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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


(No.58)石飛博光さんと毎日現代書沖縄巡回展 ( 2009/04/07 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎日書道展第60回記念巡回展が沖縄でも開催され、大勢の書道愛好家が足を運ばれたようです。オープンの3月24日は,WBCの日本・韓国優勝決定戦と重なる事となり、もしかして人が集まらないのでは・・・と心配したのですが、全くの心配外で、大勢の人たちがテープカットの前に集まっておられました。
 実は私もそのテープカットの前に並んだ一人でしたが、私がWBCのテレビ観戦よりも今回の毎日書道展を優先させたのには特別の訳があっての事でした。今回の沖縄巡回展の主客としてお見えになられた石飛(いしとび)博光(はっこう)さんのテープカットの姿を、どうしてもこの目で見ておきたかったからです。

石飛博光さんの事は、コラムNo.31でも書かせていただきましたが、もう30年ほども前に永六輔さんから紹介していただき、それ以来のご縁が続いているのです。初めてお会いした頃の石飛さんは、"新進気鋭の書家"と聞かされていたのですが、30年近くを経た今では、日本を代表する書家の地位を築かれ、その肩書きたるや、日展会員、全日本書道連盟常務理事、毎日書道会理事、日本詩文書作家協会副理事長、創玄書道会理事長,NHK文化センター講師等々と、目を見張るばかりの地位に昇りつめておられる事を知るにつけ、心からの拍手喝采を送らずにはいられません。

 私は書の事は何も解からないのですが、石飛博光さんの書かれる「近代詩書」といわれる自由自在の書には、たまらない魅力を感じてしまうのです。石飛さんの自由奔放な書の裏側には、とことん書の基本を習得され尽くされたものがあっての事なのでしょうが、とにかく楽しく、美しく、優しく、力強く、気品に満ちた書の魅力に溢れているのです。
 石飛さんの書は、石飛さんのお人柄そのものから生まれ出ているものと私は信じて疑いません。あれ程の実力と、あれ程の名声と、あれ程の地位におられるのに、まるで威張らず、まるで奢(おご)らず、まるで普通の人のような親しさを覚えるのですから、もしかして、もうとっくに人間の粋を卒業されておられるのかもしれません。

2009年3月24日、毎日現代書展沖縄巡回展オープンの日の夕食をご一緒させていただく好運に恵まれました。その席で、ふと、ほろ酔い気分で石飛先生の口から出た言葉が、私の脳裏に焼きついて離れません。その言葉とは、「自分は、もし100歳まで生きられたら、とことん枯れた書を書いてみたいですね。」「枯れた書というのは、よぼよぼの字というのではなくて、いらないものを全部そぎ落として、素朴で、大らかで、色香の漂う書と言うことです。」という言葉でした。
 実は私も100歳まで元気に生きることを宣言しておりますので、これからまだ30年余り、石飛先生とのご縁を更に深く続けさせていただき、石飛博光さんの100歳の書を何としても見てみたいと思うのであります。
 
 石飛さんは沖縄とのご縁も深いのです。2000年の沖縄サミットの際、当時のクリントン大統領が宿泊された万座ビーチホテルのお部屋には、石飛先生の書が飾られたのです。その事がご縁で"沖縄美ら島大使"にもなられているのです。

 さて、石飛先生の一番の趣味は、どうやらゴルフなのかも知れません。ゴルフの腕前も実に見事なものですが、とにかく石飛先生のゴルフは楽しいのです。まるで子供のようにゴルフを楽しまれるのですから、同伴者も童心に帰ってゴルフが楽しめるのです。石飛先生の沖縄でのゴルフは那覇カントリーが多いようですが、那覇カントリーのコンペルームには石飛先生の「根深葉茂」という見事な書が飾られておりますので、書に関心の或る方は是非ご覧になられては如何でしょうか。

