21世紀養生塾沖縄
1
  HOME トップページへ戻る
1
  お知らせ・イベント情報
1
  奥田のコラム
1
  21世紀養生塾沖縄とは
養生塾沖縄の概要
奥田代表の活動基幹
帯津塾頭 楊名時先生
1
 
気功教室・太極拳教室
健康倶楽部「天遊会」
帯津良一塾頭の講演会
1
  入会案内・お問合わせ窓口


太極拳・気功教室
健康倶楽部 天遊会
帯津良一塾頭 講演会
奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奧田のコラム(NO106) 東日本大震災と福島原発事故 ( 2011/03/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

(1)東日本大震災 
 東日本を襲った大地震と大津波の日から2週間がたちました。死者行方不明の数は27,000人と報じられています。何という痛ましい出来事でしょう。亡くなられた方々の殆どはあの大津波の濁流に呑み込まれて、どんなにか苦しい思いをされたに違いありません。不明者の数はまだ大幅に増えるとの事です。犠牲者の数が増える度に心の中で深く手を
合わせる日が続くのです。

 東日本大震災の日から一週間後には,NHK以外の民放テレビでは、いっせにお笑い番組が復活しておりました。私はいまだにまだ一瞬たりともそれらの番組にチャンネルを合わせる事が出来ません。

 東京都知事の「天罰」発言にはあきれて言葉もありません.ケビン・メア元在沖米総領事の「沖縄人はゆすりの名人」発言をはるかに凌ぐ低次元の発言としか言いようがありません。後日の記者会見で「日本人のW我欲Wに対する天罰」と改めたそうですが、我欲にしがみついているのは当の本人と、この国難を機に一儲けをたくらむ人種とスーパーに群がる買占め族かも知れません。これらの我欲者にはいつか本物の天罰が下るに違いありません。

 春の選抜高校野球が始まりました。高校野球は球児たちの魂がぶつかり合うスポーツの祭典です。今大会の選手宣誓をした岡山聖志学園の野山主将の言葉に胸を打たれました。
『私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われて、私たちの心は哀しい気持ちで一杯です。生かされている命に感謝し全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。』
 私は今大会だけは東北陣を最優先に応援せねばならないと思っているところです。

 プロ野球の開幕宣言のお粗末さにもあきれ返ってしまいます。大震災による電力不足に、やっとの命をつないでいる人が何十万人もいるというのに、ナイター戦を決行し、そこで儲けた一部を寄付すればよいというオーナーたちの姿勢には、憤りを覚えずにはいられません。日本の球界をリードすべき巨人軍に、一番その傾向が強く見られるのだそうですから本当にがっかりです。私はもう日本のプロ野球は観ないことにしようと思うのです。

(2)福島原発事故
 東日本大震災の直後、アメリカに住む息子から心配の電話がありました。「東北地方は大変な事になっているけど、沖縄は何も無かった」と伝えると安心して電話を切ったのですが、後日、福島原発事故のニュースが報道され始めると、何度も大心配の電話がかかってくるのです。どうやらアメリカでは、この原発事故で日本が沈没するかもしれないぐらいの報道がなされている様子なのです。
 そう言われて見れば、日本とアメリカでは原発事故の評価がまるで違うような気がしてなりません。原発事故発生の直後、日本政府が発表した避難の範囲は3キロ→10キロ→20キロ→そしてやっと30キロに拡げた感がするのに対し、アメリカの発表は、日本が10キロでもたもたしていた頃に、いきなり80キロ圏外の避難を勧告したのでした。いささかオーバーな気がしたのですが、その後に仏、英、豪、韓国などがアメリカ以上の発言をしたのですから、これはただ事ではないという思いに変わったのです。

 関東以北の野菜の出荷にストップがかかるようになりました。北陸の海の幸にも影響が出そうな気配です。首都圏の水道も怪しくなってきているようです。もしかして本当に大問題に発展するかも知れません。
 今回の福島原発事故は断じて天災ではないのです。人災そのものです。
長年に渡る人間のおごりとこれまでの行政の判断の甘さが、ここにきてこんな大事を引き起こす事になったのではないでしょうか。これから先どんな時代になろうとも、人間が天(大自然)を越えて地球を支配できる事などあり得ないのです。天をあなどってはならないのです。天をあなどる人類に永遠の繁栄などあろう筈もないのです。人間よ奢ることなかれ!!。人間よ大自然に帰れ!!。と私も叫びたいのです。 (2011・3・24の記)
写真上:東日本大震災後の惨状(サンデー毎日より)
写真中:東日本大震災後の祈り(琉球新報より)
写真下:春の高校野球大会開幕(日刊スポーツより)


