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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO187) 2040年、沖縄県長寿日本一奪回宣言! ( 2013/10/14 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 月に2回の割合で書き綴っている私のコラムですが、ついうっかりして、今回はすでに一ヶ月が過ぎている事に気付き、大慌てをして机に向かっている私です。

 この一ヶ月の間に、何が一番印象に残った出来事であろうかと振り返ってみると、一番良かったと思える事は、プロ野球の東北楽天イーグルスがシリーズ初優勝した事です。日本中の多くの人達が、東北楽天イーグルスの優勝に期待を寄せながら、¨東北の元気¨を応援していたに違いありません。私もその一人です。沖縄県・久米島は、楽天の冬のキャンプ地でもありましたので、願わくばクライマックスシリーズにも勝ち残り、日本一の座に昇りつめてくれる事を期待して止みません。

 良かったと思えるもう一つの出来事は、沖縄県石垣島に新空港が完成し、航空料金が以前の半分ぐらいになった事です。ただ、少し心配になっている事は、観光客の急増で石垣島の風景が一変しつつある事です。

 次にこの一ヶ月で私が一番残念だった事は(極めて個人的な事ですが)、大相撲の把瑠都関が引退した事です。私は昔から大相撲が大好きで、40〜50年前の栃錦、若乃花時代の相撲には、魂を奪われる程の興奮を覚えたものでした。それ以来の大相撲には次第に魅力が薄れ、昨今の相撲界には殆ど魅力を感じておりません。そんな中で、只一人把瑠都関にだけは何かしら妙に惹かれるものが有って、密かに応援していただけに残念でなりません。
     〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 さて本題に入りますが、この一ヶ月の間に生じた私の最大の関心事は、沖縄県が、2040年までに長寿日本一の奪回宣言をして、やっと本気でその第一歩を踏み出したと思える事です。かつての沖縄は、男女ともに日本一の長寿県を誇っていたのに、2000年を境に、女性が3位、男性は一気に26位に転落し、その後も30位まで後退し続けているのです。

 私は1971年にご縁を得て来沖し、以来ウチナンチュー(沖縄県人)の一人として、2000年以後の沖縄の長寿回復に深い関心を持ち続けていたのですが、行政の健康長寿県回復への取り組みにはいささか失望しておりました。沖縄県は長寿復活運動のリーダーを医療関係者にゆだねていた感があり、その行動内容には大きな疑問と失望を覚えるばかりでした。

 病院という所は一部を除けば、健康長寿を育む処では無く、もしかして病人を増やし続ける危険性を併せて持ち合わせている所かも知れません。多くの老人達は、沢山の薬を出してくれるお医者さんを良い先生と信じ込んで、せっせと病院通いに励んでいる様に思えてなりません。

 私の住まいの近くにある総合病院では、早朝から患者さんの車で溢れ、片道二車線の道路が、一車線になってしまう程の状況が続いています。どこの病院も同じかも知れませんが、このようなすさまじい病院通いの状況が続く限り、沖縄が日本一の長寿県に返り咲く事はあり得ないのではと言う不安があります。
 そういえば、数年前ニューヨークに行った折に聞かされたのですが、ニューヨークでも病院の数が増えれば増える程、病人の数が増えるのだそうです。どうやらこの辺に健康づくりの本物の答えが見えて来る様に思えるのですが・・・。

 本気になって長寿県日本一に取り組む行政のあるべき姿は、病気にならない健康づくりの提案であろうと考えます。沖縄にはまだまだ元気いっぱいの長寿者が大勢生きておられるのですから、何よりもこれらの生き証人に学ぶ事が大事ではないでしょうか。

 自らを健康長寿者の見本としてその先陣を歩んでおられるアメリカのアンドレー・ワイル博士によれば、『沖縄は長寿王国が期待できる魅惑の島』と評して下さっているおりますが、この言葉の持つ意味は、沖縄の医療も含めて¨大自然、人情、文化等々が一体となった魅惑の健康王国¨と言う事であろうと私は理解しております。

 この度の¨沖縄県長寿日本一宣言¨を最大の好機ととらえ、県民一人一人が長寿者に学び、更なる創意工夫と知恵を結集させて、必ずや名実ともに日本一に返り咲かねばならないと願う者であります。
                    (2013・10・14日の記)
写真上:長寿県日本一奪回の新聞記事(琉球新報社より)
写真中:東北楽天イーグルス・シリーズ初優勝の瞬間
写真下:把瑠都引退会見の様子(琉球新報社より)


