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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO297)〜結婚50周年のハプニング〜 ( 2020/11/05 )

 
 昨年の1年間違えた50周年記念日の写真

 
 次郎長寿司の玄関で

 
 次郎長であった京都の方

 
 次郎長であった二人の女性

 
 次郎長であったキングスの方々

 
 結婚記念日の花束

 昨日の11月1日は私達夫婦にとりましては特別な一日でありました。結婚50周年の日でありました。
実は昨年のこの日に、家内は計算違いをして、実際よりも1年早く50周年報告を息子たちに報告していたのです。昨年のこの日に合わせて、遠くアメリカに住む3男ファミリー(淳平・ANGGY ・ANIKA・MARIKA)、新潟に住む2男ファミリー(城司・奈津子さん・尊・悠人君)、石垣に住む長男ファミリー(成彦・恵さん・拓夢君)、それに沖縄に住む長女ファミリー(有香夫婦と一番下の孫・希望と音羽)の合計15人が沖縄に集合してくれて、盛大なる50周年のお祝いをしてくれたのでした。結婚50周年が1年早かった事を知った時は、暫く言葉を失ったのでしたが、今から思えば、1年の狂いが無かったとしたら、つまり今年の11月1日であれば、コロナの為に、絶対実現できなかったと思うと、神様は何と粋な図らいをして下さったのであろう!!と思わず家内が神様の使いに思えたのでした。

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 今年の11月1日のお昼は、私は全日本大学駅伝大会に夢中になっておりました。駒沢大学と東海大学の死闘は歴史に残るであろう一戦でありました。彼らの走りとは“天と地”程の違いがあるのですが、私は50歳の頃から、やがて4半世紀(25年余)、市民ランナーとしての走る辛さと喜びを体験させていただいておりました(コラムNO258)。私の人生の中にマラソンの日々があった事を心から感謝しております。

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 さて、この日の夕方6時からは、家内の提案で、いつも何かの時はお世話になっている“お寿司の次郎長”さんに足を運びました。次郎長のお寿司はなんとも言えない雰囲気があって、本当に美味しいのですが、これに加えて、家内はここでしか飲めない京都の日本酒“玉の光”が実に美味しいのだそうです。
 私達の右隣に座られた男性は、偶然にも京都の方で、気付いてみたら、この人も“玉の光”を飲んでおられました。意気投合して一夜にしてすっかりお友達になりました。左隣りの座られた中年の2人の女性は沖縄の方でしたが、二人共早くからご主人を亡くされたという、笑顔が素敵な方でした。彼女が申すには、「お金持ちで、独り者の男性であれば、付き合ってもいい」との事でしたが、残念ながら私はその両方とも条件には恵まれておらず、しかも84歳のおじいさんでは、どうにもなりませんでした。

 次郎長さんの奥の座席におられた5〜6人の男性は、今をときめくバスケットの“琉球キングス”の人達でした。たまたまその中に昔からよく知っていた男性がいて、彼は今は、カヌチャホテルの支配人と、このキングスの支配人を兼務しているとの事で、こんな人達に出会えた事は、ラッキーでした。彼は私が一足先に帰ろうとすると、わざわざ玄関の外まで見送りをしてくださり、すっかり恐縮をしてしまいました。

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 11月1日が来るたびに、来年こそは家内に100本のバラを渡そうと決意するのですが、実際はいつも10本位のスーパーで買う安物の花でしかありません。今年も急遽、スーパーに駆け込んでみたのですが、そこにあったのは1束250円の花束だけが3束しか残っておりませんでした。とりあえずその3束を買い求め家内に渡したら、家内はそれでも今年もまた喜んで受け取ってくれました。ありがとうの結婚50周年の1日でありました。

               2020年11月2日の記
              



奥田のコラム(NO296)〜2020年の身の回りに起きた事〜 ( 2020/10/31 )

 
 石垣島で仲吉委子さんとの再会(A&Wにて)

 
 八重山古典民謡集

 
 希望、ピカピカの一年生

 
 引越し先の新居(市営住宅)

 
 アメリカ孫のアニカと息子

 
 84歳のゴルフ(妹夫婦と娘と一緒に)

