 | 奧田のコラム(NO92)W耳ぐすいWと「あやかりの杜」気功教室 | ( 2010/07/28 ) |          |  7月の沖縄は、まさに真夏の中の真夏です。私の頭の中に浮かぶ沖縄の真夏の風物詩といえば、海遊びと高校野球とエイサー踊りと最近はマンゴーの味覚というところですが、今年の夏はそれらに加えてもう一つ、強烈な印象が私の脳裏に焼きつく事となりました。それは蝉の声とW耳ぐすいWと言う思いがけない方言とのマッチングに気付かされた事であります。
私の気功教室の一つに、もう8年近くも続いている教室があって、その教室は今は大きな樹木に囲まれた空間の中でやっているのです。その教室とは沖縄県北中城村にあるWあやかりの杜W気功教室の事です。現在17名のメンバーがいて、この人達は毎週一回この空間に身を置いて、それぞれに大自然、大宇宙とのいのちの交流を楽しんでおられます。この空間には太古の自然が息づいていて、四季折々の変化には目を見張るばかりの気付きをさせてもらえます。
夏になると、このWあやかりの杜Wの朝は、全てのものが強烈な蝉の声の中に包み込まれてしまうのです。私達の気功教室(9:30〜11:00)もその例外ではありません。以前の私はこのすざましい蝉の声に悲鳴を上げていましたが、近年の私はすっかり変身していて、蝉の声が待ち遠しく思われてならないのです。 蝉の命は一週間と聞きました。蝉の声はこの一週間の命を全力で生きる為の叫び声である事を知りました。そう思えば蝉の声に無限のいとおしさを覚えずにはいられません。
そういえば10年程前にも、アメリカのオハイオ州に住んでいる末息子を訪ねた時、たまたまの事ですが、なんと14年に一度しか地上に姿を現わさないという小さな蝉の大群に出会った事があります。私はゴルフを楽しんでいたのですが、私のボールにとまってくれた一匹の蝉の姿がいとおしくて、この蝉がボールから飛び立ってくれるまで、ボールを打つのを待ち続けた時の情景が思い出されます。
考えてみれば、一週間の命の沖縄の蝉も、14年に一度のアメリカの蝉も、100年を生きられるかも知れない人間の命も、宇宙の中にあっては、ほんのまばたきのようなものかも知れません。 しかしながらどんな姿であれ、この地球上に生を受けたことに変わりはないのです。それぞれの運命をどう生きたかについては、天なる神様が見て判断されるのでしょう。与えられた命を蝉のように全身全霊で生きるのには、人間の命はちょっと長すぎるかも知れませんが、納得の人生を生きる事こそはとても大切な人生の答えであると私は思っているのです。
さて今回のコラムで伝えたい一番のポイントは、実は次なる出来事なのです。17人のメンバーの中で、私が一番元気の心配をしていた女性のKさんから「この蝉の鳴き声は私のW耳ぐすいWです」という言葉が飛び出したのです。W耳ぐすいWとは沖縄の方言で耳から入って来る薬、つまり命のエネルギーという意味のようです。私はこの言葉が彼女の口から出た事にびっくりしたのですが、暫らくしてから、この驚きは大きな喜びに変わったのでした。彼女の元気は本物になった!!と言う確信が得られたからです。彼女の健康度はどうやら素晴らしく数値の高いところに昇っていて、すでに気功的人間に大変身されておられるのかも知れません。
一週間の命を生きる蝉の声は、まさに生命の躍動以外の何物でもないのでしょう。Wあやかりの杜Wの仲間たちは、蝉の声は勿論のこと、虫の声、小鳥の声、草花や小川のせせらぎにも耳を傾けられる素晴らしい感性の人達の集まりです。これらの人達と一緒に、一週間に一度、このWあやかりの杜Wに身を置く事の出来る幸せに感謝を覚えるのです。
沖縄の方言には今回のW耳ぐすいWの他にもW命(ぬち)ぐすいW(口からいただく命のエネルギー)、W目くわっちーW(目からいただく命のエネルギー)、それにW命(ぬち)どう宝W(命こそ最高の宝物)という世界に誇るべき素晴らしい言葉もあるのです。沖縄は「平和」と「自然」と「命」を宝物と考える「守礼の邦」(礼節を尊ぶ邦)であります。この沖縄がいつの日か、必ずや世界の中の宝の島になるに違いないと、私は秘かにそう思っているのです。 (2010・7・28の記)
*7月28日は娘の「有香」の誕生日です。この日にこのコラムが書けた事を私は嬉しく思っています。(WE LOVE YUKA!!)
写真上:山原の自然の中で気功を楽しむWあやかりの杜Wの メンバー 写真中:山原の滝の前で 写真下:あやかりの杜気功風景 | |  |