21世紀養生塾沖縄
1
  HOME トップページへ戻る
1
  お知らせ・イベント情報
1
  奥田のコラム
1
  21世紀養生塾沖縄とは
養生塾沖縄の概要
奥田代表の活動基幹
帯津塾頭 楊名時先生
1
 
気功教室・太極拳教室
健康倶楽部「天遊会」
帯津良一塾頭の講演会
1
  入会案内・お問合わせ窓口


太極拳・気功教室
健康倶楽部 天遊会
帯津良一塾頭 講演会
奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO102) <攻めの養生12ヶ条>その二 ( 2010/12/02 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

第七条:他人の旅情とかなしみを敬う
 日本人の精神の源に流れているのはWかなしみWなのかも知れません。日本を代表する哲学者、西田幾太郎(1870〜1945)、詩人の西脇順三郎(1894〜1982)も、日本文化の源流には深い人生の悲哀があると申しています。江戸時代の儒学者、佐藤一斉は「養生の訣は、一箇の敬に帰る」と言っております。かなしみの相手を敬い、思いやるという事でしょう。かなしみを敬い、思いやる事によって、相手の生命場のエネルギーを向上させれば、共有する場を介して自らのエネルギーも向上してくるのです。かなしみを敬う事は、まさに立派な養生と言えるのです。

第八条:こころのときめき 〜生命を躍動させる〜
 がん患者の自然治癒力を上げるには、心のときめきが一番大きいと思えるようになりました。ときめきは人それぞれに違いますが、何でもいいのです。お酒の好きな人はお酒にときめき、大好きな食べ物があればその食にときめき、好きな人がいれば恋心にときめいていればいいのです。恋愛に年齢は関係ありません。ただし、ときめきには素直さと謙虚さが必要です。素直に驚ける心がなければ大きなときめきにはなれません。謙虚さがなければうすっぺらなときめきにしかなりません。

第九条:自然治癒力の高い場所に身を置く
 自然治癒力とは、例えばキズが自然に治ったり、手術をした後、正しいほどこしをしてさえおけば、自然に治ってくる現象です。自然治癒力の存在は解っているのですが、今のところそのメカニズムについては誰にも解っていません。自然治癒力を高めるに当たって大事な事は、気持ちのいい場に身を置く事、そして、気持ちの通じ合う人間関係の中に身を置く事が大事な事と思います。

第十条:早寝・早起きをする
 中国の養生法に必ず出てくるのが、「起居を慎む」という言葉です。具体的には早寝早起きを意味しているのですが、早起きは大自然の摂理に最もかなった姿でしょう。現代の生活ではなかなかそうはいかない場合もあるでしょうが、なるだけそれに近づける生活を心掛ける事が道理でしょう。
 中国の『易経』に、「天行健(すこやか)なり、君子以て自彊(じきょう)して息(や)まず」と在りますが、大いなる自然の流れに身を任せて生きることが人生の一番正しいリズムであろうと思います。

第十一条:折に触れて死を想う
 医療の世界では死については目を背けるのを常としてきました。今でもその傾向は強いのですが、折にふれ死を考え、それなりの覚悟に生きる人ほど充実の人生を送ることが出来るのです。自分のラストシーンを自分で描いておく事が納得の人生になるのではないでしょうか。

第十二条:「青雲の志」を抱いて生きる
 「青雲の志」の本来の意味はW徳を積んで聖なる人になるWということですが、いつの間にか立身出世をする事のように曲げられて捉えられるようになってしまいました。徳を積んで聖なる人になる為には、生涯を通してW志Wを持ち続けることです。私達は宇宙という摂理の中で生を受け、生命エネルギーを高める修行の場として地球上の今を過ごしているのです。いずれは誰もがまた宇宙の旅に戻らねばなりません。その過程で最も必要とされるのがWときめきWです。ときめきこそは現世に於ける最大の養生と言えるのです。                 (2010・11.30の記)


