では落語の事を知らない人の方が大多数で、人集めには相当のご苦労をされた筈ですが、近年の志の輔公演は入場券が発売と同時に完売と言う状況が続いているのです。
 今回の国立劇場おきなわ公演の前の日には、宮古島のマティダホールで、初の宮古島公演をされたそうですが、1000人収容のホールは超満員であったとの事です。

 立川志の輔さんの落語は何回聞いても、何十回聞いても本当に面白く、おかしく、抱腹絶頂ながらも、いつも最後は感動の中に自分がいるのですから、まさに話術の達人としか、私には表現のしようがありません。
 今回の公演の第1部は¨ちりとてちん¨、第2部は¨宿屋の富¨でしたが、国立劇場おきなわの大ホールが笑いの渦で沈没するのではないか思われた程の楽しいひと時でありました。

 プログラムの中に、感想文を書くアンケート用紙が入っておりましたが、私は次の様な言葉を書いて提出いたしました。
* 志の輔さんの公演にはいつも感動です。志の輔さんは¨日本の宝¨であり、¨沖縄の星¨でもあると私は思います。私は志の輔さんと同じ時代を共有させてもらえている喜びに感謝しております。
どうぞこれからもお元気で、長~く生きて、沖縄には何度も来続けて下さる事を心から願っております。
                 2017年6月6日の記


奥田のコラム(NO265) 新しき出会いの場、沖縄空手会館 ( 2017/05/08 )

 
 空手会館パンフレット

 
 空手会館練功風景その1

 
 空手会館練功風景その2

 
 空手会館練功風景その3

 
 記念写真

 
 新しい門出

 私の主催する気功・太極拳教室の一つに、豊見城中央公民館(交流広場)での教室があり、もう5年以上も続いていると思われます。他の5か所の教室は毎月3回のレッスンというのが決まりですが、何故かこの豊見城教室だけは、月4回のレッスンを希望する生徒さんが多く、私も豊見城市民として10年余りこの地でお世話になっている事もあって、豊見城教室だけは例外として、現在も月4回のレッスンが続いております。

さて、この豊見城市に、この度『沖縄空手会館』という、空手発祥の地にふさわしい、目をみはるばかりの¨空手の殿堂¨が誕生しました。(2017年3月4日オープン)
空手愛好家は、今や世界中に1億3000万人以上もいるとの事ですから、この沖縄空手会館の誕生を機に、沖縄が¨空手のメッカ¨として、世界の中心になるに違いありません。沖縄県民であればだれもがそれを願っていると思います。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 ところで今日のコラムはここからが本題なのです。
沖縄空手会館がオープンして間もなく、会館の見学を兼ねて、この施設の利用等について知りたいと思い、訪ねてみたところ、空手会館は380席収容の大道場の他にも、200人収容の研修室(セミナールーム)、185uの鍛錬室なども併設されていて、空手以外の催事にも使用可能である事を知りました。

 この空手会館は全室内に木材が使用されていて、何とも言えない親近感と格調高い厳粛さが伝わって来るのです。鍛錬室もしかりです。私はこの鍛錬室に足を踏み入れた瞬間に、どうしてもこの部屋で太極拳を練功してみたくなり、豊見城教室の第4週目の教室を(毎週土曜日)、この部屋で練功させてもらおうと心に決めました。
 私のこの考えには、豊見城教室の生徒さん達も全員が大賛同して下さり、その記念すべき第1回目の練功会を4月22日(土)に行いました。何とも表現できない気持ちの良さと、反面気持ちが引き締まる至福のひと時でありました。

 ¨新しい門出をする者には新しい道がひらける¨、という言葉が思い出されますが、この空手会館との突然のご縁に出会えた時から、私の心中は何かしら80歳にして、また新しい人生の門出が始まる様な気がして心がときめいているのです。私は間もなく(6月26日)81歳になるのですが、この空手会館での練功法は¨太極への道¨のようなものを追及してみたい気持ちになっているのです。
                   2017・5.7日の記


