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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(の247) 怒りと悲しみの追悼式に65,000人結集 ( 2016/06/22 )

 
 6月19日県民大会に結集する沖縄県民(沖縄タイムスより)

 
 6月19日県民大会に結集する沖縄県民(琉球新報より)

 
 県民大会会場風景

 
 翁長 雄志沖縄県知事

 
 玉木 愛さん

 
 

 沖縄の梅雨が明けて間もない6月19日、沖縄県奥武山陸上競技場に集まった沖縄県民の数は、何と6,5000人にも達したとの新聞報道です。
気温32度、殆ど日陰も無い猛暑の炎天下に、これだけの人達が必死の思いで参加したこの現実を、日米政府の要人たちはどんな思いで見ていたのであろうかと、私はあらためて凝視しないではいられませんでした。

 大会終了後に発せられた菅政府代表官房長官のコメントは、「この集会には日本政府を支援する自民党、公明党、維新の会の人達は参加していないのだから、全く気にしておりません」でした。私はこのコメントを聞いた瞬間から、あまりに非情な日本政府の事を大嫌いになってしまいました。

 事の起こりは(コラムNO244にも書いておりますが)、今年の5月中旬、夕方のウオ―キングに出かけたはずの20歳になる名護市民の女性が、突然米軍属の男に拉致され、暴行され、殺害され、その遺体を米軍基地沿いの森に遺棄していたのですから、沖縄中が、またしても悲しみと怒りの渦の中に巻き込まれてしまったのです。
 終戦後70年が経った今でも、沖縄ではまだこんな残酷な悲劇が続いているのです。

  −・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−

 6月19日の追悼式でスピーチされた方々の中から、3人の方の挨拶をここに記させていただき、しっかりと私の心の中にも留めておかねばならないと思います。

(その1) 翁長雄志沖縄県知事の挨拶(要約)
 先日、被害者が遺棄された場所に花を手向け、手を合わせてまいりました。
心の底から「あなたを守ってあげる事が出来なくてごめんなさい」と言葉が出てまいりました。日本政府は沖縄県民の怒りが限界に達しつつある事、また、これ以上の基地負担に県民の犠牲は許されない事を理解すべきであります。

 私は沖縄県民の生命と財産、尊厳と人権、そして将来の子や孫の安心と安全を守るべき知事として、このような事件が二度と起きないよう、県民の先頭に立って、日米地位協定の抜本的見直し、海兵隊の撤退、削減を含む基地の整理縮小、新辺野古基地建設阻止に取り組んでいく不退転の決意をここに表明し、私のご挨拶といたします。

(その2) オール沖縄共同代表、玉城 愛さん(21歳)の挨拶(要約)
 安倍晋三さん。日本本土にお住いの皆さま。今回の事件の¨第2の加害者¨はあなた達です。しっかりと沖縄と向き合っていただけませんか。いつまで私達沖縄はバカにされるのでしょう。パトカーを増やして護身術を学べば、私達の命は安全なのか、バカにしないで下さい。

 バラク・オバマさん。アメリカから日本を開放して下さい。そうしなければ沖縄に自由と民主主義が存在しないのです。私達は奴隷ではないのです。あなたや、米国に住む市民の皆さん、被害者とウチナンチュー(沖縄の人)に真剣に向かい合い、謝って下さい。
 会場にお集まりの皆さん。幸せに生きるって何なのでしょうか。一人一人が大切にされる社会とはどんな形をしているのでしょうか。大切な人が隣りに居る幸せ、¨人間の命こそ宝¨なのだという沖縄の精神、私はウチナンチューであることに誇りを持っております。

(その3) 被害者の父のメッセージ(代読)
 ご来場の皆様へ。米軍人・軍属による事件事故が多い中、私の娘も被害者の一人となりました。何故娘なのか。何故殺されなければならなかったのか。
今まで被害に遭った遺族の思いも同じだと思います。被害者の無念は計り知れない悲しみ
、苦しみ、怒りとなっていくのです。
それでも遺族は、安らかに成仏してくれることだけを願っているのです。次の被害を出さない為にも全基地撤去。辺野古新基地建設に反対。県民が一つになれば可能だと思っています。県民、名護市民として強く願っています。
 ご来場の皆さまには、心より感謝申し上げます。
平成28年6月19日、娘の父より
                                   2016.6.21日の記