 今日のコラム(NO296)では、2020年に私の身の回りに起きた悲喜こもごもの出来事を思い出して、記憶の中に留めおこうと思います。

@ 2020年の初め、久しぶりに石垣島を訪ねました。今から20数年も前の「石垣島市政50周年・とばらーま大会」でご縁をいただき、以来、年賀状等々でご縁が続いている仲吉委子さんとの再会を果たしました。その席で「石垣島に伝わる古典民謡の“鷲の鳥節”の曲で太極拳を舞ってみたい」と申し上げたところ、大賛成をしてくださり、仲吉さんは早々に、八重山古典民謡研究家として著名な當山善堂さんを紹介してくださいました。當山先生にもご賛同をいただき、當山先生からは貴重なCD付きの“精選八重山の古典民謡集(全4巻)”を頂戴しました。私はこのCD集の中の“鷲の鳥節”を、敬愛して止まない音楽家の日出克さんの感性で、幾分の編曲をして頂き、2020年初頭の数ヶ月は“鷲の鳥節の太極拳づくり”に没入しておりました。私はいつかこの“鷲の鳥節による太極拳”を世の中に出してみたいと願っております。

A 5月21日:下から二番目の孫が、今年の春には1年生になるという事で、その入学式を楽しみにしていたのですが、コロナのために入学式が延び延びになって、やっと5月21日に入学式が行われたのですが、またまたコロナのために、今度は、両親以外の出席が許されず、私達老夫婦は誠に残念無念の日を送らなければなりませんでした。記念写真だけは撮らせてもらいました。

B 6月14日:アメリカから突然の悲報がはいってきました。中学校から単身でアメリカにゴルフ留学した末息子を引き受けてくださり、中学・高校までのお世話をして下さっていた沖縄出身のSEKIKO さんが、老衰のため亡くなられたとの報せでありました。どんなに感謝しても感謝しきれない大恩人です。心の底からご冥福をお祈りせずにはいられません。

C 6月26日:この日は私の84歳の誕生日でした。本来であれば幾分は賑やかに“としびー祝”をさせてもらっても良かったのかも知れませんが、昨年暮れの首里城の消失や、上記のSEKIKO さんの事などもあって、祝い事をする気にはなれず、家内の勧めで、ずっと以前から親しくさせてもらっている“お寿司の次郎長”さんを訪ね、ささやかな誕生祝いをさせていただきましたが、充分すぎる程の幸せな84歳の誕生日でした。

D 7月2日:数年前から入居の申込みをしていた市営住宅への入居が急遽決まり、7月2日に入居いたしました。とにかく猛暑の中の引っ越しで、前後の2〜3ヶ月は老体に鞭打って、必死の日々を過ごしました。家族を中心に沢山の人達の協力をいただき本当に有り難う御座いました。3ヶ月ほど経った今でもまだその時の後遺症が続いたままになっており、荷物もまだ完全には片付いていません。どこにしまったかわからないものがまだまだあるのです。
 引っ越した先は、予想していたのとは真逆の1000世帯あまりが住む沖縄最大級の団地の1室ですが、これも何かのご縁と思うほかは無く、今の私の心境は、著名なクリスチャンであられた渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に励まされながら、人生の再出発を考えているところです。

E 10月15日:中学校時代からの親友の訃報が届きました。中学時代からの親友を亡くする事の寂しさは心身にこたえるものがあるのです。84歳といえば何があっても不思議はない年なのですが、21世紀は100歳の時代とも言われます。私は一番下の孫が成人する迄は元気でいたいと念じておりますが、孫が成人する迄には、あとまだ15〜6年は元気でいなければなりません。

F 10月25日:アメリカに住む12歳の孫(ANIKA・女の子)から、まさか、まさかの嬉しい報せが届きました。Facebookによよると、先週日曜日に、近隣に住むJuniaのゴルフ大会で優勝したというのです。息子も大喜びした事と思いますが、じじ・ばばも感激しています。まるで夢の中の出来事のような気がしているのですが、もし本当の事であれば、いつの日か、この孫たちと一緒にゴルフが出来るとすれば、もうこれに優る人生の喜びは私にはありません。夢で終わらない事を念じ続け、もう一度アメリカに旅行が出来ることを切に願い続けようと思っています。

