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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO238) 2016年・80歳・新年の記 ( 2016/01/17 )

 
 2016年お正月の記念写真

 
 お正月記念写真・清志(80歳)

 
 お正月記念写真・泰子(70歳)

 
 4か月の音羽

 
 じいじ大好き希望

 
 受験に来た拓夢と希望

 つい先日、2016年のお正月を迎えたばかりと思っていたのに、気付いてみたらアッ!!と言う間に1月の半分が過ぎておりました。¨光陰矢のごとし¨と言う言葉が思い出されますが、これからの私の人生は毎日、毎月、毎年がそんな思いの中で過ぎ去っていくのかも知れません。

 先のコラムにも書きましたが、私は今年はまさかの80歳に突入です。正確にはまだ79.5歳位ですが、6月26日が来れば正真正銘の80歳です。
 他の人達は80歳の節目に何を考え何をされるのであろうかと思ってみるのですが、恐らく殆どの人が、それなりの覚悟を決めて、その後の人生に立ち向かうのではないかという気がいたします。
 その覚悟と言うのは言うまでも無く、これからの人生は、いついかなる時に人生の最後の日が訪れようとも何の不思議もないと言う覚悟です。今年の私はしっかりと腹をくくって新年を迎えたつもりであります。
 
 今年のお正月、私は何故か、14〜5年振りに着物姿で新年を迎えたい気分に駆られ、急遽家内に頼んで着物を着せてもらいました。今になってふり返ってみれば、この着物は25年前に88歳で他界した母親が、私の成人式か、あるいは結婚式のどちらかを祝って仕立ててくれた着物であったと推察しております。
 そのどちらであるにせよ、今から半世紀以上も前に、母はどれ程の工面をしてこんな立派な着物をのこしてくれたのであろうかと私は胸が痛むのです。只々、心中深く手を合せないではいられない今年のお正月でありました。

 私の父は今から68年も前に63歳で他界しております。私が中学1年の時でした。母は父を亡くした時はまだ50歳にもなっていなかったと思われます。父の亡き後、7人の子供をどれ程の苦労をして成人させたのであろうかと思うと、私は胸が張り裂けそうになってしまいます。母が亡くなった時、私は55歳でありましたが、私はどれ程の母親孝行をしていたのであろうかと自問自答してみるのですが、納得のいく答えは見つかりません。私にいつ地球最後の日が訪れるのか解りませんが、あちらの世界に行ったら、何としても真っ先に母親孝行をしなければならない!!と思っているところです。

   −・−・−・−・−・−・−・−・―・−・−・−

* 2016年に入って早々に嬉しい出来事に恵まれました。
それは私の初孫にあたる奥田拓夢君(石垣島海星小学校6年生)が、この度何倍もの難関を乗り越えて開邦中学校に合格してくれたことです。
 どうやらこの孫は私達老夫婦の住むマンションに同居する事になりそうなのですが、彼を学校に送り出す為には、家内は朝5時には起床しなければならない計算になりそうです。
 これまで老夫婦だけの生活では朝は早くても7時〜8時、遅い時はお昼近くまで寝ていても何の問題も無かっただけに、これからは大幅な生活改革をする事になるのです。
それでもどうやら家内の方は、この孫の為に覚悟を決めているらしいのです。
 早寝早起きは健康人生を送る為の天の計らいである事に間違いはありません。孫のお陰で、少なくとも家内は健康寿命が10年ぐらい伸びるに違いないと私は大いに期待をしているところです。

* 昨年9月に生まれた一番下の孫(音羽)は今4か月になっています。その上の孫(希望)は今2歳半の保育園児ですが、この二人の孫は週3回位の割合で、我々老夫婦の所にやって来る事になっております。私と家内は今年80歳と70歳です。老体に鞭打って全力投球でこの二人の孫の世話に奮闘しているところですが、¨来て嬉し、帰って嬉しや孫の世話¨の心境です。二人の孫の世話に七転八倒の日々を送っていながらも、この二人の孫から得体の知れないパワーの様な物をもらっているような気がしないでもありません。とにかく大変ですが、可愛くて仕方の無い孫達であります。私達老夫婦もとにかく頑張って2016年を全うしたいと念じております。
      今日よりも、一歩前進良い明日!!。
                2016年1月16日の記


奥田のコラム(NO237) ¨気は声無くして人を呼ぶ¨ 不思議なクリスマスプレゼント(?) ( 2015/12/31 )

