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奥田のコラム

21世紀養生塾沖縄「天遊会」代表の奥田清志です。
ここでは健康に関する事を中心に、印象深い日々の出来事や、時には忘れ難い過去の思い出話なども含め、私の近況報告とさせていただきます。
( コラム中の画像はクリックで拡大します)
奥田清志


奥田のコラム(NO231) 沖縄戦終結70年目の夏 ( 2015/09/05 )

 
 ヨハン・ガルトゥング氏の平和講演(2015年8月26日・沖縄にて)

 
 ガルトゥング氏、辺野古へ激励に(2015年8月25日)

 
 辺野古阻止の輪・世界の識者声明その1
(2015年9月5日)

 
 辺野古阻止の輪・世界の識者声明その2
(同上)

 
 

 
 

 コラムNO230を書いてから2か月が過ぎてしまいました。何人かの方々から、「暫くコラムが止まったままになっているので気になっていますよ」とのお言葉をいただき、大変申し訳なく恐縮しております。

 特に変わった事があった訳ではありませんが、今年の沖縄の夏(7月・8月)は、私の沖縄在住40数年のうちでも、記憶にない程の台風(10号、11号、12号、13号、14号、15号)が毎週のようにやって来て、余りの自然の持つ威力に、私はなす術もなく,
唯々呆然と無気力に今年の夏を過ごす他はありませんでした。これらの台風は沖縄通過後も日本中に大きな被害をもたらしました。

 今年の沖縄の夏で特筆すべき事は、今年は沖縄戦が終結して70年と言う節目に当たり、沖縄の新聞、TVは毎日のように沖縄戦の特別番組を報道・放映する日々が続いておりました。40年以上もこの沖縄にご縁をいただいている私は、沖縄戦のこの現実から絶対に目をそらせてはならないとの必死の覚悟から、一生懸命戦争の悲劇に目を向ける努力を続けておりました。

  戦争の犠牲になられた多くの方々、そしてそのご親族の方々の悲しみと苦悩は筆舌に尽くし難いもので、70年経った今でも変わるものではないのです。戦争と言う現実にどれ程の大義名分、美辞麗句を付け加えたとしても、戦争こそは絶対悪の人殺し以外の何物でもないのです。そしてその戦争をおこす最大の責任者は、その国のその当時の政治に携わる人達になるのではないでしょうか。

 近年の沖縄は、世界一危険と言われる普天間米軍飛行場の代替地として、今度は世界的にも貴重とされる沖縄辺野古の海を埋め立てて、巨大な米軍の新基地の建設を進めているのです。新基地建設を強引に進めているのは日本政府と防衛省です。

 沖縄県民の80%が、この新基地建設に反対し、中止を叫び続けているにも関わらず、日本政府の要人たちから口をついて返ってくる言葉は、誰もが判を押したように『沖縄の皆さんのご理解を得て、粛々と計画を進めます』であります。何とお粗末な,無情な日本政府の対応でしょう。沖縄には民主主義は通用しないのでしょうか。

 沖縄の置かれている現状を少しお伝えしようと思います。
沖縄県の総面積は日本国全体の0.6%でしかありませんが、日本にある米軍基地の74%がこの小さな沖縄に置かれているのです。沖縄の基地負担率は何んと県外の500倍近いものになっているのだそうです。
 日本政府はそれでも尚、沖縄に今度は100機のオスプレイが常駐できる巨大な軍事基地を押し付けようとしているのだそうですから、これを¨差別¨と言わないで何と言えば良いのでしょうか。願わくば、日本の防衛は日本全体で守っていただきたいものであります。

 今朝の新聞に、まさかと思える程の、特別に嬉しいニュースが報じられました。
それは、¨平和学の父¨と言われるヨハン・ガルトゥング先生をはじめとして、世界中にその名前が知られる109人の識者達が、沖縄の新基地を阻止する共同声明に賛同の意志を表明されたとの記事です。

