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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO157) 第19回・帯津良一先生健康講演会in沖縄(その2) ( 2012/09/08 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

ー沖縄養生塾・塾生による太極拳発表会ー

 第19回・帯津先生健康講演会の第2部は、今回初めて沖縄養生塾の生徒さん達による気功・太極拳をプログラムの中に入れさせていただきました。
短期間ながら、日頃の姿を帯津先生に見ていただこうと、張り切って練習に励みました。 帯津先生の目の前で、誰もが全身を震わせながらの演舞でしたが、それだけに、一生の思い出に残る記念すべきステージになったに違いありません。出演者全員の名前をここに記して、思い出の証にしようと思います。

1、浜辺の歌(てぃるる初級クラス・豊見城教室・あやかりの杜教室・名古屋教室)
越智和枝・新垣長紀・上津敏・新城廣子・中村和子
垣花美恵子・大城チズヨ・大見謝与美子・潮平慧子
大城丈典・福地みどり・石原妙子・チャーチ弘美
大城孝志・大城奈緒美・横山茂美
(リーダー:奥間・名渡山・羽地・喜納・奥田)

2、花(てぃるる中級クラス)
山城政仁・小波津仁一・小波津恵子・眞栄田輝・大城節子
上地政子・上地京子・喜友名愛子・垣花智子
金城富子・正木純子・比嘉栄子・仲地成子・西平敏彦
渡嘉敷喜美子・喜屋武すま子・島袋加代子・惣慶美智子
(リーダー:三枝・奥田)

3、四つ竹(おもろまち教室)
平田貴子・平田晴男・国吉万里子・金城信子・比嘉實勝
秦一雄・西平敏彦・幸喜健・与座圭子・三枝憲和
(リーダー:三枝・羽地・奥間・高良・奥田)

4、とーがにあやぐ(宮古島教室)
平山律子・塩川正子・池間キヨ・伊計悦子・親泊まり子
下地直子・下地真喜子・木下美津子・西崎緑

5、森の下で(あやかりの杜教室)
重田弘文・重田世公江・玉城康雄・玉城秀子・渡久山綾子
喜屋武馨・喜屋武すま子・真謝保久・玉元晴美
比屋根正美・松野耕平
(リーダー:三枝・重田・渡久山・名渡山・大里)

7, 内養功(指導者養成クラス)
三枝祥子・奥田泰子・奥間愛子・重田世公江・渡久山綾子
名渡山陽子・羽地直子・喜納一技・高良一實・大里恵理子
(リーダー:奥田清志)

* 残念ながら都合により当日参加できなかった方
  植田美代子・喜屋武ヨリ子・上原邦男・宮城美紗子
  徳元タケ子・金城文子・ 知念節子
                 <敬称略・順不同>

8、香功(シャンゴン)(全員参加)                     
9, 新呼吸法「時空」 (全員参加)帯津先生指導

帯津先生の総評:
 沖縄養生塾の太極拳は、それぞれの教室がそれぞれの個性に溢れていて、実に興味深いものがありました。常識的には、なるだけ一糸乱れぬ太極拳を目指すのが普通でしょうが、個性あふれる沖縄の太極拳に心打たれました。
 私としては、これからも、沖縄は大いに沖縄の風を感じさせてくれる太極拳を目指して欲しいと希望します。(談)

お客様からの言葉:
 沖縄の古典音楽と太極拳のコラボレーションには驚きの感動がありました。宮古島の¨とーがにあやぐ¨の太極拳や、“四つ竹¨の太極拳にも感動の涙が溢れました。
 沖縄の古典音楽の持つ素晴らしさに改めて誇りを持ちました。そして一生懸命に太極拳を舞う人の姿はとても美しいと
思いました。

奥田代表の言葉:
 沖縄に40年も住みついていると、いつの間にか沖縄の色に染まり、それをまた喜んでいる自分がいる事に気付かされます。 私が心より敬愛してやまない(故)楊名時先生の太極拳を根底におかせていただき、それに加えて、私が感じるままの¨沖縄の風¨を身心に受け止めながら、沖縄ならではの太極拳を目指してみたいと思っている昨今の私です。