奥田のコラム(NO105) 4回目の引越しから学んだこと ( 2011/03/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 その一 : シンプルライフと新しい人生の門出

 沖縄に住んで40年が経ちました。この間に4回の引越しをする事となりましたが、つい先日、
やっとその4回目の引越しを終える事が出来ました。終えたといっても、とりあえず荷物を新居に運び終えたというだけの事で、引っ越した先の部屋はどこもかしこも荷物だらけで
、主人公であるべき私達夫婦はその部屋の中を歩くのもままならない状況下に置かれているのです。
 4回目の引越し先は2LDKの新築マンションです。引越しの理由は都市計画による移転です。今回の引越しに当たっては、相当の覚悟で身の回りの整理をしたつもりでいたのに、この有様では、ちょっと情けない覚悟の整理だったのかもしれません。

 さて、私は今年の6月で75歳という後期高齢者の仲間入りをするのです。75歳からの人生を「遊行期」と呼ぶのだそうですが、「遊行期」を迎えるに当たって最も大事に思う事は、出来る限り身の回りをシンプルにして、ゆったりとした遊び心で生きることであろうと私は思っています。ゆったりのなかにW生涯青春Wという志を燃やし続けていたいものです。
 日本の4月は全てが新しい門出の季節です。私も今年の4月こそは、過去の諸々のしがらみに感謝の別れを告げて、これまでに無い特別なる人生の門出を誓っているところです。

 その二 : 小さな住まいもまた格別の空間

 沖縄に足を踏み入れた40年前の私達の生活は、殆ど何も無い0からの出発でした。大きな家に移り住めた時はそれなりの満足感もありましたが、人間の幸せの条件が住まいの大小にあるはずも無いのです。人にはその時その時に最もふさわしい住まい方があるのでしょう。年金生活の真っ只中に突入した私達夫婦にとって、今回の2LDKという初めてのマンション住まいは、なんとも新鮮で、快適で、便利で、まことに身分相応という思いがしているのです。
 唯一つ気になる事は、狭い部屋での住まいは、歩く量が極端に少なくて、運動不足になるのでは・・・
という心配があるのですが、私は今素晴らしい思い付きをしているのです。
 このマンションは5階建ての新築です。5階までは80段の階段があるのです。この80段を一日に4〜5回往復する喜びに私は意欲を燃やしているのです。この階段は、私の人生の最終目標であるW元気な100歳人生Wへの最大の原動力になってくれるに違いありません。

 その三 : WありがとうWは幸せ人生の原点

 4回目の引越しがあってから、我が家に突然の異変が起こっているのです。その異変とは、我が家の朝に朝食が甦ってきたのです。いつの頃からかは、はっきりした記憶は無いのですが、我が家から朝食が消えてから久しかったのです。私自身も朝と昼の食事は一緒でよいと思っていたので、別に気に留めることも無かったのです。この突然の異変がどういう理由からかは私には解りませんが、この異変がいつまで続くのであろうかと、私には興味深いものがあるのです。

 そんな中でふと気付いたのですが、もしかして我が家の奥さんは料理の天才(?)なのかも知れません。とにかく料理の速さとシンプル度においては天才振りを発揮するのです。私もシンプルで簡単明瞭が一番嬉しいので、私の性格には、奥さんの料理は申し分ないところです。最近はそれに加えて、健康への配慮も見られるのです。最近の私は家の食事が一番美味しいと思うのです。たまにはの事ですが、目を見張るばかりの夕食が出ることもありますが、さすがにこれはたまにはの事です。いづれにしても、家の食事が楽しく待ち遠しく思われるのですから、こんなに嬉しいことはありません。
 最近の私は食事の度に、心の中でWありがとうWの手を合わせるように心掛けているのです。もしかしてそのWありがとうWが奥さんにも幾分か伝わっているのかも知れません。
我が家の朝夕の食事は日を追う毎に磨きがかかってきているように思えてなりません。
お母さんありがとう!!。(ここでのお母さんとは奥さんのことです)。(2011・3・10日の記)


奧田のコラム(NO104) 祈りの日々(その一) ( 2011/02/28 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 コラムを2ヶ月程休んでおりましたが、この間、地球規模の時の流れの中では、想像を絶する出来事が起こっているのに気付かされ、いささか興奮気味の中にいる昨今の私です。
 中東の国、チュニジア、エジプトに端を発した民衆革命は、あっ!!という間に独裁者と恐れられたムバラク大統領を追放し、その隣国であるリビアのカダフィー大佐による独裁政権も、今や風前の灯というところまで追い込まれている感があります。独裁者の終焉がどんなものになっていくか、日々に映し出されるテレビの映像は、まるで映画のストーリーを見ているかのような迫力で私達に迫ってくるのですが、これはまぎれもない現実の姿なのです。

