永六輔さんが司会をする沖縄ジャンジャン 永六輔さんから紹介される奥田 屋良文雄トリオと一緒に 沖縄ジャンジャンで歌う奥田 亡き母が仕立ててくれた着物を羽織って歌う奥田 日本ビクターから発売された日本民謡のレコードジャケット | 昨日(7月29日)、やっとの事で永六輔さんとの想い出話(NO1,NO2、NO3)を書き終える事が出来てホットしていた矢先、一夜明けての今日になって、それとなく本棚を整理していたら、殆ど私の記憶から消え去っていた永六輔さんとの数枚の写真が出現したのです。
その写真とは、事もあろうにこの私が30年程も前に、永六輔さんの主催する沖縄ジャンジャンのステージに登場していたのですから、本当にまさかのびっくり仰天であります。どうしてそんな事になったのか一生懸命思い出してみたのですが、大体のいきさつは以下の様な事であったような気がしております。
その頃の永六輔さんは、さかんに津軽三味線や、能楽や、浄瑠璃の演奏者や、日本民謡などのゲストを、沖縄ジャンジャンにお迎えしておりました。 たまたま日本民謡の齋藤京子さんが出演された時、何かのきっかけで、私が大学時代に日本民謡にのめり込んで、さかんにジャズとの共演をしていた事が永六輔さんの耳に入る事となり、是非とも沖縄ジャンジャンでそれを再現してみよう・・・と言う事になった次第です。
その時のステージには、日本民謡には必ず必要とされる三味線も、尺八も、太鼓も何もありません。あるのはその当時、沖縄ジャズ界の重鎮であられた、今は亡き屋良文雄さんトリオの伴奏で、私がタキシードを着て日本民謡を歌ったのですから、果たしてどんなステージになっていたのか、今思い出すだけでも身体中に冷や汗がにじみ出るばかりです。
そのステージの元となったのは、私が大学を出た直後位に、日本ビクターから出された『ビクターみんなの民謡 奥田清特集』というレコードでした。このレコードが世に出たのは、今から50年程も前の事で、わが青春の想い出として、今も私の本棚の片隅に10枚ほどが置かれたままになっております。
以上が私と永六輔さんとの想い出の¨沖縄ジャンジャン物語¨です。今回のコラムに書くべきかどうか随分悩んだのですが、私の耳元で永六輔さんがさかんに書け書けと叫んでくれているような気がするものですから、恥を忍んで思い切って書く事に致しました。 2016・7・30日の記
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