| 奥田のコラム(NO205) 78歳の誕生日に思う事 | ( 2014/06/26 ) | | 私は今日78歳になりました。これまで誕生日だからといって特別な思いをした記憶は少ないのですが、今年に限っては一種の覚悟のようなものをしなければならない自分に気付いているのです。 65歳になって高齢者の通知が舞い込んで来た時も、75歳の後期高齢者の知らせが来た時も、余程元気だったとみえて、自分とはまだ無縁の世界とばかり思っていたのに、今年はかなり状況が違ってきているのです。
¨老いは突然後方からやってくる¨と言う言葉を何度か耳にしたことがありますが、実は昨年の暮れのある日、まさしくそんな思いの出来事に遭遇する事となりました。 家内と一緒に昼食をとるべく、車を遠くの駐車場に止め、あるレストランに向かって歩いていた時の事でした。気付いてみると家内の歩き方がどんどん速くなって、どんどん私を置き去りにするのです。一瞬家内の人格を疑ってみた程でしたが、実際はただ単に私の歩きが家内の半分位の速さになっていただけの事に気付き、人生で初めて¨老い¨の一字が頭をよぎった瞬間でした。
この出来事を機に、私は自分の身体を深く観察するようになったのですが、今は沢山の¨まさか¨に驚くばかりです。思いつくままに書きとどめてしっかり自分の反省材料にしようと思います。
@ 私の右足は地面をける力が半減している事が解りました。左足は前方にすぐ踏み出せるのに、右足はいったん上に上げてからしか前に出せないのです。これは間違いなく老化現象の始まりです。
A 左足だけのぴょんぴょん飛びはそこそこ出来るのに、右足だけのそれは全く駄目な自分になっておりました。
B 椅子に座っての貧乏ゆすりも左足は思いのままに動くのに、右足のそれはなかなか思うようになりません。
C 階段の昇り降りも、ついこの間まで50段の石段を休む事無く2〜3往復出来ていた筈なのに、今では手摺の助けを借りてやっと一往復止まりです。
D 52歳から始めたジョギングは、その後の10年余りは10K〜15K走を日課としておりました。60歳の時(1996年)にはアトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表(34名)の一人にも選ばれ、更には走り歩きながらも75歳の時には地球一周の40,000K走破も成し遂げた筈なのに(コラムNO119、120、121に記載)、わずか2〜3年のブランクの間に、人間の身体はすっかり元に戻ってしまうのです。今はゆっくり歩きは出来ても、走る事は200〜300m位が精一杯です。
E もう一度生まれ変われるものなら、その時はゴルファーになりたいと思う程に大好きだったゴルフも、やがて2年位の休養を余儀なくされています。これは身の回りのゴルフ仲間が殆どいなくなった事も要因の一つですが、ゴルフに関しては必ずや復活させて、100歳エイジシューターの夢に挑戦してみたいのです。
F 口から出るヨイショ!!の数は半端ではありません。家内と二人だけの小さな2LDKのマンションに移り住んでからは、部屋の中に置かれている机や椅子やベッドの角々にぶつかって悲鳴を上げる日々が続いています。 忘れ物もあきれるばかりですが、忘れる事に関してはもうあまり気にしない様にしているところもあるのです。
G 以上の様な状況下にある昨今の私ですが、神様はもしかしてまだ私の健康を秘かに応援して下さっているのかも知れません。 毎朝約1時間の自己流体操(呼吸法と柔軟体操)と週2回の水泳(25メートルプール30往復)と週2回のウォーキング(約1時間)と車の中の一人カラオケと、週7か所の太極拳教室には嬉々として出掛けて、100人余りの生徒さん達と一緒に最高に楽しい時間を過ごさせてもらっております。
* 77歳の人生を振り返ってみると、人生には本当にいくつもの思いがけない節目(試練)があって、それらの節目を一つ一つどう乗り越えるかの心掛けが、その人の人生を左右する事になるような気がしております。 私は今日から78歳です。78歳には78歳の予想もつかない人生の節目が待ち構えているに違いありません。78歳の誕生日は覚悟の誕生日と心得る事にしようと思っております。
*私の母は20年前に88歳で亡くなりましたが、母の口癖は¨仲良く楽しく¨、と¨情けは人の為ならず¨でした。私も母のこの言葉を心に深く刻みながら、加えて¨天地に恥じず・己に恥じず¨、そして父母が喜んでくれるであろう、ささやかながらも¨社会の一隅を照らせる人生¨でありたいものと念ずるばかりです。 78歳の誕生日に感謝です。 (2014・6・26日・78歳の記) 写真上:誕生日に訪ねてきてくれた一番年下の孫・希望(のぞみ)10か月 写真中:誕生日が私より2日早いアメリカ孫ANIKA 6歳 写真下:誕生日が私より2日遅い一番年上の孫拓夢11歳 | | |