 中東のこの民衆革命は、もしかして、更なる大津波のようなうねりとなって世界中の独裁者国家を覆いつくすことになるのかも知れません。そんな予感と大興奮が私の胸の中をよぎるのです。
 2011年は世界革命の夜明けの年になるのかも知れません。願わくば世界中の人々が、人種・国籍に関係無く、自由で平等で平和な世界を、嬉々として生きられる世の中になって欲しいと願うばかりです。母国の平和革命に尊い命を捧げた多くの殉教者に、心からの祈りを捧げずにはいられません。
合掌です!!!。

       祈りの日々(その二)

 2011年2月21日に発生したニュ―ジーランド大地震には思わず身心が凍りつきました。
今から30数年も前の事ですが、私もその地に旅行をした事があるのです。その時の印象は、ニュージーランドこそはまさに世界の楽園で、世界一安全で、世界一平和の地と思っていただけに、こんな落とし穴があろうとは夢の夢にも思っていませんでした。
 行方不明者の中には数多くの日本の若者達が含まれているとの事ですが、ニュージーランドの地に大きな人生の夢を抱いて行かれた若者たちの無念さを思うと本当に心が痛むのです。彼等のことを思うにつけ、今の私はW輪廻転生Wの人生を信じる事にいささかもやぶさかではありません。
 どうかもう一度、必ずやまた生まれ変わってきて欲しいです。そしてもう一度夢の続きに挑戦して欲しいのです。心からそう願いながら共に祈りを捧げたいのです。        合掌します!!!。
                              (2011年2月28日の記)


ーお詫びの記ー ( 2011/02/22 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎月2回の割合で続けておりました私のコラムWいい日、いい人、いい出会いWを、約2ヶ月も休んでしまいました。その一番の理由は、昨年12月20日から開始した住宅の移転作業が、まさかの2ヶ月もかかってしまった事でした。
 そしてもう一つの理由は、この時期に、アメリカに住む末息子夫婦が初孫を連れて沖縄に里帰りをしてくれた事です。アメリカ息子の里帰りに合わせて、石垣市に住む長兄と、新潟に住む次男夫婦も、それぞれに孫たちを連れて沖縄に合流してくれた事で、我が家は何事も手に着かないままに、てんやわんやの大騒動の日々が続いておりました。

 何人かの親しい方々から、「コラムが新しくならないのはどうしてなの・・・?」というお声を戴いたのですが、実は、我が家のインターネットも何故かこの時期に突然の事故を起こして、その修理に一ヶ月以上もかかってしまうというハプニングに見舞われてしまったのです。
 インターネットは2月17日にやっと通じるようになりました。家の引越し作業も2月20日をもって完全終了となりましたので、これから急いで2ヶ月分の遅れを取り戻さねばならないと、幾分焦っているところです。つたない文章ですが、3月からまたコラムを再開させていただこうと思っております。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。          2011・2・22   奧田 清志



奥田のコラム(NO103)W新しい門出をする者には新しい道が開けるW   ( 2010/12/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

   <沖縄・5回目の転居と小さなときめきの時>

 今回のタイトルW新しい門出をする者には新しい道が開けるWという言葉は、私の大好きな書家にして詩人の相田みつをさんの言葉です。

 ご縁をいただいて、どうやら永住の地になりそうな私の沖縄人生は、来年で40年にもなるそうです。この間、自分の都合で住所を替えたのは4回、それぞれに理由のある転居でしたが、今回は都市計画による突然の転居です。しかもあわただしい年の瀬の移転となり、いささかまいっているのですが、実は、私の心の片隅には、出来るものならもう一度、まるまる裸になって人生のやり直しをしてみたいという願望が
渦巻いていたのです。
 今回の都市計画による移転は、もしかして神様が私の願いを叶えて下さろうとしている千載一遇のチャンスかも知れないと思い、私達夫婦は老体に鞭打ちながらも、何かしらときめきの中で、今回の5回目の引越しに嬉々として励んでいる真っ最中です。

 39年間の沖縄人生を振り返ってみれば、まさに悲喜こもごも。全てを忘れてしまいたい気持ちと、決して忘れてはな
らない数々の反省と感謝と学びの気持ちが半分半分です。この際、39年の人生を大まかに振り返りながら、新しき人生の糧にしようと思い立った次第です。