 
 帯津良一先生からの贈り物

 
 楊名時先生55年の軌道DVD

 
 楊名辞先生からいただいた色紙

 
 

 
 

 
 

 12月25日は世界中がXmasで賑わう日です。サンタさんはこの日は子供達ばかりか、
もしかして時には、大人にまでもまさかのプレゼントを運んで下さるのかも知れません。

 2015年12月25日の我が家の郵便ポストには、まさかの二つの郵便小包が届いており
ました。その一つは、私が人生の師と仰ぐ帯津良一先生からの最新書『ドクター帯津の
健康暦(ごよみ)365+1』(海竜社出版)、もう一つの小包は、日本健康太極拳協会制作による、楊名時師家を偲んで・・・『健康、友情、平和を未来へ』というタイトルのDVDでありました。

 帯津良一先生は知る人ぞ知る著名なお医者さんです。私はこの先生からは健康人生の哲学とも思える学びをいただいております。そして帯津先生を通してご縁をいただいた楊名時先生は、太極拳の父とも呼ばれた方で、私は楊名時先生とのご縁をいただいた事により、太極拳という世界に没入しないではいられない強烈な影響をを受けて、今の私の人生があるのです。このお二人こそは、私の60歳からの人生を決定的に方向付けて下さった大恩師であります。

 このお二人の先生に共通している人生哲学は、@ 人生は青雲の志に生きる事、A 人生は宇宙の摂理と響き合って生きる事、B 人生は、健康と友情(他者への思いやり)と平和(人類の幸せのお役に立てる事)ではないかと私は理解しております。

 楊名時先生がお元気でおられた頃、¨気は声無くして人を呼ぶ¨と言う言葉を何度か耳にし、色紙にも書いていただいておりますが、今年の12月25日のポストの中を見た時の私の驚きは、まさにその言葉が私の全身を駆け巡る思いでありました。
敬愛して止まない帯津先生の最新書と楊名時先生の55年の歴史を綴ったDVDが、同じ日の
同じポストに届けられたこの偶然の一致は、私にはもう神業以外の何物でもない不思議でしかありませんでした。

 2015年、私は79歳の人生をそれなりに頑張ってまいりました。2015年をやがて終わるに
あたって、2016年はどんな人生を目指せばいいのであろうかと模索していた時、上記の出来事に出会い、お二人の恩師から¨来年も今までどうりで十分ですよ¨、との励ましをしていただいたように思えて、何かしら来年に向けての100倍の勇気をいただけた様なきがしている
ところです。
 私は来年(2016年)はいよいよ80歳に突入です。80歳と言えば、人生どんなに長寿時代になったとはいえ、間違いなく人生の最終コーナーに差し掛かったと覚悟しなければならないと思っております。そして、いついかなる事があっても、一点の後悔もない人生に向けて、しっかりとした心の準備をしておかなければならないと覚悟しているところです。
 天なる神様、この度の奇跡とも思える出来事に深く感謝いたします。
2016年、私は必ずまた頑張りますので、どうかよろしくお導きの程お願いいたします。
2015年に感謝しながら、今年最後のコラムを終える事にします。
本当に有難うございました。
              2015・12・30日の記


奥田のコラム(NO236) 2015年:NAHAマラソン&福岡国際マラソン ( 2015/12/13 )

 
 第31回那覇マラソンスタート風景(沖縄タイムスより)

 
 第69回福岡マラソンスタート風景

 
 川内選手35キロ地点の力走

 
 ロンドンマラソン・ロンドン塔の前にて
1989年4月

 
 さくら駅伝東京千鳥ヶ淵で仲間たちと

 
 聖火ランナー・ラスベガス街道にて1996年5月

 2015年12月6日は、¨太陽と海とジョガーの祭典¨のキャッチフレーズで、すっかり全国に知られるようになったNAHAマラソン(第31回大会)が、今年も華々しく開催されました。今年の参加者数は2万6679人、しかも抽選で選ばれた人達だそうです。

 今から31年前のNAHAマラソン(第1回大会)の時などは、マラソンに関心を持つ人は限られていて、目標の3,000人を集めるのに大変な苦労があったと聞いております。私などは、その当時、観光関連の仕事に従事していたと言うだけで、無理矢理この大会に駆り出され、必死の思いで半分の20キロ地点までを、地面を這うが如くに辿り着いた苦い想い出が、今も鮮明に記憶の中に残っております。

