ピザハウスにて全員集合 家族写真(全員集合) 全員の孫たちに囲まれた嬉しい写真 結婚50周年記念写真 孫たちとのボーリング大会 アメリカファミリーと有香さんファミリー達との楽しいゴルフ(アロハ・ゴルフ場にて) | 第35回ナハマラソンのあった日の丁度1ヶ月前に当たる11月1日は、私達夫婦にとっては結婚記念日で、しかも今年は結婚50周年に当たる“金婚式”であったとの事です。 長女の有香さんが家内と一緒に先頭に立って、何かと結婚50周年のお祝いを計画してくれていたようですが、私はどうしても結婚50周年という時の流れが実感できなくて、金婚式のお祝い事はまだしばらく先にしても良いのでは・・・という気がしておりました。
そんな折、2019年10月31日の早朝、つまり私達の結婚50周年の1日前、沖縄を揺るがす大事件が勃発したのです。それは沖縄のあの首里城の突然の炎上・消滅です。これには本当に驚きました。真っ赤に炎上する首里城の姿をTVで見ながら、私はまるで夢の中を彷徨っているような錯覚に陥っておりました。
コラムNO291にも書きましたが、私達家族は首里金城町に20年程住んでおりましたので、首里城には沢山の思い出が在るのです。その首里城が突然消滅したのですから、例え結婚50周年であれ、何であれそんな状況下でのお祝い事など出来るはずもなく、その日に私がした事は、一本のバラの花を買ってきて家内に渡しただけのような気がしておりますが、もしかしてこれも私の夢の中の妄想でしか無ないのかも知れません。首里城炎上の日から私の頭はすっかりおかしくなっているようですから・・・。
この日から3週間程の時が流れ、今から思えば、もしかして私達夫婦にとってはもうこれ以上の幸せは無いかも知れないとおもえる程の嬉しい出来事が現実となって訪れてくれたのです。 それは2019年11月23日(土)の事でした。この日に私達の50周年のお祝いをする事になっていたようで、アメリカ、新潟、石垣島、那覇市に住んでいる4人の子供達とその家族・総勢17名が、この日のために沖縄に集合してくれたのですから、私達夫婦にとって、これ以上の喜びがあろう筈はありません。
この日は家族全員が“お昼の11:30にピザ・ハウス本店のレストランに集合”との号令がかかりました。その場に行ってみると、2階の特別の部屋に特別の食事が用意されておりました。子供たちが私達の結婚50周年のお祝いにピザ・ハウスのレストランを選んでくれたのは、子供達が皆、小さい時からピザ・ハウスが大好きであったからかも知れません。私達夫婦もピザ・ハウスには沢山の思い出があって、この日はピザ・ハウスの現会長が特別のおもてなしをして下さり、生涯の思い出に残る素晴らしい食事会となりました。
食事が終わった後は記念撮影との事で、那覇市小禄にあるスタジオに全員が移動し、ここでは全員の記念写真と、孫たちに囲まれた写真と、私達夫婦の記念写真を撮っていただきました。そしてその日の夜は、長女の有香さんの計らいで“大カラオケ大会”が催され、部屋が壊れんばかりの歌声が部屋中に響き渡りました。この会場には私の妹の三枝夫婦とその息子秀平君と、私達の4人の子供達が小さい頃に大変お世話になった玉寄美代子さんも同席して下さいました。 最後に私達の結婚50周年にはるばる遠くから集合してくれた家族全員の名前を記してお礼の気持に変えたいと思います。
@ はるばるアメリカから来てくれた末息子の奥田淳平・Angje夫婦と孫のAnikaとMarika
A 忙しい中、寸暇を割いて新潟から駆けつけてくれた次男の奥田城司・奈津子さん夫婦と孫の尊君と悠人君。 B 石垣島からこちらも多忙の中、駆けつけてくれた長男の奥田成彦・恵さん夫婦と孫の拓夢君。
C 那覇市在住の長女、當銘有香・昭如夫婦と孫の希望と音羽ちゃん。 (この度の祝賀会に先頭に立ってお世話をしてくれた當銘有香さんには、特別のお礼を申し上げます)
50年前にスタートした私達夫婦が、50年を経た今、17人のファミリーに拡がっている事と、彼・彼女達の成長と行く末を見守ってくれているであろう私達の今は亡き父母に、万感の思いで感謝の気持ちを捧げます。そしてこれからの私達夫婦は、首里城復興の夢を念頭に置きながら、残された人生を少しでも世の中のお役に立てるよう頑張り続けたいと念じております。 感謝です。感動です。有難うございます。
2019年12月7日の記
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