奥田のコラム(NO264) 真央ちゃん、たくさんの感動をありがとう!! ( 2017/04/17 )

 
 ¨真央引退¨

 
 ¨笑顔の引退記者会見¨

 
 ¨ソチ五輪伝説のフリー演技¨

 
 ¨ソチ五輪感動のフィニッシュ¨

 
 ¨真央ちゃんの美しいポーズ¨

 
 ¨世界選手権初の金メダル¨

 フィギュアスケートの浅田真央さん(26歳)が突然の引退を発表され、4月12日にその記者会見がありました。会場に集まった報道陣は何んと430人、テレビカメラ50台、スチールカメラ100台との事ですから、真央ちゃんの人気が如何に凄いものであったかが私達にも伝わって来るのです。
 ちなみに、過去のスポーツ界の引退会見では、マラソンの高橋尚子さんの時が180人、
女子サッカーの澤穂希さんの時が300人の報道陣であったそうです。

 今になって改めてフィギュアスケートの事を振り返ってみるのですが、私達(私と家内の事です)がいつの間にかフィギュアスケートの虜になっていたのは、極言すれば、そこに浅田真央さんの存在があったからではないかという気がしてなりません。
 中でも2014年のソチ五輪でみせたあのフリーの演技こそは、浅田真央さんの運命を決定づけた奇跡の瞬間であったと私には思えております。あの時以来、私の中では、世界のNO1の女子フィギュア選手は浅田真央さんであり続けているのです。真央さんのスケートには、真央さんにしか表現できない¨優雅にして気品に満ちた美しさ¨が漂っていると私には思えるのです。

 浅田真央さんの選手としてのスケートはもう見る事は出来ませんが、真央さんのスケートは大勢の人々の心の中と、世界のフィギュアスケートの歴史に燦然と輝き続けるに違いありません。私は今世紀に生まれ、真央ちゃんのスケートに出会っただけでも、十分有難い事だと思っております。
 永い間本当にお疲れ様でした。そして沢山の感動を有難うございました。とはいえ、これからの人生の方がはるかに長いのですから、どうぞ更なる素晴らしい楽しい人生を歩んで下さる事を心より願っております。
                         2017・4・16日の記
   《以下は各界の著名人のコメントです》

(1)高橋大輔さん:競技会からは離れる事になりましたが、僕は『浅田真央』のスケートが大好きです。また一緒に氷上でスケートが出来る事を楽しみにしています。長い間の現役生活、本当にお疲れ様でした。そして沢山の感動をありがとう。

(2)織田信成さん:試合で頑張っている姿が見られないのはすごく寂しい。五輪の金メダルは取れなかったけれど、心の中にずっと残る選手。フィギュアスケートに愛された天使でした。

(3)羽生結弦選手:真央さんは私のスケートの恩師です。これからもずっと憧れの人です。沢山の夢を有難うございました。本当にお疲れ様でした。

(4)メドベデワ選手:真央さんの引退はとても残念。世界のフィギュアが寂しくなる。彼女は伝説のスケーターで、お手本です。

(5) 内村航平選手:長い間女子フィギュア界を引っ張っていた姿、見ている人を魅了する演技にいつも刺激をもらっていた。今後の活躍を期待しています。

(6)井上康生日本男子柔道監督:彼女は国民全体が自分の娘や妹の様に応援したくなる雰囲気があった。浅田選手は競技者としての強さや美しさ、人間としての魅力を兼ね備えていた。

(7)橋本聖子日本スケート連盟会長:今日のスケート界躍進があるのは、浅田選手が世界の頂点を極め続けた大活躍のお陰です。ひたむきな努力とそれを支えた人間力に心より敬意と感謝を申し上げます。

(8)浅田舞さん:本当にお疲れ様でしたと言う言葉と、ありがとうと言う気持ちを伝えたいです。真央は明るく晴れやかな気持ちで次に向かって歩き出したので、私が涙を流してはいけません。今後も姉妹で助け合っていきたい。

