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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO262) 私の2017年の元旦は1月23日でした ( 2017/01/27 )

 
 志の輔落語 in NIPPONN

 
 志の輔落語 ごあいさつ

 
 志の輔落語の講演会一覧

 
 

 
 

 
 

2017年の新年が明けて、やがて一か月が過ぎようとしているのに、私の心の中は、なかなか¨新年おめでとう¨の文字が書けない、もやもやの日が続いておりました。
その理由は二つあったのです。一つは新年早々に、私の40年来の心の友が84歳で他界されたとの通知が届けられた事であります。

 その心の友と出会ったのは、今から40年以上前の事です。小笠原諸島が日本に復帰した記念事業として運航された¨小笠原船の旅¨の中であったと記憶しております。
お互いにまだ40歳前の年齢でありましたが、彼はその当時、アメリカのトンプソンという広告会社にデザイナーとして勤務していて、私の目には彼の振る舞いすべてが格好良くて、何とも言えない気品とセンスと優しさに満ち溢れた人物でありました。

 その時から彼との何かしらのお付き合いは続いておりましたが、最後に彼と会ったのは、今から10年余り前、彼が沖縄に来て下さり、『将来は沖縄に住みたい』と言って下さり、その日がやって来るのを待ち焦がれていたのに、突然彼は帰らぬ人となってしまったのです。残念でなりません。無念でなりませんが今は只、両手を合わせて、彼のご冥福を深くお祈りする他はないのです。

 私はこの心の友からは、人生のセンスについて実に沢山の学びをいただいたと確信しております。さようなら、わが心の友よ、次は宇宙の世界で、魂の触れ合いをさせて頂きたいと私は念じております。それまで私の事を忘れないで待っていて下さい。
40数年の永きに渡って本当にお世話になり、有難うございました。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 もう一つの理由は、昨年7月7日に虚空に旅立たれた永六輔さんとの想い出です。
年賀状を整理していたら、永六輔さんから沢山の葉書が出てきて胸が熱くなってしまいました。
 永六輔さんとの出会いは、今から30年以上も前であったと思います。その永六輔さんを紹介して下さったのは、沖縄平和祈念堂の壁画を描かれた、当時フランスに住んでおられた西村計雄画伯です。とても不思議なご縁と思うのですが、ここの所を書いていたら、かなりのページが必要と思われますので、次の機会にさせていただきます。

 永六輔さんは、その当時、とても人気のあった¨沖縄ジャンジャン¨という小劇場に出演される数々の著名な方々を紹介して下さり、私の目を大きく開かせて下さった大恩人でもありました。そんな中のお一人が落語家にして、NHK−TV¨ためしてガッテン¨の名司会者として著名な立川志の輔さんがおられるのです。

 立川志の輔さんが初めて沖縄に来られて、沖縄ジャンジャンに出演されたのは、今から28年も前の事でありました。沖縄ジャンジャンの舞台を終えられて、永六輔さんは一足先に東京に帰られましたが、沖縄に一人残された立川志の輔さんの沖縄案内を託されたのは、私の家内と当時小学校6年生であった末息子でありました。この時のいきさつについては(コラムNO141)に記させていただいております。

 さて、立川志の輔さんは、沖縄にご縁が出来てからの28年間に、何と沖縄全島で
105回もの落語公演をされておられるのです。そして106回目の公演は2017年1月23日に沖縄国立劇場で、¨志の輔らくご in NIPPON¨のタイトルで、これまでに例のない一人三題の大舞台を披露されたのですから、ビックリ仰天でありました。
題目は@ 質屋暦、A モモリン(新作落語)、B 紺屋高尾の大作を、3時間に渡って熱演されたのです。只々凄いの一言であります。私は自分の生涯でこんな凄い¨落語の会¨に出会えた事を本当に有難いと思いました。