奧田のコラム(NO101) Wときめき養生訓W〜攻めの養生12ヶ条〜 ( 2010/12/02 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 前回のコラム(NO100)では、帯津先生の健康講演会「ときめき養生訓」について、その内容を紹介したのですが、それと同じタイトルの最新書が出版されております。この本の中には〜攻めの養生12ヶ条〜という養生の真髄が記載されておりますので、改めて私なりの紹介をさせていただきます。詳しくは本をご覧になっていただければ幸いです。(エクスナレッジ出版社:ときめき養生訓)
        
       <攻めの養生12ヶ条> その一
第一条:こまめに歩く
 年齢を重ねていけば体が衰えてくるのは自然の成り行きですが、衰えを防ぐ為に一番手軽な方法は歩く事です。歩き方のポイントは自分のペースで、自分に一番適した運動量を歩く事です。毎日必ず決まった距離を歩かねばならないと決め付けるのではなく、通勤、買い物、家事等々、日常生活の中で歩く工夫をして習慣付けることが大事でしょう。

第二条:気功に親しむ
 気功の目的とするところは、自分の生命力や自然治癒力を高めて、健康な体をつくる事にあるのです。気功の要素は @「調身」(意識して姿勢を整える)、A「調息」(呼吸を整える)、B「調心」(調身、調息を通して心を整える)の三要素とされています。気功はスポーツではないので他者との比較、競争するものではありません。気功には様々なスタイルの気功がありますので、自分に一番合ったものを身につけ、それを無理せず、長く続ける事が肝心です。気功を続けていると、とてもいい顔になります。いい顔こそは健身、健体の象徴といえるのです。

第三条:旬の食べ物を楽しむ
 旬の食べ物には大地のエネルギーが含まれています。それをいただく事によって私達は大地のエネルギーを体内に取り入れて、内なるエネルギーを高めるのです。そして天の恵みをいただくという感謝の心が、更なる体内のエネルギーを高める事につながっていくのです。食事は美味しく、楽しく、感謝していただくのが健康への一番の近道です。

第四条:酒は百薬の長
 お酒の飲めない人は別として、お酒の好きな人にとっては、お酒はまさに天与のときめきでしょう。
 しかしお酒を飲みすぎて酒に飲まれてしまってはマイナスの人生になってしまいます。適量をわきまえて、品性を高めるお酒である事が、酒を愛する人の条件でしょう。

第五条:時にあっては旅情に浸る
 私たち人間は虚空からの旅人です。はるかな虚空から、ほんのわずかな数十年の地球人生を過ごして、再びまたその虚空の旅に帰らねばならない、宇宙の摂理の中に生かされているのです。ですから人生は喜びや哀しみや、ときめきや寂しさなどが交じり合っての人生なのです。悲喜こもごもの人生を、日々にときめいて生命のエネルギーを高め続け、その勢いで死後の世界に旅立つのです。死は生命の終わりではなく、虚空への旅の始まりと思えば、人生はそれなりに素晴らしいのです。

第六条:生きる哀しみに思いをやる
 生きとし生けるものはみんな不安に駆られています。人間は旅情という哀しみを抱いて生きているのですから、お互いにその哀しみを敬い合うことが、地に足の着いた本当の喜びに繋がっていくのです。あまりに明るく前向きな人はWウツWになりやすいそうです。哀しみの大地に喜びの種をまいて、その種を育て、花を咲かせるところに人生の本当の喜びはあるのでしょう。


奥田のコラム(NO100) 帯津良一先生健康講演会Wときめき養生訓W ( 2010/11/12 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 2010年11月6日(土),帯津良一先生をお招きしての沖縄養生塾健康講演会は、今回で15回目という節目の大会になりました。この講演会に足を運んでくださった方々は、予想していた200名をはるかに越える250名近い盛況振りでした。今回の講演会には行政に携わる方々や、ホテルの関係者、お医者さん、それに大学の先生などのお顔も見られ、何かしら21世紀養生塾のW健康づくりの輪Wが大きく拡がりそうな気配を感じないではいられませんでした。