* 浅田真央さんの言葉:晴れやかな気持ちで引退の日を迎える事が出来ました。スケートが人生そのものでした。スケート人生で経験した事を忘れずに、これから新たな目標を見つけて、笑顔で前に進んでいきたいと思っています。
みなさん、応援どうも有難うございました。


奥田のコラム(NO263) ありがとう、稀勢の里の大逆転優勝劇!! ( 2017/03/31 )

 
 大相撲優勝決定戦「稀勢の里対照ノ富士」 1

 
 大相撲優勝決定戦「稀勢の里対照ノ富士」 2

 
 大相撲優勝決定戦「稀勢の里対照ノ富士」 3

 
 大相撲優勝決定戦「稀勢の里対照ノ富士」 4

 
 感動の大逆転優勝

 
 おめでとう稀勢の里

 コラムを2か月程休んでしまいました事をお詫び致します、。
良く知られる諺に、¨1月は行く、2月は逃げる、3月は去る¨と言う言葉がありますが、2017年もアッ!!という間に 3ヵ月が過ぎ去ろうとしております。

 今年は新年早々に、世界の大方の予想に反して、アメリカ大統領にトランプ氏が選出され、余りに過激と思える数々の発言に、世界中が振り回されていた感があります。

 2月に入ると今度は北朝鮮の金正男氏が、マレーシアのクアラルンプール空港で、事もあろうに白昼堂々と暗殺されると言う映像が飛び込み、おそらくこの出来事もトップニュースとして世界中を駆け巡ったに違いありません。
 お隣の韓国では、大統領の朴クネさんが大統領職を罷免され、遂には逮捕される事態にまでなり、国論を二分する程の騒動になっております。

 3月後半の日本では突如として¨森友学園¨のニュースが持ち上がり、日増しに問題が大きくなり、もしかして大きな政治問題にもなりかねない気配になって来ております。
 それにつけても、今の時代に「教育勅語」を暗唱させる幼稚園があり、その延長線を目指す小学校がつくられ、更にはその教育方針を信奉する政治家達がその背後に見え隠れするのですから、大多数の日本国民はこの現実に大いなるとまどいを覚えたに違いありません。私も全くその一人です。

 私の住む沖縄では、ジュゴンの住む宝の海とまで言われる¨辺野古の海¨が、米軍の新基地建設の為に埋め立てが開始され、貴重な動植物が住む¨高江の森¨は次々と樹木が伐採され、何と100機とも言われるオスプレイ駐機場が次々とつくられているのです。
 大自然を壊す事は、地球を破壊する事です。地球を破壊する事は人類の滅亡に繋がる事に他なりません。本当に残念でなりません。

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 上記のような心穏やかならざる月日が流れる中、心の底から喜べる出来事に巡り会えました。それは大相撲3月場所、千秋楽における稀勢の里のまさかの大逆転優勝劇です。日本中の全ての相撲ファンは、あの日あの大一番を生涯忘れる事は無いのかも知れません。まさに歴史に残る大一番であったのではないでしょうか。
 最近の相撲にあまり魅力を感じなくなっていた私も、この度の大逆転劇には感動の一言があるのみです。稀勢の里の健闘を称え、稀勢の里のこれからの横綱人生の長からん事を期待し、陰ながらの応援をしたいものであります。
 おめでとう稀勢の里関!!。ありがとう稀勢の里関!!。心からの感謝です!!。

                 2017・3・31日の記


奥田のコラム(NO262) 私の2017年の元旦は1月23日でした ( 2017/01/27 )

 
 志の輔落語 in NIPPONN

 
 志の輔落語 ごあいさつ

 
 志の輔落語の講演会一覧

 
 

 
 

 
 

2017年の新年が明けて、やがて一か月が過ぎようとしているのに、私の心の中は、なかなか¨新年おめでとう¨の文字が書けない、もやもやの日が続いておりました。
その理由は二つあったのです。一つは新年早々に、私の40年来の心の友が84歳で他界されたとの通知が届けられた事であります。