 公演を終えた後、夜10:00時頃から関係者が集まった¨お疲れ様の会¨がありましたが、この席で奇しくも志の輔さんは『今日の舞台を永六輔先生に視て欲しかった』と申されたのでした。永六輔さんがこの舞台を視ておられたら、きっと志の輔さんの手をギュッと握りしめて、¨ヨー、日本一!!¨と志の輔さんの耳元でささやいたに違いない、と私には思われました。

¨志の輔らくご in NIPPON¨(沖縄公演106回目)を拝見させていただいたその時から、私の心のもやもやは、どこかに消えて、まさに¨ぬちぐすい¨ (沖縄の方言で命の洗濯の事)をさせていただきました。私の2017年の元旦は1月23日であったと思っております。
 立川志の輔さん、永六輔さん、本当に本当に有難うございました。
                             2017.1.26日の記



奥田のコラム(NO261) ありがとう2016年・80歳の思い出の記 ( 2016/12/31 )

 
 リオ五輪2016

 
 第6回世界のウチナンチュー大会

 
 アメリカ息子家族写真

 
 7年ぶりの家族全員集合写真

 
 孫たちと一緒に

 
 天遊会20周年記念発表会にて

 2016年もいつの間にか、今日は大晦日となってしまいました。
2016年は、私にとっては80歳突入と言う、人生の大きな節目の年でもあり、感慨深いものがあるのです。80歳の節目に、何かいい人生の思い出に恵まれる事を期待していたところ、願ってもないいくつかの出来事に恵まれ、今は¨ありがとう2016年¨、と言う感謝の言葉だけが身体中に拡がるばかりです。

 思い出に残る第1の出来事は、何といっても今年の8月に開催されたリオ・オリンピックです。リオ五輪を通して私の目に映ったリオ・デ・ジャネイロ市民の太陽の様な明るさには、¨人生の全てが青春¨とも思える程の情熱に溢れておりました。
 今年の6月に来日されたあの¨世界で最も貧しい大統領¨と言われる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領の魅力と共に、私はすっかり南米のファンになってしまいました。もしも願いが叶うものであれば、私の来世は南米のどこかに生まれてみたいと思ったりしているのです。(コラムNO254にも記載)

 次なるビッグな出来事は、今年の10月末に開催された「第6回世界のウチナンチュー大会」です。今から100年程も前に、南米を中心に世界中に新天地を求めて海を渡ったウチナンチュー(沖縄出身者)達は、今では世界中に42万人も拡がっているのだそうです。そのウチナンチュー達が5年に1回、ふるさとの沖縄に里帰りする歓喜の姿には深く胸を打たれるのです。(コラムNO258にも記載)

 私は沖縄に永く住んでいますが、沖縄生まれではありません。沖縄で生まれた私の子供達は県外にも移り住んでいますが、末息子だけは中学を卒業してから単身アメリカに渡り、以来20年余りアメリカの地に住み続けております。
 そのアメリカ息子が家族を連れて7年ぶりに沖縄に里帰りをしてくれました。県外に住んでいる2人の息子も急遽沖縄に帰ってくれて、7年ぶりに家族全員の再会を実現させてくれたハプニングは、私達老夫婦(80歳の私と70歳の家内)にとって、これに優る喜びはありませんでした。

 最後は私の個人的な出来事でしかありませんが、今から丁度20年前、家内の突然の事故入院がきっかけでご縁をいただき、今では天職とも思えている気功・太極拳養生塾の会(天遊会)が今年20年を迎え、その記念発表会を実現させていただけた事は、私にとっては望外の喜びでありました。9月22日の事でした。

 コラムNO225、226にも書いておりますが、「天遊会」こそは天なる神様から授かった¨私の天職¨と思う様になっております。私はこれからもこの天職を通して生涯をかけて、人様の¨健康と長寿¨のお役に立ちたいと願っているのです。私の目指すところは¨元気な100歳人生¨です。
2016年は本当に有難い、いい年でありました。2016年本当にありがとう!!。