    <39年の思い出と新しい人生の門出>

その1:私が沖縄の地に最初の一歩を踏み入れたのは36歳の時でした。結婚して長男が生まれた直後の事で、単身の来沖でした。目的は1975年の沖縄海洋博覧会に自分の人生をかけてみたかったのでした(コラムNO87に記載)。半年後には家族も来てくれましたが、私達には西も東もまるでわからない手探りの沖縄生活でした。この間に3人の子供も生まれ、仕事と子育てに明け暮れた無我夢中の10年余りでした。その頃お世話になった沖縄の恩人達のことが思い出されます。私達が、やがて40年もこの沖縄の地に住まわせていただけた原点は、その方々との深いご縁と、ご親切によるものと手を合わせるのです。今は亡き人となった方々が多いのですが、生涯忘れられない人達ばかりです。

その2:仕事も軌道に乗り、子供たちも成長してくれて、4人の子供たちの学校の事を最重要点に考え、次なる住まいを那覇市の下町から首里城のある首里金城町に移しました。この首里金城町の家は、私が自分の名義で建てることの出来た唯一の家でした。当時は仕事の勢いもあってのことか、今から思えば、この家はあまりに無謀とも思える程の大きさでした(敷地300坪・建坪面積、のべ350坪の3階建て)。那覇市と慶良間諸島の海が一望できる立地にあって、ここで人生の全てを終えても充分すぎると思えた程の満足度でありましたが、その生活は20年あまりの現実でしかありませんでした。

その3:私の人生は、実はこれから後が本当のスタートだったのです。
 世の中はバブルの崩壊に突進しておりました。私の勉強不足のせいもあって、気がついてみたら私達もその真っ只中に置かれていたのです。急転直下の苦渋をなめる長〜い人生の道のりが続く事となりました。
 この時期、私は何故か、まるで無縁のものと思っていたマラソンの世界にのめりこんでいて、3万キロあまりの距離を走り続けておりました。この間、アトランタオリンピックの聖火ランナーに選ばれるという、まさかのハプニングにも恵まれましたが(コラムNO36、37に掲載)、その時期の苦しみをマラソンに分散していたのかも知れません。今から思えばこの時期の苦難の人生が、その後の私の人生に大きな気付きをさせてくれたと思えております。

その4:上記のような理由から、住まいを首里の大き過ぎた家(周りの人は首里御殿と呼んでいたらしいのです)から、家内の友人の紹介で、豊見城村(現在は豊見城市に昇格)に転居しました。住まいの大きさは首里御殿の十分の一以下となりましたが、人生の思いの大きさは住まいの大きさとは無縁のものである事を知ることが出来ました。この時期、私は思いもかけない人生の大転機に目覚める事になったのです。

 身の回りの親しい友人、知人の死や、自分の身体の変化から、人生で一番大事なことは健康人生にあると気付き、暗中模索を続けているうちに、奇跡と思える二人の恩師との出会いに導かれていったのです。そのお一人はホリスティック医学を提唱されておられる帯津良一先生、そしてもうお一人は日本における太極拳の父と呼ばれる(故)楊名時先生です。(このお二人との出会いについてはコラムNO1〜7に詳しく記してあります)
 このお二人との出会いから、私の人生は、まるで180度の方向転換をする事となりました。この時期から私の人生は健康が人生の最大のテーマとなり、気付いてみれば私の身の回りは健康人生という一点でご縁を深くする大勢の仲間たちに囲まれているのです。今の私にこれ以上の喜びと感謝の人生があるとは思われません。 39年、悲喜こもごもの人生から学んだ私のこれからの人生の心得はどうやら以下の3点
におさまるような気がいたします。
 @ 私の人生は、質素にして、そよ風の如くさわやかな人生でありたい。
 A 私の人生は、謙虚にして天地に恥じない人生でありたい。   
 B 私の人生は、生涯を通して、今日よりも一歩前進の人生であり続けたい。

その5:さて、いよいよ新しい人生の門出となる5回目の住まいは、マラソン時代の友人の紹介で同じ豊見城市内の新築のマンションの一室に決まりました。マンションの生活は沖縄では初めての事で、何かしらときめくものがあるのです。2LDKの小さな部屋ですが、小さいながらもシンプルライフを目指す今の私達にとっては、充分すぎる程に有難いときめきの空間です。
 私はこの部屋に付随している小さなベランダの空間がとても気に入っていて、この空間に、安らぎと癒しと養生のエネルギーが生まれてきそうな気がするのです。
 2011年から私達夫婦の新しい人生が始まります。W新しい門出をする者には新しい道が開けるW。私はこの言葉を確信しています。美味しいコーヒーと美味しいケーキ(?)を用意して、友人・知人のご来訪をお待ちしたいものです。       (2010・12・24の記

写真:相田みつをさんの言葉より

- Topics Board -
前ページページ移動次ページ

 


 

 

このページのトップに戻る