奥田のコラム(NO186) 2020年東京五輪決定に思う ( 2013/09/13 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2020年夏季オリンピックとパラリンピックの東京開催が決定した。その瞬間から、日本中の大騒ぎ振りがTVで放映され続けているのですが、そんなに浮かれてばかりで良いのであろうかと心配する人の方が、はるかに多いのではないかという気がしてなりません。

 東日本大震災、福島原発事故に苦悩の日を送る人達の事を思えば、この時期、日本にオリンピックを招聘した国の責任は大きいのではないでしょうか。国は東京五輪の決定は3〜4兆円の経済効果を生むと発信しているものの、果たして東京五輪が震災地復興に役立つことになるのか誰もが気になるところです。

 今から約50年前の1964年に、日本で初めてのオリンピックが東京で開催されました。その時の印象は、東京を中心に「東京五輪音頭」でお祭り騒ぎをしていた印象しか私には残っていないのですが、勿論これは私の認識不足によるものでしかありません。

 その時から30年の年月が流れた1996年、私は奇しくも、アトランタオリンピックの聖火ランナー日本代表35人の一人に選出される運命に遭遇しておりました。
私はその時、オリンピックがどれほど神聖にして深い意味を持つスポーツの祭典であるかを身に染みて知る事となりました。

 アトランタオリンピックは、アメリカのアトランタ市に本社を置くコカコーラ社がメインスポンサーとなって、世界中から10,000人の聖火ランナーを集り、招聘したのです。そして特筆すべき事は、その選ばれた10,000人の選出条件は、優れたスポーツ選手ではなく、それも含めて¨人生をいかに夢を持って生きているか¨と言う事であった事を後になって知り、私は深く感動したのでした。

 その時私は60歳でしたが、50歳を過ぎた頃からふとしたご縁で、よちよち走りながらも、マラソンの喜びに少しずつ目覚めていく事になるのです。しかし、那覇マラソン第一回失敗、第2回、第3回欠場、マラソンはとても無理だとあきらめかけようとした時、友人から¨奥田さん、ロンドンマラソンを走りましょう!¨とのまさかのお誘いを受け、私はこの千載一遇の夢のような誘いに、全身全霊をかけて挑戦し、第4回那覇マラソンを完走、そして夢のロンドンのゴールも自分のものにする事が出来たのです。

 その頃から私の心の中には、新たなる夢が芽生えかけていたのです。その夢とは、『これから生涯をかけて地球一周40、000キロを走破してみよう』との夢物語です。以来私はメルボルン、ベルリン、ボストン等々のマラソンを成功させていく内、私の夢物語はアトランタオリンピック聖火ランナーの選考条件に合致する事となり、聖火ランナーが現実のものとなったのです。私は今でもこのいきさつは神様の¨みちびき¨によるものと確信しております。

 私がロンドンマラソンとアトランタオリンピックから学んだことは、ロンドンマラソンは走れる人達やその組織が、走りたくても走れない人達の人生を応援するために存在しているのです。ロンドンマラソンは毎年、日本円にして約5億円位の寄付金が集まるのだそうです。
ロンドンマラソンでは片足の無い人達が杖を突きながら必死に歩を進めている姿に出会います。ロンドンマラソンでは私は何度も涙が溢れました。

 昨年のイギリスでは、ロンドンオリンピックが開催され、今年はウイリアム皇太子に新生児ジョージ君が誕生しましたが、その両方の様子をテレビで拝見するにつけ、イギリスの貴品とユーモアと優しさが溢れておりました。
スポーツ選手でなくても¨夢に生きる人¨を応援して聖火ランナーに選ぶアメリカ合衆国の資質や、スポンサーの素晴らしさにも深い感銘を覚えずにはいられませんでした。

さて2020年の東京オリンピックです。この大会は日本政府と東京都が先頭に立って誘致活動を進めたものです。しかし日本の現状は東日本大震災、福島原発事故の真っただ中を、必死の思いで生きておられる人達がいるのです。東京五輪がこの地域に生きねばならない人達の為に貢献できなければ、日本は世界中からの笑い者の国になるに違いありません。

東京五輪の矢は放たれました。もう後戻りは許されないのです。
日本中の人達が心を一つにして東京五輪を大成功に導かねばならないと思います。東京五輪が東日本、福島の復興五輪に繋がる事を切に願いつつ、今日のコラムを終える事にします。           (2013,9,13日の記)

