第31回那覇マラソンスタート風景(沖縄タイムスより) 第69回福岡マラソンスタート風景 川内選手35キロ地点の力走 ロンドンマラソン・ロンドン塔の前にて 1989年4月 さくら駅伝東京千鳥ヶ淵で仲間たちと 聖火ランナー・ラスベガス街道にて1996年5月 | 2015年12月6日は、¨太陽と海とジョガーの祭典¨のキャッチフレーズで、すっかり全国に知られるようになったNAHAマラソン(第31回大会)が、今年も華々しく開催されました。今年の参加者数は2万6679人、しかも抽選で選ばれた人達だそうです。
今から31年前のNAHAマラソン(第1回大会)の時などは、マラソンに関心を持つ人は限られていて、目標の3,000人を集めるのに大変な苦労があったと聞いております。私などは、その当時、観光関連の仕事に従事していたと言うだけで、無理矢理この大会に駆り出され、必死の思いで半分の20キロ地点までを、地面を這うが如くに辿り着いた苦い想い出が、今も鮮明に記憶の中に残っております。
人生は本当に不思議なものだと思います。天の神様はその時から3年後に、そんな私(マラソンとは無縁と思われた)を、まさかのマラソン一筋の世界に没入させて下さる事になっていたのですから不思議でなりません。その時の私は51歳でした。 NAHAマラソン第4回大会を目前にしていた或る日、或るパーティーの席で、私は或る知人から¨来年(1989年)のロンドンマラソンを一緒に走りませんか?¨、とのお誘いを受けたのです。まさかと思いながらも、何故かその瞬間の私は、マラソンの苦しさなどすっかり忘れ、¨ロンドンマラソン¨という夢の様な言葉に酔いしれていたのです。 パーティーのあった翌日からの私は、朝に昼に夜に、只ひたすらロンドンマラソンの夢の中を走り続ける日々が始まっておりました。
努力の甲斐あってか、NAHAマラソン第4回大会を無事初完走(5時間2分48秒)、翌年4月23日のロンドンマラソンも完走して(4時間43分24秒)、ロンドンマラソンの夢は現実のものとなっておりました。私はこのロンドンマラソンで、大きな大きな人生の勉強をさせていただいたと思っております。そしてこの時から私の本当のマラソン人生が始まる事となりました。 NAHAマラソン第4回大会から14回大会までの10年間は連続してNAHAマラソンを完走、そればかりか、その間に、私はロンドン、メルボルン、ベルリン、ボストン等の、海外マラソンを含めると19回のマラソンを完走しておりました。明けても暮れてもマラソン人生の日々でした。
更には1996年3月から5月にかけて、今度は¨さくらの開花¨に沿って、沖縄最南端の波照間島から北海道最北端の宗谷岬までの¨さくら駅伝日本縦断3,000キロ¨を走破しようという計画が持ち上がり、これにも加わっておりました。この計画は雨の日も、風の日も雪の日も、一日たりとも休むことなく続けられたのですから、今から思えばとても信じられない出来事であったと思います。人生のまさかの不思議はこの後にもう一つ続く事となりました。これこそは私の人生で最も貴重な体験であったと思います。
沖縄から北海道宗谷岬を目指してひたすら走り続けていたその最中に、今度はこの私が¨アトランタオリンピック聖火ランナー日本代表の一人に選ばれた¨、という知らせが舞い込んで来たのですから、私の人生でこれ以上の¨まさか¨はありません。私は「さくら駅伝日本縦断走」を一週間ほどリタイア―をさせて頂き、急遽アメリカ西海岸に飛び、灼熱のラスベガス街道を一キロに渡って¨聖火¨と魂を共にさせてただきました。 あの時からやがて20年が経ちますが、私は今でもあの時のあの数分間こそが、私の人生で最も神聖な瞬間であったと思っています。聖火の道はまさに¨神の道¨でありました。
私はその頃に、何故こんなにもまさかの偶然が重なるのであろうかと自問自答した事があります。答えは、それら全ては天なる神様の導きによるものと思う他はありませんでした。¨人は無心で何かに没頭していれば、運命の神様はその人の姿を応援して下さる¨、という格言の様なものを今でも自分の人生の教訓にしております。
NAHAマラソンのお陰で、私は本当にたくさんの¨まさか¨を体験させていただきました。NAHAマラソンの時期がやって来る度に、それらの遠い日の想い出が蘇ってきて、NAHAマラソンに手をあわせるのです。 (私のマラソン人生に関する記事についてはコラムNO119、120、121、122に記させていただいております)
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
2015年12月6日、この日はNAHAマラソンと時を同じくして、第69回福岡国際マラソが開催されておりました。私はNAHAマラソンの事を気にしながらも、心の殆どは福岡マラソンの方に奪われておりました。その理由は、この福岡大会に、あの川内優輝選手が、来年のリオディジャネイロ五輪マラソンの代表をかけて参加していたからです。
川内選手は、昨年のNAHAマラソン30回大会に出場して下さり、2時間13分43秒の大会新記録で30回大会に大きな花を添えてくれました。 私事になりますが、川内選手は私とは半世紀以上も違う大学の後輩にあたるとの事で、その日の懇親会にお声をかけて下さり、本当に素晴らしいひと時を過ごさせていただきました。その時の川内選手の印象が、余りに素晴らしく、私はその時から生涯をかけて、川内選手の大ファンの一人にさせていただこうと思う様になりました。
川内選手の福岡マラソンの結果は、残念ながら全体の8位、日本選手の4位と言う事で、リオ五輪代表にはなれませんでしたが、まだ来年の東京マラソンと琵琶湖マラソンが残っておりますから、必ずや、このどちらかの大会で、有終の美を飾ってくれるであろう事を確信し、心からの応援をさせていただきたいと念ずるばかりです。(川内選手との事についてはコラムNO217にも書かせていただきました) (2015・12・12の記) |