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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO207) 北海道からまさかのマンゴーが・・・??? ( 2014/07/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 つい先日の事です。玄関のベルがピンポーンとなって、宅急便です!!という大きな声が聞こえてきました。ドアを開けてみると、元気なお兄さんが『北海道から冷凍のマンゴーが届いていますよ・・・』と言うのです。

 私の頭は一瞬パニック状態になっておりました。どうして北海道から冷凍のマンゴーが・・・???、と言う思いと、もしかして近年は北海道でもマンゴーが栽培されて、冷凍マンゴーとして全国に発送される時代になっているのかも知れない・・・との思いが交差しながら、とりあえず私はその宅急便を受け取るほかはありませんでした。

 この宅急便箱には何だか妙に見覚えがあるのです。後で解って大笑いする他はありませんでしたが、この箱は7月中旬に、沖縄から北海道のその知人宛に送ったマンゴーの箱だったのです。北海道の知人はその箱の中に、北海道の海の幸を満載して送り返して下さったと言う訳なのです。

 ¨真夏の夜の夢¨と言う言葉が思い出されたのですが、私は一人で勝手に真昼間の¨真夏の夢の中¨を彷徨っていたのでした。今になって思いかえしてみると、かなり強力な、しかしながら何とも楽しい幸せな真夏の夢のような出来事でありました。それにしても、宅急便のお兄さんの一言にはすっかりはめられてしまいました。

   〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 毎年夏になると親しい友人・知人・親戚関係に、沖縄の夏の味覚(マンゴー)を送る事にしているのですが、沖縄のマンゴーには誰からも、熱い喜びの言葉が返ってくるのには、贈った側の私達の方が驚くばかりです。
 何人かからは丁寧なお礼状の他に、マンゴーの倍返しとも思えるほどの贈り物が届けられて、恐縮する事の方が多いのです。今年もその倍返しとも思われる程の¨贈られ物¨が届きましたので、ここに書き留めて感謝の手を合せようと思います。

<贈られ物あれこれ>
(1)上記の北海道の知人からは:北海道の海の幸(ホタテとガゴメ昆布のとろろ)
(2) 新潟の親戚筋からは:日本海の海の幸
(3)東京の親戚筋からは:山梨県産の桃
(4) 千葉の親戚筋からは:千葉県産の焼き海苔
(5) 静岡の知人からは :うなぎの白焼き。(土用の丑の日にどんぴしゃりの贈られ物でした。)
(6)土佐の高知(私の出身地)の友人からは:土佐湾で採れた魚のてんぷら、かまぼこ、ちくわなど。
この時期、我が家の冷蔵・冷凍庫の中は、上記のような他府県の味覚が満杯です。
それに名古屋の友人からいただいたお米(銀のみかづき)が、最高の食欲を誘います。

 毎月の初めには¨小食¨を強く自分に誓っている筈なのに、この時期ばかりはもうど
うにもならない幸せいっぱいの過食の日々から逃れる事は出来ません。私はこの時期ば
かりは、¨美味しくいただけるのは健康の証¨とばかり自分を納得させながら、ときめきの食卓の日々を送らせていただいているのです。
 こんな幸せの日々が送れるのは、全て沖縄のマンゴーのお陰です。沖縄産のマンゴーに心からの感謝です。
 マンゴーさん本当に有難う!!!。

                 (2014・7・31の記)
写真上:北海道から届いた海の幸
写真中:山梨産の桃
写真下:高知から届いたかまぼこ等


奥田のコラム(NO206) 第一回・帯津良一先生を囲むファンクラブの会 ( 2014/07/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 帯津良一先生の沖縄健康講演会は、昨年の末に10年間で20回の回数を重ねました。
今年からは名称を『帯津先生を囲むファンクラブの会』に改め、年一回開催する事となり、先日(7月6日)その第一回が開催されました。43名の集まりでしたが、帯津先生の息吹が肌で感じられる程の、印象深い会となりました。
帯津先生のお話を半分位に要約してお伝えします。