      2016年12月31日・大晦日の夜の記


奥田のコラムNO(260) 第32回那覇マラソンと第70回福岡国際マラソン ( 2016/12/13 )

 
 第32回那覇マラソンスタート風景
沖縄タイムスより

 
 第70回福岡国際マラソンスタート風景

 
 川内選手の雄姿

 
 川内選手のラストスパート

 
 川内選手のゴールイン

 
 川内選手の涙

 第32回那覇マラソンと、第70回福岡国際マラソンが、2016年12月4日に行われました。この二つのマラソンは毎年同じ日に行われるので、その両方のマラソンに関心がある年は、テレビチャンネルの切り替えに苦労しなければなりません。今年は、私にとってはまさにその年となり、殆ど一日中、テレビの前に釘付けになっておりました。

          <第32回那覇マラソン>
 那覇マラソンは今年32回となり、今年の参加者数は何と26573人、何時の間にか日本を代表するビッグマラソンに成長しております。今年のマラソンは気温が102年ぶりの28度と言う事で、さすがに完走率は53.2%となりましたが、出場者の皆さんは、それぞれ忘れられない人生の思い出を残されたに違いありません。マラソンは苦しければ苦しい程、その思い出が長く心に残り続けるものです。

 実は私は、那覇マラソンには第1回大会から参加しておりました。その時の私は49歳でした。参加した理由はマラソンが好きだったからではありません。むしろマラソンは私の中では雲の上にあるもので、最も嫌いなスポーツでありましたが、どうにも断る事が出来ない事情があっての参加でしかありませんでした。

 マラソン嫌いの私がマラソンに出る事が知人・友人の間に拡まり、3K地点と20K地点に応援の¨横断幕¨が準備されている事がスタート直前に知らされ、3k地点は無事に通過したものの、20k迄の道のりはまるで地獄の中をさまよう思いでありました。20k地点では地面を這うが如くに歩いていた哀れな自分の姿が、未だに忘れられない想い出として残っているのです。

 その後の私は、或る事がきっかけで奮起し、第4回大会から10年連続那覇マラソンを完走、その間には、ロンドン・メルボルン・ベルリン・ボストンマラソンも完走、1996年にはアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表の一人にも選ばれ、更には沖縄から北海道宗谷岬までの3000Kリレーマラソンにも出場していたのですから、人生は本当に解らないものです。私は数々のマラソンを通して、実に沢山の人生の学びを頂けたと思っています。

 私は現在80歳。65歳位からはマラソンとのご縁は遠くなっておりますが、近年は私の姪っ子や甥っ子達が、那覇マラソンに参加するようになり、1年に1回、那覇マラソンで親戚筋が沖縄に集まるようになり、新たな喜びを感じる様になっております。
 那覇マラソンを通して、沖縄が再びまた日本有数の健康長寿県に返り咲き、更にはマラソンを通して、世界中の若者達が¨世界の平和¨について学んでくれる事を私は念じて止みません。

       <第70回福岡国際マラソン>
 マラソン界の事を少し勉強してみると、福岡国際マラソンこそは、日本マラソン界を先導してきた偉大なマラソンである事に気付かされます。年々歳々時代は移り、歴代のマラソン界のスター選手達も次々と変わっていく事は仕方のない事ですが、私が今年の福岡国際マラソンで最も気になり、応援したかった選手は、あの公務員ランナーである川内優輝選手でありました。

 彼は一昨年の那覇マラソンには30回記念大会と言う事もあって、福岡国際マラソンを断って那覇マラソンに参加して下さり、本物のマラソンの凄さを私達の目に焼き付けてくれました。
彼が那覇マラソンに参加してくれた折、奇しくも彼が半世紀(50年)余りも年齢の違う大学の後輩である事を知る事となり、大会後の懇親会では、私は彼と隣り合わせの席に座らせていただける事となり、(私が一番年上だったからです)あまりに素晴らしい彼の人格に接して以来、私は熱烈なる川内ファンになっているのです。

