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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO282) 82歳の不思議な誕生日 ( 2018/06/29 )

 
 80歳の頃の母、マサエばあちゃん

 
 ピカソの絵 花束

 
 ピカソの絵 鳩

 
 絵の裏にかかれていた文字

 
 82歳の誕生日にお祝いに来てくれた二人の孫

 
 82歳の誕生日を祝ってくれた弟夫婦と私達

 2018年6月26日は私の82歳の誕生日でした。82歳の思い出に、何かのメモリ−を残したいと思いつつ、ふと思いついた事は、ずっと昔から気に入っていて、部屋の壁に掛けてあった2枚の絵(印刷画)が、すっかり色あせてきていたので、この絵とはまた別に、これもまたずっと昔から気に入っていて本棚にしまってあったピカソのスケッチ画(印刷画)と交換しようと思いたち、すぐその足でリュウボウ百貨店の7階にある額屋さんを訪ね、絵の入れ替えをお願いしたのです。

 すると、その時持参した2枚のうちの1枚の絵(額)の裏に、私の字で書かれた一枚の紙が貼られている事に気づき、私はすっかり忘れていたまさかの過去の大発見をする事となり、暫くはちょっとした感動の中に浸っておりました。その額の裏に書かれていた言葉は
“おばあちゃんのご無事を心よりお祈りしております。1986年6月11日。沖縄の一同より”でありました。

 1986年といえば、今から33年も昔の事です。その当時の事を一生懸命思い出してみると、その当時の母の年齢は82歳であった事が判りました。これはまさに今の私の年齢と同じです。母はその年に大腸ガンが見つかり、家族は密かに大騒ぎをしていたのですが、沖縄の主治医を交えて出した結論は、手術によるガンの摘出でありました。母はその結論にいささかの動揺を見せる事なく、手術に立ち向かってくれました。

 母の手術は主治医の紹介で、国立東京駒込病院で行われましたが、この時の執刀医のお名前が、私達の名字と同じ奥田先生であった事にも母は相当の安心感を持っていたようです。手術後暫くは母はその病院で入院生活を送っておりましたが、上記の絵はその時、沖縄から母の病室に届けられた物であったと推察しているところです。

 入院中の母は、“自分は早く沖縄に帰り、死ぬ時は大好きな沖縄から天国に行きたい”と申し出るようになり、航空会社に相談して3席の座席を確保していただき、担架に乗せられたまま、無事沖縄に帰る事が出来ました。沖縄に帰ってからの母は殆んど寝たきりの人生でしたが、それでも常時しっかりと意識のある6年の歳月を生き抜いて、88歳の人生を全うしてくれました。

 私の82歳の誕生日に、上記の“一枚の絵”から、これ程の思い出を蘇らせてもらえた事は、私にとってこれ以上の82歳の思い出があるとは思われません。本当に嬉しい、感謝、感激の82歳の誕生日でありました。

 これからの私は、額に収められた新しい“ピカソの花”を見るたびに母を思い出し、母への感謝を忘れる事なく、更なる励ましをもらいながら、少しでも人様のお役に立てる人生を目指さなければならないと思っている次第です。
これまでの人生総てに感謝です。感動です。有難うございます。合掌します。

         2018年6月28日の記
 (今日は長男の孫“拓夢”の15歳誕生日です)


奥田のコラム(NO281) 第5回・帯津良一先生を囲むファンクラブの集い(その二) ( 2018/06/26 )

 
 帯津先生「時空」の実演

 
 「時空」を実演する会場参加者の皆さん

 
 「時空」を実演する参加者の皆さん

 
 第1班・太極拳演舞「浜辺の歌」

 
 第2班・太極拳演舞「かぎやで風」

 
 第3班・太極拳演舞「四ツ竹」

 前述のコラム(NO280)では,帯津先生の近況報告と健康長寿についてのお話を要約してお伝えしましたが、今日はその講演会の第2部で演じられた2つの出来事についての報告をさせていただきます。