* 以下の文章は全て帯津先生の言葉としてお受け取りください。

(1)私は5年前に新しい病院を開院しました(新帯津三敬病院)。相当の借金を覚悟しなければなりませんでしたが、自分が志したホリスティック医学を後世に引き継いでもらいたい一心もあって実現させました。この新しい病院では、ホリスティック医療を目指す若い医師たちが、大いなる希望を胸に頑張ってくれております。

(2)病院を新しく開院したもう一つの理由は、作家の落合恵子さんと対談した時に、彼女は¨私はガンになっても病院に行かない。しかし死ぬ時は帯津先生の病院で死にたい¨、と言われた言葉にも心を動かされたのです。
 今迄の病院はかなり古くなって、病室も狭く、トイレもきれいではなかったので、とにかく入院していただけるだけで心身が癒される、気持ちの良い、きれいな病院にしたかったのです。

(3)きれいな病院は完成しましたが、経営は大変で、毎年のボーナス時期になると事務長から¨どうしても1000万程足りないので何とかして欲しい¨、との依頼が続き、私の貯金は底をついてしまいました。
『金は天下の回りもの』とはこういう事かも知れませんが、ある日突然1000万円という大金が舞い込んで来てくれたのです。

(4)私の家内は3年前に脳梗塞で突然他界しましたが、家内が住んでいたマンションを片付けていたら、何と1000万円のお金が出てきたのです。そのお金を発見したのは、病院で毎日私のときめきの夕食を作ってくれている女性(食堂課長)でしたが、このお金だけは私の¨老後の貯金¨と言う事にさせてもらっております。天国の家内には感謝の気持ちで一杯です。

(5)私は毎月の様に本を出しておりますが、本の原稿料はわずかです。私の人生は、毎日の晩酌が出来るお金があればそれで十分と思っています。具体的には一日¥10000円位の収入があれば十分有難い人生と思っております。

(6)私の週末は殆どどこかの講演依頼があり、全国を飛び回っております。殆ど日帰り講演ですが、沖縄だけは例外で、2泊3日が慣例となっており、沖縄で講演を終えた後の晩酌タイムは特別なときめきの一時です。

(7)講演を長く続けられる為には、何よりも健康であらねばなりません。
健康の要諦は、¨ときめきの心¨と生命の躍動感を覚える¨攻めの養生¨であると思っております。私の養生法は¨朝の気功(太極拳)と昼の仕事と夜の酒¨です。

(8)私の部屋は本と酒で一杯です。大きな机の上には本が山の様に積まれており、机の下はお酒がいっぱい置かれております。本にはそれぞれの著者の魂が宿っています。酒は魂(スピリット)そのものですから、私の部屋はスピリットに溢れている筈です。

(9)今年78歳になった私は、これまでのダイナミズム(生命の躍動)人生に加えて、新たにダンディズム(粋)人生に惹かれております。ダイナミズム人生とは¨青雲の志¨に生きる人生と言う事、そしてダンディズム人生とは、@くよくよしない人生、A粋に感じる人生、そしてB年齢に合った色気が漂う人生と言う事です。

(10)私の78歳のときめき人生とは:

@ 病院の仕事を終えて6時半からいただく病院の食堂での最後の晩餐です。私は毎日の夕食を、いつも最後の晩餐会と思っています。そこでいただく一杯のビールと、好みのウィスキーと湯豆腐での食事はまさに天下一品のときめきです。

A 依頼された原稿を締切寸前に書き終える喜びは格別のときめきです。だからどんなに苦戦しても原稿書きは止められません。

B 朝3時に病院に入り、一仕事を終え、誰もいない早朝の道場に立ち、一人で舞う太極拳の魅力はたまりません。太極拳の動きは連綿と流れる大河のダイナミズムであり、生命の躍動そのものです。太極拳を舞い終えた後の¨ぷるシャリみかん¨(130円)の美味しさは私をすっかり子供心に変身させてくれる喜びがあるのです。