 さてさて、もし神様が、今の私に「何か夢を叶えさせてあげるから、何でも申してみなさい」と言って下さるとしたら、私はすかさず、沖縄の何処かに、小さな「石飛博光・夢の美術館をつくってみたい」と答えます。全くの夢物語にしても、こんなに楽しい夢の物語はありません。これからは毎月、宝くじを買い続けてみることに致しましょう。

写真上段:沖縄の石飛ファンに囲まれて
写真中段:那覇カントリーと夕食会
写真下段:石飛先生の最新の書




(No.57)DVD「沖縄発養生気功」の誕生 ( 2009/03/25 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 13年程前、家内の突然の事故入院がきっかけで、私は気功人生とのご縁をいただく事となりました。瀕死の重症で3ヶ月間の入院を余儀なくされましたが、何とか無事に、元気を取り戻せた要因の1つに、その病院で出合った"気功のお陰"があったのかも知れません。その後の当の本人は、気功の恩恵など、どこか遠くに忘れ去っている感がありますが、付き添い役を務めた私の方は、それ以来、気功人生とのご縁を益々深くするばかりの今日に至っております。

病院で出合った気功「香(しゃん)功(ごん)」と、その後、私が最も感銘を受けた気功「内養(ないよう)功(こう)」を日々続けている内に、いつしか仲間が増え、気功教室が生まれ、生徒さん達から"気功の映像が欲しい"との要望をいただく事になり、この度、急遽DVDに収める事に致しました。とても充分なものとは思えませんが、とりあえず気功教室のテキストとしてお配りした次第です。お陰様で、どうやら生徒さん達のお役に立てているようですので、今回のコラムに紹介させていただきます。

(T)香(しゃん)功(ごん)(初級・中級)

 この気功の正式な名称は「中国芳香気功」で、練功を重ねていく内に、芳(かぐわ)しい香りを感じられるようになることから「香功」と呼ばれるようになったとのことです。この気功は、中国の禅宗系のお坊さんたちの間で1000年以上も、秘伝として伝わる健康術との事です。これまで秘伝とされていたものを1988年に一般公開して以来、今や世界有数の人気気功として、大きな拡がりを見せているのです。
この気功の特徴は、とにかくやさしくて、誰にでも出来て、しかも効果が抜群であるばかりか、立っても座っても寝ていても出来る気軽さにあるようです。この気功を最後に引き継がれているお坊さんの田(でん)瑞生(ずいしょう)さんの言葉によれば、「香功を修得することによって、全身が丹田(たんでん)のようになり、目覚しい効果を見ることになる」とのこと、いかに自信に溢れた健康法であるかが察せられるというものです。ちなみに日本では、1993年にNHK教育テレビで紹介され大きな話題となりました。

(U)内養(ないよう)功(こう)

 今から10年程前、私はこの「内養功」という気功に出合い、言葉にならない程の大きな感銘を受けました。とても難しいと思いましたが、この気功には、どんなに難しくても、何としてもやり遂げてみたいと思わせる魅力に満ち溢れるものがありました。いつかこの気功を修得して、一人大自然の真っただ中に身を置いて舞える日の来ることを、夢に描き続けておりました。その魅力に取り付かれて、とうとうこの気功の発祥の地である中国河北省にまで、足を運んだ日のことが、懐かしく思い出されているところです。

 さて、この「内養功」は、中国の気功の父と呼ばれる劉貴珍(りゅうきちん)という方が、中国全土に伝わる沢山の気功の中から、それらの粋を結集させて創作された気功と聞いております。中国河北省に北戴河(ほくたいが)気功康復医院という有名な医療気功の聖地があり、内養功はこの地で生まれた医療気功の最高峰と評されているものです。劉貴珍先生亡き後は、愛娘の劉亜非先生が中心となり、世界中に内養功を発信されておられます。今やこの地には、ヨーロッパを中心に世界中からこの内養功を習う為に大勢の人たちが集まってきております。
 日本では、沖縄ご出身の仲里誠毅先生がこの気功を日本に紹介され、普及活動に取り組んでおられます。いつの日か、「香功」や「内養功」が、この沖縄の地にも拡がり、名実共に沖縄が世界一の無病長寿の島になって欲しいものと念ずるばかりです。