ヨハン・ガルトゥング先生はご高齢(84歳)にもかかわらず、先月(8月)沖縄を訪問して下さり、沖縄県民に向かって、『沖縄県民による辺野古新軍事基地反対の姿こそは民主主義そのものであります。時間がかかるかも知れないがきっと希みは成し遂げる事が出来るでしょう』、『安倍首相は私の提案した¨積極的平和¨と言う言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対の事をしようとしている』、との強力なメッセージを残してくれました。

 沖縄辺野古新基地建設阻止の輪は今世界中に拡がっているのです。言葉を換えれば、世界の有識者の目は今沖縄に向けられているのです。沖縄県民は今大きく胸を張って、沖縄から自然を守り、戦争に係らない真の平和の在り方を世界に向けて叫び続けようではありませんか!!。
                    2015・9・5日の記
写真は琉球新報より


奥田のコラム(NO230) 第2回『帯津良一先生を囲むファンクラブの集い』 ( 2015/07/05 )

 
 「第2回 帯津先生を囲むファンクラブの集い」

 
 「第2回 帯津先生を囲むファンクラブの集い」講演会風景

 
 懇親会参加者その1

 
 懇親会参加者その2

 
 懇親会参加者その3

 
 懇親会参加者その4

 去った6月21日、『帯津良一先生を囲む、第2回ファンクラブの集い』がありました。今回の会場はご縁があって、沖縄市にあるコスタビスタ沖縄ホテルで開催されました。
帯津先生のご来沖は1年ぶりでしたが、今年79歳になられたと言うのに、先生は増々お元気でかくしゃくとされておりました。
今回のコラムは、その時の帯津先生のお話の一部をお伝えしようと思います。

   帯津先生のお話(以下は帯津先生の言葉でお伝えします)

・ 皆さんお久しぶりです。一年ぶりですがいつも沖縄を楽しみにしております。
沖縄が他県と違うところは、空港で降りるとその足で真直ぐ居酒屋さんに直行してもらえる事で、これは何物にも優る喜びであります。

・ さて、私の本業である病院での過ごし方は、池袋にある帯津三敬クリニックには毎週水・木曜日の朝4時に出勤し、たまっている仕事をこなし、あさ7時半からは本来のクリニックの業務に集中します。
 埼玉県川越市にある帯津三敬病院には、月・火・金曜日の朝3時には出勤し、こちらでもたまっている仕事をすませ、次は病院にある道場で早朝の太極拳を舞い、朝食をとり、ここでも7時半から病院の業務に邁進する日々を過ごしております。夕食は6時30分と決めております。
 土曜・日曜は殆どどこかの講演会に呼ばれております。お話しする機会が多いので、私は毎年、話のテーマを決める事にしています。今年のテーマは『歓喜と創造』と『人間の尊厳』です。

・ ここからは『人間の尊厳』についてお話します。
昨年10月の或る日、病院に緊急の電話がかかってきました。電話の主は、ある大手新聞社の社長をしていた人からで、彼が言うのに¨今いる病院の治療法にはどうしても納得がいかないので、自分を帯津病院に引き取ってもらいたい。とにかく会いたいのですぐに来て欲しい¨、と言うのです。

 私は気持ちを落ち着け、状況判断をしてみたのですが、これはちょっと危ない!と察知し、早々に彼の病室を訪ねました。案の定、彼はCCI(心臓病の救急部屋)に入っていて、ベットの上に置かれた心電図を見ただけで、ただならぬ気配を感じました。

 彼の希望を聞いてみると、彼はあるNPO法人の会長職をしていて、その後任を私に引き継いでもらいたいとの願いでした。私はこの場でNOと言っては彼の尊厳を傷つけると思い、無条件にYES!!と伝えましたが、その時の彼の安堵の笑顔が忘れられません。彼はそれから数日後に天寿を全うされたとの事です。

