第30回NAHAマラソン大会風景 中間地点を独走で通過する川内選手 川内選手激走のゴール ゴール前で待機する桜友会のメンバーと応援の旗 慰労会で歓談する桜友会メンバーと川内選手 慰労会で川内選手との記念写真 | 今年のNAHAマラソン(2014年12月7日)は、第30回という記念大会となり、出場者数も29,566人がエントリーすると言う超ビッグな大会となりました。 今から30年前の第1回大会は2~3000人を集めるにも大苦戦で、私(当時48歳)など、マラソンのマの字も解らない者までが駆り出され、私は死ぬ思いで20キロ地点まで辿り着いた苦い(今となっては懐かしい)思い出となっております。
人生は解らないもので、マラソン大嫌いだった私が、その後の15年位は、いつの間にかマラソン人生(市民マラソン)の真っ只中に身を置く事になっていたのですから、本当に人生は解らないのです。私はNAHAマラソンは10回完走させてもらいましたが、NAHAマラソンからは沢山の貴重な人生勉強をさせてもらったと思っております。(私のマラソン人生についてはコラムNO119,120,121,122に記させてもらっています)。
さてNAHA マラソン第30回大会の¨華¨は何といっても、日本を代表するあの激走ランナー、川内優輝選手が招待選手としてこの大会に参加してくれた事ではないでしょうか。後で知ったのですが、同日に行われた福岡国際マラソンを断ってまで、彼がNAHAマラソンに参加を決意してくれたのには、二つの理由があっての事だったのだそうです。 その@は;沖縄がマラソン王国になってもらいたい事。そしていつの日にかこの沖縄から自分の記録を越える選手が誕生してもらいたい事。その為に自分は今大会でも全力疾走して、沖縄の人達にその姿を見てもらい、マラソン王国への起爆剤にしてもらいたかった事。 そのAは;NAHAマラソンを、2年後のリオネディジャネイロ五輪の参考にしたかっ事。何故なら、リオの大会は沖縄とほぼ同じ気候(18℃〜26℃)なので、沖縄でどれだけの記録が出せるかを体験しておきたかった事だそうです。
川内選手のNAHAマラソンの完走タイムは、これまでの大会記録を9分22秒も縮める2時間13分43秒。彼は間違いなくリオ五輪の日本代表に選ばれるに違いありません。 以下に書くエピソードは、たまたま偶然によるものですが、その偶然のエピソードをお伝えして、川内優輝選手の人柄を紹介させていただこうと思います。
私は以前から川内選手の燃え尽きる激走ぶりが大好きで、その都度心の応援をしていたのですが、今回のNAHAマラソンも、一介の市民マラソン大会ながら、彼の変わらぬ激走ぶりには只々感動あるのみでした。その川内選手が何と、私の50年も後の大学の後輩である事を今回のNAHAマラソンを通して知る事となり、本当にびっくり仰天でした。
川内選手の出身大学は学習院です。その学習院大学からこんな¨怪物¨が出現するとは夢の夢にも思った事などありませんでした。 学習院大学の卒業生で組織されている同窓会は「桜友会」と言います。その桜友会沖縄の現会長である竹内正さんから、川内選手のNAHAマラソン応援と、大会後の慰労会のお知らせをいただき、私は心をときめかせて彼の激走ぶりを応援したのは勿論の事ですが、大会終了後の慰労会では、私は川内選手の隣に座らせていただく事になり、彼との会話を通して、あまりに素晴らしい彼の人柄に、私はすっかり彼のファンになってしまいました。
彼はNAHAマラソンを走るに当たり、下記の決意文を書いて竹内会長の元に送り届けていたのです。 『私は恐らく今後現役を退くまでは(福岡マラソンの関係もあり)、NAHAマラソンには戻ってこれないと思いますので、今回は招待選手として大幅に大会記録を更新して優勝したいと思っています。牽制レースはしません。スタートから先頭を走り、沖縄の方々に現役の日本代表の力を見て頂くつもりです。 レース後のレセプションに関しては、「那覇マラソン優勝」のタイトルと共に喜んで参加させていただきたいと思います。併せて勝手なお願いではありますが、初めての沖縄ですので、ステーキよりも、ソーキそばや、シークァーサー、豚足などの沖縄料理(特に魚より肉系)を期待しております。』
大会当日の慰労会の席で、私は最年長者故に、乾杯の音頭をとらされるはめになってしまいました。何を言ったかはあまり詳しくは覚えていませんが、多分次の様な挨拶をしたのではないかと思っています。
『川内優輝さん、私はあなたの激走マラソンにいつも感動を覚えます。今回のNAHAマラソンにも更なる感動を覚えました。恐らく沖縄中があなたのマラソンに感動したに違いありません。 私には大好きなスポーツ選手がいます。その一人目は野球のイチロー選手、二人目はスケートの高橋大輔選手、三人目はテニスの錦織圭選手です。そして四人目は今日から川内優輝選手にする事を心に決めました。 川内優輝さん、福岡国際マラソンをキャンセルしてまでNAHAマラソンに参加して下さり本当に有難う!!。そしてぶっちぎりの優勝おめでとう!!。 私は大学を卒業して55年になりますが、あなたのような¨怪物¨が後輩として出現してくれた事は、この55年の中で一番嬉しい出来事です。学習院が自分の母校であった事を今日程嬉しく思った事はありません。本当に有難う。感謝です。感動です。それではみなさん、ご唱和願います。カンパーイ!!、カンパーイ!!。カンパーイ!!。 (2014・12・12日の記)
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