    第2部(その1):新呼吸法『時空』の講演

 帯津良一先生が帯津三敬病院の名誉院長であられる事は広く知られている事ですが、実は帯津先生は呼吸法の大家でもあられるのです。
 日本には丹田呼吸法として有名な「調和道協会」という会が、長年に渡って続いておりますが、帯津先生は近年までその協会の3代目の会長を務めておられました。
 帯津先生はご自分のお医者さんとしての体験と、調和道協会での体験を通して、『時空』という新呼吸法を考案され、その普及活動にも努めておられます。

 新呼吸法『時空』の基本的な考え方は、大自然、大宇宙の持つエネルギーを意識の中心に置き、それらを全身に巡らせる”全身呼吸”という事になるのではないか・・・と私(奥田)は理解しております。いささか自己流ながら私は日々にこの全身呼吸を心掛けているのですが、今の所これに優る健康長寿法はない、と思うようになっております。

 * 新呼吸法『時空』に関心をお持ちの方は、帯津先生ご指導によるDVDも出版されておりますので、下記のところにお問い合わせされると詳しい事が解るのでは・・・と思います。  
問い合わせ先:はなまるげんき事務所/0120-343-593
(受付時間10時〜17時/土・日・祭日を除く)

   第2部(その2):沖縄養生塾生による沖縄発養生太極拳の演舞

 帯津良一先生の健康哲学に学びながら、日頃の健康づくりを目指している沖縄養生塾「天遊会」の会員は、現在80名程いるのですが、その中から今回は40名程の方々が、3班に分かれて今回のステージに立たれました。
  第1班:太極拳初級(9式)音楽はスーザン・オズボーンさんの“浜辺の歌”
  第2班:太極拳中級(11式)、音楽は日出克さん編曲による“かぎやで風”
  第3班:太極拳上級(24式)、音楽は日出克さん編曲による“四ッ竹”

 私達沖縄養生塾「天遊会」が特に力を入れている点は、“沖縄音楽による太極拳”を目指している事であります。沖縄の古典音楽、“かぎやで風”、“四つ竹”による太極拳を発表しているのは、沖縄の永い歴史の中でも私達が初めての事ではないかと、私達は自負しているところであります。

 我らが健康人生の恩師である帯津先生も、“沖縄の風”を感じる太極拳を沖縄から世界に発信する事に大きな期待を寄せてくださっているのですから、私達も大いに頑張らねばならないのです。皆さんよろしくお願いいたします。
      2018年6月26日の記(82歳の誕生日)


奥田のコラム(NO280) 第5回・帯津良一先生を囲むファンクラブの集い(その一) ( 2018/06/19 )

 
 第5回帯津先生講演会

 
 会場風景そん1

 
 会場風景その2

 
 阿部さん普及員認定

 
 空手会館上原館長と

 
 司会を努めてくれた三枝憲和さん

               <はじめに>

 2018年6月10日、沖縄空手会館「研修室」にて上記の会がありました。この会は、以前は健康講演会として20回も続いておりましたので、その会も合わせると25回という事になりますが、帯津先生ともっと身近に接したいとの声が強く、現在は「帯津先生を囲むファンクラブの会」と名称を変えて続いているのです。
 6月10日の帯津先生のお話の中から、私(奥田)の記憶に残っているところを、多少表現が異なるかも知れませんが、今日のコラムに書かせていただきます。
          
     <帯津先生のお話、あれこれ>

(1)2015年の秋に、私(以下帯津先生の事)は、永年携わっていた「日本ホリスティック医学協会会長」の職務からは開放されましたが、「サトルエネルギー学会会長」の職務は、まだ20年以上も経った今でも続いてております。そのサトルエネルギー学会が昨年12月15日に東京学士会館で開催されましたが、その時、私はまさかと思える大ハプニングを起こしてしまいました。

 会長の挨拶を済ませた後、いつもは会場の最後列の席に座って、後に続く講演者の話を聞くのですが、その日に限って、私は最前列の席に座っておりました。
2人の話まではしっかりと聞いていた記憶はあるのですが、3人目の記憶が殆んど無く、そればかりか、3人目の話の途中に突然、私は椅子ごとバタリと床に倒れ込んでしまったのです。
 肩の骨を骨折する程の重症でしたが、その瞬間、私はその時の出来事が大学時代の空手道場の出来事と勘違いをして、瞬時に立ち上がり、空手の防御のポーズをとっていたのだそうですから、何とも不思議でなりません。