・ 日本における抗がん剤治療は、時として人間の尊厳をズタズタにする恐れがあり、事実沢山の人達が抗がん剤治療で残念な人生の最後を迎えているのが現実です。
 いろいろな病気があり、いろいろな治療法があるのですが、大事な事は、どんな治療法を選ぶにしても、患者さんの尊厳を傷つけることなく、患者さんのわずかな希望にも最後まで寄り添ってあげる事が大切なのです。余命何か月、何日と平気で患者さんに伝える医者がまだ今の日本にはたくさんいる現状を私はとても残念に思っております。

・ 人間の尊厳について、私が最も共感を覚えるのは、哲学者のベルクソン(1859〜1941)が残した言葉です。彼は人間の尊厳とは、生命の躍動と、歓喜と創造と、自己実現を全うさせる事であると言っております。¨生命の躍動¨とは心のときめきです。¨歓喜と創造¨とは未来への希望です。¨自己実現¨とは来世への展望です。
 人はいつまでも¨ういういしい心¨でいたいものです。初々しい心があれば人はいつでも¨ときめきの花¨を咲かせ続ける事が出来るのです。

・ 私の¨心のときめき¨は以下の様な事です。
@ 最後の晩餐
映画¨おくり人¨で一躍時の人となった作家の青木新門さんは¨死を目前にしている人を癒してあげれるのは、その人よりも更に死に近い所に立てる人だと言っております。私は毎日のように死を目前にしている人達に会っています。その人達を癒してあげる為には、今日が私の最後の日と心得て生きる事にしようと思い立ち、一日を最大限に生き、毎日の夕食を¨最後の晩餐¨と覚悟して夕食の席につくのです。覚悟が決まれば、一杯のビールは心身に染み渡ります。コンコンコンとつぐ一杯のウィスキーは来世にむけた覚悟のウィスキーとなるのです。

A 原稿書きにもときめきがあります。私は原稿依頼を頼まれることが多いのです。原稿書きは構成がまとまるまでは苦労の連続ですが、構想が決まり、筆が進み、やがて終わりが近づく頃の心のときめきは格別なものが有ります。

B 太極拳のときめき
早朝、病院の中にある気功道場(直心道場)に立ち、一人で舞う太極拳は格別です。私の太極拳は、楊名時先生の生徒であった家内から教わっただけですから、おおっぴらに太極拳を語る資格は私にはありません。大勢の人と一緒にやる太極拳も苦手です。ただ心静かに一人で舞う太極拳には大河の流れを感じ、虚空と一体になれる魅力があって、まさに心のときめきです。

C 女性にもときめきます。
私は通りすがりの女性にもふとしたときめきを覚えてしまいます。
 私は若い頃よりも、何故か60代、70代になってからの方が、女性にもてるようになったと思っております。もてると言っても¨ハグ¨される回数が多くなった位の事ですが、本当の所は個人の問題にもなりかねないので、他言はしないようにしています。

D 青春の日のときめきです。
今から56年前の昭和34年、名古屋台風があった年ですが、その頃、今の東京都文京区西方2-27号に¨フローラ¨という一軒のバーがオープンし、ママさんの名は永井セイ子さんと言う人でした。このママさんは夏目漱石の三四郎に出てくる女性と瓜二つと思える程の女性で、知性・美人・色気の三拍子を兼ね備えた女性でした。私はこのフローラには、オープン以来、ママさんが亡くなる迄の45年間、足繁く通い続けたのです。
まさに青春最大にして最高のときめきの想い出です。

* 帯津先生のお話はまだまだ続くのですが、紙面が足りませんので、この続きはまたいつかと言う事にさせていただきます。(奥田)
                        (2015・7・5日の記)


奥田のコラム(NO229) 6月26日:79歳の誕生日に考えた事 ( 2015/06/29 )

 
 79歳の記念写真

 
 豊見城教室にて

 
 豊見城教室の皆さんと

 
 豊見城教室風景

 
 

 
 

 2015年6月26日、私は79歳になりました。来年はまさかの80歳と言う事になりますが、心の中では、¨80歳からの人生を最高に輝く人生にしよう¨!!という秘かな決意だけはしているつもりです。