 帯津先生の講演内容を私なりの理解力でお伝えしようと思います。
 @21世紀の健康づくりは、身体(からだ)から、それらも含めて生命(いのち)を見つめる時代になるでしょう。従って医学(療)も、身体と生命の両方を見る時代に変化していくに違いありません。

 A『養生(ようじょう)』という言葉の意味も、これまでの、身体をいたわりながら天寿を全うするというW守りの養生Wから、生命のエネルギーを養い、溢れさせていくW攻めの養生Wへと変えていかねばならないのです。W攻めの養生Wとしては、中国4000年の歴史に培われてきた「気功」は、そのエースと言えるでしょう。

 B「気功とは、正気(せいき)を養う事を目的とした自己鍛錬法」という定義付けがなされておりますが、生命の容れ物である体を養うのが一般のスポーツであるのし対して、体の中身の生命を養うのが気功という事になるのです。
 調身(身体を整える)、調息(呼吸を整える)、調心(心を整える)の三つの要素が加わっていれば、どんな動きでも気功の範疇に入ると言って良いのです。大自然、大宇宙、そして虚空と心を一つにして舞う太極拳は、まさに気功の最たるものと言えるでしょう。太極拳はW動く禅Wであると言われます。

 C21世紀はW攻めの養生Wの時代と申しましたが、攻めの養生の最大のポイントはW心のときめきWにあるのです。何でもいいからときめく事が肝心なのです。
  江戸時代の名医として知られる貝原益軒は、@好きなものをときめきながら食べなさい、但し食べ過ぎてはいけません。A酒は百薬の長、天からの恵みであるから大いに飲みなさい、但しこれも飲みすぎはいけません。品位を高める飲み方をしなさい、との名訓を残してくれております。

 D長野県伊那谷に住む「伊那谷の老子」と呼ばれる英文学者の加島祥造さんのときめきは、W何といっても女性が一番Wと公言してはばかりません。88歳の現在でも二人の女性に囲まれて人生を謳歌しているそうです。20世紀最大の巨匠と言われるあのピカソも、華やかな異性に彩られた灼熱の人生をおくられたようです。

 E帯津先生のときめきはWカツ丼Wだそうです。帯津先生は豆腐が大好きで、中でもW湯豆腐Wは毎日の夕食に欠かせない一品だそうですが、ときめいて食べるのはカツ丼だそうです。
  帯津三敬病院の食事指導に携わっておられた料理研究家の幕内秀夫さんの見解では、カツ丼は肉と油ですから本来なら毒なのですが、ときめいて食べれば毒も良薬に変わるのだそうです。ちなみに帯津先生の養生法は「朝の気功と夜の酒」だそうです。

 FW攻めの養生Wのもう一つのエースはWホメオパシーWなのですが、最近の新聞にホメオパシーにはエビデンス(科学的根拠)がないからやってはいけないとの記事が載り、一部の人達をあわてさせたようです。ホメオパシーが最も盛んなイギリスでは王立のホメオパシー病院があるぐらいで、国が認めた有力な医療法の一つです。先日の新聞報道の裏には、何かしらの大きな力が隠されているとしか思えてなりません。

 Gホメオパシーとは、ドイツの医師サミエル・ハーネマン(1755〜1843)によって体系化されたエネルギー医学です。ホメオパシーとは、自然界の物質を徹底的に希釈して物質性を排除し、そのエネルギーだけを人間の生命に注ぎ込む事により、生命力の向上をはかるのです。
 ホメオパシー医学は、患者さんの話を徹底的に聞いて、その全体像をつかむ事から始まるので、今、世界で行われている医学の中では、最もホリスティックな医学と言えるのです。

 H西洋医学は、目に見えるものしか信じない世界です。しかし、人間の生命体は目に見えないものの方がはるかに多いのです。ホメオパシーはその目に見えない世界に目を向ける医療です。
 生きている事の中には、勘を働かせたり、喜んだり悲しんだり、泣いたり笑ったりという感情に生きている部分が殆どで、エビデンスだけではどうにも説明が出来ないのです。