 ・出演者の皆さん、本当にご苦労様でした。
 ・帯津先生、心よりお礼申し上げます。
 ・観客の皆さん、沢山の応援、心から感謝です。                                              (2012年9月8日の記)

写真上:四つ竹の演舞
写真中:とーがにあやぐ演舞
写真下:全員参加の香功(シャンゴン)


奥田のコラム(NO156 )第19回・帯津良一健康講演会in沖縄(その1) ( 2012/09/07 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 ー生きる力・癒す力ー

 私達「21世紀養生塾沖縄」の健康活動の一環として、やがて10年続いている、帯津良一先生をお迎えしての健康講演会が、先日(9月2日)てぃるる大ホールで行われました。
 9月2日は、沖縄の旧盆明けの日に当たり、はたしてどれだけの人が来てくれるであろうかと大心配をしたのですが、ふたを開けてみると、予想をはるかに超える200人余りの方々が見えて下さり、しかも「とても素晴らしい会であった」と、多くの方々からのお声をいただき、大変嬉しい、思い出に残る講演会となりました。

 帯津先生のお話の内容は、前半は¨虚空¨について、後半は¨青雲の志¨についてであったと思います。私の記憶に残っている事を要約してご報告しようと思います。

(1)虚空について(以下は帯津先生の言葉です)
 作家の司馬遼太郎さんは、20年ほど前に書かれたモンゴル紀行『草原の記』の中で、
 『生きとし生けるものはなべて虚空に向かう。人はよく生きよく死なねばならぬ』と書かれておりますが、私もモンゴルを訪ねる度に¨虚空¨を感じます。

 モンゴルの夜はまさに満天の星空です。モンゴルの朝は突然やってきます。昼の空は紺碧の青です。大地は草原が牛羊の姿を隠してしまう程の草草に覆われます。遥か彼方にポツンと見えた黒点が、次第に人馬一体の姿となって近づく様は、まるで映画のアラビアのロレンスのシーンそのものです。モンゴルは自然も人の生き様も、何もかもが虚空と一体の中にあるのです。

 20年ほど前から2年に1回の割合でモンゴルを訪ねるのですが、その地に忘れがたい2人の人物がいるのです。一人はずっと私の通訳をしてくれていて、私のモンゴル行をいつも心待ちにしてくれているアルタンサンさん(今年96歳)です。彼は酒豪で羊の肉を常食にしていて、どんなに注意しても「酒は俺のガソリンで羊は石炭だ」と豪語して止める事はありません。

 もう一人は、モンゴルを訪ねる度に大歓迎の先頭に立って迎えてくれるモー・ショーリンさん(今年56歳)。この人は若い頃、帯津三敬病院に来て医療の研修をつまれた方ですが、今は内モンゴルの政治の世界に身を置いておられるようです。
 私が彼に、「俺が死んだら俺の骨はモンゴルの地に撒いて欲しい」と言うと、すかさず、「それなら自分の骨は帯津先生の骨の上に撒きましょう」と言ってくれる程の男気の人物です。モンゴルには¨生と死¨を統合して虚空に向かう人物が多いような気がします。

(2)青雲の志について
 『青雲の志』の日本的解釈は、¨末は博士か大臣か¨という立身出世型の人生を言うようですが、この言葉の持つ本当の意味は、¨聖人・賢人になる志¨という儒教の教えから来ていて、聖人も賢人も共に¨徳の高い人物¨を指すのです。
 徳の高い人というのは日々に攻めの養生を心掛け、生命のエネルギーを高め続け、最後の最後に、生と死の統合を果たせる人物と言う事になるでしょう。そして攻めの養生を推進する力は何といっても¨心のときめき¨です。

 私の最近のときめきは、或る出版社が実現させてくれた『人の哀しみがわかる医者になってほしい』という本の出版です。この本は医学部進学予備校で19年間続けた私の講義集です。20年目を前に突然途切れたのですが、その理由は、ホメオパシー医療を唱える私へのある機関からの圧力によるものですが、この本が世に出る事になったのは、私にとってはまさに¨ときめき¨の極でもあるのです。