写真上:香功を演ずる人達
写真中:内養功のポーズ
写真下:DVD「沖縄発養生気功」のカバー


(No.56)呼吸はとても大事な健康法です ( 2009/03/11 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 今、私の手元にある一番新しい呼吸に関する本は、作家の五木寛之さんと禅僧兼作家として著名な玄侑宗久さんとの対話集「息の発見」という本です。実はこれまでにも、呼吸に関する本は出来るだけたくさん読んできたつもりですが、理解力の乏しい私に、果たしてどれだけ呼吸法の神髄がつかめているかについては自信は有りません。ただ私が信頼したい一番のポイントは、言動一致で、どれだけ本物の健康長寿を生きておられる人物であるかに学びたいと思っている事です。

 歴史上の記録に残る最も長寿人生を生きられ、世界中にその範を示された人物は、2500年も前に80歳を生きられたお釈迦様ではないでしょうか。2500年前の80歳は今の時代に置き換えると150歳も200歳も生きられる程の長寿になるのだそうで、まさにお釈迦様こそは世界一の長寿者であろうと私は考えるのです。
 そのお釈迦様が残された健康長寿への助言は、"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と"動きを伴う呼吸はそうでない呼吸とは比べ物にならない素晴らしい深い呼吸なのです"というその言葉を私は私の呼吸法のバイブルとして捉えているのです。ヨーガ、気功、太極拳など東洋の健康術は、まさにその言葉を行動に示したものと言えるのでしょう。

 日本における長寿者としてその歴史に残る人物は、江戸時代に生きた臨済宗の自隠禅師とその先生といわれる白幽仙人で、白幽仙人は何と180歳から240歳の年齢を生きたらしいと言われているのですから、この話はうわさであるとしても、私には何とも嬉しい話です。この二人の健康法こそは、まさに日本における健康長寿法の元祖といえる「丹田呼吸法Jなのです。

 現在、私たちにも知り得る日本の著名な長寿者は清水寺の大西良慶和上の108歳、永平寺の宮崎エキ保禅氏の108歳を筆頭に、私が一番好きな松原泰道さんは今年101歳の現役ばりばりのお坊さんであります。
 長寿職の断トツのNo.1はお坊さんだそうですが、その理由は毎日のお経と言う呼吸法にあるのだそうです。お経はまさに吐く息そのもので、お釈迦様が残された"吐く息に心を込めなさい"と言う言葉と言動が完全に一致するのです。お経の出来ない私たちは、とりあえず歌を歌う事が健康長寿への一番の近道なのかも知れませんね。

 「息の発見」と言う上記の対話集の中で、五木寛之さんは『息を吸うときには、息を吸っている自分に気付こう。歓びを感じながら息をしよう。心を感じつつ、心を静めて呼吸しよう。心を安定させて、心を自由に解き放つように息をしよう。そして無常を感じつつ、生の消滅を感じ、自己を手放す事を意識しつつ呼吸しよう』と申しておられます。一方の玄侑宗久さんは『お経を唱えるのが一番の呼吸法です。「長生き」は「長息」であることを、つくづく実感した』と申しておられます。

 最後に、この12年間、気功人生を通して学んだ私の呼吸法の心得を簡単に記させていただきます。誰かの、何かのお役に立つことになればこれに優る喜びはありません。

(1)吐く息に心を込めて、深く静かに、長〜く吐くように心掛けています。(お釈迦様からの学びです)。
(2)吐く息は宇宙に向かって吐き、吸う息は宇宙のエネルギーを全身にいただきます。(吐く息にも、吸う息にも感謝を込めて、ありがとう、いただきますと心の声を伝えながら)
  ( )は私自身の勝手な付け加え。(帯津良一先生から学んだ呼吸法です)。
(3)健康呼吸の基本は丹田腹式呼吸。ヨーガの呼吸法は腹から胸まで吸い上げる。気功の呼吸法は胸から更に頭のてつぺんにまで吸い上げてから、静かに全身に吐いていくのです。(天津中医薬大学客員教授 飯野節夫先生著「元気呼吸法」よりの学び)。