 I人間は明るく前向きだけでは生きてはいけません。人間の性(さが)は、本来、寂しさや悲しみが根底にあるのです。はるかな虚空から一人でこの世に生を受け、いずれはまた一人で虚空に旅立っていかねばならない不安の中に人は生きているのです。その不安や寂しさや哀しさを土台に据えて、希望の種をまき、育て、花を咲かせていく人生こそが一番強い、本物の人生となっていくのです。

 J人生の最終の目標は、W青雲の志Wを抱いて生きる事にあるのです。青雲の志とは聖賢の人になろうとする志です。聖賢の人とは、生涯を通して、いささかなりとも世のため人のためにお役に立てる志に溢れた人の事です。青雲の志には終わりは無いのです。

 Kいい人生を送っている人はいい顔になってきます。立身出世やお金儲けの上手な人がいい顔になるとは言えません。帯津三敬病院には「気功道場」があって、やがて30年になるのですが、その道場にやってくる人達は、体は病気であっても、気功を通して実に素晴らしい顔になっていくのです。
 気功にはそれだけの力があるのでしょう。

 L「気功的人生」を生きられる事をお勧めします。気功的人生とは、物事にとらわれない事、そして、私達は遥かなる大宇宙、虚空と繋がって生きている事を意識の中心に置く事、そして、その中に生かされて生きている事への感謝の心が深ければ深い程、人生は感動に満ちた人生になっていくのです。皆さんどうか素晴らしい感動の人生をお過ごし下さい。(以上帯津先生の講演の主旨です)

*帯津先生の講演の後、帯津先生のご指導で「簡化外丹法」という気功を全員で練功しました。熱気に満ちた素晴らしい会場となりました。本当に有難うございました。     (2010・11・12の記)
写真上:第15回講演会チラシ
写真中:帯津先生講演風景
写真下:帯津先生と「簡化外丹功」の実演風景


奥田のコラム(NO99)ノーベル賞と、チリ鉱山奇跡の救出劇 ( 2010/10/19 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

*ノーベル化学賞2010

 2010年のノーベル化学賞は日本人の鈴木章北海道大学名誉教授(80)と、根岸英一米パデュー大学特別教授(75)に決まったというニュースは格別に嬉しい出来事でした。受賞の理由は、「医薬品から電子産業などの幅広い分野で使われる有機化合物の合成技術」という事のようですが、難しい事は別にして、とにかく人類への偉大なる貢献度のようです。
テレビに映った鈴木章さんと根岸英一さんのお顔が余りに素晴らしくて、私はすっかり魅せられてしまいました。そしてお二人のお話を聞きながら、このお二人は人間の範ちゅうをはるかに越えられた超人間という感じを受けたのでした。

 鈴木さんはご自分の発明に特許申請は出されておられないのだそうです。特許申請しておれば莫大なる特許料が入ってくるのだそうですが、そんな事など全く眼中になく、ひたすら世の中のお役に立てる事の喜びに生きがいを感じておられる、まるでW誠実一直線Wのようなお人柄と拝察いたしました。
 もうお一人の根岸さんはその風貌といい、とても日本人とは思えない英語の表現力といい、そばにおられた奥様へのさりげない優しい心遣いといい、まさにW完璧な紳士Wという印象でした。あまりのカッコよさに魅了されてしまい、もう一度生まれ変われるものであれば、根岸さんのようなカッコいい国際人を生きてみたい思いにかられたのでした。

*ノーベル平和賞2010

 昨年のノーベル平和賞はアメリカのオバマ大統領でした。大統領に就任したばかりで、まだ実績もないのにどうして・・・?!!、という一部の批判に対して、ノーベル平和賞選考委員会の出した答えは、「核兵器のない世界を高らかに掲げたオバマ大統領を応援するのも、ノーベル平和委員会のなすべき責務である」との名言でした。私はこの時、ノーベル平和賞選考委員会の見識の高さに感銘を受け、ノーベル賞の存在に絶対の信頼感を覚えたのでした。(コラムNO71に記載)