奥田のコラム(NO246) オバマ米大統領の広島訪問 ( 2016/05/31 )

 
 広島で献花するオバマ大統領

 
 原爆ドームの前でスピーチするオバマ大統領

 
 坪井直さんと握手するオバマ大統領

 
 森重明さんとの抱擁

 
 

 
 

アメリカのオバマ大統領が5月27日に広島を訪問されました。
1945年8月6日、広島に原爆が投下されてから実に71年の歳月が流れているのだそうです。

 2009年のプラハ演説で「核兵器なき世界」を提唱し、ノーベル平和賞を受賞されたオバマ大統領にとって、今回の広島訪問こそは、大統領の任務を締めくくる為にも、伊勢志摩サミットにも優るとも劣らない重要な訪問であったに違いありません。

 オバマ大統領は、伊勢志摩サミットを終えたすぐその足で、広島に向かわれました。
広島平和記念公園に到着後、すぐ原爆記念館に入られ、次に原爆慰霊碑に献花、深く静かに黙祷を捧げた後、17分間にわたるスピーチをされました。

 スピーチの内容はやや難しく、私の理解度は半分位でしかありませんでしたが、その後の新聞報道などで、おおよその理解は得られました。私の心に残ったスピーチの骨子は次の様なものでした。

・ 私(オバマ大統領)は、広島・長崎で犠牲となられた全ての人達を追悼する為にやってきました。
・ 広島・長崎は歴史の真実を教えてくれます。広島・長崎の記憶を永久に風化させてはなりません。我々は広島・長崎から真の平和の尊さを学び、後世に伝えなければなら  ない義務と責任があるのです。
・ 科学の進歩は、それと同等の人間社会の進歩が伴わなければ、人類をも滅ぼしかねません。科学の革命には、道徳上の革命も求められているのです。
・ 我々は核兵器無き世界を追及する勇気を持ち、核廃絶に向けての努力を続けなければなりません。

 オバマ大統領はスピーチを終えた後、原水爆協議会の坪井直さん(91歳)のもとに歩み寄り、力強い握手を交わされました。この時坪井さんは、オバマ大統領に向かって¨原爆投下はアメリカだけの責任ではなく、人類全体の責任でもある¨と伝えたのだそうです。実に感動的な言葉であったと私は思っております。

 次にオバマ大統領が握手を交わし、強く抱き合ったのは、被爆者代表の森重明さん(79歳)でした。無言で涙にむせぶ抱擁の姿は、万人の心に響いたに違いありません。
 私はあの時の瞬間から、日米の原爆不協和音は一気に友情の和音に姿を変えたのではないかと思える程の感動でした。

 私は長く沖縄にご縁をいただき、45年近く沖縄に住んでおります。沖縄にはあまりに多くの米軍基地が置かれているが故に、沢山の不幸な事件も起こっております。
日米両国が本気になって相手国を思いやれる関係になってもらいたいと切に願う者であります。

 オバマ大統領の広島訪問は、やがて大統領の任務を終えられた後も、¨核なき世界¨へのトップリーダーのお一人として活躍してくれるであろう期待感を抱かせてくれるものでありました。期待したいものであります。
オバマ大統領の広島訪問に心から感謝したいと思います。
                        2016・5・31日の記

PS: 私の末息子は15歳でアメリカ留学をさせていただき、その後もアメリカに住み、アメリカ女性と結婚し、二人の女の子にも恵まれ、ささやかながらも幸せな人生を歩ませていただいております。私の知る限り、アメリカの人達は本当に親切で、思いやりがあって、家族を大切にするいい人達ばかりです。私は日本とアメリカが、親戚と思える程の親しい関係になってくれる事を心から希望しております。



奥田のコラム(NO245) 伊勢志摩サミットとオバマ大統領の広島訪問 ( 2016/05/31 )