写真上:東京オリンピック開催決定の瞬間
写真中:東京オリンピック開催決定の調印式
写真下:開催決定の瞬間に大歓声に沸く駒沢公園の観衆
(琉球新報社より写真掲載)


奥田のコラム(NO185) イチロー選手、日米通算4000本安打の偉業!! ( 2013/08/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 日本時間2013年8月22日、ニューヨーク・ヤンキーズのイチロー選手が対ブルージェイ戦で、4000本安打達成のニュースが日本中を駆け巡りました。
 私はイチロー選手には特別な思いがあり、この日はテレビチャンネルを切り替えながら、4000本安打の映像探しに夢中になっておりました。
 一夜明けた今日は、早々にコンビニに行って、この記事が載っている新聞を全部買い求め、一日中その記事に目を奪われておりました。

 私がどうしてそんなにイチロー選手に夢中になるのかと言えば、実はイチロー選手がアメリカに渡った丁度同じ時期、私の末息子も15歳で日本を離れアメリカにゴルフ留学をしたものすから、イチロー選手の大活躍に息子の姿をだぶらせながら、イチロー選手を応援する日々が続いていたからです。

 その後のイチロー選手は誰もが知るように、次々と世界の記録を更新し、遂にはアメリカ大リーグの中でも二人しか成し遂げていない4000本安打の金字塔に辿り着いたのですから、どんなに大騒ぎをして、し過ぎる事はないのです。
 今日入手した数社のスポーツ新聞には、各界の著名な人達から、イチロー選手の偉業を讃えるコメントが載せられておりましたので、特に目についたものを書き綴り、¨おめでとう¨の気持ちに替えたいと思います。

(1)松井秀樹・元ヤンキーズ選手:これは(4000本安打)、日米野球を通して圧倒的な凄さでヒットを積み重ねてきたイチローさんにしか出来なかった記録です。
(2)レッドソックス・上原投手:今後も日本人が誰も越えられない素晴らしい記録でしょう。
(3)マリナーズ・岩隈投手:日本人の誇り。準備の仕方が人とは違う別格の人。
(4)ブルワーズ・青木選手:4000本安打は信じ難い数字。イチローさんは伝説の仲間入りをされた特別な存在の人。
(5)レンジャーズ・ダルビッシュ投手:凄い事で何も言えません。

(6)ヤンキーズ・ブラディー監督:驚くべき偉業だ。彼がどれだけ努力し、どれだけ長くいい状態を維持してきたかの証。
(7)ヤンキーズ・ゾリアーノ選手:4000本安打なんて信じられない。彼は本当に偉大な打者だ。
(8)ブルージェイズ・デッキ―投手(イチロー選手に4000本目を打たれた昨年のサイ・ヤング賞受賞投手):絶対に打たれたくなかったのに・・・。
(9)ケン・グリフィ・元マリナーズ同僚:イチローが技術を完成させる為に、どれだけの努力と時間をかけたかを考えて欲しい。
(10)マリナーズ・イバネス選手:イチローほど技術を磨いている選手も、意志の強い選手もいない。素晴らしいチームメイトだった。

(11)王貞治・ソフトバンク会長:素晴らしいの一言に尽きます。並大抵の努力で出来るものではありません。彼は更なる高みを目指してチャレンジを続ける事でしょう。
(12)長嶋茂雄・巨人軍名誉監督:気が遠くなる数字です。彼の努力の賜物です。彼はプロ中のプロ。今後も一日でも長く第一線で活躍して欲しい。
(13)オリックス・福良ヘッドコーチ:天才と言われながら、人並み外れの努力をした人。
(14)オリックス・星野コーチ:凄すぎて解らない。走、功、守とも苦手がなく、更に体の手入れへの自己管理が素晴らしい。
(15)オリックス・宮内オーナー:22年もの間、日々の積み重ねが偉大なる成果に繋がる事を、また身を以て証明してくれた。

(16)オリックス・小川インストラクター:日本野球界の誇りです。次なる目標に向かって欲しいものですです。
(17)楽天・田中投手:僕なんかのレベルでは想像も出来ない。
(18)楽天・松井選手:次元の違う選手です。
(19)楽天・マギー選手:世界に誇れる素晴らしい数字。彼の真似をしようとしても、誰も真似の出来ない人。
(20)日本ハム・稲葉選手:凄い数字としか言えない。僕はまだ半分しか打っていない。家は近いのに、遠くの人になった感じがする。