 最近のもう一つのときめきは、名古屋でなんと2500人もの太極拳の生徒を育てた土田庄比知さん(今年83歳)という方から、私の字で『青雲の志』という書を頼まれた事です。私は書は苦手で、一度はお断りしたのですが、再度お願いされ、二度も頼まれたからには断ってはならないと思い引き受けました。
 後で知ったのですが、この書はその土田さんが、愛知県知多半島の中程にある美浜町の公園に建てた石碑に刻まれていたのです。この公園には3つの石碑が建てられていて、一つは太極拳の楊名時先生による『同心協力』、二つ目は臨済宗官長であられる河野太通さんの『心・息・動』、それに私の『青雲の志』です。

 『永遠なるもの、それは人間の記憶のみ』、これも司馬遼太郎さんの言葉ですが、人は死ねば何も残りません。¨青雲の志¨の文字が長く残るかもしれない事にも一種の¨ときめき¨に通じるものが有るのです。

 もう一つ。これは私のときめきではありませんが、長野県伊那谷に住む、今年89歳になる英文学者の加島祥三さんの¨ときめき¨です。
加島さんには誰もが認める相思相愛のドイツ人の恋人がおりましたが、事情があってずっと恋人同士でありました。それがいよいよ結婚という段になって、彼女が急死したのです。誰もが加島さんの後追い自殺を心配したのですが、どうしてどうして自殺どころかますます元気になっていくのです。
 後日、本人から直接知らされたのですが、その後彼には新しい恋人が出来たのだそうです。しかも二人です。老いて増々の恋、これも間違いなく¨ときめきの最たるもの¨かも知れません。           (2012年9月6日の記)

写真上:第19回・帯津先生健康講演会チラシ
写真中:帯津先生の最新の著書
写真下:先生への感謝の花束


奥田のコラム(NO155) 沖縄発の映画「カラカラ」に初のダブル国際賞 ( 2012/09/06 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 昨夜、3人の人から、「カラカラグランプリ受賞おめでとう」の突然の電話をいただき、¨あゝそうなんだ¨、と軽く受け止めていたのでしたが、今朝の新聞を見て本当にびっくりしました。何と新聞の第1面にトップニュースとして大きくその記事が報道されていたからです。
 10日程前に、関係者特別試写会でこの映画を見る機会があり、その時にはこんな事が起こるであろうとは、予想だにしなかっただけに本当にびっくりしたのです。

 映画「カラカラ」は、日本とカナダの共同制作映画として企画され、昨年一年をかけて、前シーンが沖縄で撮影されました。まさかの事でしたが、私もこの映画にご縁をいただく事となり、¨気功の先生役¨でほんのちょっとですがその中に映っているのです。

 完成された映画の中では、ほんの一部のシーンでしかありませんが、そこに至るまでの約3か月間は必死でセリフを覚え、必死で大雁気功64式(野生の大雁の一日の動きを表現した気功)を覚えねばならず、その時の苦労は筆舌に尽くし難いものでした。
 しかし今から思えば、この3か月間の苦労は、これからの私の人生に大きな財産として蓄積される事になりそうな気がして、今では感謝の気持ちで一杯です。(コラムNO131、132に記載)

 この映画については、今朝の新聞記事をそっくりそのままお伝えすれば、それが一番理解していただけるものと思いますので、紹介させていただきます。

    ―2012年9月5日 琉球新報記事―
 第36回モントリオール世界映画祭の授賞式が3日(日本時間4日)、カナダのモントリオールであり、県出身映画監督の宮平貴子さんがプロデューサーを務め、全編沖縄で撮影された「カラカラ」(クロード・ガニオン監督)が観客賞とオープネス・トウ・ザ・ワールド(世界に開かれた視点)賞に選ばれた。
 観客賞は来場者の評価が最も高かった作品、「ワールド賞」は多様な文化を世界に広める作品に贈られる。同映画祭で沖縄を題材とする映画が受賞するのは2004年にイノベーション賞を受けた「風音」以来で、ダブル受賞は初めて。