 6月24日(私の誕生日の2日前)は、アメリカ孫のANIKAが、私とは2日違いの7歳の誕生日でしたので、お互いにTV電話(スカイプ)で誕生祝を伝えあったのですが、7歳の孫には、とても79歳という年齢が理解出来なくて、ただ目をまんまるくして驚くばかりの表情でした。

 6月28日は、石垣島に住む長兄孫の拓夢(たくむ12歳)の誕生日でもあり、こちらの孫とも電話で¨誕生日おめでとう¨の会話を交わしたのですが、12歳の孫も、79歳の誕生日がどうやらまだ雲の上の出来事の様子でした。

 自分の子供の頃を思い浮かべてみたのですが、当時のおじいさんのイメージはせいぜい60〜70歳位で、それ以上の人はもう人間離れした仙人のような存在であったような気がしております。一昔前であれば79歳を生きている私は、仙人呼ばわりされていたのかも知れませんね。

 近年は世の中も大きく変わり、今では男も女も平均寿命が80歳を優に超える時代になっております。ただ、心しておかねばならない事は、元気でいられる健康寿命は、男女ともに平均寿命より10歳もマイナスが現実なのだそうですから、世の中の半分位の人は人生の最後の約10年位を病院のベットか、どこかで寝たきりの人生と言う事になっているのです。平均寿命の数字の高さに浮かれてばかりではいられないのです。

 私事になりますが、私はこの1年程前から急に足腰が弱っている事に気付かされております。以前の私は、きれいな道を見ると走る事だけしか頭に浮かばないマラソン人間であったのに、今では走るどころか、歩く事さえもおっくうに思えるようになっているのですから、今はまさに私の¨元気人生¨の正念場と心得ているところです。

 ただ、足腰を除けば、まだ十分なる健康人間と思えておりますので、今から20年程前に、気功・太極拳人生と出会った時から心に誓っている¨元気な100歳人生を生きる¨気持ちにはいささかの変化もありません。

 私は80歳からの人生は、自分なりのベストを尽くして、後は神様の¨おみちびき¨に全てをゆだねる事にしようと思っております。80歳からの人生を最高に輝かせる為に、79歳の誕生日に考え、心に誓った事は、以下のような事であります。

             <79歳の誓い>

 (1) 身の回りを最大限に整理して、最高のシンプルライフに徹しよう!。

 (2) いつ、いかなる時に死を迎えても、いささかの後悔のない人生を生きよう!。

 (3) 命ある限り、誰かの、何かのお役に立てる人生を生きよう!。

 (4) 感謝、感動、そして¨ときめきの人生¨であり続けたい!。

 (5) いくつになっても、今日よりも一歩前進の明日を目指そう!。

 (6) 仲良く、楽しく、元気が一番!。(これは生前の母親の口癖でした)

 (7) 天国の父母が喜んでくれるであろう人生をまっとうしよう!。

 以上、79歳の誕生日の日に、一生懸命考えた私の80歳からの人生に向けた79歳の誓い(心意気)であります。頑張りますので、皆さんよろしくお願いいたします。

                 (2015・6・28日の記)


奥田のコラム(NO228) 戦後70年「慰霊の日」:沖縄全戦没者追悼式 ( 2015/06/25 )

 
 慰霊の日追悼式で黙祷を捧げる参列者

 
 平和の礎前で戦争で亡くなった遺族に祈りをささげる人

 
 慰霊の日に「平和宣言」をする翁長沖縄県知事

 
 慰霊の日追悼式に参列する翁長知事と安倍首相

 
 慰霊の日に献花するキャロライン駐米大使

 
 

 毎年6月23日の沖縄は、先の沖縄戦で亡くなられた20万人を超える戦没者を追悼する『慰霊の日』です。今年は特に戦後70年の節目となる年で、沖縄全島が深い鎮魂と不戦の祈りに包まれた一日でありました。戦後70年が過ぎたとはいえ、沖縄にはいまだ筆舌に尽くし難い戦争の悲しみを抱えた人達が沢山、沢山おられるのです。