C 最後はやはり女性です。いくつになっても憧れの人への恋慕の情はときめきの最たるものでしょう。私も憧れの女性は何人かいるのですが、こればかりはなかなか思う様にはなりません。残念ながら78歳の恋心は胸に秘めておく位が丁度いいのかも知れないという結論になってしまうのです。
 時間が来たようですので、これで終わりにします。
* 以上は帯津先生のお話の一部です。
(2014・7・8日の記。台風8号が沖縄上空を荒れ狂う日の夜)

写真上:帯津先生を囲むファンクラブの会
写真中:帯津先生講演風景
写真下:楽しい懇親会風景


奥田のコラム(NO205) 78歳の誕生日に思う事 ( 2014/06/26 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私は今日78歳になりました。これまで誕生日だからといって特別な思いをした記憶は少ないのですが、今年に限っては一種の覚悟のようなものをしなければならない自分に気付いているのです。
 65歳になって高齢者の通知が舞い込んで来た時も、75歳の後期高齢者の知らせが来た時も、余程元気だったとみえて、自分とはまだ無縁の世界とばかり思っていたのに、今年はかなり状況が違ってきているのです。

 ¨老いは突然後方からやってくる¨と言う言葉を何度か耳にしたことがありますが、実は昨年の暮れのある日、まさしくそんな思いの出来事に遭遇する事となりました。
 家内と一緒に昼食をとるべく、車を遠くの駐車場に止め、あるレストランに向かって歩いていた時の事でした。気付いてみると家内の歩き方がどんどん速くなって、どんどん私を置き去りにするのです。一瞬家内の人格を疑ってみた程でしたが、実際はただ単に私の歩きが家内の半分位の速さになっていただけの事に気付き、人生で初めて¨老い¨の一字が頭をよぎった瞬間でした。

 この出来事を機に、私は自分の身体を深く観察するようになったのですが、今は沢山の¨まさか¨に驚くばかりです。思いつくままに書きとどめてしっかり自分の反省材料にしようと思います。

@ 私の右足は地面をける力が半減している事が解りました。左足は前方にすぐ踏み出せるのに、右足はいったん上に上げてからしか前に出せないのです。これは間違いなく老化現象の始まりです。

A 左足だけのぴょんぴょん飛びはそこそこ出来るのに、右足だけのそれは全く駄目な自分になっておりました。

B 椅子に座っての貧乏ゆすりも左足は思いのままに動くのに、右足のそれはなかなか思うようになりません。

C 階段の昇り降りも、ついこの間まで50段の石段を休む事無く2〜3往復出来ていた筈なのに、今では手摺の助けを借りてやっと一往復止まりです。

D 52歳から始めたジョギングは、その後の10年余りは10K〜15K走を日課としておりました。60歳の時(1996年)にはアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表(34名)の一人にも選ばれ、更には走り歩きながらも75歳の時には地球一周の40,000K走破も成し遂げた筈なのに(コラムNO119、120、121に記載)、わずか2〜3年のブランクの間に、人間の身体はすっかり元に戻ってしまうのです。今はゆっくり歩きは出来ても、走る事は200〜300m位が精一杯です。

E もう一度生まれ変われるものなら、その時はゴルファーになりたいと思う程に大好きだったゴルフも、やがて2年位の休養を余儀なくされています。これは身の回りのゴルフ仲間が殆どいなくなった事も要因の一つですが、ゴルフに関しては必ずや復活させて、100歳エイジシューターの夢に挑戦してみたいのです。

F 口から出るヨイショ!!の数は半端ではありません。家内と二人だけの小さな2LDKのマンションに移り住んでからは、部屋の中に置かれている机や椅子やベッドの角々にぶつかって悲鳴を上げる日々が続いています。
 忘れ物もあきれるばかりですが、忘れる事に関してはもうあまり気にしない様にしているところもあるのです。