(21)読売ジャイアンツ・原監督:4000本と言う数字はタイ・カップ、ピートローズと言う我々には伝説の二人に並んだ。彼は今年も進化している。彼は更に上を目指せる人だ。
(22)ヤクルト・岩村選手:誰もやった事がない事をするのがイチローさんの趣味だと思う。
(23)ヤクルト・バレンチン選手:彼は私よりもパワーがある。8000本打てるのではないかと思うぐらいの能力を持っている人。
(24)ヤンキーズ・ジータ選手:すごい数字だ。彼が望めばまだ何年でもプレー出来ると思うよ。
(25)マリアノ・リベラ選手:敵としても同僚としても大変尊敬している。彼はベースボールはこうすべきだというお手本のようなプレイヤーだ。彼は4000本を打てる全ての準備が整っていた選手だ。

(26)エンゼル・ソーシア監督:4000本安打を達成するのはとんでもない事。しかし、彼が打つのを見ているのは楽しい。
(27)メッツ・コリンズ監督:彼の凄さは、ボールにバットを当てさえすればヒットする事が出来る事だ。
(28)ドジャー・ヒルマン監督:4000本安打は日本にとっても大きな意味のある偉業達成だ。彼はこの年齢になっても、まだ才能に溢れている選手だ。彼はまだ何年でもやれる。
(29)タイガース・リーランド監督:彼の存在は、アメリカ野球界にとっても貴重だ。
(30)アイドルリーン米野球殿堂館長:彼の日米4000本安打を軽視してはいない。(野球殿堂入りの可能性について)
                   (2013・8・23日の記)
写真上:4000本安打達成の瞬間
写真中:偉業を成し遂げ大観衆にこたえるイチロー選手
写真下:大観衆に深々と一礼するイチロー選手


奥田のコラム(NO184) 二つの音楽会(糸数武博琉球大学退官記念演奏会と周霞二胡リサイタル) ( 2013/08/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2013年8月3日(土)は、上記の二つの音楽会が浦添市てだこホールの大ホール、小ホールであり、たまたま開催時間に2時間程のずれがあったので、私はその両方を聴くチャンスに恵まれました。
この二つの音楽会には、それぞれに心に響く感動がありましたので、この日の想い出を今日のコラムに残しておこうと思います。

その一:糸数武博琉球大学退官記念コンサート
 糸数武博さんは、琉球大学で36年もの教鞭をとられるかたわら、沖縄交響楽団の指揮者としても活躍され、大きな足跡を残された方です。
 私は以前から、妹が沖縄交響楽団のビオラ奏者として参加しておりましたので、糸数先生とは多少のご縁はありましたが、この度の退官記念コンサートには大きな感動をいただきました。

 まず100人を超える音楽家が一同にステージに登壇し、全身全霊を込めて創り出す生の音楽がどれ程のものであるかは、やはりその会場に足を運ばなければ体感できない事を知らされました。まさに感動の世界でした。
 演奏の中で奏でられる弦楽器、管楽器、打楽器などが表現しようとしている音の意味が理解できれば、更なる深い感動があったであろうと、いささか自分の無能ぶりを反省すると同時に、シンフォニーの素晴らしさを気付かせていただけた感謝の一日でもありました。

 その二:周霞二胡リサイタル
 周霞さんは1999年に琉球大学に留学され、勉学の傍ら沖縄に二胡の活動を拡められた方です。琉球大学を卒業された後の2006年に「周霞沖縄二胡愛好会」が設立され、沖縄に新しい二胡の世界が誕生する事となりました。

 周霞さんはその後、中国に戻られ自国の大学で教鞭をとられながら、数々の二胡演奏会に出演され、2012年には中国音楽協会主催による中国民族音楽コンクールで、全国第一位の金賞を獲得されておられます。

 私は周霞さんの二胡の音色が大好きで、彼女の沖縄時代にも何度か彼女のコンサートに行かせてもらいましたが、この度7年ぶりに来沖され、久々に彼女のリサイタルが開かれる事を知り、この日がとても楽しみでした。

 この日の演奏会で披露された曲は8曲でした。あまりに高度なテクニックで、私の理解力をはるかに超えるものもありましたが、¨沖縄のわらべ歌曲集¨や、アンコールで演奏された¨芭蕉布¨には、心身に染み渡る感動がありました。彼女は間違いなく世界に翔たく人だと思いました。
 私は周霞さんの二胡の音をいつも身近で聞いていたいと思い、アンケートの中に是非とも沖縄の音楽を入れたCD集を出して欲しいと書き入れました。
 周霞さんのさらなるご活躍を心から期待しております。
                  (2013・8・9日の記)
写真上:糸数武博琉球大学退官記念演奏会パンフレット
写真下:周霞二胡リサイタルパンフレット


