チャリティー絵画展で西村先生に紹介され、初対面のころの永六輔さんと 永さんが企画して下さったサロンパーティー風景・中村八大さんのピアノと永さんのお話 サロンパーティー風景・たくさんの方々が楽しいひと時を過ごしました。 サロンパーティー風景 中村八大さんと私(奥田泰子) 永さん・八大さんと記念写真。首里の森ギャラリーのスタッフ | 永六輔さんの訃報が報じられてから2週間が過ぎました。実際に亡くなられたのは2016年7月7日の七夕の日だったそうです。 7月7日は、永さんの事が大好きだった私の母の命日でもあり、私には何かしらのご縁を感じないではいられません。
永六輔さんとのご縁をいただいたのは、今からもう40年近くも前の事かも知れません。その当時沖縄では¨一枚の絵¨と言う会社が、沖縄本島の南部にある「沖縄平和祈念堂」を支援するためのチャリティー絵画展を毎年のように開催しておりました。その平和祈念堂の壁面を飾っているのは、当時パリに住んでおられたに西村 計雄画伯が、毎年沖縄に来て、沖縄を題材にして描かれた100号の大作ばかりです。
その当時の私は、¨絵心¨などというものとはまるで無縁の人間でしたが、或る日ある時、ある雑誌で目にした¨ひまわり¨という、まさに一枚の絵に、瞬時に心を奪われ、その時からこの¨ひまわり¨を描かれた西村計雄さんの事が生涯忘れられない人となってしまいました。 西村計雄さんはチャリティー絵画展に合わせて、毎年1回フランスから来沖されておりましたが、私は年に1回の再会が待ちきれず、とうとうフランスのアトリエまで訪ねた程の熱狂ぶりでした。
西村計雄さんが何回目かのチャリティー絵画展で沖縄に来られた時、どうしても私に会わせたい人がいるから・・・と言って紹介して下さったのが永六輔さんでした。西村計雄さんは、遥かな昔、早稲田中学校の絵の先生をしていて、永さんはその時の教え子だったのだそうです。 初対面での永さんは全くの無口で、ニコリともしない、とても¨怖い人¨という印象でしたが、何時しか心を開いて下さり、気が付いた時には家族のお付き合いをさせて頂ける程までにさせていただいておりました。
その頃の永六輔さんは¨沖縄ジャンジャン¨という小劇場の応援で、2か月に1度位の割合で沖縄に来ておられました。来られる時いつも各界の多才なゲストと一緒でした。何人かのゲストの中には、その当時の人気者であった、おすぎとピーコさんもおられ、たまたまこのお二人の高校が、私の妹と同じ横浜市保土ヶ谷区にある桜ヶ丘高校であった事がご縁で、急速に親しくなり、永さんとご一緒に度々私の家を訪ねて下さる事となりました。
その当時の私の家は首里金城町の高台にあって、私はそこで¨首里の森ギャラリーという珊瑚と沖縄伝統工芸品の店を経営しておりました。永六輔さんはその店の空間をとても気に入って下さり、この場所で時々はサロンパーティーをしよう・・・!との提案をして下さり、以来数年にわたってこの場所は、永さんが沖縄に来られた時は、永六輔さん主催によるサロンパーティー会場に変身しておりました。 実に沢山のゲストの方々が永六輔さんとご一緒にこの場所に来て下さいましたが、今すぐにでも思い出せるお名前だけでも、先ずはおすぎとピーコさんを初めとして、歌手の坂本スミ子さん、ピアノの中村八大さん、女優の吉行和子さん、市原悦子さん、俳優の小澤昭一さん、加藤武さん、作家の神吉拓郎さん、秋山ちえこさん、落語の入船亭船橋さん、柳家小三治さんなどでした。半分以上の方々がすでに他界しておられますが、今をときめく書家の石飛博光さん、落語家にしてNHK−TV、¨ためしてガッテン¨の立川志の輔さんなどは、いまだに30年以上もお付き合いが続く著名な方々です。
30〜40年の時の流れには実に感慨深いものがあるのですが、私が沖縄にご縁を頂き、仕事以外の世界で、これ程楽しい想い出人生を送らせていただけたのは、まさに永六輔さん以外の何物でもありません。言葉に尽くせない程の感謝を胸に、永六輔さんのご冥福をお祈りするばかりです。永六輔さん、本当に、本当に有難うございました。 2016・7・28日の記
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