| 奥田のコラム(NO178) ニューヨークのYOSHIさんと突然の再会!! | ( 2013/06/12 ) | | それは先週の水曜日(6月5日)、午後3時ごろの出来事でした。殆ど発信専用にしか使っていない私の携帯電話が鳴り始め、なかなか鳴り止まないのです。何かの間違いであろうと思いながら電話を開いてみると、何とその電話はNEW YORKに住んでおられる筈の比嘉良治さん(通称YOSHIさん)からのものだったのには、まさかのびっくり仰天でありました。
てっきりNEW YORKからの電話だろうと思いながら話を進めていたら、今、沖縄の屋我地に来ていると言うのです。そして、夕方6時ごろには那覇のホテルに帰れると思うので、今夜は久しぶりの再会を楽しみませんか?とのお誘いです。 私はあまりの嬉しさに小躍りしながら、すぐさま再会にふさわしい場所探しに取り掛かりました。そして決まった所は、妹夫婦の友人が経営している小料理店の¨温石¨(おんじゃく)でした。夕方の6時30分にYOSHIさんをホテルでお迎えして、目的地に着いたのは7時頃。積もる話に3時間余りの時間が過ぎておりました。
さて、この辺でYOSHIさんの事を少しばかり説明しておかないと、今日の私のコラムは前に進まないので、私の知る範囲での事を、ごく大雑把に紹介させていただきます。 YOSHIさんは、50年程も前に沖縄県名護市を離れ、東京生活を経て単身ニューヨークに渡り、遂にはロングアイランド大学の名誉教授にまでなられた方です。ご専門は写真家で、その他にも画家、彫刻家、料理研究家、更にはマラソンランナーとして75歳の今でも、仲間達とニューヨークマラソンを走る健脚家であり、世界中を飛び回っておられる元気者であります。
YOSHIさんの凄いところは、世界中に友達がいて、沖縄からニューヨークに行かれる人達の殆どがYOSHIさんのお世話になっているのです。YOSHIさんはまた、人と人を結びつける名人で、YOSHIさんとご縁をいただいた人は誰もがまさかの人生の拡がりに目覚める事になるのです。
私とYOSHIさんの出会いは、コラムNO24、25、26、27にも書かせていただいておりますが、それは今から5年以上も前に遡るのです。 その頃、YOSHIさんは「ニューヨークの散歩道」と言う写真集を出版され(小学館)、その出版記念会で沖縄に帰られた時、お目にかかれる好運に恵まれたのでした。 私が「ニューヨークの散歩道」に強く心を惹かれたのは、ニューヨークの象徴とも言えるあのセントラルパークでは、あらゆる年齢層の人達が、朝に夕に、ウオーキング、ジョギングを楽しんでおられる事、そしてセントラルパークのあちこちで、大勢の人達がそれぞれの太極拳を楽しんでおられる事が紹介されていたからです。
YOSHIさんに会ってその辺の事情を聴いているうちに、YOSHIさんは突然「奥田さん、あなたは私(YOSHIさん)と同じ位のマラソン力と思われるので、是非一緒にニューヨークマラソンを走りませんか?」!!、と言われたのです。 そして別れ際に、差し出した私の太極拳の名刺を見るや否や、「あなたは太極拳の先生ですか、それなら今すぐニューヨークに来て下さい。世界中の人達と友達になれるばかりか、あなたなら先生にもなれます。とにかくすぐ来てください!!」と言って下さったのです。
私はその言葉を真に受けて有頂天になり、その日からセントラルパークの夢にうなされる日々が続き、とうとう家内と一緒にYOSHIさんを訪ねる事となったのでした。今から5年程前の事です。 YOSHIさんは大歓迎して下さり、私達夫婦をセントラルパークに案内し、太極拳にふさわしい場所探しや、私達夫婦の太極拳をバチバチとカメラに収めて下さったのです。 有名なプロの写真家が、名もない太極拳好きの私達夫婦を、しかも天下のセントラルパークで写真に収めて下さったのですから、これは私達夫婦にとっては生涯に亘って忘れる事の出来ない大事件でありました。(後日、琉球新報社の新聞記事に、ニューヨーク特派員の記事と共に写真が掲載されたのには二度の驚きでした。実はYOSHIさんはタイムス、新報のニューヨーク特派員のお仕事もされておられるのです)。
その日の夜、YOSHIさんのご自宅に招かれ、イギリス人の奥様(通称ミミさん)の美味しい手料理をご馳走になったのですが、その席で約束した事を、5年後の今も私はまだ実行に移していないのです。その約束とは¨必ずもう一度太極拳仲間と一緒に、セントラルパークで太極拳を舞う¨との約束でした。
毎年送って下さるX,masカードには¨今年もまだセントラルパークはなくなっていませんからね¨と書かれてあるのです。その言葉を見るたびに心を痛めておったのですが、どうやら神様はそんな私に最終のイエローカードを提示されたのかも知れません。6月5日のYOSHIさんとの突然の再会は、もしかして神様の意志のような気がしてならないのです。 私は再会の¨温石¨の席で、来年こそは必ず5年前の約束を実現させる事を誓ったのです。約束の要点は以下の3点です。
@ 訪問は来年の10月上旬(紅葉が始まりセントラルパークが最も美しい季節)
A 訪問人数は沖縄から15名(15名になると団体旅行扱いになり、料金が安くなる事。そしてもう一つは、受け入れ側としてもベストの人数である事)
B 現ニューヨークの沖縄県人会との交流会も兼ねて、セントラルパークで沖縄音楽による太極拳を舞う事。 勿論このほかにも、ブロードウエイのミュージカルを見たり、ショッピングを楽しんだりの楽しい旅でもあるのです。 * 今となって心配になるのは、すでにこのニューヨークの旅に参加したいと手を挙げて下さった人が7〜8人もいて、果たして15人で収まるかどうかの心配であります。
¨歓喜のよろこびは突然にやってくる¨との諺がありますが、まさに今の私はその歓喜のよろこびの真っただ中に足を踏み入れたところです。一年半後のセントラルパークに向けて、心身を整え、生命のエネルギーを溢れさせねばならないと、私はしっかりと自分に言い聞かせているところであります。
2013.6.12日の記
写真上:セントラルパークでYOSHIさんが撮ってくれた写真 写真中:YOSHIさんの自宅にて(2007年10月) 写真下:温石の前でYOSHIさんと(2013年6月5日) | | |