*沖縄の文化は希望を与える:宮平貴子プロデューサーの言葉

 沖縄を世界に発信したかったので、とても嬉しい。公式上映に立ち会ったが、劇場はほぼ満席で拍手が鳴りやまず、来場者の反応はすごかった。沖縄の出演者やスタッフだけでなく、県や協賛企業をはじめ、沖縄のさまざまな人が制作ににかかわった¨県産映画¨とも言える作品。
 沖縄が持っている価値観が今、見直をされている。主人公のピエールは年をとる事への恐怖を抱え、人生を見つめなおす中で、沖縄の風土や文化に触れ,希望を取り戻す。芭蕉布の平良敏子さんや沖縄の風景など、映画を通して沖縄の魅力がカナダ人に伝わったように、沖縄の文化は世界の人々に希望を与える事が出来ると思う。

*沖縄を知ってもらいたい:クロード・ガニオン監督の言葉

 「世界に開かれた視点賞」を授賞できたのは本当に嬉しい。これはまさに、私が映画をつくる原点だからだ。今回も見る人に、もっと世界に目を向けてもらいたい、沖縄を知ってもらいたいとの思いで「カラカラ」をつくった。

 2つの国際グランプリ賞受賞、本当におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
   (2012年9月5日の記)
写真上:「カラカラ」ダブル受賞記事その1
写真下:「カラカラ」受賞記事その2
 (琉球新報から抜粋)


奥田のコラム(NO154) 白内障手術物語(その1) ( 2012/08/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 私はつい先日(8月16日)、白内障の手術を受ける事になりました。私に手術を勧め、執刀してくれたのは安里眼科の
安里良盛先生です。安里眼科を選んだのには少し訳があります。
 今から15〜6年前に、今は亡き私の母が、糸満の安里眼科で白内障の手術を受けたのがご縁で、それ以来、安里先生とはゴルフ友達としてのお付き合いが続いていたのです。
 
 ちょっと笑い話の余談になりますが、その当時の安里先生は、ゴルフが大好きな割には上手でなく、¨百獣の王=110の王¨、つまりどんなに頑張っても110以下のスコアでまわれないという、誠に不名誉なニックネームがつけられていたのだそうです。

 私事で申し訳ありませんが、当時の私はゴルフの絶頂期で、70台のゴルフが普通であったと記憶しております。私が安里先生のアドバイザーをかってでたのと、安里先生の懸命の努力が実を結び、その後の安里先生は80台のゴルフに大変身したばかりか、何と、ホールインワンを3回も達成するという快挙まで成し遂げたのですから驚きです。
 今やゴルフの師弟関係は完全に逆転しているに違いありません。
 さて、私が白内障の手術をする事に心を決めたのは、その安里先生の一言によるものでした。ここ数年来、私は思うようなゴルフが出来ず、年のせいだとばかり思っていて、ゴルフをあきらめかけていたのです。

 安里眼科のおもろまち新病院の開院祝で、久しぶりに安里先生と再会し、その時、『ゴルフが思うようにいかなくなったのは、間違いなく白内障のせいだと思うので、なるだけ早く手術をした方がいいかも知れませんよ』のアドバイスでした。検査の結果、私は紛れもなく白内障の初期に入っておりました。

 迷いに迷いながらも遂に覚悟を決めて病院に行き、運を天に祈りながら、手術室に入ったのですが、恥ずかしながら手術室には家内にも入ってもらい、手術中はずっと家内に手を握ってもらっていたのでした。(この瞬間から、私は家内に頭が上がらなくなってしまった事は言うまでもありません。)

 片目15分、両目を一緒にやりましたので、約30分間の恐怖の手術を無事に終え、その日は病院で一泊お世話になりましたが、もう翌日にはすっかり回復し、すこぶる順調で、世の中がちょっと変わった様な感じがしないでもありません。近くがちょっと見づらくて,階段の昇り降りに不便を感じますが、完全回復までには2〜3ヵ月かかるとの事です。

 白内障手術後の私は、何かしら第3の人生の道が開かれた様な気分で、新しい希望の光が差し込んで来ている様に思えてなりません。

 私には60歳の時に掲げた三つの人生目標があるのです。(現在76歳)

@ 100歳エージシューター(100歳で、100以下のスコアーでまわる事)
A 100歳地球一周40,000キロの走破。(ゆっくり ゆったり)
B 100歳太極拳老師(100歳で太極拳の名手になる)