* 気功人生と出会ってからこの12年余り、私は本当に病気らしい病気が無いのです。どんなに風邪が流行っていても、風邪が私をよけてくれているような気がしてなりません。吐く息に心を込めた深く静かな呼吸は、本当に有難い健康法と思い、手を合わせる日々であります。



(No.55)名護マラソンとYOSHIさんと島袋勉さん ( 2009/02/24 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 毎年2月になると、日本一早咲きの桜の名所として知られる沖縄県名護市の桜マラソンが開催されます。今回は、第50回記念大会ということもあって、日本各地からもマラソン愛好者たちがこの地に集い、約3000人のランナーが満開の桜並木の山原路(やんばるじ)を満喫されたのです。

 さて、この名護の地を故郷に持ち、今はこの地を遠く離れ、40年以上もニューヨークに住まわれ、著名な写真家としての人生を歩んでおられるYOSHI比嘉さんが、ご自分の写真展をかねて沖縄に里帰りをされ、奥様共々に、この名護マラソンにも出場されるというニュースを知り、私達夫婦は何が何でもこのお二人にお会いしたく、マラソン会場に足を運んだのです。

 私達夫婦がどうしてもYOSHIさん御夫婦にお会いしたかったのには大きな理由があっての事でした。2007年10月、YOSHIさんの写真集「50歳からのニューヨーク散歩」という本とのご縁でニューヨークを訪ねた際、YOSHIさん御夫婦にはまさかのおもてなしを受け、生涯忘れられない想い出をいただくことになったのです。その時の事はコラムNO24,25に書かせていただきましたが、今回はその時のせめてものお礼の気持ちを込めて、マラソンの応援に駆けつけた次第です。

マラソン当日の気温は2月上旬というのに23度、まるで初夏を思わせるほどの暖かさでした。応援する私達にとってはグラウンドに立っているだけで気持ちよかったのですが、走っている人にとっては少々暑かったかもしれません。そんな中、YOSHIさんも奥さんのマデリンさんも堂堂たる走り姿でゴールインされたのです.YOSHIさんは70歳代の上位に、マデリンさんは60歳代の第2位という成績で表彰台に立たれ、会場からの喝采を浴びました。

 マラソン完走後には、「親戚の家で祝賀会があるので、是非おいで下さい」とのお言葉をいただいたのを幸いに、その家を訪ねてみると信じられない程の人達が集まっておりました。ちょっと数えただけでも50〜60人の老若男女で溢れていたのです。いったいどうした事であろうかと思い数人の方に尋ねてみたところ、どうやらここに集まっている殆ど総ての人が、私達夫婦と同様に、何らかの形でニューヨークでYOSHIさん御夫婦のお世話になった方々なのです。皆がYOSHIさんご夫婦に会いたかったのでしょう。YOSHIさん御夫婦の偉大なお人柄に、ただただ恐れ入るばかりでありました。