 その心の友と出会ったのは、今から40年以上前の事です。小笠原諸島が日本に復帰した記念事業として運航された¨小笠原船の旅¨の中であったと記憶しております。
お互いにまだ40歳前の年齢でありましたが、彼はその当時、アメリカのトンプソンという広告会社にデザイナーとして勤務していて、私の目には彼の振る舞いすべてが格好良くて、何とも言えない気品とセンスと優しさに満ち溢れた人物でありました。

 その時から彼との何かしらのお付き合いは続いておりましたが、最後に彼と会ったのは、今から10年余り前、彼が沖縄に来て下さり、『将来は沖縄に住みたい』と言って下さり、その日がやって来るのを待ち焦がれていたのに、突然彼は帰らぬ人となってしまったのです。残念でなりません。無念でなりませんが今は只、両手を合わせて、彼のご冥福を深くお祈りする他はないのです。

 私はこの心の友からは、人生のセンスについて実に沢山の学びをいただいたと確信しております。さようなら、わが心の友よ、次は宇宙の世界で、魂の触れ合いをさせて頂きたいと私は念じております。それまで私の事を忘れないで待っていて下さい。
40数年の永きに渡って本当にお世話になり、有難うございました。

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 もう一つの理由は、昨年7月7日に虚空に旅立たれた永六輔さんとの想い出です。
年賀状を整理していたら、永六輔さんから沢山の葉書が出てきて胸が熱くなってしまいました。
 永六輔さんとの出会いは、今から30年以上も前であったと思います。その永六輔さんを紹介して下さったのは、沖縄平和祈念堂の壁画を描かれた、当時フランスに住んでおられた西村計雄画伯です。とても不思議なご縁と思うのですが、ここの所を書いていたら、かなりのページが必要と思われますので、次の機会にさせていただきます。

 永六輔さんは、その当時、とても人気のあった¨沖縄ジャンジャン¨という小劇場に出演される数々の著名な方々を紹介して下さり、私の目を大きく開かせて下さった大恩人でもありました。そんな中のお一人が落語家にして、NHK−TV¨ためしてガッテン¨の名司会者として著名な立川志の輔さんがおられるのです。

 立川志の輔さんが初めて沖縄に来られて、沖縄ジャンジャンに出演されたのは、今から28年も前の事でありました。沖縄ジャンジャンの舞台を終えられて、永六輔さんは一足先に東京に帰られましたが、沖縄に一人残された立川志の輔さんの沖縄案内を託されたのは、私の家内と当時小学校6年生であった末息子でありました。この時のいきさつについては(コラムNO141)に記させていただいております。

 さて、立川志の輔さんは、沖縄にご縁が出来てからの28年間に、何と沖縄全島で
105回もの落語公演をされておられるのです。そして106回目の公演は2017年1月23日に沖縄国立劇場で、¨志の輔らくご in NIPPON¨のタイトルで、これまでに例のない一人三題の大舞台を披露されたのですから、ビックリ仰天でありました。
題目は@ 質屋暦、A モモリン(新作落語)、B 紺屋高尾の大作を、3時間に渡って熱演されたのです。只々凄いの一言であります。私は自分の生涯でこんな凄い¨落語の会¨に出会えた事を本当に有難いと思いました。

 公演を終えた後、夜10:00時頃から関係者が集まった¨お疲れ様の会¨がありましたが、この席で奇しくも志の輔さんは『今日の舞台を永六輔先生に視て欲しかった』と申されたのでした。永六輔さんがこの舞台を視ておられたら、きっと志の輔さんの手をギュッと握りしめて、¨ヨー、日本一!!¨と志の輔さんの耳元でささやいたに違いない、と私には思われました。

¨志の輔らくご in NIPPON¨(沖縄公演106回目)を拝見させていただいたその時から、私の心のもやもやは、どこかに消えて、まさに¨ぬちぐすい¨ (沖縄の方言で命の洗濯の事)をさせていただきました。私の2017年の元旦は1月23日であったと思っております。
 立川志の輔さん、永六輔さん、本当に本当に有難うございました。
                             2017.1.26日の記


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