 私のように県外からご縁をいただいて沖縄に住んでいる者にとっては、この沖縄を再び戦争の島にしてはならない!!、と叫び続ける沖縄県民の心にしっかりと寄り添っていかねばならないと言う思いがつのるばかりであります。

 昨今の沖縄は、誠に残念ながら再びまた日米政府の進める辺野古新基地建設に翻弄され続けています。沖縄県民の総意を無視して、強引に新基地建設を進める日本政府のやり方には、人間の良心のかけらも感じられないと思っている人は多いのではないでしょうか。

* 安倍晋三首相は、6月23日の追悼式に次の様な挨拶をしております。(以下は安倍首相の言葉(抜粋))
『美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本を繋ぐゲートウエイとしての沖縄は、その優位性と、限りない潜在力を充分に生かし、飛躍的な発展を遂げつつある。沖縄の発展は日本の発展をけん引するものであり、私が先頭に立って、沖縄の振興を更に前に進めていく』。

 とても空々しく思われてなりません。安倍首相が本当に沖縄の将来を思って下さるのであれば、即刻、辺野古新基地の建設中止を決断してくれる事ではないでしょうか。

 基地建設の進む沖縄辺野古の海は、世界的にも貴重な宝の海だそうです。沖縄の美しい宝の海を埋め立ててまで軍事基地建設を強行する行為自体が、国家権力による自然の大破壊であり、沖縄軽視の最たるものという気がしてなりません。
 どうか世界に誇れるこの美しい平和な沖縄の海を、戦争の発信地にしないで下さい!。

* 沖縄県民の大多数は「慰霊の日」に発信された翁長沖縄県知事の『平和宣言』に感動と感銘を覚えて、心からの拍手喝采を贈っています。その文章を抜粋して今日の私のコラムに記載させていただきます。

   <翁長県知事の平和宣言>(抜粋)

 70年目の6月23日を迎えました。
私達の郷土沖縄では、かつて、史上まれに見る熾烈な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族と友人など愛する人々を失った悲しみを、私達は永遠に忘れる事が出来ません。

 国土面積の0.6パーセントに過ぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍軍用施設の73.8パーセントが集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発のさまざまな影響を与え続けています。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な問題であります。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設する事は困難であります。

 そもそも私達県民の思いとは全く別に、強制摂取された世界一危険と言われる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去の為、辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築く事は出来ないのであります。
 政府においては固定観念に縛られず普天間基地を辺野古に移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直される事を強く求めます。

 戦後70年を迎え、アジアの国々を繋ぐ懸け橋として活躍した先人達の「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私達は、アジア・太平洋地域のの発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫の為に、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子供達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
 慰霊の日に当たり、戦没者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。   
2015年6月23日   沖縄県知事  翁長 雄志

             (2015・6・25日の記)


奥田のコラム(NO227) 辺野古新基地反対沖縄県民大会 ( 2015/05/24 )

 
 辺野古基地建設反対沖縄県民大会

 
 辺野古新基地建設反対の先頭に立つ翁長沖縄県知事

 
 学生代表:古堅智美さん

 
 ジャーナリストの鳥越俊一郎さん

 
 映画監督のオリバー・ストーンさん

 
 白梅同窓会会長の中山きくさん

 一週間前の沖縄(5月17日)は、雲ひとつない快晴でしたが、気温は30度を超える猛暑の一日でした。この日沖縄では、『戦後70年・止めよう辺野古新基地沖縄大会』が開催され、約40,000人もの人達が会場となった沖縄セルラースタジアムを埋め尽くし、あまりに不条理な日本政府の¨辺野古新基地建設¨に最大級のNO!!をつきつけた歴史的な一日であったと私は思います。

 私は沖縄にご縁をいただいて40年を越えました。私はなるだけ政治事には関わりたくない部類の人間ですが、この日ばかりは何としても会場に足を運ばねば、沖縄でお世話になった40数年のご恩に申し訳がたたない気がして、78歳の老体に鞭打って参加したのでした。