 彼は今年の11月には右ふくらはぎを痛め、福岡国際マラソンの2日前に、今度は左足首を捻挫するアクシデントに見舞われながらの出場だったと聞いておりますが、大方の予想を振り切って全体の3位、日本選手の第1位のゴールをやり遂げたのですから本当に感動物でした。ゴールインした後に見せた川内選手の一筋の涙の姿を、私は忘れる事が出来ません。彼はこのレースに彼のマラソン人生の全てを掛けていたに違いありません。

 彼の今回の頑張りは、必ずや来年の世界選手権大会の日本代表に繋がる事でしょう。そして彼のマラソン人生の最終目標こそは、2020年の東京オリンピックに違いありません。川内選手にどんなマラソン人生が待っていようとも、彼がマラソン人生を続けている限り、私は一生懸命、心の応援を続けていこうと心に決めているのです。
川内優輝君、いつも素晴らしい感動を有難う!!。本当に本当に有難う!!。

                  2016.12.12日の記



奥田のコラム(NO259) 我が家の¨アメリカからの里帰り¨ ( 2016/11/30 )

 
 アメリカ家族の来沖

 
 アメリカ家族はカラオケ大好き

 
 アメリカ息子とアニカ(長女)

 
 7年ぶりに集合した息子・娘達

 
 ジージ・バーバと5人の孫達

 
 アメリカ家族空港見送り

「第6回・世界ウチナンチュー大会」が終わって丁度1ヵ月が経とうとしております。
5年に一度開催される今年の大会には、世界中に42万人も住んでいるウチナンチュー(沖縄出身者)の中から、7000人あまりの人達が、沖縄に里帰りされたとの事で、沖縄の新聞・TVは未だにその時の様々な感動の出来事を報じ続けております。
           
 私事ですが、私の生まれ故郷は土佐の高知です。高知人生18年、東京・横浜人生15年、そしてご縁をいただく事となった沖縄人生は、やがて45年にもなろうとしている、まさに¨逆ウチナンチュー人生¨を歩んで今日に至っております。

 沖縄に生まれ育った4人の子供達の内の3人は、小・中・高校とも沖縄ですが、末息子だけは中学を終えるや否や、突然アメリカにスポーツ留学をする事となり、以来今日まで23年間、この息子はアメリカ人生を歩み続けているのです。
この間にアメリカ女性と結婚、2人の女の子にも恵まれ、5年に一度位の割合で、沖縄に帰って来てくれております。

 今回のアメリカ息子家族の帰沖は、必ずしもウチナンチュー大会に合わせての里帰りではありませんでしたが、殆どウチナンチュー大会と時を同じくしての帰沖でした。
5年前の里帰りは家族3人でしたが、今回は家族も一人増えて4人、それに加えて今回は アメリカ嫁の両親と両親の親戚3人が加わった合計9人の来沖でしたので、我が家そのものがちょっとしたウチナンチュー大会でありました。

 この度、末息子家族の沖縄帰りを通して、改めて人生の学びを頂く事となりましたので、感じるままを書き留め、これからの更なる人生の糧にしなければならないと思っているところです。

(1)人生は同じ家族に生まれ育っても、大きくなれば誰もがそれぞれに異なった人生を歩み、それぞれの生涯を、自らの責任で全うしなければならない運命にあるのです。
家族が遠くに離れれば離れる程、それぞれの家族を思いやる心の強さは大きいものがあるのです。

(2)私の家族は、今は沖縄(石垣島も含めて)と新潟とアメリカに分かれておりますが、アメリカ家族と会えるのは3年〜5年に一度ぐらいが精一杯です。
今の時代、スマホやスカイプ(テレビ画像)での連絡は日常の出来事となりましたが、やはり生の身で会える喜びに優るものはありません。
今回のアメリカ家族の来沖に合わせて、石垣島からも、新潟からも、兄弟や孫達が沖縄の我が家に集まってくれた事は、私達夫婦にとっては望外の喜びでした。