G 以上の様な状況下にある昨今の私ですが、神様はもしかしてまだ私の健康を秘かに応援して下さっているのかも知れません。
 毎朝約1時間の自己流体操(呼吸法と柔軟体操)と週2回の水泳(25メートルプール30往復)と週2回のウォーキング(約1時間)と車の中の一人カラオケと、週7か所の太極拳教室には嬉々として出掛けて、100人余りの生徒さん達と一緒に最高に楽しい時間を過ごさせてもらっております。

* 77歳の人生を振り返ってみると、人生には本当にいくつもの思いがけない節目(試練)があって、それらの節目を一つ一つどう乗り越えるかの心掛けが、その人の人生を左右する事になるような気がしております。
 私は今日から78歳です。78歳には78歳の予想もつかない人生の節目が待ち構えているに違いありません。78歳の誕生日は覚悟の誕生日と心得る事にしようと思っております。

*私の母は20年前に88歳で亡くなりましたが、母の口癖は¨仲良く楽しく¨、と¨情けは人の為ならず¨でした。私も母のこの言葉を心に深く刻みながら、加えて¨天地に恥じず・己に恥じず¨、そして父母が喜んでくれるであろう、ささやかながらも¨社会の一隅を照らせる人生¨でありたいものと念ずるばかりです。
78歳の誕生日に感謝です。
            (2014・6・26日・78歳の記)
写真上:誕生日に訪ねてきてくれた一番年下の孫・希望(のぞみ)10か月
写真中:誕生日が私より2日早いアメリカ孫ANIKA 6歳
写真下:誕生日が私より2日遅い一番年上の孫拓夢11歳


奥田のコラム(NO204) 5月の嬉しい出会い ( 2014/05/30 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 新緑の5月も終わりの日を迎えようとしております。
私の住む沖縄は全国に先駆けて、今は一足早い梅雨の真っただ中にあるようです。
 梅雨が明けると沖縄は一年中で最も気持ちの良いと言われる¨うりずん¨の季節が訪れます。そのうりずんの季節を待ちわびている昨今の私ですが、つい先日、思いがけないビッグな好運に恵まれ、憂鬱な筈の梅雨も、どこかに吹っ飛んだ気分になっております。

 週2回を目標にしている夕方のウォーキングを終えて家に帰る途中、何かしら心惹かれるものを感じて、ふと立ち寄ったJA沖縄の野菜コーナーに、目を疑うばかりのパパイヤのような果物が置かれていたのです。近づいてみるとまさしくそれはパパイヤで信じられない程の大きさです。

 パパイヤ大好き人間の私はしばしその前に立ち止り、こんな大きなパパイヤを育てた人のご苦労や喜びや、パパイヤがどんな思いでこんなに大きくなって、今ここに置かれているのか・・・など空想しているうちに、私はいつの間にかこの巨大パパイヤを腕の中に抱き抱えておりました。
 この巨大パパイヤは私に買い取られるのをずっと待ち続けていてくれたに違いないと確信したからです。値段は¥1400でした。家に持ち帰り重さを量ってみたら3.6キロもありました。

 我が家はパパイヤとは特別の因縁があり(コラムNO94に記載)、パパイヤの季節になると殆ど常時、冷蔵庫の中にはパパイヤが入っているのです、なかなか食べきれないので家内がジャムにして保管してくれているのですが、この日は3.6キロの巨大パパイヤがまた新たに加わって、家内の苦労は増すばかりの様です。私は心中、家内に謝りながら、自分の責任において、何としてもこのパパイヤは最後まで食べ尽してあげなければならない・・と一大決心をしているところです。

*パパイヤ騒動に明け暮れる中、今年もまた北海道から見事なグリーンアスパラガスの贈り物が届き、我が家の食卓はパパイヤとグリーンアスパラで埋め尽されている感があります。
 グリーンアスパラを送ってくれた送り主は、書道の好きな人ならきっと誰もが知っているに違いない著名な書家の石飛博光さん(日展会員・全日本書道連盟常務理事・毎日書道会理事・創玄書道会副理事長・他多数の肩書)です。