 会場となったセルラースタジアムは、もの凄い人の数で、私はスタジアムの外野席にわずかな自分の席を見つけるのが精一杯でした。私の身の回りには赤ちゃんを抱いた若いお母さんや、家族と思われる人達や、どうみても私よりも年上と思われるおじい、おばあの姿が至る所に溢れていて、本当に驚きました。
 この光景を見るにつけ、ウチナンチュー(沖縄県民)の真の願いは、もうこれ以上沖縄を戦争の島にしないで欲しいとの切実な願いが込められた集会であったに違いありません。沖縄には先の戦争で苦渋をなめ尽くした人達が、まだ沢山おられるのです。

 沖縄は戦後70年経った今でも、まだ日本における米軍基地の74%が置かれたままです。その一つの基地が、¨世界一危険¨と言われる普天間飛行場です。日本政府はその普天間飛行場の負担軽減を最大の理由に掲げて、その代わりに今度は天然記念魚のジュゴンの住む、かけがえのない美しい沖縄の海(辺野古)を埋め立て、巨大な新基地建設を強行しているのです。

 軍事事情に詳しい人の話によれば、日本政府(安倍首相)の本心は、この辺野古新基地に100機のオスプレイを配置し、¨抑止力¨と言う名のもとに、沖縄を更なる日米防衛の中核基地にしようとしているのだそうです。沖縄県民は今、総力を挙げてこの日本政府のもくろみに立ち上がったのです。

 昨年の選挙で、沖縄県民は圧倒的多数で、辺野古基地反対を掲げた翁長雄志さんを知事に選びました。翁長知事は『どんな事があっても、辺野古に基地は造らせない』!!と宣言して日本政府に対峙しております。沖縄県民の大多数が翁長知事と心を一つにしていると思います。私もその一人であり続けねば沖縄県民の資格はないと心に決めております。

 5月17日(日)の県民大会壇上で挨拶された方たちの中から、4人のお話を抜粋させていただき、今日のコラムに記しておこうと思います。

(その1) 学生代表:古堅智美さん(沖縄国際大学4年生)
 日本政府はもうこれ以上基地で沖縄県民を苦しめ、自然を破壊してまで基地建設をするのを止めて欲しい。この青い空、青い海はアメリカ政府や日本政府、安倍首相のものではなく、私達沖縄のものであります。

(その2) オリバー・ストーンさん(映画監督)
 5月17日の抗議行動にあたり、私は皆さんに敬意を抱き、支持を表明します。
あなた達の運動は正当なものだ。「抑止力」の名のもとに建設する巨大基地は一つのウソだ。アメリカ帝国が世界を支配する目標を進める為のもう一つのウソだ。
世界中にはあなた達のように、あらゆる分野で闘っている人達がいる。それは平和と、良識と、美しい世界を守る為の闘いなのだ。

(その3) 鳥越俊太郎さん(ジャーナリスト)
 戦後ずっと、私は沖縄の犠牲の上に私達はあるのだと感じ続けていた。その為に私は辺野古新基地建設反対共同代表にさせていただいた。この県民大会が新たな闘いになる事を皆さんと確認したい。辺野古の海に100万人の反対運動の輪を実現させようではありませんか。その位の事をしないと、日本政府の安倍ドルフ独裁政権(ドイツのアドルフ・ヒトラーになぞらえて)を倒す事は出来ないのです。

(その4) 中山きくさん(白梅同窓会会長)
 私は70年前、「お国の為」と県民総出で軍事基地づくりをした事が思い出される。その結果、それは抑止力にはならず、むしろ沖縄戦に直結し、かけがえのない多くの命を失い、大切な郷土の自然も文化遺産も全て失いました。戦争は人類にとって最も不幸な、忌むべき事だと思い知らされた。
 現日本政府は「国民の命を守る為」と称して、いま辺野古の海に新基地建設を強行に進めている。私は軍事基地は戦争に繋がるばかりか、人権侵害の最たるものである事を、戦争を知らない若い世代に伝えたい。「命どう宝」、武力を伴わない平和が一番だ。
  (以上。いずれも琉球新報より)                            (2015・5・24の記)

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