令和3年の年賀状 ”元気な100歳を生きる”書 令和元年のお正月”100歳人生への誓い” 可愛い二人の孫(正月・お年玉) 二人の孫と(イオン南風原にて) 二人の孫と(イオン南風原にて) | 私は今年の6月26日に満85歳になります。85歳といえば、もう人生の最終コーナーを周っている時期なのかも知れません。自分の周りを見渡して見ても、昭和11年生(85歳)で、元気な日々を過ごしている人はもう三分の一か、もしくは四分の一ぐらいかも知れません。残りの人達は、すでに亡くなられておられるか、生きておられても寝たきり老人になっている人が多いのかも知れません。
今から30〜40年ぐらい前に、大きな話題となったあの“金さん、銀さん”(共に100歳)の時代に比べると、今や100歳を生きておられる人達の数は6万とも7万人とも言われるようになっているのですから、21世紀は間違いなく“100歳を生きる時代”と言っても過言ではないのではという気がいたします。今、まさに21世紀を生きている私の目標人生は、100歳であるべきと思い、日々私はその心構えと、努力を続けているのです。
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私は今から20数年前の60歳の時に、家内の突然の事故入院を期に、突然“気功・太極拳”とのご縁をいただき、以来、その世界に没入する人生が続いております。そんな日々を続けていた1997年(60歳)のお正月の2日の早朝に、私は不思議な夢を見たのです。その夢とは、大きな滝に囲まれた池の中心部に置かれた大きな岩石の上で、白髪の老人が実に美しい姿で、気功を舞っているのです。
あまりの不思議に、その姿を遠くから眺めていた私は、いつの間にかその老人に近づき、年齢をたずねてみたら、“私は100歳になりました”と答えるのです。次に、恐る恐るそっと顔を覗いてみたら、その老人は、紛れもなく100歳の私の姿でありました。私はあまりの不思議さに、思わず布団から飛び起きて、それが夢の中の出来事であった事に気付いたのですが、枕元にあった紙切れに、思わず“気功元年・百歳元年”と書き綴ったのでした。
それ以来、私はこの夢を正夢と思うようになり、今日まで殆ど毎日のように、気功・太極拳を続けているのです。以来、ご縁をいただいている方々の健康長寿のお役に立てる事を、自分の天命と心得て、そんな日々を続けております。
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85歳を迎える令和3年のお正月に、何を心に誓えば良いのだろうか・・・と自問自答してみたのですが、殆ど瞬時に全身に広がった言葉は“元気な100歳を生きる”という言葉でした。 私は新年(2021年)、85歳の誓として、何のためらいもなくその言葉を色紙に書いてみたものの、字が上手でない私の書ではなんとも絵にならず、上手な書を書く義弟にお願いをして、その言葉を書いてもらいました。写真(2)がその書です。
私が“元気な100歳”にこだわる理由の一つは、健康哲学の世界的権威者として知られる,あのアンドリュー・ワイル博士の“健康のリーダーたる者のあるべき姿は、自らがその見本であらねばならない”という言葉に触発されたからです。私はこの新年から、堂々と“元気な100歳を生きる”を公言して、有言実行の人生を送る事を改めて心に誓いました。
次に“元気な百歳人生を生きたい”というもう一つの理由は、7歳になる男の子と、4歳になる女の子の二人の孫が、あまりにも面白く、あまりにも不思議で興味深いのと、あまりにも可愛いくて何としてもこの二人の孫が成人するまでは、元気でいて、孫の行末を見届けてから、天国に旅立ちたいと思う一心であります。 その他アメリカ・新潟・石垣の孫も同様ですが、側にいてすぐ会える孫にどうしても心が動かされてしまいます。この孫たちが全員成人するまで最低15年は元気で生きなければ・・・というのが私の念願です。“夢は必ず叶う”と信じています。
*掛け軸の言葉と書は、帯津先生から直接いただいたものです。
2021年1月11日の記 |