 さて注目されていた今年のノーベル平和賞は、中国の民主化運動のリーダーと言われる劉暁波さん(54)でした。このニュースは激震として世界に伝わった感があります。劉暁波さんは現在、中国でW国家転覆罪Wの罪で服役中の身なのだそうですが、その劉暁波さんにノーベル平和賞を与えた理由は、「1989年の天安門事件以来、中国の民主化運動のリーダーとして、誹暴力的な手段で戦ってきた事への評価」というのですから、私にはただ一言W凄いW!!という言葉しか浮かんできませんでした。どうやらアメリカ,EU諸国など世界の大多数の国々が、このノーベル平和賞を評価している
ようですので、この先中国はどうなるのであろうかと気になるところです。

 21世紀の世界の流れはW民主化Wではないでしょうか。民主化とは自由であり、平等であり、開放性であり、透明性であると思われます。私は中国の長い歴史に培われてきた文化や芸術が大好きです。そして過去に出会った中国の人達のことを思い出す度に、素晴らしい思い出ばかりが甦ってくるのです。どうか中国が世界の民主化の流れに逆行することなく、世界の平和と人類の幸せのために、大きく貢献してくれる真の大国に変わって欲しいと願うばかりです。

*チリ鉱山・奇跡の救出劇

 私達の住む地球では、時として想像を絶する、とんでもない出来事が起こるものですね。この度のチリ鉱山の落盤事故で、地価700mに閉じ込められた33人の救出劇は、まさ
にその想像を絶する出来事でありました。        今回の出来事は天災というよりも、人災というべき出来事のように思われるが故に、世界中の人々はやりきれない思いの中にも、ひたすら祈りを込めて無事なる生還を念じ続けたに違いありません。テレビで救出の様子が映し出されていただけに、その迫力たるや、ただならぬものがありました。私も目を釘付けにして無事を念じておりました。

 落盤事故から69日目に最初の一人が、70日目に最後の一人が救出され、奇跡の救出作業は無事に終わりました。この70日間、事故に遭遇した当事者は勿論のこと、家族や関係者たちはどんな思いで過ごされた事でしょう。察するに余りあるものがあります。
 最後に救出された、リーダー格を務められたというウルスさん(54)には、W特別に特別の敬意Wを表したいものです。そしてこの事故から学んだ一番大事な事は、ウルスさんがピニエラ大統領に伝えたという、「こんな事が二度と起こらないようにして欲しい」という言葉ではないでしょうか。
 人間は、人生は、W安全と安心Wこそが最大の幸せの条件であると私は思うのです。
33人全員の無事生還と、全力を尽くして救出に当たられた関係者にもう一度、WおめでとうW、WありがとうW、Wご苦労様でしたWと申し上げたい気持ちで一杯です。    (2010・10・18の記)


奥田のコラム(NO98)栗・栗・栗・栗、「栗物語」2010 ( 2010/10/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 9月下旬ともなれば、さすがの沖縄にも秋の気配が漂います。気温の変化はまだそれ程でもないにしても、スーパーに並ぶ果物が、秋の深まりを一層強く感じさせるのです。柿・りんご・梨・みかん・ぶどう等々、まさに穂りの秋オンパレードの感ですが、そんな中、私が最も待ち遠しく思う秋の味覚はW栗の実Wなのです。
昨年は実にいいタイミングで、実に幸運なW栗との出会いWをさせてもらえたのですが(コラムNO72に記載)、今年はどうした事か、言いようのない栗栗との出会いに、いく分ど肝を抜かれているところです。

 栗物語り(その1):今年初めての栗との出会いは9月の下旬でした。あるスーパーで一袋698円の栗と出会ったのですが、この栗は私の目にもさほど上物とは映らなかったのです。それでも初物というご縁に敬意を表して一袋だけ買い求めたのでした。果たせるかなこの栗の評価は60点以上の物ではありませんでした。この時の栗から学んだ事は、初物だからといって飛びついて買ってはいけないという学習でした。