 人生は本当に不思議なものだと思います。天の神様はその時から3年後に、そんな私(マラソンとは無縁と思われた)を、まさかのマラソン一筋の世界に没入させて下さる事になっていたのですから不思議でなりません。その時の私は51歳でした。
 NAHAマラソン第4回大会を目前にしていた或る日、或るパーティーの席で、私は或る知人から¨来年(1989年)のロンドンマラソンを一緒に走りませんか?¨、とのお誘いを受けたのです。まさかと思いながらも、何故かその瞬間の私は、マラソンの苦しさなどすっかり忘れ、¨ロンドンマラソン¨という夢の様な言葉に酔いしれていたのです。
パーティーのあった翌日からの私は、朝に昼に夜に、只ひたすらロンドンマラソンの夢の中を走り続ける日々が始まっておりました。

 努力の甲斐あってか、NAHAマラソン第4回大会を無事初完走(5時間2分48秒)、翌年4月23日のロンドンマラソンも完走して(4時間43分24秒)、ロンドンマラソンの夢は現実のものとなっておりました。私はこのロンドンマラソンで、大きな大きな人生の勉強をさせていただいたと思っております。そしてこの時から私の本当のマラソン人生が始まる事となりました。
 NAHAマラソン第4回大会から14回大会までの10年間は連続してNAHAマラソンを完走、そればかりか、その間に、私はロンドン、メルボルン、ベルリン、ボストン等の、海外マラソンを含めると19回のマラソンを完走しておりました。明けても暮れてもマラソン人生の日々でした。

 更には1996年3月から5月にかけて、今度は¨さくらの開花¨に沿って、沖縄最南端の波照間島から北海道最北端の宗谷岬までの¨さくら駅伝日本縦断3,000キロ¨を走破しようという計画が持ち上がり、これにも加わっておりました。この計画は雨の日も、風の日も雪の日も、一日たりとも休むことなく続けられたのですから、今から思えばとても信じられない出来事であったと思います。人生のまさかの不思議はこの後にもう一つ続く事となりました。これこそは私の人生で最も貴重な体験であったと思います。

 沖縄から北海道宗谷岬を目指してひたすら走り続けていたその最中に、今度はこの私が¨アトランタオリンピック聖火ランナー日本代表の一人に選ばれた¨、という知らせが舞い込んで来たのですから、私の人生でこれ以上の¨まさか¨はありません。私は「さくら駅伝日本縦断走」を一週間ほどリタイア―をさせて頂き、急遽アメリカ西海岸に飛び、灼熱のラスベガス街道を一キロに渡って¨聖火¨と魂を共にさせてただきました。
 あの時からやがて20年が経ちますが、私は今でもあの時のあの数分間こそが、私の人生で最も神聖な瞬間であったと思っています。聖火の道はまさに¨神の道¨でありました。

 私はその頃に、何故こんなにもまさかの偶然が重なるのであろうかと自問自答した事があります。答えは、それら全ては天なる神様の導きによるものと思う他はありませんでした。¨人は無心で何かに没頭していれば、運命の神様はその人の姿を応援して下さる¨、という格言の様なものを今でも自分の人生の教訓にしております。

 NAHAマラソンのお陰で、私は本当にたくさんの¨まさか¨を体験させていただきました。NAHAマラソンの時期がやって来る度に、それらの遠い日の想い出が蘇ってきて、NAHAマラソンに手をあわせるのです。
(私のマラソン人生に関する記事についてはコラムNO119、120、121、122に記させていただいております)

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 2015年12月6日、この日はNAHAマラソンと時を同じくして、第69回福岡国際マラソが開催されておりました。私はNAHAマラソンの事を気にしながらも、心の殆どは福岡マラソンの方に奪われておりました。その理由は、この福岡大会に、あの川内優輝選手が、来年のリオディジャネイロ五輪マラソンの代表をかけて参加していたからです。

 川内選手は、昨年のNAHAマラソン30回大会に出場して下さり、2時間13分43秒の大会新記録で30回大会に大きな花を添えてくれました。
 私事になりますが、川内選手は私とは半世紀以上も違う大学の後輩にあたるとの事で、その日の懇親会にお声をかけて下さり、本当に素晴らしいひと時を過ごさせていただきました。その時の川内選手の印象が、余りに素晴らしく、私はその時から生涯をかけて、川内選手の大ファンの一人にさせていただこうと思う様になりました。