(2)私は救急車で運ばれ、自分の病院で手術を受け、大事には至らなかったのですが、私の病室を入れ代わり立ち代わり見舞ってくれる我が病院の看護婦さん達が、皆美人で、あまりの優しさに感動を覚え、その喜びを永年苦労を共にしてくれた元総婦長に勇んで電話報告をしたところ、元総婦長から返ってきた言葉は只一言 “帯津先生のバカ” でありました。

(3)以前から親しくさせていただいている作家の五木寛之さんが最近『百歳人生を生きるヒント』という本を出版されておりますが、五木さんはその本の中でも“人生の黄金期は70歳代である”、と書いておられます。
 実は私も60歳代に入ってから、女性の色気に目覚めるようになり、時を同じくその頃から私も女性にもてるようになってきたような気がしているのです。そんな訳で、私も ”人生の幸せは人生の後半にある”、と確信するに至っております。

(4)私はつい先日、川越市にある会場で、2時間立ちっぱなしの講演を頼まれ、無事に終えることが出来ました。お客様からは私のスタミナぶりに称賛の拍手をいただきました。
 つい先日、NHK-TVのニュースを見ていたら、作家の瀬戸内寂聴さんは、何と95歳で1時間半の講演を見事に成し遂げておられました。これには大いなる勇気をいただきましたので、私も寂聴さんを見習って頑張ろうと思いました。

(5)人間が長く生きられるためには次の3つの心掛けが大事ではないかと常々思っています。
 @心の養生:心の養生とは“心のときめき”です。心のときめきを心掛けていれば、少々の病気は越えられます。その反対に小さな事にも心を病んでいると、元気な身体まで本物の病気になってしまいます。とにかく日々に心のときめきを見つけ、大いに人生を楽しむようにして下さい。
 平均寿命40歳代の江戸時代に80歳を越える人生を生きた健康長寿の達人、貝原益軒さんは、“道を楽しむ者は命長し”という有名な言葉を残してくれております。

 A食の養生:食こそは生命維持の原点ですが、貝原益軒さんは食養生については “好きなものを少しづつ食べなさい”、と申しております。私はそれに加えて、四季折々の旬の物を感謝を持って頂く事にしています。
 私のときめきは “朝の気功(太極拳)と昼の仕事(病院)と夜の酒” でありますが、私の晩酌には病院の料理長が、必ず旬の味覚を付け加えてくれております。

 B気の養生:気とは宇宙の持つエネルギーと考えれば解り易いでしょう。宇宙のエネルギーを意識して、呼吸を通して全身に巡らせれば、人間が生まれながらにしてそなわっている自然治癒力は高まるのです。この自然治癒力の高まりこそが養生(生命のエネルギーを溢れさす事)の原点です。
 人間は一日におよそ20,000回の呼吸をしておりますが、そのうちの100回でも“ゆっくり吐いてゆっくり吸う” という意識呼吸を心掛けていれば、健康体でいられるのです。

(6)太極拳のすすめ
 私は35年程の太極拳人生を送っておりますが、太極拳には養生人生の総てが含まれていると思います。太極拳の上手・下手はそれ程重要な問題ではありません。とにかく心を込めて続けることが大事なのです。40年続ければ誰でも達人になれるそうです。この世で40年が無理であれば、来世に繋げればそれでも良いのです。

(7)太極拳をやる時のイメージ(これは故楊名時先生から教わった事です)
  @中国の大地を涛々と流れる長江のように、ゆったりと静かに舞う事。
  A空の雲が流れるように自然体で、無心に舞う事。
  B鶴が空を舞うが如くに美しく、品格を心掛けて舞う事。
  
 以上の3点を心掛けてていれば、太極拳こそは、まさに”養生人生の華”と言っても過言ではないでしょう。是非とも太極拳人生をお薦めいたします。

       2018年6月17日の記(父の日)


奥田のコラム(NO279) 近況報告“アメリカの旅” ( 2018/04/29 )