 書の達人から贈られたグリーンアスパラを食べると、少しは字が上手になるかも知れないと思い、その都度心して食べるのですが、そんな事があろう筈もなく、私の場合は年を取るに従って増々字が雑になり、下手になっていくばかりです。
 なにはともあれ、北海道のグリーンアスパラは本当においしいのです。
 石飛先生、有難うございました。夏になったら沖縄からマンゴーを送らせていただきます。                                (2014・5・30日の記)
写真上:見たこともないような巨大パパイヤ
写真中:以前住んでいた家(庭)になっていたパパイヤ
写真下:石飛先生から届いた北海道のアスパラ


奥田のコラム(NO203) 風薫る5月・母の日と子供の日に感謝です ( 2014/05/12 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

5月の季節を表す言葉の中で、私が一番好きなのは¨風薫る5月¨です。
¨薫風¨とは初夏に向かって吹く風の事を指すのだそうです。沖縄はこれからその薫風が吹き始める最も気持ちの良い季節になる筈なのに、何故か今年は5月に入るや否や、いきなり梅雨入り宣言が出され、残念ながら5月初めから、梅雨を絵にかいたような小雨交じりの淀んだ曇天の日が続いておりました。

 5月11日は¨母の日¨でした。お天とう様も、さすがに母の日に雨を降らせてはならないと思ってくれたのかも知れませんが、母の日は5月に入って一番とも思える程の青空が、空いっぱいに広がる一日となりました。
 私は5月の風を感じたくなって、その日は午後4時頃から2時間余りのウォーキングに出かけました。それはそれは気持ちの良い爽やかな風で、私は上半身裸になって、しばし5月の風と命の語らいを続けておりました。

 さて、母の日です。私は唯今77歳です。母が亡くなってすでに20年の歳月が流れており、私にとっての母の日は遠い日の想い出の中にしか残っておりませんが、
今年の母の日はこれまでになく、深く母を思い、深く母に感謝しないではいられない母の日となりました。その事に改めての気付きをさせてくれたのは¨こどもの日¨の連休に私達老夫婦を訪ねてくれた4人の小さな孫達でした。

 私達老夫婦には今6人の孫がおりますが、訪ねてくれたのは石垣島に住む小学5年生の長男孫(拓夢10歳)と、新潟県三条市に住む小学4年生の尊(9歳)と5歳の幼稚園児(悠人)の二男孫、それに昨年8月に生まれたばかりの長女孫(希望・のぞみ)、いずれも男ばかりの4人の孫でした。
 あと、三男に2人の女の子がいるのですがAnika(6歳)Marika (2歳)、彼女達はアメリカ在住なので、インターネットによる映像訪問でしか会えません。

 孫達は一週間程の滞在でしたが、この年齢の子供達と一緒に過ごす一週間がどれ程すさまじいものであるかは筆舌に尽くせるものではありません。この年齢の子供達は眠っている時以外は一瞬たりとも立ち止まる事はないのですから、老夫婦にとってはたまったものではありません。孫達が我が家を去ってくれた後の2〜3日は、疲労のあまり私は唯呼吸をするのが精一杯の日々でありました。

 何はともあれ、孫達のお陰で私は改めて子供を育てる母親の偉大さに気付かされました。私自身に関して言えば、4人の子供達を育ててくれた家内には改めての感謝です。
 今から70〜80年も前に7人の子供を育ててくれた今は亡き母のご苦労を思うと、生涯を子育て一筋に尽くしたであろう母親のご恩は生涯忘れてはならないと思いました。いずれは私も母の元に行くのですから、その時には精一杯の母親孝行をしようとの思いを新たにしたのでした。

 今年の母の日、私は朝一番に、近くにあるJAの花屋さんを訪ね、小さなバラの花束を3つ買い求め、それとなく家内に渡しました。渡した後にもう少し立派な花束にすれば良かったと思いました。来年からそうしようと思います。
                (2014・5・12日の記)
写真上:こどもの日に集まった4人の孫たち
写真中:アメリカ在住の三男と2人の孫
写真下:母の日のバラの花束

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