アトランタ・オリンピック聖火ランナー日本代表(1996年4月28日、日本出発) ラスベガス街道を走った仲間(MGMホテルロビーにて) ラスベガス街道での聖火の受け渡し 伴走者と走る聖火の道 応援のためラスベガスに駆けつけてくれた妹と家内 聖火ランナー日本代表記念誌 | 前述のコラム(NO303)に、1996年のアトランタオリンピック 聖火ランナーの事を書かせていただきましたが、数人の方から、もっと詳しい事が聞きたいとのご要望をいただきました。ご要望の要点は、@ 聖火ランナーに応募した文章、A 聖火を持って走った場所とその時の感想、B 聖火ランナーにかかった費用はいくらぐらいであったか、の3点です。
私の手元に、「アトランタオリンピック・聖火ランナー日本国記念誌」が残されております。 その記念誌には、聖火ランナーに選出された全ての人達の応募文と走った時の感想文が記されており、私の文章もその中に含まれておりますので、今回のコラム(NO304)に記載させていただきます。
(1)聖火ランナー応募文「聖火ランナー、私の夢」 オリンピック!!、それはこの地球上に咲く世界で一番美しい五輪の花、世界で一番大きな平和の花、そして世界で一番美しい競演の花であると思います。私は今年60歳で、沖縄地球を走る回のメンバー。私達はニューヨーク、ロンドン、ベルリン、メルボルン、モントリオール等を走り、今年はいよいよ念願のボストン・マラソンに挑戦です。世界各地のマラソンを通して、スポーツこそは世界共通の平和と友好の証である事を実感するのです。
オリンピックの聖火ランナー!!、それは私達市民ランナーにとっては永遠の憧れ、そして最高の夢物語です。52歳から走り始めた私のジョギングは、今やっと、地球半周の2万キロに辿り着きました。アトランタの地に、聖火ランナーの夢を描きながら、これからまた、地球一周4万キロのゴールを目指して、コツコツと地球の走り旅を続けてみたいと思っているのです。
(2)聖火ランナーを走り終えた感想文「聖火の道」
聖火の道は 赤く燃え 心ふるえた 神の道 聖火の道は 優しくて 涙あふれた 愛の道 ああ アトランタ アトランタ ああ アトランタ アトランタ 心震えた 神の道 涙あふれた 愛の道 聖火の道は 輝いて 夢と希望に 光る道 聖火の道は 平和へと 世界を一つに 結ぶ道 ああ アトランタ アトランタ ああ アトランタ アトランタ 夢と希望に 光る道 世界を一つに 結ぶ道
(3)聖火ランナーにかかった費用等について アトランタオリンピック聖火ランナーの全ての費用は、アトランタに総本社のあるコカ・コーラ(株)社さんがスポンサーになって下さったと聞いております。聖火ランナーの数は、アメリカから8.000人、アメリカ以外の国々から約2.000人の合計10.000人であったそうです。 日本からは36名+数名との事でしたが、私達は1996年4月28日の日本出発から5月3日の帰国までの数日間、まさに夢のような”聖火ランナーの旅”をさせていただきました。 私達のグループ(写真)は、この間、ネバダ州のラスベガス街道を一人が1.000mずつ走らせていただきました。炎天下35℃の1kmでありましたが、私は今でもその時の1kmはまさしく“神の道”であったと思っております。人生最高の体験をさせていただいた聖火ランナーに生涯の感謝と感動を忘れることはありません。
2021年5月19日の記
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