 
 息子(淳平)の新居。到着日は雪でした。

 
 アメリカ孫・アニカとマリカ

 
 ジジ・ババ達と二人の孫

 
 イースターに集まった親戚の男達

 
 孫・親戚9人

 
 カジノにて大人達

 私のコラム書きは、今回は2ヶ月あまりのブランクとなってしまいました。
親しい方々から、『暫くコラムが見られないので気になっている』との問い合わせをいただき、誠に申し訳なく、恐縮をいたしております。
 
 私の健康状態は、80歳前後から急に足腰が弱くなり、20年余り夢中になって取り組んでいたジョギング(マラソン)も、30年余り楽しんでいたゴルフも、ここ4〜5年はずっと遠ざかったままになっております。ただ、20年程前からご縁をいただき、以来、今日までずっと続いている“気功・太極拳”による健康づくりの輪は、益々拡がるばかりで、“元気な100歳人生”の目標は、いささかもゆるいではおりません。

 ひと月に2回を目標にしていた私のコラム書きは、頭脳の衰えのせいか、かなり厳しくなっておりますので、これからは月1回ぐらいの割合にさせていただこうと思うようになっております。どうぞよろしくお認めの程お願いいたします。

    〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 さて私達夫婦は、3月の末から5年ぶりにアメリカの末息子のところに行っておりました。今回のコラムは、その時のことを書いて仙台に住む太極拳の友人に出した手紙の文が手元に残っておりますので、その手紙をそのままコラムにさせていただき、2ヶ月あまりのブランク報告に替えさせていただきます。

 ○○様

 アメリカ2週間の旅からは、4月4日に無事に帰宅しております。
ところが、80歳を越える年齢のせいか、日本とは真逆の時差ボケにすっかり体調を崩され、帰宅2週間が経とうとしているのに、いまだにまだ頭も、身体も、ボケたままになっております。
 そんな訳で、仙台からのわざわざのお手紙を頂きながら、お礼の返信がすっかり遅くなってしまい、誠に申し訳なく、お詫びいたします。

 今回のアメリカ旅行は、末息子の新築祝いが目的の旅でしたが、15歳で単身アメリカに渡り、多くのアメリカの方々のご親切とご好意に助けられながらも、異国の地に40歳にして自分の人生を確立している末息子夫婦の生き様に、ちょっとした感動を覚える旅でありました。どこに住んでも、世界の良心は一つだと確信した旅でもありました。そして楊名時先生の“健康・友好・平和”の大切さを改めて心に刻んだ感謝の旅でありました。

 今回の旅は、これがアメリカ最後の旅と、密かに自分に言い聞かせる旅でしたが、息子が言うことには、“お父さん、俺はもう一度住まいを変えるつもりだからね・・・”と言うのです。私はまさかと思い、次はいつからどこに住むつもりか?と聞いたところ、二人の娘が親元を離れるであろう“10年後にフロリダに住む”、と言うのです。

 10年後の私は92歳です。流石にフロリダはもう無理だと一瞬あきらめかけたのですが、聞けばフロリダはまさにゴルフ人生の楽園であり、天国なのだそうです。息子の語る“フロリダ物語”を思い出すにつけ、私の心は、今、またフロリダにも尽きせぬ魅力を覚えているところです。

 ○○さん、私は何としてもあと10年は頑張りますので、10年後にご一緒にフロリダに行って、フロリダでの太極拳とゴルフ人生に没頭してみようではありませんか。これ以上の旅があろうとは私には思われません。
 以上が今回の旅のご報告であります。10月の奥様とご一緒のご来沖を首を長くしてお待ちしております。いつも本当にたくさんのお心を頂き有難うございます。感謝です。

 2018年4月18日    沖縄より 奥田 清志  

               2018年4月28日の記 


奥田のコラム(NO278) 2018年、平昌(ピョンチャン冬季オリンピック ( 2018/02/28 )

 
 2018年冬季オリンピックフィギアスケートで活躍した選手たち

 
 2018年冬季オリンピックスピードスケートで金メダルの小平奈緒選手

 
 2018年冬季オリンピック団体パシュートで見事金メダル獲得の選手たち

 
 2018年冬季オリンピックでマススタートで優勝した高木菜那選手

 
 元気いっぱいのカーリング女子チーム

 
 2018年冬季オリンピックで活躍しメダリストになった選手たち

 2018年、第23回冬季オリンピック平昌大会が幕を閉じました。スタート時点では何故か、あまり関心が湧かず、開会式もテレビニュースで観る程度の私でしたが、フィギアスケートの羽生結弦選手(23歳)と宇野昌磨選手(20歳)の、まるで神業とも思える完璧の演技と、それに、密かに応援していた宮原知子選手(19歳)の格調高い会心の演技にも魅せられ、私のピョンチャンへの関心度は一気に燃え上がる事となりました。