G 10月29日:上記のアメリカ孫に刺激されたという事でもないのですが、数ヶ月ほど前から、“もう一度ゴルフのショートコースぐらいは楽しもうよ”、という妹夫婦からの提案があって、その最初のゴルフに行ってきました。家族4人(妹夫婦と娘と私)のショートコースでしたが、途中で棄権するかも知れない事を条件にスタートしてみたら、なんと18ホール全部を回る事が出来て、今日は本当に嬉しい・嬉しい日となりました。皆に助けられての感謝・感謝のゴルフの一日でした。夕方、家内から突然の提案があり、「じいちゃん、今日は無事にゴルフが出来たお祝いに乾杯をしませんか?」と言うのです。私は即座に賛成して、これから居酒屋に向け出発です。ビールを飲むのは私ではなく家内で、私はコーラで乾杯です。

        2020年10月29日 午後6:00の記



奥田のコラム(NO295) 2020年”コロナ禍”の日々 ( 2020/10/29 )

 
 コロナに関する新聞記事(琉球新報より)

 
 安倍元総理の引退会見(琉球新報より)

 
 管新総理の国会での初声明

 
 バイデン大統領候補

 
 「風をよむ」にて発言する寺島実郎先生

 
 

          
 今年、2020年(令和2年)に入って以来、それまで15年余に渡って、月1〜2回ぐらいの割合で発信し続けていた私のコラム書き(友人・知人に向けての生活報告)は、何故かその後はずっとそのままになっているのです。 近年足腰に幾分の痛みがある以外には、これといった身体の異常がある訳でもないのに、どうしてもコラム書きだけが前に進んでいないのです。
 
 いろいろと自分を振り返ってみるのですが、どうやら思い当たる事は、今年の2月頃から耳にするようになった“コロナ禍”という言葉と、その現象に日常生活のペースを狂わされているのでは・・・と思われることがあるのです。20年余続けている私の健康づくりの基である“養生気功・太極拳教室”も否応無しの休止やら閉鎖を余儀なくされるし、外出の際や、公園のウオーキングさえも、マスクを付けて歩かなければ、行き交う人々に嫌な顔をされるばかりで、人間関係が崩れかけている気がしてなりません。

 マスコミ関連の報告によれば、3月頃から出現し始めた沖縄のコロナ感染者の数は、月日を追う毎に10人〜20人と増え続け、5月の連休明けを機に爆発的に膨れ上がり、現在では3194人(10月27日現在)になっていて、この数字の増え方は、人口比では全国のトップだというのですから、心配しないでいられる筈がありません。

 昨日も下記のような体験をさせられました。今年小学1年生になったばかりの孫が、元気一杯に家を出て学校に向かったのに、校門前にさしかかったところで“ゴホン”と軽い咳をしただけで校門をくぐらせてもらえず、熱も出ていないのに即親に電話がかかり、家に戻されたというのです。あまりの学校側の冷めたい態度に、私は孫が可哀そうになり、レストランに連れていき、“学校に行けなかったせいで美味しい昼ごはんが食べられてラッキーだったね!!”との言葉をかけるのが精一杯でした。“コロナ禍”のお陰で今の日本中にとんでもない不都合な現象が起こっているのではないかという気がしてなりません。

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 それにしても、今は“コロナ禍”による経済の悪化を取り戻すために、日本政府は盛んにGOTO トラベル・GOTOイートなどのGOTOイベントの奨励に躍起になっているのですが、果たして“コロナ禍”による経済回復ができるのか、かえってコロナを蔓延させるのではないのかという不安が大きくなってきています。このイベントで全国にコロナが蔓延する危険も大きくはらんでいるのです。特に沖縄では5月の連休に新宿のホストたちの飲食により、その後の急激な患者の増加・アメリカ軍による夜間の飲食での蔓延等、受け入れ側では防ぎようのない事態まで発展し、現在までその恐怖から県民は逃れることはできないでいます。GOTOトラベルをスタートさせる前には、しっかり検査をし、陰性の方々のみGOサインの証明書を持って旅行していただきたいです。
 このままだと冬の大流行が心配されます。免疫学の学者の皆様、もっと声を大きくして注意喚起を切にお願い申し上げます。