奥田のコラム(NO183) 健康人生(その一):平均寿命と健康寿命  ( 2013/07/31 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 数日前の新聞、TV報道によれば、日本人女性の平均寿命が3年ぶりに香港を抜いて86.41歳の世界一に返り咲き、男性は79.94歳で第5位との事です。
さて、この平均寿命をどう評価すれば良いのか、実は大きな問題がこの裏側に潜んでいる事を知る人はそれ程多くはないのです。

 平均寿命とは、いわゆる死を迎える平均年齢の事で、健康寿命とは自分の事は何とか自分でやれる元気人生の年齢を言うのだそうですが、この平均寿命と健康寿命の差が実は大問題なのです。
 日本男性の平均寿命と健康寿命の差は約10歳、女性は13歳もの開きがあるのだそうです。この差が、いわゆる¨ねたきり人生¨と言う事になるのですが、寝たきり人生の中には、ただ息をしているだけで意志表示が皆無の人も相当数のパーセンテージを占めていると聞きます。

 日本の医療界の現状は、病気を治す事と、病人の延命治療に主眼が置かれていて、病気にならない健康人生を応援する、いわゆる予防医療には、殆ど目が向けられていないのです。
この医療制度が、今大きな社会問題となって日本国の屋台骨を揺さぶる種になっている事は誰もが気付き始めているところです。

 難しい医療制度の在り方については、国の専門分野の方々にお任せする他はないにしても、私達一人一人が¨健康寿命¨を最大限に生ききる事こそが、この世に生を受けた人間の心掛けるべき最大の義務と責任ではないかと私は思うのです。

   健康人生(その二):健康寿命100歳を生きる達人たち

(その一人):宮崎秀吉さん(102歳)
 京都に住む宮崎秀吉さんは、今年102歳ながら100歳以上の100M走の世界記録保持者だそうです。記録は33秒との事ですが、どうしてどうして、自分のこの記録をまだまだ縮める事に意欲満々なのですから、凄いの一言です。

 宮崎秀吉さんのもう一つの目標は、3Kの重さの砲丸投げです。
先日のTV番組では,第一投2m80、第2投3m30でしたが、練習では4mを超えるのだそうです。目指すところは5m10の世界記録を超える事だそうですから、これまた凄いのです。

 宮崎秀吉さんの走る姿にも投げる姿にも、ほれぼれする美しさが漂うばかりですが
私が最も驚いた事は、宮崎秀吉さんが走り始めたのが92歳から、そして砲丸投げを始めたのは5年前の97歳からというのですから、これにはもう口に出す言葉が見つかりません。

 宮崎秀吉さんの姿を見ていると、人生に終わりはなく、決断した時がいつも新たなる
人生の出発点と言う事なのかも知れません。宮崎秀吉さんこそは、まさに健康寿命を生きる達人中の達人と言えるのです。
私はこの人を私の人生目標の一人にしようと心に決めました。

(もう一人):藤原ツヤコさん(101歳)
 藤原ツヤコさんは、どう見ても私の目には80〜85歳としか思えません。
藤原さんは家族とのおしゃべりが大好きで、毎晩の食事の後は最低でも1時間のおしゃべりを欠かす事はないそうです。しかもそのおしゃべりには身振り手振り、身体中が動いておまけに笑い声が絶えないのです。

 藤原ツヤコさんの記憶力は抜群で、親族19人の名前と生年月日は勿論の事、大好きな相撲の関取の名前とその出身地は、全部頭の中に入っているそうです。藤原さんは外出も散歩も大好きで、藤原さんの脳を調べたお医者さんの話によれば、藤原さんの脳は70歳前半の脳だそうです。どうやらおしゃべりと笑いと外出好きは、健康の原点なのかも知れません。

*藤原さんの脳を調べたお医者さんが提示された健康長寿の3箇条は:

@ 年をとっても肉を食べるべし(70歳を過ぎてからもタンパク質の量を減らさない)
A 生き甲斐を持つべし(やりたい事をやり続ける情熱が大事)
B 日々家事をすべし(家事は身体と脳の両方を使う)

                  (2013・7・30の記)
写真上:102歳宮崎秀吉さん
写真中:宮崎秀吉さんの砲丸投げ
写真下:101歳の藤原ツヤコさん
 (いずれもNHK TVより)

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