 結果的には、日本選手団のメダルは金(4)、銀(5)、銅(4)と史上最多の13個となり、実に興味深い大会となりましたが、何と言ってもこのピョンチャン大会で咲かせた”日本の花”は、終盤戦に於ける女子スピードスケートと女子カーリングによる日本女性軍団の大活躍ではなかったかと思うのです。

 <女子スピードスケート>

(1)500mスピードスケートをオリンピック新記録で圧勝した小平奈緒選手(31)の勇姿に感動を覚えました。小平選手は500mでの金メダルの他にも1,000mでの銀メダルにも輝きました。彼女が日本選手団の主将として発したインタビューの言葉"百花撩乱"の下りは実に名言であったし、私は大きな感銘を受けました。

(2)団体女子追い抜きスケートでは、高木美帆選手(23歳)を中心とした日本チーム、菊池彩花(30歳)、佐藤綾乃(21歳)、高木菜那(25歳)の4選手が世界の強豪オランダを破るまさかの偉業を成し遂げました。高木美帆選手は一人で金、銀、銅のメダルを獲得しました。

(3)今回の大会で初めて採用される事となった新種のマススタートは、決勝戦に勝ち残った16人の中で、最も小柄で身長155cmの高木菜那選手が、一瞬の隙を突いて、ものの見事に第1位でゴールインを果たしたのですから、私にはまるで夢の中の風景を見ている思いがありました。
 高木菜那選手は団体女子追い抜き戦に続き、一人で2個の金メダルを獲得、姉妹合わせると二人で何と5個のメダルを獲ったのですから、前代未聞の大快挙というほかに言葉が見つかりません。

  <女子カーリングの奇蹟>

 ピョンチャンオリンピックの最後の最後に、最大のドラマが待ち受けておりました。
北海道北見市の小さな町(常呂)に拠点を置くLS北見カーリングチームが、3位決定戦で銅メダルを賭けた英国との死闘を5−3で逆転勝利をしたのですから、もう言葉にならない感動でした。この勝利の瞬間のテレビ視聴率は、何と42.3%だったのだそうですから、日本中の人がこのカーリングの勝利に酔いしれていた事になるのです。

 北海道北見市の常呂の町に拠点を置いて頑張ったLC北見カーリングチームは、一夜にして日本中に、もしかして世界中に、その名を轟かせる事になったかも知れないのですから、これ程のドラマにはめったに出会えるものではありません。

 彼女たちの"そだね"は一夜にして世界の合言葉になった感があります。私はこの一言の中には北見の人たちの優しさが凝縮されていると思い、行けるものなら一度は行ってみたいと思い、地図を手にしてみたのですが、北見市はともかく、常呂の地は一人でいったら帰って来られないかも知れないと思えるほどの最果ての地にあり、一瞬私の心は止まったままになっております。 

カーリング選手の一人、吉田知那美選手の言葉が、深く印象に残っております。【私は小さい頃から夢のない小さな町に住むのが嫌だと思っていたのに、カーリングのお陰でその町が今夢いっぱいの町になった事が嬉しくてたまりません】。
北見市の皆さん、常呂の皆さん、これからは胸を張って世界に羽ばたいて下さい。
北見とは対極の地にある私達の沖縄からも応援させていただきます。本当に本当におめでとうございます。そして感動を有難うございました。
                        2018年2月28日の記

追伸:メダルを獲られた選手の皆さんには、大きな拍手と心からのおめでとうを申し上げます。メダルには届かなかった選手の皆さんには、極寒の中の検討を讃えたいと思います。オリンピック参加という名誉ある体験が、これからの皆さんの人生にお役に立つことを心から念じます。ピョンチャンオリンピックに携わった関係者の方々のご苦労にも敬意を表します。

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