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 日本政府という言葉がでてきてしまいましたので、この際、沖縄に50年余り住む1市民としての日本政府感をほんの少しだけ書かせていただきます。日本の政治は安倍さんから管さんに総理が変わりましたが、沖縄に関して言えば「沖縄県民の心に寄り添って事をすすめる」の一点張りでありながら、その沖縄県民の70%の人たちが“もう二度と沖縄には基地を作らないでください”と涙を流してお願いしているのに、日本の政府は全く聞く耳を持ってくれません。新計画の米軍基地“辺野古の海”はジュゴンの住む沖縄の宝の海です。どうしてアメリカ政府と本気で話し合ってもらえないのでしょうか?。アメリカの人達は、大自然が大好きな人達です。アメリカの国民は話せばわかってくれる人達だと
私は息子の留学体験を通して、そう確信しています。

 安倍元総理も菅現総理も「森友・加計」・「桜」・「検事総長の定年延期」「河合夫婦の選挙違反問題」等々、行政の私物化と、それに対する説明のないまま、幕引きをしようとしている総理大臣です。どうして信頼ができるのでしょう。
 政治家のあるべき姿は“品格と名誉と尊敬”であるとアメリカのバイデンさんは申されておられます。この言葉がどれだけ日本の政治家に当てはまるのか、いつも疑問に思います。

 先日のTV「風をよむ」の番組で評論家の寺島実郎先生が申しておりましたが、今の日本の政治家は“人民の人民による人民の為の政治”とは裏腹に“自分達の自分達による自分達の為の政治”であるように思えてならないと申しておられましたが、全くの同感という気がいたします。
                  2020年10月29日の記



奥田のコラム(NO294) 2020年のスタートとコロナ騒動 ( 2020/06/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2006年から、月2回ぐらいの割合で続けていた私のコラムは、今年(2020年)に入って約半年間、ストップしたままになっておりました。つい先日、その事を親しい友人から指摘され、自分ながらまさかのびっくりをしているところです。
 どうして6ヶ月間も止まったままになっていたのか、その理由を自問自答しているのですが、確かな答えは見つかってはおりません。あえての言い訳を探して見ると、全ては“年齢のせい”(只今83歳、まもなく84歳)、という事かも知れません。
 近年足腰の不具合がなかなか思うようになっておりません。人間足腰が思うようにならなくなると、身体の全てに影響して、考える事も、文章を書く事も全て“おっくう”になっていくような気がしてきております。この辺でしっかりとこの“おっくう”の打ち止めをしておかないと、いっぺんに本物の老人になってしまうのかも知れないと気付かされ、深い猛省の日々を送っているところです。

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 2020年の今年は、大きくは東京オリンピックの年でもあり、個人的には下から2番めの可愛い盛りの孫が、幼稚園を卒業して、桜の咲く頃にはめでたく小学一年生になると思っていたのに、突然来襲したコロナ騒動で、オリンピックは中止、一年生の入学式は5月の末まで延期となり、しかも入学式には両親以外は出席禁止となり、孫の晴れ姿を見られず、本当に寂しい2020 年のスタートとなりました。
 更には20 年間、私の健康づくりの原点となっていた“気功・太極拳教室”も全ての教室が閉鎖を余儀なくされる状況下におかれ、本当に苦しいコロナの数ヶ月でありました。

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 コロナ騒動に何とか目途がつき、いよいよ6月から人生の再出発をしようと思っていた矢先、今度は突然に住所を移転しなければならないハプニングに見舞われ(これはむしろ嬉しさの方が大きいのですが)、私達老夫婦は、老体にムチを打ちながら大騒動の日々を過ごしている真っ最中であります。
 私は今『人生に起こる良き事は己の計らいの外にある』、というブッダの言葉を思い出しているところですが、84歳の住所移転がその言葉の様に、神仏に導かれたより良き人生への成り行きになる事を念じて頑張っております。

 * 私のコラムの再開は8月からになるのではないかと予想しております。よろしくお 願いいたします。

                          2020年6月22日の記



奥田のコラム(NO293)結婚50周年記念のサプライズ ( 2019/12/07 )

 
 ピザハウスにて全員集合

 
 家族写真(全員集合)

 
 全員の孫たちに囲まれた嬉しい写真

 
 結婚50周年記念写真

 
 孫たちとのボーリング大会

 
 アメリカファミリーと有香さんファミリー達との楽しいゴルフ(アロハ・ゴルフ場にて)