 栗物語り(その2):この時から数日たった10月1日の事です。新聞の中にW秋の味覚大特集Wというチラシが入っていて、そのチラシの中に一袋298円という栗の写真を見つけたのでした。あまりの安さに全くといっていい程期待はしなかったのですが、それでも少し気になって、家内に2袋買ってきてもらったのです。ところがこの栗、とてもとても298円の味ではなく、初物の698円をはるかに越える上等の味覚なのです。これはお買い得だと思い、次の日もまた、今度は3袋の
栗を買いに行ってもらったのですが、家内から聞かされたその時のスーパーでの買い物風景があまりに面白くて、私はその風景を想像するたびに一人で大笑いをするのです。

 家内がスーパーのその栗の前に立つや否や、家内の前に一人のおじいが立ちふさがり、残っていた3袋の栗を手に取り、「これは何か?どんぐりか?」と振り返って家内に聞いたのだそうです。
さすがの家内もWどんぐりWにはびっくり仰天、答える言葉が思い浮かばなかったようです。おじいの次なる質問は、「このどんぐりはおいしいか?どうやって食べるのか?」であったそうです。3袋の栗を全部持って行かれては一大事と思った家内は、「このどんぐりは皮をむくのが大変だから、とりあえず一袋だけ買ってみたら・・・」と答えた瞬間、おじいは持っていた栗をポーンと放り出して何処かに姿を消してしまったそうです。お陰で家内は無事にこの3袋の栗をGETする事が出来たのです。この話を聞いて、あまりにあっぱれな家内の偉業?に私はほとほと感心して褒め称えたのですが、おじいにはちょっと申し訳ない気もしているのです。

 栗物語り(その3):298円の栗を5袋もGET出来て大満足をしていたこの日の夕方、家内の携帯に一本の電話が入りました。電話の相手は群馬県高崎市に住む家内の友人からでした。そして電話の内容は、なんと栗を送ったという事なのです。この友人はケーキ作りの名手で、例年であればケーキの中に栗を少々入れて送ってくれるのが恒例の筈なのに、今年は何故か送ってくれた箱の中は全部が栗の実なのです。売るほどの量です。一瞬おすそ分けをする人達の顔を思い浮かべてみたのですが、前述のWおじいとどんぐりWの事を思うと、おすそ分けにもちょっと戸惑いがあるのです。せっかく遠い群馬県高崎からの贈り物です。私は意を決して、この栗は最後の一個まで、私が責任を持って食べつくす事を心に誓ったのでした。

 栗物語り(その4):群馬県高崎からの栗が届いたわずか2日後、それは10月5日の夕方の事です。沖縄に住む妹が、東京に住む長男の初孫の運動会に呼ばれて上京していたのですが、「今日無事に沖縄に帰りました。近くの商店街を歩いていたら、見事な栗を見つけたので買ってきたからね・・・」という電話をくれたのです。私は思わず天を仰ぎました。また栗?!!!。
 私はその時の私の返事に、どのくらいのWありがとうWの気持ちが込められていたであろうかと、ずっと気になっていたのでした。翌日その栗が届けられ、あまりの見事さに、今度は感動の喜びに震えて天を仰いだのです。この栗は相撲で言えば横綱級の栗なのです。改めて妹に心からのWありがとうWを伝えた次第です。

 この横綱級の栗を口に出来るのはあとまだ一ヶ月ぐらい先になるのでは・・・という気がしております。あまりに大量の栗栗が私の口に入ってくれる順番を待ってくれているからです。
 それにしても今年の秋は、まさかまさかの栗栗とのご縁です。栗大好き人間の私には感謝以外の何物でもありません。栗栗さん有難うの合掌です。         (2010・10・9の記)
写真上:W秋の味覚大特集Wで買った栗
写真中: 群馬県高崎から送られてきた栗
写真下: 妹が買ってきてくれた横綱級の栗


- Topics Board -
前ページページ移動次ページ

 


 

 

このページのトップに戻る