 川内選手の福岡マラソンの結果は、残念ながら全体の8位、日本選手の4位と言う事で、リオ五輪代表にはなれませんでしたが、まだ来年の東京マラソンと琵琶湖マラソンが残っておりますから、必ずや、このどちらかの大会で、有終の美を飾ってくれるであろう事を確信し、心からの応援をさせていただきたいと念ずるばかりです。(川内選手との事についてはコラムNO217にも書かせていただきました)
                  (2015・12・12の記)
 


奥田のコラム(NO235 ) 東京4泊5日の旅(その2) ダイアビック15周年記念大会に出席 ( 2015/11/27 )

 
 ダイアビック15周年記念大会出席者

 
 ダイアビック研修会風景

 
 第1回研修会から親しい小川さんと

 
 懇親会風景・りーガロイヤルホテルにて

 
 ひばり会歴代会長さん達と

 
 ダイアビック創立者・蜂谷さんと

 東京の旅・二つ目の目的は、2000年からスタートしている財団公益法人:ダイア高齢社会研究所主催による、シニアの為のリズム体操「ダイアビック15周年記念大会」に出席する事でした。

 ダイアビック財団が発足した今から15年前の私は、太極拳に夢中の日々を送っておりましたが、太極拳の¨静¨に対して、シニアの人達が楽しくリズムに乗って動ける¨動¨の世界にも関心を寄せておりました。
 偶然にも或る日の新聞で¨シニアの為のエアロビック(ダイアビック)発足¨の記事を見て、これだ!!!と思い付き、家内を誘って、第一回のダイアビックインストラクター研修会に参加したのでした。場所は茅ヶ崎であったと記憶しております。

 以来何回か研修会に参加を重ねておりましたが、その後は太極拳教室の方が忙しくなり、ダイアビックは暫くお休みしておりました。「ダイアビック15周年記念大会」へのお誘いをいただいたのを機に、もう一度その後のダイアビックを体験してみたいと思い、再び家内と参加したのです。

 好運な事に、この日(11月13日)は、前回のコラムNO234にも書きました様に、敬愛して止まない帯津良一先生の会が予定されていた一日前の事で、タイミングとしてはドンピシャリ、私は何かしら今回の東京の旅は、神様からのお誘いの様な気がしてなりませんでした。

 ダイアビック15周年記念大会に参加して、本当に良かったと思う点を今日のコラムに書き留めておこうと思います。

@ ダイアビック研修会で出会っていた方々が、15年を経た今でも私達夫婦を覚えて下さっている事を知って、感激を新たにしました。この人達との交流がまた再会するのでは・・・という直感が湧いてきました。

A 現在、ダイアビックインストラクターは全国に200人余りも誕生しているのだそうですが、私達夫婦は何んとそのNO12とNO13番目に登録されている事を知らされ、まさかの驚きでありました。にもかかわらず、私達夫婦は沖縄で何もダイアビック普及活動をしていない事を深く反省させられました。

B ダイアビック財団は東京に拠点を置く「ダイアビックひばり会」が中心となって、全国との交流会もされているとの事ですが、沖縄在住の私達夫婦は、この度、その東京ひばり会の県外会員になるお誘いを受ける事となり、大変名誉な事と思い、受けさせていただく事に同意いたしました。
東京ひばり会の会員には、90歳を越える元気いっぱいの方々も多くおられる事を 知り、大変嬉しく、沢山の元気をいただきました。

C 2016年、私はいよいよ80歳代に突入です。家内は70歳になるそうです。80歳を機に、私は太極拳の¨静¨と、ダイアビックの¨動¨を融合させて、必ずや¨元気な100歳人生¨の見本になろうと、改めてその決意を胸に秘めているところです。

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

* 東京は、80歳を前にした私には、あまりにスピードが速すぎて、東京のリズムについて行くのは至難の業である事を知らされました。反面、東京はまた、ささやかな年金暮らしの私の様な者であっても、元気でさえあれば、安くて美味しいレストラン巡りや、安くておしゃれなショッピングを楽しめる、本当に魅力的な大都会である事も再発見しました。これからも健康維持に気を配り、年に一回ぐらいは行ってみたい大東京でありました。東京案内を見事につとめてくれたお母さん(家内の事ですが)には最大の感謝です。

* 今回の旅は、旅の合間を縫って、気になっていた八王子にある家内の両親のお墓参りと、横浜保土ヶ谷にある私の両親のお墓参りにも行かれて、本当に良かったと思っております。東京4泊5日の旅が出来た事に心から感謝いたします。
              (2015・11・27日の記)