 そんな人達の集まりの中に、マラソン愛好者であれば誰もが知っているであろう、あの義足のランナー島袋勉さんの姿もありました。島袋さんは2001年の4月に、両足を切断するという大事故に見舞われながらも、それから3年後には不屈の精神力と想像を絶する努力の末に、ホノルルマラソンに挑戦し、奇跡の完走を成し遂げられているのです。その時の様子は¨義足のランナー¨という本に詳しく記されていて、読む人の心を感動の世界に導いてくれます。
 その後も島袋さんは更なる努力を積み重ね、それから後の5年間に何とホノルルマラソン(4回)、ニューヨークマラソン(4回)、バンクーバーマラソン(3回)等々、大小40回のマラソンを完走されておられるのですから、とても人間業とは思えません。
 島袋勉さんの凄さは、身体の障害ばかりか、仕事においてもあらゆる苦難を乗り越えて、ひたすら人生を前に向かって突き進んでおられる事だと思います。島袋さんを囲む周りの人達も素晴らしいのです。助け合って生きることの美しさに感動を覚えます。島袋勉さんという方は、マラソンを離れたときのお顔は、まるで仏様がそこに居るような、穏やかな優しい笑顔に満ち満ちているのです。そんなお姿を横目でチラッと見るたびに、私は思わず心の中で手を合わせてしまいたくなるのです。

 2009年の名護マラソンとニューヨークのYOSHIさんご夫妻のお陰で、今また島袋勉さんという奇跡のランナーとの出会いをいただける事となり、私の心は新たなるときめきを感じております。名護マラソン,YOSHIさん、そして島袋勉さん、本当に有難うございました。

            (2009年2月末の記)

写真上:YOSHIご夫婦を応援して
写真中:島袋勉さんとの出会い


(No.54)石川遼君にマスターズからの招待状が!! ( 2009/02/09 )

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

若干17歳の石川遼君に、世界の最高峰といわれるあのマスターズから招待状が届いたというニュースは、ゴルフ大好き人間の私にとっては、たまらなく嬉しいビッグニュースであります。

 1934年から続いているマスターズゴルフの歴史の中でも、石川遼君の17歳の出場は、史上2番目の若い記録だそうですから、これは本当に凄い事と思うのです。この記録は、世界bPのゴルファーといわれるあのタイガーウッズをも凌ぐ(しのぐ)快挙ですから、石川遼君のこれからの人生には一体どんな事が起こるのであろうかと、ぞくぞくするほどの楽しみが湧いてくるのです。

 ちなみに、これまでマスターズに出場した日本人選手では、ジャンボこと尾崎将司選手の24歳が最年少記録で、あとは世界の青木選手でさえも31歳、2001年の大会で4位の成績を残した伊沢選手は33歳でしたから、マスターズという世界がどれ程大変な世界であるかが判るというものです。
 17歳の石川遼君が、2009年のマスターズでどれだけの成績を残せるかについては、世界が注目する事になるのでしょうが、私は遼君には、私なりの期待を込めつつ応援したいのです。

 石川遼君の今回のマスターズは、失敗を恐れるものは何一つとして無いはずですから、結果は全く気にしないで、17歳の若さを爆発させて、世界をあっ!!と言わせるような何かをやって欲しいものと期待したいのです。
 石川遼君は先日のマスコミの質問に、「マスターズの(アーメンコーナーといわれる)12番、パー3の第一打を2回連続して手前の池に入れて、第3回目はキャリーで奥のバンカーに入れる事しか想像できません」と答えましたが、もし彼の想像どうりの事が現実のものとなれば、その瞬間から、石川遼の名前はマスターズの歴史に残る事になるのでしょうから、むしろ望むところではないでしょうか。願わくば、第3打目はホールインする事を私は夢に描いてみたいのです。
 
いく分の冗談はさておくことにして、石川遼君は、彼が持って生まれたゴルフの才覚に加えて、ゴルフに対する思い入れの深さ、熱心な取り組み、まじめさ、謙虚さ、素晴らしい言動、振る舞い、人間性、ファッション感覚、等々、どれをとってみても抜群の品格を備えた好青年と思わずにいられません。日本ゴルフ界のプリンスであり、エース中のエースであり、世界に誇れる本物のゴルファーになってもらいたいと切に望むところです。石川遼君を心から応援したいのです。頑張れ遼くん!!

     (from Okinawa,2009.2.6.
      アメリカでゴルフ人生を歩んでいる三男、
      淳平の31歳誕生日を記念しての記)

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