 第35回ナハマラソンのあった日の丁度1ヶ月前に当たる11月1日は、私達夫婦にとっては結婚記念日で、しかも今年は結婚50周年に当たる“金婚式”であったとの事です。
長女の有香さんが家内と一緒に先頭に立って、何かと結婚50周年のお祝いを計画してくれていたようですが、私はどうしても結婚50周年という時の流れが実感できなくて、金婚式のお祝い事はまだしばらく先にしても良いのでは・・・という気がしておりました。

 そんな折、2019年10月31日の早朝、つまり私達の結婚50周年の1日前、沖縄を揺るがす大事件が勃発したのです。それは沖縄のあの首里城の突然の炎上・消滅です。これには本当に驚きました。真っ赤に炎上する首里城の姿をTVで見ながら、私はまるで夢の中を彷徨っているような錯覚に陥っておりました。

 コラムNO291にも書きましたが、私達家族は首里金城町に20年程住んでおりましたので、首里城には沢山の思い出が在るのです。その首里城が突然消滅したのですから、例え結婚50周年であれ、何であれそんな状況下でのお祝い事など出来るはずもなく、その日に私がした事は、一本のバラの花を買ってきて家内に渡しただけのような気がしておりますが、もしかしてこれも私の夢の中の妄想でしか無ないのかも知れません。首里城炎上の日から私の頭はすっかりおかしくなっているようですから・・・。

 この日から3週間程の時が流れ、今から思えば、もしかして私達夫婦にとってはもうこれ以上の幸せは無いかも知れないとおもえる程の嬉しい出来事が現実となって訪れてくれたのです。
それは2019年11月23日(土)の事でした。この日に私達の50周年のお祝いをする事になっていたようで、アメリカ、新潟、石垣島、那覇市に住んでいる4人の子供達とその家族・総勢17名が、この日のために沖縄に集合してくれたのですから、私達夫婦にとって、これ以上の喜びがあろう筈はありません。

 この日は家族全員が“お昼の11:30にピザ・ハウス本店のレストランに集合”との号令がかかりました。その場に行ってみると、2階の特別の部屋に特別の食事が用意されておりました。子供たちが私達の結婚50周年のお祝いにピザ・ハウスのレストランを選んでくれたのは、子供達が皆、小さい時からピザ・ハウスが大好きであったからかも知れません。私達夫婦もピザ・ハウスには沢山の思い出があって、この日はピザ・ハウスの現会長が特別のおもてなしをして下さり、生涯の思い出に残る素晴らしい食事会となりました。

 食事が終わった後は記念撮影との事で、那覇市小禄にあるスタジオに全員が移動し、ここでは全員の記念写真と、孫たちに囲まれた写真と、私達夫婦の記念写真を撮っていただきました。そしてその日の夜は、長女の有香さんの計らいで“大カラオケ大会”が催され、部屋が壊れんばかりの歌声が部屋中に響き渡りました。この会場には私の妹の三枝夫婦とその息子秀平君と、私達の4人の子供達が小さい頃に大変お世話になった玉寄美代子さんも同席して下さいました。
 
 最後に私達の結婚50周年にはるばる遠くから集合してくれた家族全員の名前を記してお礼の気持に変えたいと思います。

 @ はるばるアメリカから来てくれた末息子の奥田淳平・Angje夫婦と孫のAnikaとMarika    

 A 忙しい中、寸暇を割いて新潟から駆けつけてくれた次男の奥田城司・奈津子さん夫婦と孫の尊君と悠人君。
B 石垣島からこちらも多忙の中、駆けつけてくれた長男の奥田成彦・恵さん夫婦と孫の拓夢君。

C 那覇市在住の長女、當銘有香・昭如夫婦と孫の希望と音羽ちゃん。
  (この度の祝賀会に先頭に立ってお世話をしてくれた當銘有香さんには、特別のお礼を申し上げます)

 50年前にスタートした私達夫婦が、50年を経た今、17人のファミリーに拡がっている事と、彼・彼女達の成長と行く末を見守ってくれているであろう私達の今は亡き父母に、万感の思いで感謝の気持ちを捧げます。そしてこれからの私達夫婦は、首里城復興の夢を念頭に置きながら、残された人生を少しでも世の中のお役に立てるよう頑張り続けたいと念じております。
感謝です。感動です。有難うございます。


                 2019年12月7日の記

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