 A番目の目標はすでに殆んどクリアーしているのですが、@のエージシューターは、ちょっと諦めかけていただけに、今回の白内障手術は私に大きな喜びと希望を甦らせてくれそうです。

 安里良盛先生、本当に有難うございました。現代の医療の進歩にも感謝です。
この白内障手術にずっと付き添い、その後のアフターケアにも心を配り続けてくれている¨カミサン¨には手を合わせないではいられない日々が続いている昨今の私であります。
                    (2012・8・27日の記)
写真上:安里眼科おもろまち分院
写真中:安里良盛先生
写真下:手術後にかけた初めてのサングラス


奥田のコラム(NO153) ロンドン五輪閉会式・私の感動 ( 2012/08/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2012年7月28日から17日間に渡り燃え続けていたロンドンオリンピックの聖火が消え、第30回オリンピック・ロンドン大会は幕を閉じました。
 開会式にも大きな感動を覚えたのでしたが、閉会式も再びまた感動が甦り、生涯忘れられないであろうロンドン五輪の印象が、私の脳裏に焼きついております。

 オリンピックには開催国の国民性が色濃く反映されると思っているのですが、今回のオリンピックを通して、イギリスの国民性の温かさを感じ、改めてこの国を大好きになっております。

 私がオリンピックの中で一番興味深いのは「聖火」の最終点火と最終消火の風景です。
この2点の中にその国のオリンピックへの¨想い¨が全て織り込まれていると思えるからです。今回のロンドン大会は、一本の聖火が205の参加国を象徴する花びらに分散され、それらの花びらが大きな花束の柱となって、スタジアムの中央に立ち上がったのでした。

 そして閉会式です。束ねられていた205の聖火の花びらは、今度は一つ一つ開き始め、最後はその205の花びらの炎の上空に不死鳥の姿が浮かびあがたのです。不死鳥は、やがて次なる開催地であるリオデジャネイロに向かって飛び立つであろうイメージを、私に想像させてくれたのでした。何という素晴らしい演出でしょう。私はこの夢のような閉会式の世界に、唯々どっぷりと浸りきっておりました。

 言うまでもなく、オリンピックは各国が国単位で競い合う¨スポーツの祭典¨です。金、銀、銅のメダル争いに関心が集中するのは仕方ない事としても、オリンピックの基本理念はまず参加することであり、スポーツを通して世界の友情と平和の輪を広め合う事にあるのですから、勝敗だけにそれ程こだわる要はないのでは・・・と私は考えます。参加選手が死力を尽くして自分のベストを尽くせば、そこには感動の涙が溢れるのです。その感動の涙が美しいのです。

 世界にはジャマイカのウサイン・ボルト選手や、米国のマイケル・フェルプ選手のような超人的な人間がいるとしても、大半の人達は、似た者同士の人間たちの筈ですから、スポーツを通して世界中の人達が仲良く理解し合い、友好の輪が拡がれば、それこそがオリンピックの一番あるべき姿なのでしょう。

 今回のオリンピックで特筆すべき点は、オリンピック116年の歴史の中で、今回初めて、全ての国から女性の選手が参加したことでしょう。サウジアラビアから初参加した女性は、イスラム教の慣習に従って、帽子をかぶったままで柔道の試合に参戦、初戦で敗退したものの、勇気ある彼女の姿に、満場の拍手が鳴りやまなかったそうです。
 
 オリンピックは、華やかな金、銀、銅だけの世界ではないのです。オリンピックの一番大事な役割は世界の平和に役立つ事です。オリンピックが開催される度に思うのですが、オリンピックこそはまさに¨世界に咲く一番大きな平和の花¨という思いがいたします。

 オリンピックに参加され、死力を尽くされた総ての選手の皆さんに感謝します。
数々の、それぞれの感動に感謝します。素晴らしい演出で世界中の人達に感動を与えて下さったオリンピック関係者に感謝します。ロンドンオリンピック有難う!!!。
 次回は4年後のリオデジャネイロです。リオはサンバの国です。思っただけでも今から胸のときめきを覚えます。2016年のリオの大成功を祈ります。
                    (2012・8・20の記)
写真上:スタジアムに浮かび上がった不死鳥
写真中:ロンドンオリンピック閉会式
写真下:次回開催地リオに渡った五輪旗

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