| 奧田のコラム(NO88) 東京ー新潟ー横浜の旅 | ( 2010/06/07 ) | | 5月下旬、久しぶりに一週間の旅に出る事になりました。近頃は家内と一緒の旅が殆どです。 以前はひとり旅の方が多かったのですが、最近は旅の大まかな希望を伝えてさえおけば、後は家内のなすがままに身を任せている方がどんなに気楽で居られるか、その味を覚えてしまったのです。40年近くも一緒に暮らしていると、どうやら私の旅の好みや、旅先での行動力まで解かるようになっている様で、まあ有難いと思う他はないのです。 旅といえば、ゆったり、のんびりが私の願いですが、いざとなってみるとなかなかそうは行かなくて、今回もまた目的を消化するのが精一杯の旅となってしまいました。ただ、旅というものはどんな旅であってもそれなりの発見や感動があるもので、今度の旅もそれなりの旅になったのです。
(T)東京訪問の旅 :今回の東京での一番の目的は、今からもう半世紀(50年)も昔に、故郷である土佐の高知を後にして東京に人生の夢を描き、その地に人生の拠点を築いている同期生達の集まり「桂会」に出席する事でした。今年はNHK−TVの大河ドラマ「龍馬伝」のお陰で、故郷が大フィーバーしている事もあって、73〜4歳という年齢ながら24名もの同期生が、元気な姿を見せてくれたのです。 以前は、73〜4歳といえばまるでじいちゃん、ばあちゃんというイメージがあったのですが、今自分がその年になって思う事は、多少の老化現象は仕方ないにしても、これからが人生の本番という思いが私にはあるのです。W21世紀は100歳を生きる時代であるWと私は確信しているのです。東京湾一周のクルーズを楽しみながら、本当に久しぶりに(5年ぶり位)会えた同期生達と、とりあえず80歳まで元気で再会を誓い合った、楽しい楽しい会でありました。
*同期会が終わって一週間ほど経ってから、会いたくて出席できなかった故郷の友から、故郷名産のWかまぼこと天ぷらWが送られてきて、感動の中で手を合わせていただいているところです。
(U)東京びっくり物語(その一) 東京での二つ目の目的は、昨年まで家内のお父さんが住んでいた実家に、住む人が居なくなり、わずか20坪あまりの土地に建っていた2階建ての家が、7室のワンルームマンションに生まれ変わったというその姿を見てみることでした。共同使用のリビングルームとキッチンとシャワールームとトイレの他に7室のワンルームがあるのです。しかもその部屋には男女別無く住んでいるというのですから私にはちょっとびっくりなのです。管理人の話によれば今はそれが人気で普通の事なのだそうですから、時代はどんどん変わっているのですね。7室のワンルームマンションにはWプレミアム・・・・Wという豪華な名前がついているのには恐れ入りました。
(V)東京びっくり物語(その二) 久しぶりの東京訪問という事で、家内の弟夫婦が羽田空港にまで迎えに来てくれて、お昼をご馳走してくれるとの事、義弟は今仕事が順調にいっているらしく、言われるままについていった先は銀座のお寿司屋さんでした。のれんをくぐった瞬間から、ただならぬ雰囲気を感じたのですが、どうやら銀座で有数のお店のようでした。義弟の薦めるままに店主のお勧めコースをいただいたのですが、そのコースの中にはW日本一の食材ですWと言われて出された壽司ねたが数点ありましたので、いささか緊張せずにはいられませんでした。 後日、銀座の事情を良く知る知人に聞いてみたところ、お昼であっても一人前¥15000は下らないでしょうと言われ、私の人生にはもう二度とあり得ない昼食という事になりました。私と家内の一致した結論は、私達には一人前¥1000ぐらいの回転寿司が一番似合っていて、気兼ねなく美味しく食べれるという事になりました。
(W)新潟訪問の旅 :東京での同期会を終えての夕方、東京駅から上越新幹線で新潟に向かいました。東京ー新潟間はなんと2時間足らずの時代になっているのです。新潟訪問の目的は、新潟にご縁をいただいてその地に居を構えた次男夫婦と二人の孫に会う事でした。ホームに出迎えてくれた二人の孫は私達の姿を見つけるや否や飛び上がっての大喜びです。孫達はその瞬間から私達にぴったりと寄り添って、ことに5歳になる尊(たける)は朝から晩まで、夜中も私達と一緒に寝てくれるのですからもうたまらないのです。沖縄と新潟ですからめったに会う事も無いのに、どうしてこの孫達はこんなに親愛の情を示してくれるのであろうか、私はいまだに不思議でならないのです。 次男夫婦は厳しい社会状況の中で相当の苦戦を強いられている様子でしたが、こんなにも素晴らしい子宝に恵まれていることを人生の最大の幸せと思えば、どんな困難をも乗り越えられると信じます。次男孫の悠人(はると、1歳半)はお兄ちゃんに優るとも劣らない大物である事を知った事、そしてこの家族を大きく見守ってくれている新潟のご両親に心からの感謝をしながら新潟を後にしたのです。
(X)横浜訪問の旅 :横浜を訪ねたのは、この地に眠る両親のお墓参りと、20年も前に他界した母親のマリア・マサエの名前からとった「マリア会」という集まりに出席する事でした(母親の法事を兼ねた集まり)。 20年も続く「マリア会」の魅力は何といっても母親の偉大な人柄にあったと私は思っているのです。母親の素晴らしさは優しさと、強さと、正義感であろうかと思われます。母の口癖はW仲良くネ、楽しくネWでした。そしてとても腰(頭?)が低くて、小学生の子供にも深々と頭を下げる誠実な人柄でした。私も年年歳歳人生の歩を進めながら、その都度思う事は、この母親こそは私の人生の最高峰に位置する恩師と思えるのです。父は私が中学一年生の時に他界しておりますので、あまり鮮明な記憶は残っておりません。あの母が生涯ついていった人ですから、きっと素晴らしい人物であったに違いありません。 久しぶりに再会した横浜在住の二人の兄を囲んでの食事会やおしゃべりの会は心に深く染みるひと時となりました。じいちゃん、ばあちゃん(私の両親の事)、いろいろと有難う!!!。 これからは孫やひ孫の事もよろしくお願いします!!。 (2010・6・6日の記) 写真上:「桂会」全員の写真 写真中:新潟の家族と(新潟競馬場にて) 写真下:横浜「マリア会」兄弟集合写真
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