(3)4人の子供達にはそれぞれに孫がいてくれて、今回は全員の孫達がアメリカ孫とも顔を合わせる事が出来ました。きっと子供心にも、お互いが親戚関係にある事を、それなりに確認してくれたに違いありません。今中学1年生になる長兄孫などは、突然アメリカに興味を持ち始めたのですから、私は心の中で、思わず¨大成功¨と叫んでしまいました。

(4) アメリカの息子家族と一緒に来沖してくれた5人のアメリカの大人の親戚一同をどんな風におもてなしをすれば良いものかと気になっていたのですが、彼、彼女達とも2週間余り生活を共にして思って結論は、¨人間みな同じ¨、¨人類親しくなればみんな兄弟、家族¨と言う事でした。
これからの時代は、出来る限り世界中の人達が交流を深め、仲良くなり、世界中に一人でも多くの親戚を増やす事が、世界平和への一番の¨いしずえ¨ではないかと、私は思っているのです。

(5)私は、はからずも末息子が我が家の先陣を切って、アメリカに行ってくれた事を密かに誇りに思っているのです。これからの時代は、地球そのものが家族の様な時代になる事を私は願いたいのです。そんな夢を私は孫達の時代に託してみたいと思っているのです。
                        2016年11月30日の記


奥田のコラム(NO258) 第6回世界のウチナンチュー大会in沖縄 ( 2016/11/06 )

 
 開会式・セルラー・スタジアム

 
 ブラジルから1000人の来訪者

 
 ハワイからは800人

 
 遠くボリビアからも・・・

 
 閉会式・セルラースタジアム

 
 また5年後に会いましょう

 ¨世界に響け、ウチナンチューの躍動と感動¨をキャッチフレーズに掲げた、第6回「世界のウチナンチュー大会」が開催され、この数日間は沖縄中がその熱気に包まれていた感がありました。(10月26日〜30日)。
 世界のウチナンチュー大会とは、沖縄にルーツを持ち、世界に躍進している沖縄出身者とその子孫たちが、5年に一度沖縄に里帰りをする一大フェスティバルの事であります。

 今から100年以上も前から始まっている沖縄からの移民の歴史は、今では世界中に42万人にも拡がっているのだそうですから、本当に驚くばかりです。そして今回の大会に里帰りをされた世界のウチナンチューは7000人を越えたとの事です。世界に拡がるウチナンチュー(沖縄出身者)の行動力の凄さに完服です。
 今大会の開会式で発表された宣言文に、沖縄人の心意気の全てが集約されていると思われますので、その全文を紹介させていただこうと思います。

<第6回、世界ウチナンチュー大会大会宣言>
〇 ウチナーンチュ、今ここに集まった私達は、ウチナーンチュ。国境なんて関係ない
沖縄への強い郷土愛。沖縄の魅力を感じ、誇りを持った私達はウチナーンチュ。

〇 ありがとう。来てくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。そして、沖縄を忘れず、愛してくれてありがとう。

〇 笑顔。笑顔は世界共通。笑顔は楽しいを共有できる。相手への愛が素直に伝わる唯一の手段だ。ここ沖縄を、そして世界を、笑顔あふれる場所にしてほしい。

〇 つながり。私達はゆいまーるの精神を持っている。海を越えて、心と心でつながっている。沖縄でしか築けない絆を築いていこう。

〇 未来。今ある沖縄がこれからも続いて、より良い未来になるよう、沖縄から世界へ、世界から沖縄へ。ここに集まったみんな、そして私達が沖縄と世界を結ぶ架け橋に、なりたい、なります、なりましょう。

〇 いちゃりばちょーでー。ここにいる皆さんはお互いちょーでー。一度会ったらみな兄弟。この精神を忘れずに、ウチナーンチュ大会を盛り上げていきましょう。

〇 ウチナーの躍動、感動、世界へ響け。第6回世界のウチナーンチュ大会、開幕!

                  2016・11・6日の記
 写真提供:琉球新報社より

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