奥田のコラム(NO234) 東京4泊5日の旅(その一) 帯津良一先生との再会in「久保田」亭 ( 2015/11/25 )

 
 うなぎの「久保田」亭で帯津先生とご一緒に

 
 同上

 
 美人の誉れ高い「久保田」のおかみさんと

 
 

 
 

 
 

 2015年11月12日から16日までの4泊5日、私達夫婦は久し振り(2〜3年振り)に東京に出る旅に恵まれました。恵まれたと言うよりは、そうならざるを得ない旅でもあったのですが、終わってみれば、とても素晴らしい旅であったような気がしております。

 今回の旅のメインテーマは、帯津三敬病院名誉院長・帯津良一先生が主催する「21世紀養生塾」の全国支部長会議に出席する事でありましたが、その会が急遽、諸事情の為に中止となり、私達は早々に早割の格安航空券を購入しておりましたので、取り消しも変更も出来ない状況下にあったのでした。

 さてどうしたものかと家内と思案を巡らせていたところへ、帯津先生からのまさかの直筆のお手紙をいただき、会議を予定していた11月14日(土)は、一日中時間が空く事になったので、夕食をご一緒にしませんか・・・のお誘いです。帯津先生のお心遣いである事は申すまでもないのですが、それにしても天から舞い降りてきたようなこのハプニングに、私達夫婦は天にも昇る程の嬉しさに、心をときめかせながら東京に向かったのです。

 11月14日(土)、いよいよ帯津先生と再会の日です。再会の場所は有名なうなぎ料理の「久保田」亭。約束の時間は夕方の6時です。私達夫婦はこの日は朝から何も手につかず、頭の中は約束の時間に一分一秒でも遅れてはならないとの一念で、この日は午後から「久保田」亭に一番近いJR御徒町駅近辺を2〜3時間かけて散策しておりました。

 午後5時、近くの喫茶店「ドトール」に入り、静かにコーヒーを飲みながら、6時の約束に供えて、ゆっくりと身を休めておりました。
5時15分、家内の携帯にメールが入り、開いてみると何と帯津先生の代理(山田婦長)から、¨只今「久保田」に到着しました。お待ちしております¨の一報でした。

 私達夫婦は、コーヒーどころではありませんでした。あわてふためいてすぐさま喫茶店を出て、約束の場所を目指しました。小雨が降っていた筈ですが、傘をさすのも忘れて、一目散に¨久保田¨亭に向かって突進しました。私はこの日は腰痛気味の筈でしたが、何もかも忘れてまるでマラソンを走っている様でした。5時30分、やっとの事で目的地に到着し、安堵の胸をなでおろしたのです。

 この日の帯津先生は、これまで出会った中で最もおしゃれな赤い縦じまのYシャツを着て、この日が初めてと言う素敵なスーツを召されておりました。おしゃれの理由は、どうやら帯津先生の心をとらえて離さない超美人と噂の高い「久保田」亭のおかみの為のおしゃれではなかったか・・・??と私の目には映らないでもありませんでした。この日の帯津先生は始終、まるで子供の様な恥じらいの笑顔に溢れていて、こんな可愛らしい帯津先生を見られたのは望外の喜びでありました。

 私にとってこの度の再会での最大の収穫は、帯津先生の¨96歳宣言¨でありました。
帯津先生は常々、¨人間の死に時は83歳前後が一番いい¨と申しておられて、100歳人生を目指している私にとっては、83歳説だけは何とかしてもらいたい唯一の不満点でしたが、この日の夕食会で、¨96歳宣言¨が飛び出したのですから、私にとってこれ以上の喜びはありません。

 帯津先生の考え方が変わったのは、数日前の「週刊朝日」で対談された相澤さん(司葉子さんのご主人)の影響によるものらしいのです。相澤さんは大蔵政務次官まで昇り詰められた方ですが、若い頃は戦場に行き、捕虜にもなり、苦汁を嘗め尽くして終戦を迎え、その後も大病と闘いながらも、96歳の人生をカクシャクとして生きておられる姿を見て、83歳はまだ小僧でしかないと悟られたのだそうです。
¨96歳宣言¨をされた帯津先生にに乾杯!!!。2015年11月14日は本当に、素晴らしい大収穫の、帯津先生とのまさかの再会でありました。
              (2015・11・25日の記)

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