 
 伊勢志摩サミット各国首相の記念撮影

 
 伊勢志摩サミット昼食風景

 
 伊勢神宮を訪れた各国の首相達

 
 

 
 

 
 

 2016年5月末の数日間は、上記の大きな政治的な出来事が日本中を駆け巡りました。政治事にはあまり拘りたくない私ですが、流石に日本におけるサミットG−7と、オバマ米大統領の広島訪問のビッグ・ニュースには目を向けないではいられませんでした。

*伊勢志摩サミットG―7について

 私の目に映った伊勢志摩サミットG−7は、大金を使い大騒ぎをした割には、殆ど印象に残るものはありませんでした。あえて印象を挙げるとすれば、安倍総理の自作自演による自らを目立たせる為の、一大パフオーマンスでしかあり得なかった様に思えて仕方ありません。

 安倍総理がこの時とばかりに力説した¨リーマンショック伝伝¨の発表も、必ずしも他国の首相には受け入れられず、ちょっとピントはずれの日本の総理大臣という印象だけが残ってしまいました。

 今回のG−7で一番大きく取り上げてもらいたかった事の一つは、例の¨パナマ文書¨の問題ではなかったのでしょうか。いま世界中の善良なる市民は¨パナマ文章¨の真実に関心を寄せているに違いありません。にもかかわらず、パナマ文書問題が今回のG―7のほんの片隅にしか置かれなかったのは、裏を返せば、各国の首脳の中にも政治(家)とお金の問題には触れられたくない・・・との意思の表れだったのかも知れません。¨パナマ文書¨の解明はG−7が終わった後も、決して避けては通れない世界の大問題だと思います。大いなる解明を期待したいものであります。

*2000年、沖縄サミットの想い出

 今から16年前の2000年には沖縄でサミットG−7が開催されました。
沖縄サミットを決められたのは、小渕元総理であったそうです。でも小渕さんは突然の病に倒れ、変わって森総理がその代役を務められました。

 沖縄サミットの時、何かしらのご縁があって、私達はクリントン米大統領が宿泊される万座ビーチホテルのお部屋のディスプレイを依頼され、お手伝いをさせていただきました。
 その時クリントン大統領のお部屋を装った主なディスプレイは、いずれも沖縄と深い縁のある @ 書家による「芭蕉布」と「ゆうなの花」の書、A 画家による南国の花の絵、B 沖縄を代表する織物の芭蕉布のタペストリー、C 著名な沖縄の陶芸家の作品と、エイサーを踊る愉快なシーサー達の彫刻でありました。

 後日、その時のディスプレイが大変気に入ってもらえたとの報告をいただき、私達は大変光栄でした。今から16年前の懐かしい沖縄サミットの想い出です。
                      2016年5月30日の記


奥田のコラム(NO244) 沖縄中が悲しみと怒りに包まれています ( 2016/05/23 )

 
 米軍軍属による事件報道その1

 
 米軍軍属による事件報道その2

 
 米軍軍属による事件報道その3

 
 米軍軍属による事件に抗議する沖縄県民
その1

 
 

 
 

 私の住む沖縄では数日前から梅雨に入っております。
沖縄の5月の気候は、多少雨の日が続いても、本来であれば¨うりずんの季節¨といって、一年中で一番気持ちの良い至福の時なのです。

 先月の14日に熊本大地震があって以来、毎日のように報道される地震被害の大きさと、大勢の人達の想像を超える被災のご苦労を思うにつけ、今年はとても¨うりずんの喜び¨に浸ってばかりはいられないと思っていた矢先、今度は私達の沖縄でも、まさか?!!、と思えるとんでもない大事件がまた起きてしまいました。

 昨今の沖縄の新聞、テレビは、2週間ほど前から突然音信が途絶え、行方不明になっていた20歳の女性が、事もあろうに夕方のウォーキングの最中に、米軍属の32歳の男に拉致され、暴行され、殺害され、米軍基地沿いの森に遺棄されていた事を、大々的に報道し続けております。本当に悲しい出来事で、今は沖縄中が悲しみと怒りの中に包まれているところです。

 どうしてこんな無残な出来事がこの沖縄では繰り返されているのでしょうか?
それはあまりに多くの米軍基地が沖縄に置かれている事によるものに他ならないのですが、それにしても悔しくてたまりません。
 今回の様な痛ましい事件が起こる度に、日米両国の関係者は、¨悲しみに絶えません。二度と再びこのような事が起こらないよう万善を尽くします¨、と答えるのですが、いつまでたっても同じ事の繰り返し、むなしさだけが残されるばかりです。
 
 政治の世界をよく知る人の話によれば、政治家の中には平気で嘘をついて、その場を逃れる厚顔無恥の人が多いとの事ですが、これでは世の中が良くなっていく筈がありません。この度の事件を機に、沖縄県民による沖縄革命を起し、全世界に訴えなければ、沖縄はいつまでたっても平和な県ではいられないのかも知れません。
私も沖縄革命の一員にさせていただこうと思います。

 今日の新聞には、娘の生命を奪われたご両親の、告別式で配られた言葉が載せられております。謹んでそのお言葉をここに記させていただき、亡くなられたご本人とご家族と関係者の皆様への心からのお悔やみとさせていただきます。

――――――ご両親のお言葉――――――

 「思い出も涙も尽きる事はありません」。一人娘は私達夫婦にとってもかけがえのない宝物でした。親のひいき目かも知れませんが、素直で明るくて、いい子に育ったと思っています。沢山の友人にも恵まれ、好きな人と心通わせ、いまが一番楽しい時期だったのに・・・・。
今はいつ癒えるかもわからない悲しみと、やり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます。娘には私達の言葉が届くのであれば、「怖い思いをしたね。後の事は心配しないで安らかに・・・」。そう伝えたいと思います。

                2016年5月23日の記


奥田のコラム(NO243) ホセ・ムヒカ大統領と舛添東京都知事 ( 2016/05/23 )

 
 舛添東京都知事記者会見

 
 舛添東京都知事記者会見NO2

 
 

 
 ムヒカ元大統領の言葉 NO1

 
 

 
 ムヒカ元大統領の言葉 NO2

 この数日間、日本中のテレビは舛添東京都知事の信じられない高額出張旅費や公用車による別荘通いや、次から次に出現する政治資金の私的流用問題で、大賑わいを見せています。

 他府県知事の出来事で、沖縄に住む私達には異議を唱える資格は無いのかも知れませんが、日本国民の一人として私の目に映る舛添知事の姿は、まるで嘘八百、せこい錬金づくりに明け暮れている哀れな政治屋以外の何物でもありません。

 5月20日の記者会見では、¨第3者の厳しい公正な調査に委ねたい¨、の一点張りで、何一つ自分の口から真実を語らない(語れない)この人物の体質を誰が信用するのでしょう。この日の記者会見には納得できないと答えた人が、東京都民の99%であったと言うのですから、舛添知事は即刻都庁を去り、清廉潔白にして有能なる人格者にその席を替わってもらうべきが、本人の為にも良いのではないかと私は思うのです。

 さて、今になって改めて思い出す人物は、先日訪日された南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領です。質素を旨として貫く彼に与えられたニックネームは¨世界で一番貧しい大統領¨です。彼は一国の大統領でありながら、彼が受け取っていた一か月の給料は、日本円にして約100万円、しかもその90%を、彼より貧しい人達の為に寄付をしていたというのですから、私達にはとても理解できない人生哲学に生きる人物です。

 そのホセ・ムヒカ元大統領の有名な言葉の一つが¨貧しい人とは、少ししかものを持っていない人のことではなく、無限に欲しがり、いくらあっても満足しない人の事を言うのです¨。この言葉を聞くにつけ、現東京都知事こそはまさに本当の豊かさの真逆を生きている人物の様に思えて仕方ありません。

 ホセ・ムヒカ元大統領はウルグアイ国の宝であるばかりか、世界の宝人間であると私は思います。現東京都知事は東京都民の恥であるばかりか、日本国の恥を通り越して、もしかして世界中にその悪名が知れ渡る事になりかねないと、私は大いに気になるところであります。
                2016年5月22日の記


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